日別アーカイブ: 2017-12-12

2017年の目標を検証してみる。


12月20日に、学生を対象とした青森県職員就職セミナーが開催されることになりました。各部局の担当者がそれぞれの業務概要を説明し、若手職員が自分の経験談を語るといった場が設けられるとのこと。参加者をどれぐらい見込んでいるのか不明なところもあるのですが、昨年同様の説明会を開催した際、うちのブースにやってきたのは僅か6名だったそうです。他方、総務や企画、観光の部局に参加希望者の人気が集まっているのだとか。

これに関しては主催する側にも参加する側にも言いたいことが多々ありますが、今日はやめておきます。
タイミング悪く、以前から決まっていたうちの職場対象の研修と日程が思い切りぶつかってしまったため、当日は、業務概要の説明と「若手職員」による経験談という2人分の役割を、僕一人が担わなければならなくなってしまいました。困った挙げ句、Googleに頼ってみると…


使えない。これはダメだ。この、役立たずがっ!

あー…何やっているんでしょ、自分。

やるからにはしっかりやらなければならないと思うし、一人でも多くの「学生」に興味を持って頂けるよう、何とか、自分なりに頑張ってみようと思います。

しかし、自分の経験談といわれても、別にこれまで何か変わったことをしたわけでもなければ、大した実績を持っているわけでもなく、一体何を話せば良いのだろう、ということを悶々と考えていたら、小さな壁にぶつかっていました。

小さくとも強固なその壁の一角を崩すため、これまで自分が経験してきた仕事の内容とか私事のこととか色んな「振り返り」をしているうちに改めて思ったことが、他人に語れるような夢とか理想って、僕自身持っていなかったな、ということでした。

10月の記事(「夢」と「目標」と「現実」と)参照。

決して欲がなかったワケではないのですよ。でも、自らの「欲」を封印し、自らに「我慢」を強いてきたのは事実かも知れません。色んな欲に溺れるあまり、生きていく上で大切なもの(それはお金では買えないもの、例えば、信頼とか)を失っていった人も見たことがあるし、そういう人になりたくないな、と朧気ながら思いつつ、今までのほほんと生きてきたわけで、何となく勢いに任せて今の仕事に就いて、周囲の流れに身を委ねるままに生きてきた、といった感じなのです。

いや、もちろんただ流されるわけじゃなく、それなりに自負(というよりも自尊心かな)は持ち合わせていたつもりでしたが、色々自分の生き様を振り返っているうちに、誰にも負けないような「欲」や手の届かないような「理想論」をずーっと封印していることに気がついた次第。自分、こんなに醒めた現実主義者だったのか、と今更ながらに驚愕しておりまして。

ところでこのブログでは、新年の挨拶とともに今年の目標みたいなものを掲げております。目標達成の積み重ねがその先にある夢の実現に繋がる、とは言ってみたものの、今年初めに掲げた目標が、現実主義どころか何ともハッキリしないというか、具体性に乏しいという。

今年の幕引きまではまだ半月以上ありますが、ちょっとその内容を見ながら検証、いわゆる「振り返り」をしてみたいと思います。

(1)今年はもっと周囲に目を向けます。 →△

アンテナをもう少し拡げよう、という趣旨だったのですが、人事異動で配置換えがあったことも影響して、4月以降は自分のことだけで精一杯になっていたような気がします。そんな中でも、久し振りに東北OM勉強会に参加してみたり、2年ぶりにペースランナーを務めてみたり、自分の見聞や経験値を高めるという意味では、ちょっとだけアンテナを拡げることはできたのかな、と思ったところではありますが。

(2)静から動、青から銅、生から道 →△

これ、(1)にも関連しますが、40代も折り返しを過ぎたということで、これからの人生、いわゆる余生というものに対して少しずつ気が向き始めています。ただ黙っているだけではなく行動に移すということを念頭に置いた目標ではありましたが、そんなに積極的ではなかったような気がしますし、特に今年の終盤は、見えない(これまでやったことのない)業務にビビってしまい、かなり守勢に回ってしまったような感じ。もう少し攻めても良かったかなあ、と。

ちなみに今年はフルマラソン4本でしたが、10月のアップルマラソンで終えてしまったことは、個人的にとても不本意だったと思っています。11月~12月でもう1本走れたよな。

(3)肩書きを捨てます。 →×

前述の通り4月の人事異動での配置換えにより、また余計な肩書きを一つ加えることとなってしまいました。しかし、肩書きよりも覚えてもらうべきは自分の名前と顔とばかりに足掻くつもりでしたが、結局仕事用の名刺から肩書き(役職)を外すことはできませんでした。ちなみに、所属課の名称、グループの名称、しかも役職まで全部述べていたら、口が疲れそうです。

(4)運動はほどほどに、健康には万全を。 →○

一義的には、家族に迷惑を掛けないことを前提にしたものでしたが、結果として一度だけ、家族ではなく職場に迷惑を掛けることとなりました。でも、言い訳がましくて恐縮ですが、明日何が起こるかなんて誰にもわからないわけで、逆に何が起こるかわからないからと、行動に起こせないことほど不本意なことはないのかな、と都合の良いように解釈しています。

今年の健康診断では大きな異常が見られることもなく(私事旅行から戻ってすぐの健康診断だったため、γ-GTPだけ引っ掛かった)、ケガや病気で病院通いすることもなく一年を終えられるのは何より。残り約2週間も、気を抜かずに過ごさないと。
しかし、こんな当たり障りのなさそうな抽象的な目標なら、いかようにでも逃げ口上を述べられますが、まさかこの年齢になって自分の夢とか目的とかを改めて考えることになるとは思ってもいませんでした。

でも皆さん、大人になるにつれて、「夢」って何だか萎んでいるような気がしませんか。多分年齢を重ねることがそうさせているのかな、とも思うのですが、知らないうちに自分の夢が他人(というか子供であったり家族であったり)の夢に置き換わっていることって、ありませんか。

テレビなどを観ていても、おじいちゃんおばあちゃんに夢を聞くと「この世が平和であること」とか「家族が健康であること」とかそんな感じじゃないですか。夢を聞かれたおじいちゃんおばあちゃんが「億万長者になること」とか「他人を踏み倒しても豊かな生活を送ること」なんて露骨なことはあまり言わないじゃないですか。
大した夢も希望も持たないお前が何を言うか、と怒られそうですが、今年は密かに掲げていた幾つかの目標(もちろん走ることがメインの目標)を達成することができたので、来年ももう少し悪足掻きしよう、と企んでいる次第。

実は20日のセミナーで語る学生向けの経験談の締めで、参加者の皆さんへエールを送るつもりなのですが、結局これって自分自身に対する「喝入れ」なんだなということに気づき、かなり自嘲気味になりつつも狼狽えているところです。

「目標を一つ一つ達成することで、夢に近づいていく。諦めない気持ちは、いつまでも持ち続けよう。」

ということで2018年~2019年は、もう少しまともな目標を立ててみようかと思っています。

それはともかく、当初12月8日(金)を申込締切としていたJOBセミナーは、まだ定員まで余裕があるとのこと。一体何人の学生さんがやってくるのでしょうか。こちらの心配が杞憂に終わりそうなイヤな予感。