日別アーカイブ: 2018-09-30

#そうだ北海道へ行こう


平成30年9月6日に発生した北海道胆振東部地震。勇払郡厚真町で震度7を観測したほか、全道でブラックアウトと呼ばれる大規模停電が発生するなど、大きな被害に見舞われたことは皆さん周知のとおりのことと思います。

青森県では、発災直後に北海道や道内市町村のニーズを把握するため、リエゾンと呼ばれる災害対策現地情報連絡員3名を北海道庁へ即日派遣、さらに翌日には追加で3名が道庁入りする体制を整えたほか、8道県(北海道、東北6県、新潟県)の応援協定に基づく応援本部を立ち上げ、被災地域への支援活動を本格化させました。

その後、道庁入りしていた連絡員6名のうち3名が、最も被害の大きかった厚真町に派遣され、今後噴出するであろう住民からのニーズに応えるべく、現地の状況把握が行われました。
ほどなく、避難所運営に係る支援要員の派遣可能性を探るよう道庁リエゾンから要請があり、僕はその人員確保に向けた調整を担うこととなりました。

更に、罹災証明の発行に向けた建物被害調査に係る要員の派遣可能性についても要請が入り、相当限られた時間の中、関係各課に対してかなり無謀とも言える打診を行い続けました。

日々刻々と情勢や支援スキームが変わる中、「可能性」という文字が消え、正式に(というか半ば強引に)本県から人員派遣することが決定、この間、避難所運営に係る現地情報の入手や、派遣要員名簿の作成、更には要員に対するオリエンテーション用の資料作成など、息つく間もないほどのスピードで様々な準備と体制づくりに追われることとなりました。

避難所運営支援に関しては、第1班の15名を筆頭に、第4班まで計73名の要員を県及び県内各市町村から厚真町へ送り込み、また、建物被害調査要員は2班編成で計20名を送り込むこととなりました。

相当タイトなスケジュールでの中、こちらからの無謀かつ無茶なオーダーに応じてくださった関係各機関及び市町村職員の皆様には、頭が上がりません。10月8日まで支援は続きますが、先にお礼を申し述べさせてください。本当に、本当にありがとうございました。そして、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。

さて、この間も支援体制を含め色んな局面がコロコロと変わり、徐々に現地の状況が伝わってくる中で、僕も厚真町に派遣されることが決まりました。当初は道庁への派遣が予定されていたのですが、厚真町の現地調整所から、調整のための支援が不足しており、現行の人数では要員への負担が大きすぎるとのことで、派遣2日前に札幌から厚真町へ行き先変更となったのです。

そういうこともあり得るだろうと思っていたので、大して驚きもしませんでしたが、それよりも10日間という長丁場の出張に耐えられるのかという不安の方がどんどん増幅していったのは、今だからこそ明かしたいと思います。

9月19日、8時前に新青森駅を出発する避難所運営支援第2班を見送ったあとに登庁、身支度と持参物を整えて午後から移動開始。考えてみると北海道新幹線開業後に青函トンネルをくぐるのは初めてでしたが、景色を見る余裕もなく、現地リポートなどに目を通しているうちに、新函館北斗駅到着。

札幌へ向かう特急「スーパー北斗」に乗り換え、一路南千歳へ。途中、単線区間における反対列車の通過待ちや、苫小牧~南千歳間の徐行運転などの影響で、最終目的地である千歳駅に着いたのは、予定より約30分遅れてからのことでした。この日は実質移動日ということで、厚真町の現地調整所で作業を終えて帰ってきたメンバーと顔合わせ程度の小宴を設け、23時30分過ぎに就寝。

翌朝7時、千歳駅近隣の宿泊地を出発、車で約40分、いよいよ厚真町へ。

(厚真町役場。正面左側のテントが献花台。福祉センターは「ひなん所」になっているけれど、石が傾いて危険な状態に。)

まずは町内の被災状況を確認、大規模な土砂崩れが発生した吉野地区にも足を運び、その状況を視察してきました。

(吉野地区。多くの住宅が土砂に飲み込まれ、19人の方が亡くなられた。)

(自主避難所の「鹿沼マナビィハウス」の玄関前は、複数の地割れ。「旧鹿沼小学校」の校庭の地割れの先にあるのが、震度7を観測した震度計。校舎のひび割れにも注目。)

(路盤が歪んで通行止めとなった道路と、災害廃棄物の集積所)

