月別アーカイブ: 2017年1月

試行錯誤

人生は、試行錯誤の繰り返しである。
人間、誰しも失敗などしたくないはずだ。一つの物事に取り組んだ時、できればそれが完全なる成功をもって為し遂げられる、完璧と言わしめるぐらいの形で終えられるのが理想と考える人も多いに違いない。

しかし、人生に失敗はつきもの。大きな失敗から小さい失敗まで、失敗もさまざま。逆に、失敗のない人生ほどつまらないものはないのかも知れない。失敗を恐れるあまり、差し障りのないところに結果を求めても、そこからは何も生まれない、と僕は思う。
一方で、失敗を重ねることは、経験を重ねるということにも繋がる。何度も何度も失敗を繰り返し、学習能力を高め、その後の成功に導く。失敗の繰り返しによって挫折し、断念することほど中途半端で不甲斐ないことはないだろう。いや、自分の持てる能力を余すところなく発揮したにも関わらず失敗したというのであれば、それは挑戦そのものが「無謀」と言われかねない。しかしながら、持てる能力を本当に全て発揮したのかどうかは、自分自身の中でしか答えを見つけることができないし、他人はその答えを知る術がない。

失敗の確率よりも成功の確率を高めるためには、試行錯誤が必要だ。前述のとおり、同じことを繰り返して同じ失敗をするということは、単に「学習していない」ということである。

色んな試行錯誤を繰り返しても、最後の最後で守勢に入ってしまっては、その試行錯誤の意味がなくなるといっても過言ではない。試行錯誤をする必要のなくなった時、すなわちそれは、諦めか達成のいずれかに分類されるはずだ。

(何で急にこれが出てくるかというと、ここ半月の間、毎朝この水を飲み続けているからです。効果は今のところ全くといっていいほど感じていませんが…。)

人間は精密機械ではない。寸分の狂いもなく常に同じ動作をし続けることは、不可能である。しかし、マグロのように死ぬまで泳ぎ続けなければならない身体ではないので、立ち止まり、振り返り、そして、思い返すことができる。

本格的にランニングを始めてから6シーズン目を迎える。考えてみると、尿酸値、コレステロール、中性脂肪、γ-GTP、全ての数値において正常値を大幅に越えた30代半ばに成人病予備軍を指摘された時、生まれて初めて真面目に取り組んだ運動がランニングだったと言っても過言ではない。約3年後、真面目な取組から本格的な取組への移行だって、今思えば試行錯誤の末だった。
別に誰かに「死ぬまで走り続けろ」と言われたわけじゃあるまいし、走り続けることそのものは義務ではない、という開き直り。だからというわけではないが、「是が非でも走らなければならない」「走らないことが我慢ならぬ」といった状況だけには自分の身を近づけないようにしている。
やめたければすぐにでもやめればいい、それだけのこと。別に走ることをやめたからといって、誰からも咎められることはないし悲観されることもない。ただしそれで自分自身が納得できるか、それに尽きるのだと思う。

今まで色んな試行錯誤を繰り返してきたし、その試行錯誤が僕にとっては絶対効果のあることなのだという根拠も何もない確信を持ち、結果としてそれが誤りであったことを思い知らされることもあった。しかしながら、仮に結果が全てだとしても、それは僕にとってのゴールではないということだけは断言しよう。むしろそこから何を学び、どう繋げていけばいいのか、そんな新たな試行錯誤の始まりなのだと確信している。

ふと立ち止まり、40代を迎えてからこれまでの5年間(それは人生のたった9分の1というほんのわずかな期間でしかないのだけれど)を振り返りながら、自問自答を繰り返す。
これまでの試行錯誤で課題は見つかったか?やり残していることは、何だ?というか、どんな試行錯誤に取り組み、何を学習した?これらの問いに、明確な答えを見いだすことができない。結局のところ僕は、大人になってから経験する挫折や苦しみ、失敗を恐れていただけなのかも知れない。究極のビビリ、というワケだ。

1月29日、勝田で待ち構えるゴールゲートは単なる通過点であり、新しい試行錯誤のスタートライン、と考えることにしたい。当たって砕けろ、とは言うけれど、でもやっぱり砕けたくはないよな。

…何で急にこんな投稿をしたかって?これも試行錯誤の一つなのである。…いや違うだろう、それは単なる「気の迷い」だと笑うのであれば、僕はそれを素直に受け入れよう。
御意、と呟きながら。

