ランナーあるある。自分の術中にはまった大会は雄弁に語り、失敗に終わった大会はとっとと忘れようとする。ということで、本日も長文駄文にお付き合いください。
記念すべき第1回さいたま国際マラソン。初心に戻ってランニング勘を取り戻す。皆さんへの感謝の気持ちを忘れずに、最後までしっかりと自分のペースで走りきる。今回立てた、目標の柱2本。今年最後の大会ということで、大会前日に並々ならぬ決意で大宮に乗り込んだ。受付会場のさいたまスーパーアリーナを訪れると、ビックリするぐらい閑散とした雰囲気。たぶん、今までで一番ストレスを感じない受付だった。さいたまスーパーアリーナを訪れるのはこれが3度目。でも、まさかマラソン大会に出場するために来るとは思わなかった。
そして大会当日。前日から降り続いている雨は、まだ止む気配がなかった。いつものごとく朝から切り餅を食べ続ける。この日は、8個。そしてバナナ1本。OS-1はゼリーで1パック。あとは、アミノバリューを500ml。
8時過ぎに、クラブのメンバーと待ち合わせたアリーナ内へと向かう。中央のアリーナを取り囲むスタンドには、見るからに速そうなランナーの皆さんがずらりと席を陣取っている。
申込みの時の目標タイムを3時間35分としてしまったため、最後方のDブロックからのスタート。
3時間29分としていれば、Cブロックだったらしい。まあでも、一つ学習したのでこれはこれでいい経験になった、とポジティヴに捉える。
9時過ぎにアリーナの外に出ると、まだ小雨が降っている。スタート地点はハッキリ言って狭い。9時10分に日本代表チャレンジャーの部がスタートしており、30分後に一般の部(サブ4)のスタートとなる。僕も20分前にはDブロックに整列したが、かなり後方の方だということはすぐに理解できた。と同時に、周りの人達の走力がサブ4ギリギリなのだということを、会話から悟った。この混雑から、早く抜け出さなければならない。一瞬そう思ったが、下手にペースを乱すことはしない方がいいと、気持ちを落ち着かせた。
スピーカーの向こうでは、さいたま市長と埼玉県知事が、県庁所在地でのフルマラソン、それも国際マラソンの開催ということで、嬉々とした声で今日の喜びを伝えている。しかし第1回大会、何が起こるかわからないぞ…。
スタート時間が近づくにつれてブロックが少しずつ前方へと進んでいく。スタート5分前の時点で、雨はほぼ上がっていた。雨除けと寒さしのぎに被っていたビニール袋をおもむろに破り、ボランティアの方に手渡す。気分はすっかり戦闘モードだ。
9時40分、いよいよスタートの号砲が響いた。遥か遠くに見えるスタートのゲート、Aブロックのランナーから順次スタートラインを越えていく。
僕がスタートラインを踏んだのは、号砲が鳴ってから3分30秒後。この「ハンディキャップ」で、逆に気持ちが落ち着いた。迷いはない、あとはひたすら走ってここに戻ってくるだけなのだ。
設定した目標タイムは3時間25分だが、3時間30分前後でゴールできたら御の字かな、と開き直った。あとで聞いたら、CブロックとDブロックのタイムラグは1分半程度だったそうだ。
ここ最近のレース展開を分析した結果、前半で勢いに乗りすぎて、というか周囲に流されて自分のペース配分を誤り、後半に大失速ということが続いていたので、前半はひたすら我慢、というか飛ばさずに自分の楽なペースで走ることを心掛けた。
もう一つは、あと何キロとかは考えず、5キロを過ぎたら次の5キロ、といった感じで、「引き算」ではなく「足し算」のレースをしていこうと意識していた。結果、4分45秒前後でずーっと押していくこととなった。そしてこの日は、脚ではなく頭を使うマラソンに徹しようと決めていた。
ということでここからは、5キロごとの戦況をお伝えします。
【スタート~5キロ】
