日別アーカイブ: 2017-02-01

伯父を訪ねて百五十里(前篇) - 第65回勝田全国マラソン


2017年1月29日、46歳の誕生日の記念のつもりで出場した「第65回勝田全国マラソン」。あれやこれやと話を詰め込んでいると、いつもの如くダラダラと長くなりそうなので、今日から3回ぐらいに分割してお届けします。まずは前篇、スタートまでのあれこれ。



水戸に住む伯父の誘い(…と思い込んでいたのはどうやら僕だけだったらしく、深い意味はなかったようですが)もあって今回、勝田全国マラソンへの挑戦を決めたのが11月。そこから地道かつ愚直に練習を重ね、大会に臨みました。初めて訪れた茨城県。初めて訪れた水戸市、そして勝田(ひたちなか市)の街。
…が、今回の出場の伏線、実は30年以上も前に遡るようです。

2日前からのアルコール抜き、そして1日前からのカフェイン抜きを始めた1月28日。午前中に青森空港へ到着する羽田からの飛行機が条件付きの運航となり、青森空港に着陸するのか気を揉みましたが、無事に青森空港に着陸、土曜日の昼にも関わらず満席となった折り返しの便で空路羽田へ向かいました。
機内でおにぎり二つを貪りながら、窓の外をボーッと眺めます。

次第に雲が晴れ、彼方には太平洋が広がり、福島原発が見えてきました…。いや、いかんいかん。仕事のことは考えないようにしないと。
そして程なく、霞ヶ浦が視界に飛び込んできました。その左手、北側にある太平洋沿岸を眺めながら、ああ、明日走るのは海沿いのあの辺りなのかな、天気はどうなんだろう…なんてことを考えているうちに、あっという間に羽田空港に着陸。空港に降り立った後、今度はうどんを貪り、京急で品川へ。品川駅の構内では海苔巻きを貪り、水戸へと向かう特急に乗車…。無駄な抵抗とは思いつつ、カーボローディングよろしく炭水化物を次から次へと口へ運んでいました。

(品川から勝田に向かう常磐線の特急「ときわ」。仮面ライダーとかなんとか戦隊にこんな顔をしたのがいたような気が…)

品川駅から水戸駅までは、常磐線の特急で約1時間30分。それなりに混雑した車内では、すっかり気持ちが昂揚して一睡もすることができず、車窓からの景色を眺めたり、印刷してきたコースマップを見ながらタイムの想定をしたり、高低図を見ながら作戦を練ったり、何だか全く落ち着きのない時間を過ごしていました。
16時45分、水戸駅到着。初めて水戸に降り立った僕を、伯父夫妻、そしてこのためにわざわざ帰省した従妹が出迎えてくれました。

挨拶もそこそこに車に乗り込んですぐに、従妹が切り出しました。
「ヒロシ叔父さん、昔、勝田で弘前のねぷたを運行したんだよね。」
…???
「えっ?知らないの?てっきりそれがあるから来たんだと思った!違うの?」
…?????

従妹や伯父夫妻の話を整理すると、約30年前ということなので、恐らく父が青年会議所に在籍していた頃のことなのでしょう、勝田駅前で弘前ねぷたを運行し、その際に、色んなねぷたの道具を父から譲り受けた、というのです。
話を聞きながら、朧気ながらではありますが、父が勝田を訪れた、という記憶が蘇ってきました。勝田という名前に以前から聞き覚えがあったのは、そのせいだ…。

「そのこともあったし、ちょうど誕生日だから記念で来たんだろうな、と思ってた!違うんだ(笑)」

バースデーランだと思って出場を決めてやって来たのは事実。でも、それらの話に耳を傾け、「へぇ…」「ほぉ…」とまるで譫言のように返事を返しながら、僕は思わず嗚咽を漏らしそうになっていました。
そうか、勝田に行こうと思ったのは決して気まぐれなんかじゃなくて、父の足跡を辿るということだったのか!伯父から封書が送られてきた時になぜか直感で「今年、行かなければならない」と感じたのも、きっとこのことだったのかも。僕を勝田に呼んだのは、伯父じゃなくて父だったのかも知れない…と、独りで勝手に感動。

ちなみに、この話には続きがありまして。
勝田での大会を終えた直後に向かった羽田空港のロビーで、同じ弘前公園ランニングクラブから今回の大会に出場し、スタート直前に声を掛け合ったSさんと再び遭遇しました。
大会前日、勝田駅近くのお寿司屋さんに入店したというSさん。
「どちらからいらしたんですか?」という話になり、弘前から来たということを伝えたところ、「弘前からですか!…昔ね、勝田の駅前で弘前のねぶた(ねぷたではなく「ねぶた」と言ったらしい。)を運行したんですよね!」と話題を振られたのですが、Sさんも「…???」だったそうです。
勝田には、当時のことを覚えておられる方がいるんですね。その話を聞きながら、今度はそのお寿司屋さんに行ってみたいと思った次第です。