Time to count down

くだらないことに腹を立てないようにしていても、イラッとすることがたくさんある。

電車内で一人分だけ空いていた隣のシートに座ってきた人が、何も言わずに無言で身体(腰から下)をグイグイとねじ込んで来た時。日曜夕方に決まってかかってくる光回線の勧誘電話。雪が積もっているのに、車道の真ん中を堂々と走る自転車。スーパーのレジで、金額を聞いてから財布を探し始めるオバチャン。-

頭の中で炎が立ち上がり、一気に沸騰したようにカッと顔が紅潮していくのがわかる。ああ、最近着火のタイミングが早いな…もう少し心にゆとりを持たないとダメだな、とその都度いつも反省している。

マラソンを走っている時も、時々似たようなことが起こる。そしてそれは、人数が多ければ多い大会ほど遭遇率が高い。

急な割り込みや追い抜きはもちろん、酷い時は足を蹴られたり、身体をぶつけられながら追い越される。その背中を恨めしそうに眺めながら、「お前のゼッケンナンバー、絶対忘れないからな。お前なんかどっかで足を引っかけてぶっ転んで、両足痙攣してしまえ!」などと心の中で呟くが、300mも走ると、反省どころかそいつのナンバーなんぞすっかり忘れてしまっている。所詮その時の怒りなんていうのは、その程度なのだと思う。

もう2ヶ月半も前のことになるが、さいたま国際マラソンでは、ほとんど怒りを発することなく最後まで走りきった。走り始めてすぐに足裏に違和感を覚え、程なくそれは痛みに変わったが、逆にそのことで冷静になれたのかも知れない。途中でたくさんの人に追い抜かれようとも、「ああ、こればかりは仕方がないよね。」と開き直り、最後まで落ち着き払ったような走りをすることができた。自己ベストには約2分及ばなかったものの、足の状態を考慮すれば充分自己ベストだと思った。(いや、結果が全てだと言われればベストとは違うんですけど。)

足の痛みや疲労を溜め込んだままレースに出場することだけはできれば避けたいと思い、鍼灸に似たような効果があるということを噂で聞いた「ホイル巻」をここ2日ほど試行しているが、こちらの成果もそれなりに出ているような気がする。いやあくまでも、それなりに、である。
ただ少なくとも、右アキレス腱に残っていた慢性的な痛みは確実に緩和されたし、ふくらはぎの張りも10分ほどで緩和されたような、されないような。アルミホイルを部位(患部?)に巻いて約10分ほど放置すると、チクチクと何かが刺すようなそんな感覚が現れ始める。多分、間違えて奥歯でガムの包み紙…アルミを噛んでしまった時の「あれ」に近いものなのだと思う…と言った時点で、きっとこの投稿を読まれている皆さん(ガムの包み紙を噛んだ経験のある皆さん)は、苦虫を噛み潰したような表情をしているんでしょうね(どうもすいません)。

※医学的に証明された治療法ではなく、炎症を引き起こすなどの副作用の可能性もあるそうですので、やってみる方は自己責任でお願いします。

泰然自若の心境で臨めば、自ずと結果はついてくるはず。目先の損得に一喜一憂することなく、それぐらい大きく構えて臨みたいものだと思うが、そういう大局的な見地で自分自身の身をレースに投じることができないのは、色んな欲がまだたくさん残っている証なのだろう。

勝田マラソンは、「記録の出やすい大会」と言われているらしいが、その一方でスタート時のブロック分けは本当に酷いらしく、ブロック分けがあってないような無法地帯なのだとか。こういう油断や緊張感を与える触れ込みこそが、自分自身の気持ちに動揺を与え、それが足かせになることを、フルマラソンを10回以上走った中で少しながら理解するようになってきた。