スタート直後は予想通りの混雑。ぶつかって追い抜いていく人も多い。一瞬イラッとするが、ここでの苛立ちは禁物。
徐々にランナーがばらけ始めた3キロ過ぎで、CブロックからスタートしたO先生に声を掛けられる。
こんなに早く追いつくのは想定外だった。ひょっとしてペースが速すぎるか?と慌てて時計をみる。スタート直後の渋滞から早く抜け出そうと、ちょっとペースが上がっていたらしい。ここでの拙速は後半の失速に繋がる。少しペースを落としながら、周囲の状況を見渡す。焦る必要はない。30キロ以降に備え、序盤はゆっくり自分のペースで走ればいいのだ。
しばらくは細かなアップダウンが続く難コースとのこと、確かに緩い上り下りの連続だ。しかし、さほど気にはならなかった。NAHAマラソンの前半のコースにも似た感じ(でも、あちらは上りがメイン)。上りきった頂点で力を抜くのではなく、下りに差し掛かってちょっとしてから力を抜くことを心掛ける。前日O先生とお話をする中で得たセオリーのようなもの。頂点を見ると苦しくなるので、足下を見過ぎない程度に目線を落とす。
5キロを通過。28分34秒。時間がかかりすぎかな?と思ったけれど、3分半の「ハンディキャップ」を思い出す。走り出しにしてはまずまずだろう。
【5キロ~10キロ】
最初の給水ポイントに差し掛かると、コップの数が圧倒的に足りていない。後半はそれなりに解消されたものの、これは改善の余地があるな、などと勝手に大会を評価。7キロ付近で、このコース最大のアップダウンとなる新浦和橋に差し掛かる。周囲の人はここで呼吸を荒くしているが、僕は自信をもってこのアップダウンに臨んでいる。そりゃそうだ、岩木山スカイラインの標高差800メートルを上ったのは、この日の練習と位置付けていたのだから。10キロ手前で左折、最初の折り返しに向かう。この時点で既に先頭集団が折り返しから戻り、15キロ地点を目指すのが見えた。まあ、今日は自分の走りができればいいので…。
10キロ通過。52分33秒。なーに、まだまだ序盤。焦る必要はない。
【10キロ~15キロ】
10キロ過ぎの給水でパワーバー梅を投入。このコースは途中12キロ、21キロ、26キロ手前と3度の折り返しがある。12キロと21キロの折り返しでは、先行するNさんと、12キロを過ぎた辺りではSさんと声を掛け合う。ふと気がつくと、12キロの折り返しを過ぎた時点で、周囲はCとBのゼッケンナンバーを背負った人が増えていた。ちなみに、陸連登録をしているランナーだけ背中にもゼッケンをつけているので、自分が大体どの位置を走っているのかという一つの目安になる。
なーに、レースはこれからなのだ。焦らない焦らない。
12キロの折り返しの直後、右脚裏に違和感を覚えるも、程なく痛みの要因が元の位置にストンと入った感じがして、思わず「あ、入った。」と口走る。
13キロ辺りで、小さな女の子が「諦めないで-!」と叫んでいたのを耳にして、ハッと目が覚める。そうだよ、諦めたら終わりなんだ。その後ゴールまで、その女の子の声援がずーっと脳内で繰り返されていた。15キロ通過。1時間16分21秒。
【15キロ~20キロ】
アミノバリュー粉末を投入。15キロを過ぎた直後、背後から突然声を掛けられる。
「弘前からいらしたんですか!」
「はい。今日、弘前から同じクラブのメンバーが3名出ていますよ。」
「うちの親父が弘前出身なんですよ!」と嬉しそうに話しかけてくる男性。
「うちら、弘前市内で練習していますから、もし弘前にお見えになる機会があったら是非遊びにいらしてください。」
「ありがとうございます。」
ちょっとだけ並走したところで再びその方と離れ、有料道路へとコースは進んでいく。途中の料金所も、もちろんスルー。(大会参加費に「通行料金」は含まれているんですかね?)