それまでの調整所の支援要員は2名でしたが、今回はその交代要員として僕も含めて3名が厚真町入りすることとなったため、人員数にして1人増。どの程度の作業量なのかは、それまでの日報で何となく掴んでいたつもりでしたが、何せ前述のとおり局面が毎日のように変わっていく情勢にあったため、何が起こるかわからない、何が起こっても不思議ではないといった状況でした。

(現地調整所のある厚真町児童会館)

(28日までの作業風景。ここで罹災証明書発行事務を行うことになったため、29日に移動)

ちなみに、ざっと1日の作業を記すと、こんな感じ。

0745:調整所到着。PCの立ち上げ、当日のスケジュール確認、翌日の予定板書
0830:前夜に会議があった場合、その議事録を作成

随時:応援本部、道庁にいる本県リエゾン及び厚真町との連絡調整、各避難所の動向把握や連絡調整及び被害調査要員の動向把握、人員調整、その他必要な事項の伝達など
時々:現地調整所のある部屋やトイレの掃除、必要に応じて搬入される事務用品等の受入れなど

1730:厚真町災害対策本部(時々出席、ほぼ会議録の作成)
2000:避難所運営者会議(隔日開催。内容を聞き取り、会議録を作成)

厚真町への対口支援(たいこうしえん)は、本県のほか福島県、山形県が入っており、それぞれの持ち場で主に応援体制の構築に向けた人員調整等に腐心していました。

何だ、大したことしていないじゃないか、と思われるかも知れませんが、行間には書ききることのできない、いろんなこと(大概それは面倒であり、かつ厄介なこと)が挟まっています。それが何なのかを書き出すと本当に止まらなくなってしまうので、今はそっと胸に秘めておこうと思います。

ちなみに、作業中の大きな余震は二度あり、いずれも震度3を観測しましたが、あまり動じなくなってしまいました。

僕自身、これまではどちらかといえば直接住民に接する形での支援活動(東日本大震災の時は物資拠点での仕分け、熊本地震の時は避難所運営支援)だったので、今回のように本部の運営側に回って作業をすることが初めてで、いろいろ戸惑うことが多かったのも事実。

そういう点では、応援本部はもとより、支援要員の皆さんにも色々とご迷惑をお掛けしてしまったことは、ただただ申し訳なく、僕自身の反省も数限りなく噴出しそうな勢いです。

(被害調査と避難所の体制の状況を示すボード)

さて、長かったような短かったような、あっという間の10日間が過ぎ、最終日に罹災証明書発行に向けた準備・設営に着手したところで作業を終え、28日の夕方に青森へ戻ってきました。

僕らがいる間、厚真町の避難者は400名を下回ったほか、上水道の通水率は90%を超えました。仮設住宅の設置に向けた造成工事も始まり、今月中には数戸が建設されるようです。また、10月1日からは罹災証明書の発行事務が開始される見込みであり、復旧・復興に向けた新たな局面を迎えることになりそうです。

ということで、今回僕がお伝えしたいことは、北海道は、皆さんが思っているより大丈夫だよ、ということです。
実際、厚真町役場周辺は既に電気、水道が回復していたほか、飲食店やスーパーも営業を再開していました。

ちなみに、厚真町はジンギスカンが有名なのだそうで、役場からすぐのところにある「あづま成吉思汗本舗」で、ジンギスカンを購入してきました。

新千歳空港はほぼすべてのショップが営業を再開、観光客を受け入れる体制がだいぶ整っているように見受けられました。(4階の温泉などは再開までもう少し時間がかかりそうです。)
空港内にある「北海道ラーメン道場」も27日に営業を再開、一部店舗では行列ができていました。

(「麺屋 開高」のねぎ味噌ラーメン・赤)

(新千歳空港ソフト・アイスクリーム総選挙で1位になった「きのとや」の極上牛乳ソフト)

道内のJRや高速道は一部でまだ不通となっている区間があるものの、停電は大半が解消されており、観光するには全く問題ないと思います。被災地を支援するには色んな方法、形があると思いますが、北海道に足を運ぶ、そして、その地の物を飲んで食べる、というのもいいんじゃないかな、と思ったり。

だから声を大にして叫びたいと思います。

#そうだ北海道へ行こう

(新千歳空港11番搭乗ゲート付近にて。厚真町と安平町付近に架かる虹に思わず胸が熱くなりました。)