他人は他人、自分は自分。あくまでも、泰然自若。

今回…いや、今年はとにかくこれを意識していこう。あせらない、あわせない、あきらめないとは、まさにこの四字熟語ではないか。
大会まであと6日となり、徐々に気持ちが戦闘モードに入りつつあるが、戦闘する相手は自分の中にいる「弱さ」なのだということを考えると、目標達成は遙か先の話だな、ということを日々の練習の中で思い知らされる。
先月に引き続いて「平均1日10キロ」を少しだけ意識し、それなりに計画的に練習に取り組んできたところ、今日の時点で月間走行距離が270キロを超えた。これで大会当日の距離を加算すれば、自ずと300キロ超えとなる。しかも今月は珍しく、20キロオーバーを4度(外2,内2)、30キロオーバーを1度(外1)走っている。さいたま国際を終えた後、一番の自堕落期に突入するこの時期も、距離はそれなりに踏めたと自負する一方で、スピードの底上げに全く自信がなかったので、22日は久し振りに外…というか隣市の室内競技場の外周(1周約285メートル)を、レース用のモデルと同じシューズで試走。その距離わずか12キロ(42周)、多少ムラはあったにせよ後半にかけての落ち込みもなく、まずまずのペースで終えることができた。(1キロ4分半を切るペース)
あとは残り6日間で疲労抜きのジョグにシフトしつつ、最後の調整を行っていくことに。

しかし、ついこの間まで膨らんでいた楽しみが徐々に萎み、不安の方がだんだん大きくなってきた。
アルコールはいい加減抜いた方がいいのだろうか、当日朝食べる餅の数は何個にしようか、炭酸抜きは始めた方がいいのか、体重はどこまで落とそうか、カーボローディングはどうしようか…などと考え始めると際限がなくなって、ますます不安が増幅するだけなのだけれど。

何も意識せず、無心で走る。とにもかくにも今回は「帰りの電車に間に合うようにゴールする。」のが最大の目標。
スタートラインに立った時は、そのことだけを考えるようにしよう。

※投稿者の調べによると、大会前にこういう投稿をしたレース結果は、大概不本意な内容に終わっています。

「第65回勝田全国マラソン」に出場します。

この時期、職場内では風邪が蔓延し、青森県内ではインフルエンザの流行期突入のようです。弱ったなあ。(ここ、マスオさん風にお願いします)

ホントは走った後の事後報告にしようかと思いましたが、別に隠すようなことでもないしな、と。知らないうちに知っている人もたくさんいるみたいだし…。

2月5日に開催される「別府大分毎日マラソン」。いつかは出たいと考えている制限時間3時間30分の高速レースですが、今年もこちらの大会にはエントリーしませんでした。

…がしかし、その1週前となる1月29日。茨城県ひたちなか市で開催される「第65回勝田全国マラソン」に出場します。毎年恒例の「ジャパン・ツアー 2017」が早くも幕開けです。
いやいや、勝田に出られるぐらいなら別大に出ればいいのに…。
そんなことを思う人は誰もいないと思いますが、今回、勝田への出場を決めるに至ったのには、幾つかの理由があります。

(1)伯父の住む街を、生まれて初めて訪ねる。
ひたちなか市の隣には茨城県の県庁所在地である水戸市があります。僕の亡父のすぐ上の兄、つまり僕の伯父が水戸市に住んでいます。伯父はほぼ毎年弘前にやってくるのですが、これまで僕の方から水戸に足を運んだことは一度もありません。僕の記憶では、多分亡父も数える程度しか訪れていないはずです。

昨年の夏、同窓会に出席するために弘前にやってきた伯父と、こんな会話を交わしていました。
伯父(以下「伯」):「まだマラソンやってるの?」
:「はい、走ってますよ。」
:「どれぐらいの時間で走るの?」
:「フルだと、3時間30分を切るぐらいですかね…。」
:「3時間半切るの?速いね!」
:「いやいや、そんなことないんですよ…。」
:「今度一回こっち来て走ってよ。泊まるところならいくらでも用意するから。」
:「そうですね…機会があれば行こうかな。」(一応、社交辞令として。)
:「そうだ!冬にさ、勝田ってところでマラソン大会があるからさ、それに出ればいいよ。」
:「え…(マジかよ)。そ、そうですね、タイミングが合えば…。」(正直、消極的)

その後しばらくして、伯父から僕宛に一通の手紙が送られてきました。が、封筒の中には、新聞の切り抜きが一枚入っていただけでした。「きょうから先行申し込み」

…ホントにこれだけ。メッセージも何も添えられていない一枚の切り抜きを見ながら、ふと思ったのです。
(伯父、ひょっとしたら真面目に来て欲しいのかも知れないな…。)
しかし1月下旬と言えば冬の厳しい時期。もしも大雪に見舞われたら、誰が雪かきをするんだろう。
切り抜きを眺めては葛藤する日々が続きました。
そんな僕を見かねた妻が、母のいるところで一言。
「お母さんも一緒に水戸に行ってくればいいじゃない。」
そんな妻の言葉にも、母は「私は行かない。雪降ったら、どうするの。」とつれなく返すだけでした。
結局悶々としながら時は過ぎ、気がついたらいよいよ締切最終日の11月2日になっていました。ここで僕は一人で遠征、出場することを決意。

