Monthly Archives: 2月 2024

そうだ、『防災ポーチ』を作ろう。

令和6年1月1日に発生した能登半島地震。
地震の規模もさることながら、被害の規模も甚大で、ほとんど被害のなかった自分の身に置き換えた時に、果たして何ができただろうか、あの難局を乗り切ることができるのか。そう考えると、改めて普段からの「備え」を認識させられることとなった(と思っている)。

万が一の避難先と、その避難先に向かうルートは複数考えておくこと、いざという時に連絡を取れる手段を考えておくこと、家庭内備蓄や非常用持ち出し袋の中身を確認すること、など。
阪神淡路大震災の際は、発生時点で亡くなられた方が約8割だと言われている。
そして、大地震が発生した際にどういった行動を取るか。わずか8秒間の判断でその人の生死が決まる、とも報じられていた。

その一方で、どこで被災するかは誰にもわからない。今回の能登半島地震は、発生が元旦の夕方4時過ぎということで、家の中で被災された方が非常に多かったと思われる。
東日本大震災の発生は金曜日の午後3時前。自宅だけではなく、オフィスや学校で被災した方もたくさんいたことだろう。あるいは出張先、旅行先で被災することだって考えられる。

出張先や旅行先では、宿泊施設の避難口や避難経路は確認しても、その後どこに行けばいいか、ということまで考えが及ぶことは少ないのではないだろうか。もっとも、その施設の方が誘導してくれればそれに越したことはないが、それだってどうなるかわからないのだ。
結局のところ、「自分の身は自分で守る」という最低限の鉄則みたいなものだけが、虚しく叫ばれることになるのかも知れない。

非常用持ち出し袋も、あくまで「非常用」であり、普段から常に持参、つまり「常用」しているわけではない。各自治体でも、非常用持ち出し品の例を示しているが、例えば自分のロッカーに非常用持ち出し品を備えている、ということをしていなければ、いざという時にすぐに持ち出せるかといえば、恐らくよほど用意周到でない限り難しいのではないだろうか。
そう考えると、外出の際に日頃からカバンに忍ばせておけるような、そんな「防災ポーチ」を持っておいた方が、万が一のためになるはずだと、ふと考えるようになった。

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支援活動備忘録(令和6年能登半島地震)

(色々書きたいことがあり過ぎて今回も原稿用紙10枚分の長文となります。スイマセン。)

2024年1月1日16時10分。最も起きて欲しくなかったタイミングで発生した能登半島地震。最大震度7を観測したほか、日本全国で揺れを感じ、津波に関する警報、注意報が発表された。大津波警報は、東日本大震災以来の発表だった。程なく全国各地から被災地への支援が始まり、総務省や全国知事会が調整を行う対口(たいこう)支援もスタート。

※対口支援とは:大規模災害で被災した自治体のパートナーとして特定の自治体を割り当て、被災自治体の復旧・復興の支援をするもの。その内容は、被災自治体の運営マネジメント支援、避難所運営、罹災証明書の発行、災害廃棄物の処理など、多岐にわたる。

役所は年末年始で休み、事業所や店舗も休業で、初動対応が遅れたことは否定できない。
一方で、予期せぬ災害はいつどこで起きてもおかしくないという現実を突き付けられた。

青森県は8道県(北海道、東北6県及び新潟県)で応援協定を締結しており、当初、液状化による被害が大きかった新潟市に対する対口支援団体として充てられる予定であったが、その後の調整が二転三転した結果、富山県射水(いみず)市へ支援に入ることが決定した。

さて、これはなんでしょう。

…射水市?

漢字は見たことがあるが、読み方がわからなかった。更に、富山県のどこにあるのかも知らなかった。大阪府和泉(いずみ)市、同じ富山県の氷見(ひみ)市と混同してしまいそうだ。
まあそれはともかく、派遣職員の調整を行った結果、自分も第2班のリーダーとして射水市に行くことが決定した。ある程度予期していたので特に驚きはなく、むしろ被災地に寄り添った支援をする、それが自分に課されたミッションと自負した。

ただ、富山県との相性の悪さを自負する身としては、一抹の不安もあった。

富山市内を走る路面電車。

【因縁の地・富山県】
(1)初めて富山県を訪れたのは一人で出張した25年以上前。河川敷にある空港への着陸にビビった。バスで移動し、富山駅の近くにある宿に向かうと「予約がありません」と言われる。慌てふためきながら聞くと、系列の「別館」に予約を入れたらしい。まだスマホのない時代。距離感がわからず、渡された地図を頼りに、結局そこから荷物を抱えてとんでもない距離(約2km)を歩く羽目に。
(2)数年前、富山市へ上司と2人で一泊二日の弾丸出張。ホテル近くに美味しい店があると知り入店したところ、隣の店に入ったことにすぐ気付くが、店から出るに出られず、会話も食事も全く弾まなかった。ちなみに店から提供された「富山の珍しい山菜」は青森で言うところのミズ、「イカ」はホタルイカではなく、普通の生干しイカだった…。
(3)3度目の正直は立山町。しかも、念願の黒部ダム視察まで組み込まれている。嬉々として出張の準備を終えた出発前日、各地に大きな被害をもたらした東日本台風が上陸。出張当日にテレビから流れて来たのは、北陸新幹線が水没している様子。当然出張は中止になった。

色々ケチが付く富山県への出張。今回の富山県入りは、3度目の正直のやり直しだった。2度あることは3度ある、にならなければいいのだが。

「令和6年能登半島地震」と命名された今回の地震は、実際に能登半島での被害が甚大であったため、報道では石川県内の被害が大きく取り上げられているが、隣接する富山、新潟の各県でも被害が発生している。実のところ、射水市に足を運ぶまでその被害の程度は全くといっていいほどわからなかったのだが、現地に足を運び、被害の状況を目の当たりにして、言葉を失った。

密集した建物が傾いているのがわかる。ちなみに建物の間に隙間はない。

所有者の了解を得て撮影。束石が傾いている。

とにかく道が狭い。軽自動車一台でこの状況。そして建物が軒並み古い。

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