gremz 地球温暖化
未だ現実として受け入れたくないのだが、Michael Jacksonの死を悼み、そして敬意を表したい。
—
朝起きてシャワーを浴び、テレビに目をやると、信じられないニュースが目に飛び込んできた。
「歌手のマイケル・ジャクソンさんが、心配停止状態でLA市内の病院に緊急搬送されました。」
その瞬間、僕の口から出た言葉は、あまりに冷淡な言葉だった。
「そうか、マイケル、死んじゃったか。」
しかし実際のところは、ニュースを見てひどく狼狽してしまい、それを必死に隠すために口から出た言葉だった。
結局、何が起きているのか、Michaelが無事なのかどうなのかもわからぬまま通勤電車に乗り込むも、いつもは惰眠を貪るはずなのに、そういう気分にもなれなかった。
やがて「マイケル、死亡か」という疑問形が「マイケル、死亡」という完了形にかわり、NHKの昼のニュースでも取り上げられていた。
この焦燥感と悲しみの入り交じった何ともいえない感情は、Luther Vandrossが亡くなったことを新聞記事で知った時のそれに似ている。James BrownやRay Charlesの時は、彼らの年齢も年齢だったし、「そうか、ついに亡くなってしまったのか」という感情の方が強かったのだが、そう、今回は先日亡くなった三沢光晴の死を知った時に限りなく似た感情だ。何故だ、どうして?まだこれからなのに…いろんな思いが交錯して、どう表現をしていいのかわからない。
ただ一つハッキリしていることは、Michael Jacksonがこの世を去ったという、信じがたくも受け入れざるを得ない事実だ。
中学校に入学する頃から洋楽にのめり込んでいった僕にとって、Michael Jacksonはまさにスーパースターだった。
世間からみても80年代を代表するアーティストであり、いろんな意味で世界中から注目されていた。しかし、その注目の度合いが高まれば高まるほど彼の奇っ怪な行動がクローズアップされるようになり、度重なる整形手術とも相まって、音楽以外の面でばかり注目されるようになっていった。その間、相次ぐトラブルで心労もたたっていたはずだ。
今年3月に行った、ロンドン公演に向けた記者会見の姿を見ても、決して元気な姿、とは言えなかった。
彼の音楽活動は2001年のアルバム「Invincible」を最後に実質途絶えていて、前述の通り最近は音楽以外の話題ばかりで注目を集めていたが、来月から始まるはずだった復活ツアーを機に、きっと何かをやらかすに違いないと期待を寄せていたのに…。
新しいアルバムだって、ほとんど完成しているとかいないとかで、昨年あたりから音源が何度もリークされていたことを考えても、結局なんだかんだ言いながらもみんなMichael Jacksonに大なり小なりの興味を持っていたんだと思う。
それにしても、何て表現したらいいんだろう。
本当に空しいというか悲しいというか、そういう次元じゃないんだよな…。
結局Michael、あなたを生で観るという僕の夢は、叶わぬものになってしまった。
でも、ひょっとしたら本人はこれでホッとしたのかな。
いろんなところから追いかけられる心配もないし、トラブルに巻き込まれることもない。
この死はMichaelにとって、迎えるべきタイミングだったのだろうし、それを静かに受け入れざるを得なかったのかも知れない。
疲れたでしょう、Michael。
もう、何も悩むことはないから。今はただ、安らかにお眠りください。
ありがとう、Michael。さようなら、Michael。
合掌