「オラ、やっぱり水戸に行ってくるわ。マラソン、走ってくる。」
てっきり出場を諦めたと思っていたところへの突然の出場表明に、半ば呆れる母と妻。しかし、エントリーしてしまったものは仕方がない。既に航空券も手配済み。外堀はほぼ固まっていました。…というか、毎回このパターンですが。

伯父に電話連絡。
:「手紙ありがとうございました。勝田マラソン、エントリーしましたよ。1月、水戸にお邪魔します。」
:「え?ほ、ホントに?勝田マラソン、出るの?」
:「(…あ、あれ?もしかしてあの手紙って社交辞令だった?)は、はい…。」
:「いやぁ!…本当に!あ~、そうかあ!来るんだ?それ、本当に楽しみだな。時間とか決まったら連絡してよ!水戸駅まで迎えに行くから!」
:「(よかった…取り越し苦労だった…)はい!よろしくお願いします!」

その後伯父は、母に連絡を入れ、「何を食べさせてあげたらいいかなあ。」と嬉々とした様子だったとのこと。
…いや、何もいらないっす。多分また餅を数個持っていくので、水戸納豆があれば、それでいいっす。
ひとまず歓迎されているようで、一安心。
というわけで今回は、勝田マラソンに出場するというよりも、伯父の住む街を訪れることが一番の目的。でも、そんな伯父の前で恥をかくわけには行かないかな、と。

(2)開催される日は、46歳の誕生日。
さすがにこの年齢になると、別に誕生日なんて来ない方がいいと思うところもありますが、大会当日の1月29日は46歳の誕生日です。(時々やたらと年上に見られることがありますが、今日の時点ではまだ45歳です。)
ちなみにこの大会のスタートは10時30分。羽田空港から青森に向かう帰りの飛行機が18時25分なので、遅くとも勝田駅から都内に向かう15時32分発の電車に乗らないと、羽田空港に間に合いません。(もう一本次の特急でもギリギリ間に合いそうですが、何かアクシデントがあったらアウトという高リスク。)
ゴールしてからのことを考えても、最低1時間は必要。なので、遅くとも14時30分までにはゴールするという目標を立てて走ろうと思っています。まあでも、せっかくのバースデーランですから、自らの誕生日を自ら祝う、そういう走りができたら理想的。練習だけはガッツリ取り組んでいます。だって、伯父の前では恥をかきたくないので。
ちなみに帰りの特急は、グリーン車で。だってほら、誕生日だから。(←関係ない)

(3)冬の大会も一本走っておきたい。
今年も「別府大分毎日マラソン」に出場する都内在住のNさん。僕と同い年で誕生日が一日しか違わない、サブ3ランナーです。別大に向けて最近はほぼ毎日走っているようですが、勝田全国マラソンの10キロレースを、前週の調整レースと位置づけて出場するとのこと。そんなNさんから、こんなことを言われていました。

「12月から毎日10キロ走ったら、勝田までには500キロ以上走り込めますよ。」

Nさんはきっと言ったことを忘れているだろうけど、僕はこの言葉をずーっと気に留めておりまして、それもあって先月、師走にもかかわらず月間で約320キロ走ったのです。前にもお話ししましたが、月間の走行距離としてはこれまでの最長。ただし、この時期は毎年漫然と走ることが多かったのですが、今回は毎回、ちゃんと目的というか目標というか、そういうのを決めて走っていました。それも、かなり計画的に。結果、今月は現時点で約220キロ。
(ここ、タラちゃんの足音を効果音でお願いします。)…Nさん!確かに500キロ以上走り込めたわ!

