Monthly Archives: 7月 2021

JAM & LEWIS VOLUME ONE #jamandlewis #おすすめアルバム 

今は昔。

80年代から90年代にかけて、名うてのプロデューサーがしのぎを削る時期があった。

歴史を紐解くと、80年代前半にマイケル・ジャクソンのプロデュースや「We Are The World」を手掛けたことで知られるクインシー・ジョーンズ、80年代中盤はいわゆるユーロビートの牽引役となったPWLレーベルのストック・エイトキン・ウォーターマン、そして音楽市場における栄枯盛衰の典型的なカテゴリーとも言えるニュージャックスウィングの火付け役となったテディ・ライリー、猫も杓子も大物も小物もみんなが縋ったベイビーフェイス、そして、裏稼業の如く別名義でのプロデュースにより、密かにヒット曲を出し続けていたプリンスなどなど。

今回紹介するジャム& ルイスも、80年代前半、プリンスによって手掛けられたバンド、ザ・タイムの一員として参加していたジミー・ジャムとテリー・ルイスの二人によるプロデュースコンビ。
プリンスの傘下で活動していた時期はそれほど長くはなく、自らのレーベルを立ち上げてプロデュース業に力を入れていた頃、ザ・タイムの公演に参加することができず、バンドを解雇となった話はプリンスファンの間では既知の事実。その後プリンスは映画「パープル・レイン」の大ヒットにより、名実ともにトップミュージシャンとなるが、ジャム&ルイスはこの映画に出演していない。
がしかし、ジャネット・ジャクソンのアルバム「コントロール」を全面プロデュース、大ヒットを収めたことで「時の人」となり、続く「リズムネイション1814」でもヒットを記録、他のミュージシャンのプロデュースを手掛けることとなった。

個人的に一番驚いたのはジョージ・マイケルのアルバム「FAITH」に収録されていた「Monkey」が、5曲目のシングルとして発表された時だった。アルバムの中では、猿の鳴き声から始まるそれほど派手さのない楽曲だったのが、シングルではジャム&ルイスによる大胆なアレンジが施され、ダンサブルかつキャッチーなサウンドに生まれ変わっていたのだ。

ジャム&ルイスも参加したザ・タイムが1990年に発表したアルバム「Pandemonium」は、プリンスのレーベルである「ペイズリーパーク」レーベルから世に出された。かなりジャム&ルイスの色が濃いと感じられるこの作品ではあるが、プリンスとジャム&ルイスが交わることは、結局その後なかったようだ。

ジャム&ルイスの活動としては、90年代後半になると活況を見ることはなくなったが、1999年には宇多田ヒカルの楽曲を手掛けたほか、2007年に発表されたチャカ・カーンのアルバム「FUNK THIS」を全面プロデュース、第50回グラミー賞では最優秀R&Bアルバムを受賞するなど、地道に存在感を示していた。

さて、前置きがだいぶ長くなってしまったが、そんなジャム&ルイスが先日初めてアルバムを発表した。

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Record Store Day 2021 での「再会」と「気づき」

貴重盤やレア盤、初音源化となるアナログ盤をレコード店で販売するRecord Store Day 2021(RSD)。
本来であれば直接レコード店に足を運び、自らレコードを選んで購入する、というのが正しいRSDへの参加方法なのだろうが、こういうご時世ということもあり、発売日当日の午後からオンラインでの購入も可能となったのは、田舎に住む人間としては嬉しい限り。

今年も6月と7月に開催され、洋邦問わず様々なアナログ盤が発売された。
個人的には、今回初めてアナログ盤として発売されたPrinceのアコースティックアルバム「Truth」が最大の目玉商品だった。

考えてみると、ほとんど見向きもしなくなったはずのアナログ盤に、ここ最近になって触手を伸ばしているのは、デジタル化された音楽データの販売や、サブスクのような新たなサービス提供、つまり、形なき「物」が席巻する中にあって、単なる懐古的な気分に駆られて…というよりも、一つでもマテリアルとしてのレコード盤を自分のものとしてそばに置きたい、という思いが強いからだ。

以前は、結構な数のアナログ盤(レア盤、珍盤もかなり揃っていた)を所有していたのに、自分の不注意で全て廃棄せざるを得なくなるという憂き目に遭ってからは、アナログ盤に手を伸ばすことを控えるようになった。そもそも、それを聴くためのプレーヤーも失ってしまったのだから。

しかし、失ったのはアナログ盤とレコードプレーヤーだけではない。
若かりし頃の金銭的な事情だったり、単に聴かなくなったという理由だったり、その時々の衝動や興味本位が、実は無駄な買い物を招いていたと気づいたことが理由だったりと、いろんな事情があるにせよ、棄損、売却、譲渡といった形で手放したCDは、結構な数に上る。

