日別アーカイブ: 2021-03-11

10年ひと昔… #あれから私は


東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生した3月11日。

この日が近づくと、マスメディアを中心に様々な特集が組まれる。防災対策、津波からの避難、そして、原発事故…。更に、地震や事故の分析、検証、評価、振り返り…。

僕自身、2011年3月11日午後2時45分頃からの記憶はかなり明瞭に残っているが、それ以前の記憶はほとんど残っていない。まして10年前の3月10日に何をしていたかなんて、一つも覚えていない。皆さんは、どうですか。

しかし、2011年3月11日午後2時46分、コーヒーにお湯を注ぎながら大きな揺れを感じたあの時、執務室の扉にしがみつきながら青褪め、苦悶の表情を浮かべる他課の非常勤職員に「大丈夫、大丈夫だから」と声をかけ続けたあの時から、家に帰るまでの間の記憶は鮮明に残っている。電気が消えた執務室内。スマホのワンセグを見ながら「大変だ!津波警報が出ている!」と叫んだ同僚。日も暮れ始めた夕方、上司の指示で帰宅を命ぜられたが、帰るための手段の確保に苦慮したこと。辛うじて乗り込んだ路線バス、料金箱にしがみつきながら、これから一体どうなるんだ、という不安でいっぱいになった。それから約1か月後、宮古市、山田町そして大槌町の惨状を目の当たりにし、自分の中の何かがまた再び動き始めた、そんな感じだった。うまく表現できないけれど、僕の中の歯車、いやギアが切り替わったというか、自分の中で悶々としていた何かがストンとハマったような感覚。

震災から4年後。「生活再建・産業復興局」という、青森県における東日本大震災の諸々を所管する部署へ異動となった。その後「局」は「室」となり、そして現所属への統合、業務の移管等を経ながら、復興関連の業務に携わること3年。

この間、業務の関係で宮古市や久慈市へ足を運ぶ機会も幾度かあった。目まぐるしく周囲の環境が変わっていった。

(久慈市内を走る八戸線でたまたま目撃したTOHOKU EMOTION。)

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