例年であればこの時期は既に「冬眠」している季節。問題は外走りではなくトレッドミルがメインの練習になっていて、本番でどう活かされるのかがとーっても不安。まして冬場のロードレースは、今回が生まれて初めて。どういう格好をして走ればいいのか(長袖かアームウォーマーか、ゲーターか機能性タイツか、手袋はどれぐらいの厚さがいいのか、などなど)、全くといっていいほど無知に近い状態なので、そういうところから今後の知恵として蓄えていかなければなりません。

大会まであと10日。この季節、雪がないところを走ることができるというありがたみを噛み締めながら、今後に向けた布石といいましょうか、今回の経験を踏まえて色々学習したいと思います。
ちなみに申告タイムはそれなり(3時間17分台)だったのに、どういうわけかCブロックからのスタートになりますが、何せ初めてのコースということで、まずは安定の(?)200分切りを目論んでみようかと…。

…ちょっと待てよ。まずは、ではなく勝田全国マラソンは、今回が最初で最後の出場になる可能性の方が高いかもね~。来年こそは別大に行きたいぞ!

やってみたいことは口にし続けると、いつか叶う(のか?)

先日このブログで「エレファントカシマシをいつか観たい」、と呟いていたのですが、記事を投稿したその日に全国ツアーの開催決定が公式HPで発表され、その中に、何と青森公演が含まれていました!(30周年を記念した全都道府県を回るツアーなのだそうです。)
さらなる驚きは、青森県の公演会場が「弘前市民会館」だということ!自宅からわずか1キロ離れたところで、念願のエレファントカシマシ公演を観ることができるなんて!(→ただしまだチケットは入手していません。)
今年は春先にあの人の公演があるし、久し振りのあの人の公演もあるとのこと、今から楽しみで仕方がありません。(→ただしまだチケットは入手していません。いずれも。)

前置きはさておき。自分大好きで負けず嫌いな皆さん、こんばんは。隣の芝生は今日も青いですか。うちの隣の庭は雪だらけです。まあ、うちも雪だらけですが。

津軽地方では「足フパリ」という、いわば「出る杭は打たれる」みたいな風潮がずーーーっと蔓延していると思っていたのですが、最近は世代交代が進んでいく中で、そういう風潮が徐々に後退しつつあるのかな、と思っています。もっとも、この「足フパリ」って、結局のところ妬み、やっかみの最たるもの。でも、妬み、やっかみから批判するのは簡単でも、対案は持ち合わせていない、というのがほとんど。だから、「足フパリ」をすればするほど自分の資質を曝け出す、人間性を疑われる、ということに気づいた人が多くなったということでしょうか。

おっと、ここまで話が全然まとまっていませんね。すいません。でも、今日は最後までこんな調子です。申し訳ない。

今日は我が社で職員向けの講習会があり、約2時間にわたってお話を聞いてきました。
演題は「ひとりじゃ円陣組めない」。講師は長野県塩尻市企画課シティプロモーション係長の山田崇さん。風貌からして「役所離れしている人だなあ」と思いましたが、帯びている熱、発せられる熱量が圧倒的に違いました。

講演が始まって比較的早い段階で、山田さんはこんなことを話されました。
「県の人たちが大勢いる中でこういうことを言うのは申し訳ないけれど、県の人たちよりも我々市町村単位の職員の方が住民に近い関係にある」と。

でも、その後でこういうことを続けました。
「何かをやりたいと思った時に、肩書きは不要。要するに、個人で何をやりたいか。そして、共感できる仲間と一緒に取り組めるか。」

身体の中が熱くなりました。汗がタラタラ流れ始めるのがわかりました。心の中を見透かされている、と思いました。まさに核心を突かれた気分でした。
職業柄、僕は県全体のことを見回して諸々を考えるのですが、地域それぞれの気候、風土、文化などは、同じ県内であっても異なります。その中で、画一的な何かを打って出たところで、それが成功するかどうかはわからないところがあると思います。

これまでも、朧気ながら「何かできないものか」と考えていましたが、一歩踏み出すかどうかは自分次第なんですね。
更に僕の場合、結局のところその「何か」が何なのか、一体どこの誰を相手にしたいのかが本当にぼやけた感じになっていて、思い描くだけではどうすることもできないということを痛感させられました。ただ漠然と「何とかしたい」と思っても「何ともなるはずがない」のです。当たり前ですよね。ところが、その当たり前、本当に根幹のところです。これが全くもって曖昧になっていたという。