ただし、その中には後になって再度買い戻した作品がある一方で、一度手放したが最後、二度と手に入れることのできなくなった作品もある。手放したことを後悔している作品もある、ということだ。

その中の一つが、1994年に発売された「カーティス・メイフィールド・トリビュート」だ。
1990年、コンサート会場で発生した照明の落下事故で頸椎を損傷、半身不随となったカーティス・メイフィールドの功績を讃えるべく、凄い顔ぶれの面々が参加したのが、このトリビュート・アルバム。

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物欲と断捨離の狭間で

50歳を迎えたあたりから、自分の「今後」を考える機会が多くなったような気がする。

その中にあって最近特に気になっていることが、「自分の所有物」に関してだ。

家人らからは「お前はとにかくモノが多い」と言われるぐらい、色んなモノが周りにある。

読み終えた書籍、着ることのなくなった衣類、二度と聴かないであろうCD、同じく二度と観ることがないと思われるDVD、型落ちしたバッグ、更には出場したマラソン大会のTシャツ、履き潰したランニングシューズ、何でそんなの買った?一体いつ使うんだ?といったガジェットの数々…。

恐らく一つ一つリストアップすればキリがないぐらいの物、モノ、もの。

幼い頃、決して満足にモノを買い与えて貰えなかった反動、というわけではないが、自分の稼ぎが得られるようになってからは、自分の思うままに色んなものを買い続けていた、そんな気がする。

人間の三大欲求とは、「睡眠欲」「食欲」「性欲」。これに「集団欲」「排泄欲」が加わった三大欲求もあると言われているが、「物欲」もその中に加えてもいいんじゃないかと思ってしまう。

しかし考えてみると、これまで購入した数々の商品によって僕自身の欲求(物欲)は満たされても、そしてそれが僕自身にとって何らかの価値があるものであっても、家人にとっては何の変哲もない普遍的なもの。価値すらも感じられないであろう、所詮は「余計なもの」なのだ。

なので、仮に僕がこの世を去ってしまうと、これらの物は単なる「邪魔なもの」や「ゴミ」扱いをされることは必至。

ここ最近も、何を思ったのか急にアナログ熱に魘されることとなり、Princeをはじめとするさまざまなアーティストのアナログ盤を買い始めている。がしかし、思えばこれも単なる僕の蒐集癖によるもので、それを手に入れたことによって得られる満足感(優越感)を求めているだけなのかも知れない。

既に収まり切れなくなったCD、レコード。プラケースを外し、ビニールケースに入れ替えたものも数々。

さて、少々話が脱線したので元に戻そう。

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バリウム排出大作戦

【タイトル通り、今回はちょっとアレな話ですので、お食事中の閲覧は控えてくださいませ。】

昨年の7月、職場の定期健康診断を受診した時のこと。

最後に胃の検査があり、バリウムを飲んだ。

検査後、下剤を服用したが、どうやらその量が足りなかったらしく、うまく排出できぬまま、2日後には夜も眠れぬほどの腹痛を発症、七転八倒の末に病院へ駆け込んだという苦い経験をしている。

僕は腸に「憩室」を持っている。憩室とは、腸の内側にできるポリープとは逆に、腸の外側にできる小さな袋のようなもの。この中に入った消化の悪いものが炎症を起こし、悶絶しながら病院に駆け込む、ということをこれまでも何度か経験している。

前回のバリウム検査で排出しそびれたバリウムは、どうやら憩室の中に収まってしまったらしく、腹部のレントゲンを撮影したところ、腹に散弾銃でも撃ち込まれたかのごとく、白い点が無数に広がっていた。それが、憩室に残ったままのバリウムだった。

そして、診察してくださったかかりつけ医からは、「何かの拍子に排出されることはあるかもしれないが、恐らくバリウムは残ったままになる」と言われてしまった。一生、バリウムを体内に残したまま過ごすことになるのかも知れない。(手術で憩室を除去する人もいるらしいが、そのために開腹手術するのはさすがにちょっと…。)

30代前半。じわりじわりと顔の輪郭がなくなり始めた頃。ある意味健康的な色艶を放っている。

今年は50歳を迎えたこともあり、(抽選で選ばれたら)人間ドックを受診することにしていた。

その結果、7月3日に弘前市内で人間ドックを受診することが決定し、前日22時前に食事を済ませ、当日に備えた。ちなみに6日間にわたり、無駄な抵抗、無意味な調整と思いつつ、断酒も敢行。体調をそれなりに整えたつもりだった。

ちなみに検査メニューにはバリウム検査も含まれていた。妻からは「やめた方がいいんじゃない?」と何度も念押しされたが、昨年の検査をトラウマにするわけにはいかない。今後も繰り返されるであろうこの検査を乗り越えなければ、健康体は損なわれる可能性がある。

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