日別アーカイブ: 2009-01-20

休憩所

今日は地元の中心商店街の話をしようと思う。
弘前市の土手町といえば、かつては弘前市のみならず、津軽地方の商業の中心地として、人がすれ違うのもやっとなほど賑わいを見せた時代があった。
上土手町、中土手町、下土手町と連続して商店が続く町並みは、弘前市のまさに中心商店街であったのだ。雪を避けるために自己所有地に設けられたアーケード上の通路、いわゆる「こみせ」が見受けられたり、対面型販売の集合店舗があったり、風情のある町並みだったのだが、モータリゼーション化の波と都市計画に対応し切れぬまま商圏の空洞化が進み、一つ穴が開いた途端にあっという間に商圏としての機能を失った。いや、失ったというよりは、商圏のとしての機能が分散化、拡散化され、必然的に中心商店街としての役目を終えなければならなかった、ということだろうか。
決定的だったのは、中土手町を寸断する形で片側2車線の都市計画道路が開通したことだろう。
40メートル近い道幅の交差点が、連続性を持った商店街に楔を打ち込み、分断してしまったのだ。もうかれこれ5年前の話になる。

弘前市中心街の都市計画道路開通(平成16年3月26日付東奥日報)

弘前市が建設していた市中心街の都市計画道路「3・3・2号富士見町撫牛子線」の中央通り-山道町間が二十六日、開通した。国道7号から土手町商店街までが一本の道路で結ばれることになり、市中心部への交通が便利になった。
開通式は同日午前九時十五分から、土手町通りとの交差点付近で関係者約百人が出席して行われた。金沢隆弘前市長、新戸部満男弘前商工会議所会頭らがテープカットし、弘前市山道町にある明星幼稚園の園児と関係者が歩き初めをした。この後、午前十時から一般車両の通行が可能になった。

整備した区間は中央通りの弘前郵便局前交差点から土手町通りを横切り、山道町通りに至る長さ三百六十一メートル、幅三十六メートル。一九九三年から建設を始めていた道路で、電線地中化などで景観にも配慮したほか、両側に幅八メートルの歩道を確保し、地熱利用の融雪システムで冬でも歩きやすくなっている。
商店街が道路で分断されることになった中土手町商店街振興組合の竹内規夫理事長は開通式の後「道路をめぐってさまざまな意見はあったが、商店街の新しい中心地になる場所だと思う。アクセスが良くなれば郊外大型店と同条件。あとは個々の商店がどう頑張るかだ」と話していた。

当時の新聞にはこんな記事が載っていたのだが、予想通りこの道路は、交通の利便性を高めた(それもほんのちょっと)だけの話で、商店街の中心地になるどころか、土手町の通過点化を更に増幅することとなった。結局、市中心部への交通が便利になったのではなく、市中心部の通り抜けが便利になったのだ。しかも、日中の交通状況や渋滞状況を見る限りでは、果たしてこの道路が本当に必要だったのかは未だに疑問が残るところである(というのも、この道路を利用して市中心部に向かった場合、片側2車線のこの道路の終点は、大型車の通行できない一方通行なのだ)。

結果、客足がさらに遠のき、空き店舗は増える一方で、2年以上前に中土手町商店街の集客テナントとして肝煎りで再オープンさせた「ルネス街」についても、既に空きテナントが目立ち始めているような状態。そんな中、こんな方針を打ち出した振興組合の記事に、思わず我が目を疑った。

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