例えば100人が集まった時、一人が「自分は○○したい!」とぶち上げた時に、100人全員が「そうだそうだ!」となった時には、その共感は無関心を生み出すことになりかねない、ということだそうです。でも、自分に置き換えて考えた時、僕はその場にいる100人全員が共感するようなことしか思考が及んでいないんじゃないか、と。

「誰を相手にするか」という時に、みんなが、住民が、市民が、という対象者を選んだ場合、無難で差し障りのない答えを導き出してシャンシャンで終わってしまう、という現実。要するに、「こういうのをやろうと思ったんですよ、検討したんですよ。皆さんのために。住民のために。市民のために。」というアリバイ作りみたいなもの。

内閣府が「先進的」と紹介する地方創生関連の事業のうち、当初の目標を達成したのがわずか4割に満たないという現実が、「絵に描いた餅」が餅にはならない、役人の考えたPDCAサイクルが円滑にサイクルすること自体が、奇跡に近いということを端的に表しています。きっとありますよね、身近なところにこんな似たような「失敗例」が…。

中心商店街を何とかしよう!というところから始まる街づくり一つを取ってみても、全員の意見を集約し、いわゆる(全員が仕方なく納得するような)落としどころを探していくと、結果的に最大公約数ばかりを拾うこととなり、どこもかしこも郊外型の大型ショッピングセンター(敢えて企業名は伏せます)ばかりが増えるという悪循環。

2016年2月、総務省統計局は平成27年国勢調査の人口速報集計結果を発表し、ここで日本の人口が減少に転じたことが明らかとなりました。この先急激な人口増加に転じる可能性は低く、当面は人口減少社会が続くと見込まれています。

今日講演して下さった山田さんは、自腹で地元商店街の空き家(それも1軒だけではない)を借りて、様々な取組を行っているそうです。そして、この取組からヒントを得た若者によって、他の地域でも同様の取組が広がりつつあるそうです。そういう事例紹介がありました。

空き家プロジェクト nanoda – Shiojiring シオジリング

しかし、ここに一つ気を付けなければならない落とし穴があると僕は思っています。

敢えて言うまでもありませんが、例えば他の地域で成功した例をそのままパクって自分の地域でもやってみようと思っても、前述の通り地域によって様々な背景があってのことなので、成功する例は限られてきます。

ただ正直言いますと、山田さんのお話を実際に聞きながら、弘前市内の中心市街地にある空き店舗のことをぼんやりと思い浮かべていて、ここで「nanoda」を模倣した「danzu(だんず)」なんていうことをやれたら、楽しそうだな…ということをつい考えてしまったわけです。

…例えば年1回、9月の歩行者天国の時でもいいので、昔あったお店やあの商品が若者の手によって蘇る!なんていうことがあったら、楽しそうじゃないですか。…いや、誰が楽しいか、ということが問題なのかも知れませんが、そこに参加した、関わった皆さんの中でWin-Winの関係が構築できたら素敵なことなんじゃないかな、と。

…とはいえ、さすがに最近はこういう(単なる模倣)事例もだいぶなくなってきたようですし、それぞれの地域で活躍される、さまざまな分野の方々がたくさんいます。餅は餅屋、というワケではないにせよ、人それぞれ得意とするところがあるはずなので、それをうまく活かしながら、色んなことをやれればいいのです。

…ところで、僕の得意とするところって、何なんだろうか?これを考え始めたら、完全に思考が止まりました。僕、これが得意です!と言えるものがないのですよ。嗚呼、ジ・エンド。

もはや今日の落としどころ、この先の展開が見えなくなってきたので、メモを取った講演の内容から一部だけ。( )内は、僕が感じたことです。

・ボランティアの義務化は、一種の「強制労働」。(御意。うちの社内でも「ボランティア募集」の案内が稀にあるけれど、上司が行くなら部下も行かなきゃ、みたいな風潮は何となく棄て切れてない気がするし。)
・公務員が元気なら、地域は絶対元気になる。(自ら率先して動く公務員がいるところは、確かに活力が違うと思います。東北まちづくりオフサイトミーティングのメンバーを見れば明らか。)
・若者を応援する大人を増やす。(これこそが本質なのかも。大人はちょっと動いて、あとは若者を応援するという姿勢。これから社会を担う若者に、さまざまなものを伝承する機会は多少なりとも必要。)

