日本の政府機関が集まっているのは、皆さんご存知の霞が関。この周辺に国を司る省庁がありますが、そこから少し離れた市ヶ谷に、防衛省があります。
この機関について僕がああだこうだと説明できるような立場にありませんし、防衛に関する深い造詣があるわけでもないので今日は割愛しますが、戦後最大の建設規模となったこの市ヶ谷庁舎群のほんの一部を、一般の方も見学することができます。(予約制)
ツアーは毎週月曜から金曜までの平日(まあ、役所ですからね)、午前・午後の各1回、定時に開催されています。
午前と午後で若干コースが異なっており、見学時間は午前が9時30分から11時45分まで、午後が13時30分から15時40分まで。見学開始の10~20分前が受付時間となっています。
国家の機密事項を扱う機関でもありますので、庁舎の中に立ち入って職員が仕事をしている様子を眺める、なんていう地味なツアーではありません。
ただ、誰もが知っているような歴史から、そうではない陰に隠れた歴史までをかいつまんで見聞きすることができる、そんなツアーです。
今回、このツアーの一部に参画する機会を得ましたので、今日はそのレポートをちょっとだけ。
…とはいえまあ、これは本当に興味があるかどうかの世界になってしまうと思うので、興味のない方には本当にごめんなさい、ということでお許しください。
僕なんかは、小中学校の社会でいわゆる日本の近代史を学んだ記憶が全く残っていないですし、正直言って歴史はかなり苦手だったので、特にここで見聞きすることとなった近代史については、あまり知らなかったことも知ることとなりました。また、戦後の日本が置かれていた状況、本当に断片的なものだとは思いますが、改めて再認識することとなりました。
ツアーの中のハイライトは、最初に訪れます。
正門から入り、海外からの要人等を迎える儀仗広場を抜け、向かう先にあるのが「市ヶ谷記念館」。
ちなみに訪れたこの日は未明から都内でも雪が降り、積雪「1センチ」だったそうです。青森からやってきた僕からしてみれば、たかだか1センチでガタガタ抜かしてるんじゃねえよ、と思うところですが、実際、電車は15~20分の遅延が慢性化し、えらい目に遭いました。
そうそう、青森県人って雪が降っても傘を差さない人が多いのですが、あれは気温が氷点下で、雪をさっと払ってもすぐに飛んでいくから。しかしこちらの雪はいわゆる「濡れ雪」だったため、傘が必須だということがよくわかりました。
そんな雪が降る中、儀仗広場を抜け、高さ220メートルの通信塔を見上げながら進むと、「市ヶ谷記念館」が見えてきます。
歴史を遡ると、第4代将軍徳川家綱公の頃からのお話で、1656年に尾張徳川家の第2代光友公がこの地(市ヶ谷台)に上屋敷を築いたところから始まります。1937(昭和12)年、陸軍士官学校として1号館が建設され、その後大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部が市ヶ谷台に置かれます。終戦後の1945(昭和20)年に米軍に接収、1946(昭和21)年には極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使用され、「戦犯」7名に死刑が下されました。米軍から返還されたのち、1960(昭和35年)からは陸自東部方面隊総監部や陸海空自衛隊の幹部学校等として使用されてきましたが、1970(昭和45)年には三島由紀夫の籠城、割腹事件が起きたという、本当に濃い歴史を目撃してきた建物なのです。(以上、防衛省からのリーフレットを参考に一部改編。)
ただし、この「市ヶ谷記念館」は防衛省の移転に伴い、歴史的建造物として建物の一部を移築、復元したもので、当時の姿はそれなりに面影を残してはいますが、場所までもが当時のまま、というものではありません。
でも、こういう建物なんだかそそられます。
玄関でスリッパに履き替えて中に入って目に飛び込んでくるのが、低い天井とさほど広くもない講堂。
(迫る天井。何じゃこりゃ。)
(振り返るとこんな感じ。扉が天井にくっついています!)
ステージの上には「玉座」と書かれた紙が貼られています。あとで聞いたところでは、天皇陛下が臨席された椅子があった場所なんだそう。
そして天井を見上げると、仄暗い5つの明かりが中を照らしています。
(3つしか映っていませんが、全部で5つある照明)
中に進みながら気がついた!床が傾斜している?しかも、寄木で組まれた板張り。
これも全部、復元に当たって一枚一枚丁寧に番号を振り、元の位置に戻したのだそう。ただし、結構な枚数の板が痛んでいたため、一部は復元の際に修復しているとのこと。ちなみに床が傾斜しているのは事実で、ある理由があるのだそう。(これはツアーに行く機会があったらお話を伺ってください。)
撮影禁止の動画を20分ほど観た後で、ステージ上へ。ステージ横には階段が二つあり、一つはいわゆる「天皇専用」階段なんだそうです。天皇陛下がどれだけ崇め奉られていたかを垣間見る一端となりました。
(ステージの上から。ちなみに「玉座」は、もう一段高い位置にあります。)
(玉座の寄木。黒檀で組まれているらしく。)
(「玉座」背後の壁紙は、移設に合わせて再度新たに織り込んだのだそう。)
(高貴な雰囲気が感じ取られます。)
2階へ行くと、旧陸軍大臣室と、旧便殿の間、そして展示室を拝観することができます。三島由紀夫が籠城事件を起こした際に残った刀の傷が扉に生々しく残っているなど、思わず息を吞むようなものも。(敢えて撮影はしませんでした。)
このほか、撮影を許されていない東京裁判の一部記録や、軍服、刀なども展示されています。
(2階からの全景。そんなに広くないのに奥行きがあるように見えます。これも技法のひとつなのだそう。)
約50分、古い建物が好きな方や歴史に興味がある方ならば一度訪れてみてはいかがでしょうか。この中を拝観するだけでもツアーに参加する意義があると思いますよ。
ちなみに厚生棟では、ここでしか買えないお土産も購入することができます。(意外な店舗があってビックリすると思います。)
問い合わせ先
防衛省大臣官房広報課記念館係
03-3268-3111(内線21904, 20303)