さて、その日は伯父のところで寝食もろともお世話になることになっていたので、当然のことながら夕食も伯父家族と共にしました。大会前日ということもあり、できれば生ものを避けたいという話を伝えたところ、何と鰻を食べに行こう、ということに!
45歳最後の晩餐は、ふっくらと焼き上がった鰻重を堪能し、那珂湊にある伯父のセカンドハウスへ。一通り出場の準備を整え、22時前には就寝。いやあ、最高でした。この鰻重はパワーになるよ、間違いなく!

翌1月29日(日)。46歳になって最初の朝を迎えました。睡眠時間は7時間弱。朝5時前に起床してすぐ、おもむろにカロリーメイト3本と豆乳を口に運びます。眼下には昨晩全く気がつかなかった太平洋が広がっています。しかし、曇天。ううむ、なかなか寒そうな感じ。

スタートの時刻は10時30分。走る前から空腹感を覚えないようにどのように調整するか、考えていました。
結局朝食は、切り餅6個に納豆3パック、白米少々とグレープフルーツジュース。これまでの大会前の朝食と比較するとやや少なめかも知れませんが、北海道マラソンの時のように満腹になり過ぎて走れなくなるよりはいいよね、と言い聞かせていました。

従妹の運転する車で8時前に勝田駅に到着、伯父から差し入れの「勝(カツ)サンド」を頂き、8時30分前には仕事の都合で青森市から水戸市へ転勤となったノトさんと久し振りに再会し、一緒に会場へと向かいました。

(この日、ノトさんも「No Apple,No Life」のTシャツで走ってくれることに。)

(ちなみにこの「勝サンド」は、帰りの電車の中でビールのつまみになりました。)

会場に到着すると、既に大勢の参加者が集まっていました。気温はプラスでしたが日差しはほとんどなく、空には灰色の雲が広がっていました。北寄りの風が冷たかったので、身体を温めなければならないと思い、普段は滅多にやらないストレッチを入念に行ったあとにアップを2本。その後、10時30分のスタート1時間前までに、バナナ1本とキンカン1つ、カロリーメイト1本を口にしました。身体が重い感じは特になく、空腹感もなし。ただ、やっぱりちょっと寒い。

更にはスタート40分前にOS-1のゼリーで念のため痛み止めを服用。
準備を整えているうちに、今度は北東方向からの風が徐々に強くなってきました。
ちなみにこの日の目標タイムは3時間15分、あわよくば10分切り。もちろん自己ベストの更新を念頭に置いていましたが、2月以降、各地で開催される大会に出場するランニングクラブのメンバーへの景気づけというか、フラッシュ・ポイントになればいいな、とも考えていました。

頭の中でもう一度作戦を練ります。天気予報は曇り。予想最高気温は12度。北東寄りの風が若干強め。7キロ付近から15キロ付近までの北へと向かう道路、そして後半25キロを越えてから35キロ付近までの右折左折とアップダウンが連続する地点で、この風の影響をどう受けるか。そして、13キロから15キロ手前で現れる急激なアップダウン、ここをどうやり過ごすか。この辺りが多分キモだな、と。
あとはなるようになる。無心で開き直っていこう。

9時50分、スタート地点のCブロックに向かうと、既に整列が始まっていました。聞くところによると、この整列では後列(D,E,Fブロック)の選手が前のブロックに平気で紛れ込んできて、ほとんどブロック分けの用を成さない、ということでしたが、周囲を見る限りでは、そういう不届き者の姿はありませんでした。
スタートを待つ間も、時折強い風が身体に吹き付けてきます。うう…冷たいけれど寒いわけじゃない。頭をよぎるトイレへの不安。いや、雪がないだけまだマシなんだ…。しかも自分の誕生日に、こんな大きな大会に出場できる、こんなラッキーなことなんてそんなにあることじゃないし、思い切ってガンガン行っちゃえ!なるべくポジティヴ思考に頭を切り換えて、じっと時間が過ぎるのを待ち続けます。フルマラソンの参加者が14,000人ちょっとだということ、うち男性ランナーが12,000人程度だということ、今年も全国47都道府県からランナーが集まったこと…大会本部からのアナウンスが断片的に耳に飛び込んで来ますが、何も考えず、ただただ無心でスタートを待ちます。

「スタートまで、30秒!」

いよいよ、緊張感がマックスに…。
(続く)