16キロを過ぎた辺りで、先方から日本代表チャレンジャーの部のトップ選手がやってくるのが見える。周囲のランナーは大声で声援を送っていたが、僕は3人のランナーとすれ違った後に声援を送るのをやめた。ただ単に体力を温存したいと思っただけの話。
細かなアップダウンはなおも続き(とはいうものの、そんなに気にならなかった)、浦和美園駅前を左折。舗装が少し柔らかくなった感じがわかった。この辺りで、だいぶ声援がまばらになり始める。20キロ通過。1時間40分14秒。まずまず、想定の範囲内といっていいだろう。
【20キロ~25キロ】
メダリストエナジージェルを投入。埼玉スタジアムの見える中間地点を、1時間45分で通過。後半の落ち込みを考慮すると、この時点でサブ3.5は厳しいね、ってきっとみんな思っているんだろうな。
不思議なぐらい焦りも気負いもなく、力みも全くと言っていいほどない。呼吸の乱れもほとんどなかったし、何よりも、淡々と自分のペースを刻んでしっかり走り切れていることが実に気持ち良かった。
23キロから、周囲に何もない道路が3キロ近く続く。人影はまばらで声援も少ないが、先方から折り返したランナーがやってくるので、退屈ではない。25キロ通過。2時間04分12秒。
【25キロ~30キロ】
25キロ過ぎでMUSAHI Niを投入。最後の折り返しを過ぎるとほぼ同時に、雲の切れ間から見え始めていた青空が一気に広がり、多少陽射しが出るようになった。が、暑さはあまり感じられず、むしろ心地よい感じ。ここでスッパイマン(乾燥梅)を二つ口に頬張りながら気を紛らわす。今日は、何もかも自分の味方につけるのだ。しかし、この辺りでまたしても足裏の痛みを感じ始めるが、ここで折れたらハイ終わり、と強く言い聞かせ、痛みのことを忘れる。
29キロ過ぎ、左手前方にいちごオ・レの旗が見えてきた。Iさんだ。大きく手を振ると、Iさんも気づいたらしく、カメラを向けてくれる。
ありがとうございます!と言って通り過ぎた後に、なぜだかグッと胸にこみ上げるものがあった。
20キロから続いた平坦な区間が終わり、再びアップダウンが現れる。いよいよここからが本番といっても過言ではない。30キロ手前の上り坂、ちょっと辛さを覚えたけれど、多少ペースが落ちるのはやむを得ない。いや、上りがあれば下りもあるコースなのだから、とにかくしっかりと刻んでいこう。30キロ通過。2時間28分13秒。
【30キロ~35キロ】
ふと、この辺りから左脚のふくらはぎがピクピクと疼き始める。痙攣の前兆のようだ。
汗はそれなりに掻いていたが、ここまで水分補給は完璧だし、塩分も不足していないはず。大丈夫大丈夫、と言い聞かせる。この日に限っては、30キロを過ぎても、いわゆる「壁」が現れる気配がなかった。逆算はしたくないがあと12キロしかないんだ。このまま押していこう、と言い聞かせる。
32キロ手前で、先行していたNさんに追いつく。いつもであればこの辺りから失速するというパターンに陥るのがお約束だったが、この日に限っては失速する気がしなかった。むしろ、有料道路を抜ける下り坂で、少し加速した感じ。相変わらず左脚のふくらはぎはピクピクしていたものの、ここまで来たら最後まで押し通せるという根拠のない自信があった。
35キロ通過は2時間51分50秒。
【35キロ~40キロ】
Meitan黒を投入。これで補給食はすべて使い切った。35キロを過ぎた時点でさっと逆算をして、このまま持ち堪えられれば、サブ3.5は達成できるはずだと確信に近いものを得る。しかし油断は禁物。ここからが勝負どころだ。
ちなみに自分の時計に視線を送ったのは12キロ過ぎぐらいまでで、その後はほとんど目にしなかった。5キロ毎の通過ポイントに電光掲示板が設置されているが、そこで逆算をすると欲が出てペースが乱れるので、パッと視線を送っておしまい。あとは何も考えない。走れば何とかなる、とにかく最後まで走りきろう。そればかり考えていた。