いきなり大きな打ち上げ花火に取りかかるのではなく、まずは線香花火から。小さなところからコツコツと。少しぐらい失敗しても命を取られるわけじゃない。小さなところでの失敗は修正、やり直しが利くから。

異論反論色々あるかも知れませんが、まずは自分の得意分野だとかやってみたいことを少しずつ口に出してみたいと思います。

ちなみに今日の講演では、一番最初に山田さんから40名前後いた参加者全員に対して「この講演を聞き終えた時に、どういう自分になっていたいか。」という質問がありました。これは誰にも見せることなく、自分のメモとして紙にとどめておいて下さい。と言われましたが、僕が書き記したメモを敢えてここに転記したいと思います。

今まで考えたこともなかったことを自由に発想できる自分。

さて、円陣を組むことのできる同志を求めて、もう一回エンジンを再始動しますかね…。

自分への挑戦状

1月も小寒を過ぎ、弘前市内はついに本格的な降雪に見舞われました。
スキーヤーやボーダーにとっては恵みの雪であり、ランナーにとっては憂いの雪、と言えばいいのでしょうか。歩道はすっかり雪で埋め尽くされ、外走りの環境がどんどん厳しくなっています。

さて、10日の午後8時からインターネットで開始された「仙台国際ハーフマラソン」の一般エントリー(インターネット・郵送で定員合計7000名)は、非常に人気のある大会ということもあり、開始からわずか26分で受付が終了したそうです。
今年5月14日に開催されるこの大会、参加した方々からの話を聞くうちに、一度は出場してみたいと思っていたのですが、毎年八戸市で開催される「うみねこマラソン」とバッティングするため(といってもここ2年は、「うみねこマラソン」も諸事情でDNSとなっているわけですが)、サイトを見ることすらしていませんでした。そして10日の夜、中学~高校時代からの友人との飲み会を終えて帰宅した直後、ふと思い立ってサイトを見ると、一般募集は既に受付終了していましたが、「陸連登録競技者の部B」の参加受付が行われていました。募集人員は、インターネット・郵送合わせて1200名とのことですが、ここで陸連登録しているメリットが活きたのであります。
酔った勢いも手伝い、まさに衝動買いの勢い。衝動エントリーとでも言えばいいのでしょうか、思わずポチッと参加登録してしまいました。ちなみにBもあればAもあるわけですが、それぞれに参加設定記録があって、Aはいわゆるエリートランナーといわれるカテゴリーで、こちらの募集人員はわずか100名。

【日本陸連登録競技者の部A(エリート)参加設定記録】
男子:10km 32分00秒、ハーフ 1時間10分00秒、フル 2時間30分00秒
女子:10km 37分00秒、ハーフ 1時間30分00秒、フル 3時間15分00秒
【日本陸連登録競技者の部B 参加設定記録】
男子:10km 42分00秒、ハーフ 1時間40分00秒、フル 3時間40分00秒
女子:10km 51分00秒、ハーフ 1時間50分00秒、フル 4時間10分00秒

4月から5月にかけては各地で大会が目白押し。今年は1年を通してメリハリをつけた内容に取り組んでいきたいと考えているので、ある程度対象を絞って大会に臨みたいと思っています。…もっとも、遠征が続くと金銭的な余裕がなくなる、というのが最大の理由ではありますが。

ひとまず現時点においては、叔母がエイドでボランティアをしている、という理由だけでここ数年出場し続けている「イーハトーブ花巻ハーフマラソン」(4/23)、あと、五所川原市で開催される「走れメロスマラソン」(5/28)への出場は確定。
一方、今年は仙台国際ハーフの1週間前に開催される予定の「うみねこマラソン」、毎年4月29日に秋田県大館市で開催される「山田記念ロードレース」、この辺りは出場回避の対象、ということになりそう。仮に出場するとしても、10キロへのエントリーにとどめておしまい、といったところでしょうか。うーん…何か悩ましいぞ。

そして、5月21日には岩手県奥州市で「スポニチいわて奥州きらめきマラソン」という新たなフルマラソンの大会も開催されますが、さすがに2週続けての県外遠征は顰蹙を買うというよりも、ここに大会を入れてしまうと4月下旬から5月にかけてほぼ毎週大会に出場する可能性を孕んでおり、いよいよ自分の帰る場所がなくなってしまうので、出場しないことで確定。

