日別アーカイブ: 2011-01-28

30代最後の日

いよいよ30代最後の日を迎えた。とはいえ何か感傷に浸るものがあるはずもなく、ただ普通に過ごしていれば時間は勝手に過ぎていき、やがて黙っていても40歳を迎える。

思い返せば30代、いろんなことがあった。
自己研鑽に努めようと思い立ち、職場公募で入学した大学院。思ったほどの研究結果を残したわけでもないし、修士論文も酷評されて当然の内容だった。
ただ、当時のフィールドワークがやがて実を結び、一般書籍として出版されることとなった。共同執筆でありながら著者の一人として名を連ねた本を手にしたときは、身震いするような思いだった。
あくまで研究本なのでマニアックな内容ではあったが、ちょうど地元を賑わせていた「津軽学」のアカデミック版みたいな感じで、とても読み応えのある内容だった。僕にお迎えが来たときは、あの書籍も是非一緒に入れて欲しいと思っている。

大学院から職場復帰してみると、その後は部局を転々とさせられること3度。国でいうところの「○○族」とか「○○畑」というようなどこか一つの部局で仕事をこなすのとは違い、根を張ったと思いきや抜かれ、また根を張ったと思いきや抜かれ、の繰り返し。いよいよどこが僕の畑なのかわからなくなってきた。都合のいいように考えれば、どこでもこなせるユーティリティプレイヤー。悪く考えれば仕事の能力が乏しく、追い出される無能な凡人。そのどちらなのかは知る由もないが、僕の中ではどちらかといえば後者寄りなのだろうと解釈している(もちろん前者で評価してもらうことに越したことはないが)。

そして、何よりも一番辛かった父との別れ。まさか、あのような形で父と別れることになるとは、当たり前のことではあるが予想もしていなかった。まさに青天の霹靂とはこういうことを言うのだろう。父亡き後僕は、未だに自分を責め続けている。確信はないが、父を追いやったのは僕なのだと、毎日いろんなシーンでふと思い起こす。

父の遺志を継ぎ、市議会議員に立候補すべきか。だが、僕そして家族の意見は一致していた。

「これでやっと政治の世界と縁を切れる。」

万が一にもそういう機運が醸成されたら、その時は改めて熟考させて頂くが、当面は目の前にある職務に専念したいと思う。

そして僕は父亡き後、改めて人間の「生と死」について考えることが多くなった。
悲しいかな人間は、日々刻々と確実に老いていく。この世に生まれるということは、やがて訪れる「死」というゴールへのスタートだ。赤ちゃんでさえ、日々成長という「老い」が始まるのだ。だから、それぞれゴール地点は異なれど、必ず、絶対誰にでも「死」はやってくる。

ただ、一言で「死」といってもいろんな解釈があって、肉体的に滅びても、魂は生き続けるという人もいるだろう。それはそれでも構わない。でも、その生き続ける魂と対峙(あるいは会話)する能力を持ち得ない僕らにとって、「死」というのはできれば避けたいというのが正直なところではないだろうか。

正直に言えばその昔、母から僕の出生の話を聞いたとき、僕は幼心に長生きできないんだろうな、と朧気ながら感じていた。実際20代の頃、僕はある疾患で本当に死ぬんじゃないかという恐怖を経験している。

なので、いよいよ四十路に突入するということが奇跡と思うぐらいだ。ましてそんなヤツがジョギングに勤しむなんて…。

ひょっとしたら僕のゴールはすぐそこなのかも知れない。ただ、父亡き今、父の分ももう少し生きてみようかと思う。

30代。人生は帳尻が合う。僕の座右の銘みたいなものだが、そういう意味では僕の30代はジェットコースターのような浮き沈み、それも沈みの方の激しい10年間だった。

こんな僕をここまで生かしてくれてありがとう。もうちょっとだけ、遊ばせて下さい。