多少ペースが上がったことで、呼吸が少し乱れているのがわかる。腕の振りが弱くなっていないか、腰が下がっていないか、まずはフォームを整える。その上で、深呼吸をして呼吸を整える。
37キロを過ぎて右折、旧中山道へと進む。いつになくしっかりとした足取りで、淡々と進んでいく。
ちなみに37キロを過ぎてから41キロ過ぎまで、景色の記憶が全くといっていいほどない。
最後方のブロックからのスタート、ここまで一体何人を抜いたことだろう。そして今もなお、AやBのゼッケンを背負った人を抜き続けている。逆に30キロ以降で僕を抜いていったのは、5人ぐらいしかいなかったんじゃないだろうか。
まさに、Dからの逆襲ですよ。下克上ですよ。超気持ちいい!ですよ。
【40キロ~ゴール】
40キロを通過。タイムは確認していない。ようやくここで距離のカウントダウンをスタート。と同時に、ペースを更に上げる。残り2,000メートルぐらい、1,600メートルぐらい…。しかしなお、時計には全く視線を送っていない。というかここまで来たら、最後まで押し切るしかないでしょうが!あとでチェックしたら、40キロから41キロまでを4分33秒で駆け抜けていたらしい。結局この区間が最速のペースとなった。
41キロを過ぎて、最後の上り下りとなるJRのガードをくぐる。さあ、残り1,000メートルだ。余力を出し切ろう。
500メートル以上の長い直線が続き、信号を左折したところで、ようやくフィニッシュのゲートが見えた。最後の力を出し切らんばかりにスピードを更に上げたつもりだったが、実際はほぼ限界に近い状態だったようだ。
電光掲示板が見えてきた。3時間25分台を指している。思わず、よしっ!と小さく声を発する。
そしてついにフィニッシュ!タイムは3時間25分57秒。ようやく昨年の自己ベストを更新。記録上はたった3分の短縮だけれど、スタートラインを踏んだ時間を考えると、多分5分は縮めることができたんじゃないだろうか。
【ゴール後】
コースに向けて深々と頭を下げた途端、達成感に包まれ、ボロボロと涙がこぼれてきた。何となく不本意だった今年、最後の最後でやっと昨年の自分を越えられた、という思いが胸に去来した。
疲れていないといえばウソになるが、とてつもなく頑張った、という感じでもなかった。むしろ最後まで力まず、心折れることなくしっかり走り切れたことが本当に嬉しかった。もっとも、今日に限っては心が折れる気がしなかった。こうやって走ればいいんだよ、というお手本を自らに示したような気分だった。難コースだというのであれば、そこでPBを更新できたというのも非常に大きい。裏を返せば、これってまだ伸びる余地があるってことですよね?
久しぶりのネガティヴスプリットも気持ち良かった。目標タイムには1分足りなかったけれど、そんなことはどうでも良かった。何より、自分で想定したとおりの展開、綺麗にラップを刻んで最後まで走ることができたことに、とてつもない充実感が溢れていた。多分、これまでの中で一番納得のいく走りができたような気がする。そう、この快感を得たかったのだ。だからマラソンはやめられない。
最後に、今回の大会の中で幾つか気になった点を備忘録的に。
・スタート時の混雑は致し方ないとは言え、ブロックは目標タイムではなく、持ち時間で振り分けすべきでは。
・完走率の向上。これは参加する側の意識もあるのだろうけれど。
・でも、制限時間と参加人数は、できれば変えて欲しくない。こういうシビアなレースがあってもいいと思う。
・給水の改善を。結構コップが足りていない給水所があった。
・旧中山道の歩行者横断、もう少し手前からお知らせしてくれませんか。
・スタート前、ゴール後の対応は素晴らしかったと思う。
結論からすると、自分で納得のいく、満足のいく走りができた大会は、「いい大会」と位置付けられる。だからこの大会、とてもいい大会です。これ、ランナーあるあるですから。舞い上がっちゃって、どうもすいません。