4月からのハーフマラソンで少しずつペースを上げつつ夏~秋のフルマラソンを目指す、というのが自分の中でのルーティンのようになっていることから、このスタンスは変えることなく臨んで行きたいと考えているところですが、昨年はGWの時期に体調不良に見舞われ、2つの大会を棒に振ったという苦い経験もしています。これを踏まえ今年はいつもより短期間となる冬眠生活でしっかりと英気を養っていきたいものです。

昨年までのフル、ハーフでの走りを分析すると、ハーフだと後半の落ち込みはほとんどなく、むしろラスト1キロで最速を計測したことがあって、1キロ当たりの換算ペースも4分11秒まで上がっていました。昨年は4月に90分切りを達成、10月には88分台前半まで記録を伸ばしてきましたが、21.1キロを1分半縮めるって、一見すると簡単そうだけれど、1キロ当たりで約5秒近く上げなければならないという、結構大変な走りとなります。ただし、このことばかりを気にし始めると、僕の場合は走りが全く安定しなくなるので、全体を通してムラのない走りで駆け抜けたい、なるべく後半の落ち込みをとどめたいものです。

一方のフルマラソン、2016年は目標としていた200分切りを2度続けて達成したものの、その内容は決して褒められるものではありませんでした。いわゆる右肩下がりのラップで、特に後半、35キロ以降の落ち込みが本当に酷かったのであります。もっともこれは今に始まったことではなく、ボロボロに終わった2014年の北海道マラソンから全く学習していないような内容がずーっと続いていて、2015年11月、綺麗にラップを刻みながらネガティヴ・スプリットでゴールした「さいたま国際マラソン」、あの時の感触というのは、もう二度と味わうことができないのかも知れません。

他方、ネガティヴ・スプリットを決めるとなると、前半はイケイケの攻めよりも若干守り気味ながらの走りになるため、下手をすると消化不良に陥る可能性もあるわけで、この辺の兼ね合いがなかなか難しいという。

当日の天候や体調などによって、レースペースをどの辺に落ち着かせるか自問自答しつつ、そのコントロールがうまくできれば最高なんですけれど、多分そんなテクニックを持っているんだったら、今頃もっと速く走っていますよねー。

2013年10月の初フルマラソン挑戦から2015年の11月までの2年間で、縮めたタイムはわずか9分。それを、昨年1年間だけで8分縮めたんだから、まだやれるハズだろう?おい…。
走り始めた頃は3時間30分を切ること(いわゆる「サブ3.5」)が「凄い!」と思っていたけれど、今となっては「サブ3.5は当然」のように捉えるフシが生まれているのも事実。もっとも、周囲の皆さんがどんどん底上げしていく中で、自分もその潮流に乗らないワケには行かない、という思いがあってのこととはいえ、どんだけ自惚れ屋なんだか。

中学時代に陸上部だった幼なじみから「オメ、何のために走ってるんだ?」と聞かれたことがあり、答えに窮したことがありました。その時に改めて、「ああ、自分は当初の目的だった健康云々じゃなくて、もはや違うものをランニングに求め始めている…。」ということに気づいたのです。

2016年は、トレッドミルを含めて大体2300キロぐらい走っていたみたいですが、距離的に一番走ったのは12月で、生まれて初めての300キロ越え。(JogNote調べ)
なかなか外を走ることができない厳冬期を除くと、6月はわずか108キロしか走っていません。まあ、この頃は色々忙しかったからなあ…という言い訳じみた弁解。でも、走行距離じゃなくて、その中身なんだよって説いているのは、自分自身なんだよね。

今までは目標とするタイムとかをほとんど他言することなく、自分の内に秘めながら、結果に一喜一憂していましたが、これまでどおり自分のライバルは昨年の自分と決めてかかっている以上、自分自身に大きく勝負を挑んでやろうじゃないの。
45歳の自分から、1月29日で46歳になる自分への挑戦状。

「フルで3時間09分59秒、ハーフで1時間26分59秒。」

不惑の境地へ、いざ行かん。仲間内ではなく全世界に向けて宣言した以上、もう後には引けない。目指すは有言実行、やれそうなところからコツコツと。ただし、自分で与えた試練に打ち勝つのは第二の目的で、楽しく走ることが最大の目的、そのことだけは忘れないようにしないと。

試行錯誤は続くよどこまでも。2017年も、地道にやってやろうじゃないの。
今年も応援よろしくお願いしまーす!