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平昌五輪に垣間見る「自分事」

最初はどうなるかと思った平昌五輪、今日の男子フィギュアで羽生選手が金、宇野選手が銀を獲得、日本国内が一気にヒートアップしましたね。まずはおめでとうございます。次回は是非、プリンスの「Let’s Go Crazy」の再演を楽しみにしたいと思います。あっ、羽生名人は負けちゃったみたいですけどね。何かどちらが羽生でどちらが羽生なのか、今日は少し混乱してしまいました。

平昌五輪に関しては、開会前後から北朝鮮のことばかりが取り沙汰された時点で何だか興味がクォーターまで激減。未だテレビでお遊戯族みたいな映像がテレビで流されているのをみると、ちょっとゲンナリします。取り上げるのは、そこじゃないよね、って。平和の祭典といいながら政治色が滲み出ているのも何かイヤだし。

とはいえ、競技や運営に対する問題点が色々指摘されながらも連日熱戦が続いています。実のところ僕自身は、雪国暮らしなのにウィンタースポーツはほとんどやらない(20年以上前にスキーを履いたのを最後に、すっかり疎遠になりました。)ので、応援に熱がこもるということもなく、変な話ですが、BGMのようにテレビから流れる歓声に時折ハッとするぐらい。それでも今日で前回の五輪のメダル獲得数を上回ったとか。これも想定の範囲内なのか、はたまた想定外なのか…いずれにせよ、これから出場される選手の皆さんには持てる実力を発揮していただきたいものです。

メダルが全てではない、と言いながらも、どうせだったらメダルを獲って欲しいと思うのが人の常。ただ僕としては、どちらかというとレースそのものよりもレースの後の選手のインタビュー、これを見ている方が面白いな、なんて思ってしまうわけです。

日本という看板を背負って五輪、そしてレースに挑んでいるわけですから、選手の皆さんは、我々には計り知れないぐらい相当なプレッシャーを抱えていると思うのですが、レース直後に汗や涙を滲ませながら毅然とインタビューに応じる姿や、悔しさと清々しさが入り交じったような、何とも言えぬ感情を押し殺しながら話すその表情に、胸が熱くなることがあります。

世界の頂点を目指すために過酷なトレーニングに取り組んで来ても、過程ではなく結果が全てという現実。そこに出場するだけでも充分凄いのに。選手の戦いはまだ続いているわけですし、パラリンピックもこの後開催されるわけですが、既にメダルを獲得した何人かの選手が、応援してくれた皆さんに感謝の気持ちを表しながらも、まるでキーワードのように同じ言葉を発していたのが印象的でした。

「自分のイメージ」「自分の力」「自分のレース」「自分に納得」「自分を信じて」

スタートラインに立った時点では「自分自身」に全てを集中、これに尽きるということでしょうか。もう、他人はともかく全部自分事。
だからレース後に口にするのは、あくまでも自分がどうだったかという検証。その時、そのタイミングにピークを持ってくるために自分と向き合うって、凄く大事なことなのだなあと改めて感じました。チーム競技であっても、他人に全責任は押しつけられないでしょうから。
そうなんですよね、ピークをどこに持っていくかはコーチやスタッフの手によるものではなく、最後は自分自身が決めることなんですよね。やるも自分、やらぬも自分。

最近は、ラン仲間が大会で自己ベストを更新しました!とかいっても、あまり反応しないようにしています。だって、「おめでとう!」って言っても、そのレース展開が本人にとって満足のいくものだったのかどうかは、その人にしかわからないから。だからある意味、無言のエールみたいなものです。

実はこれには伏線があって、昨年5月の仙台国際ハーフマラソンで持ちタイムを更新した時に、たくさんの方々から「おめでとう!」って言われたんです。でもあの時、ゴール直後に僕がどんな顔をしていたのかは、このブログを以前からご覧いただいている方はご存知の通り。

…おっとすいません!画像を間違えました!

そう、確かにタイムは更新したかも知れないけれど、レースの内容には全くもって納得していなかったんです。この時に強く思ったのが、大会に出場するということは、タイムはもちろん大事だけれど、その内容が自分で納得できる内容だったかどうか、ということに尽きるなと。

あ。ここで言うべき話ではないかも知れませんし、不快に思われる方もたくさんいると思いますが、敢えて言わせてもらいますね。僕のブログなので。

僕の周囲では数年前まで、サブ3.5を達成すること自体が「凄い」ことだったのです。僕自身も早くサブ3.5を達成したくて、色んな練習に取り組みました。その流れは今も続いていると思うのですが、最近は内容よりもまずタイム重視みたいな風潮になっているような気がしています。

それはそれで構わないことなのですが、そういう風潮を生み出したのは、このブログに毎回長文駄文のレース展開を投稿していた僕なのかも知れない…とふと思い、ちょっと複雑な気持ちを抱いています。そういう思いもあって、今後の投稿内容をどうしようかと思案し、躊躇しているところもあったり。…皆さん、PDCA気にしてますか?

僕はランニングを通じて色んなことを発信しながら地元に貢献できるようなことができたらいいな、という思いを根底に持っています。

そういう伏線があるという前提では、僕の中で一番満足度が高かったというか、この大会に参加できて本当に良かった、と思っているのは、自己ベストを叩き出した大会ではなく、地元で開催されている「弘前・白神アップルマラソン」だということだけは明言したいと思います。

好きで地元の大会を走って、ゴールした後にランナーの皆さんから感謝されるなんてこと、他の大会ではまずありません。だからこの時ばかりは、本当にマラソンを始めて良かったと心底思います。何よりも、この大会に出場するとテンションがあがり、毎回ポジティヴになります。まさにランナー冥利に尽きるというものです、本当に。

僕自身、これから色んな大会に出場するつもりですし、50歳までにフルマラソンで3時間を切るという野望だけは、何とか達成したいという思いもあります。

当たり前に「やれること」から「やれるだろうか」への踏み出しと、「できるだろうか」じゃなくて「できるんだ」という気持ちを強く持つことが大事なのではないか、と。

それに少しでも近づくため、自分が納得できるようなレース展開になるのが理想的な姿。

初心忘るべからず。

また今回も散文になってしまいました。どうやら心の中の迷いを露呈してしまったようです。

主の居ぬ間に… ~感謝カンゲキ雨ア…りがとうございます~

自分で運営しているブログにもかかわらず、時々しばらく留守にしていることがあります。早い話が、放置をしたまんまになっている状態。

プラグインなどの更新のお知らせが来た時には、手動で作業を行う必要が時々あるため、ログインがてらサイトを覗く、ということもあるのですが、この時期は何せあまりネタがないといいましょうか、他にやらなければならないことも重なって、投稿そのものがおざなりになってしまう、ということがよくあります。

最近の傾向としては、ランニングに関する投稿をすると物凄いアクセス数をはじき出すことがあるのですが、それ以外の投稿はあまり反応が良くない、という分析結果が出ています。いや、別にいいんです。もともとは日記というか備忘録的なものとして始めたこのブログ、1日のアクセス数がひとケタなんてこともざらにあったんですから。

かれこれ15年以上ずっと運営を続けている中で、もういいかな、と思ったこと数知れず。ただ、このブログを読んでくださっているという見ず知らずの方に声を掛けられるという驚きとともに、それがまた励みとなり、これまでかなり不定期ではありますが投稿を続けてきました。

そろそろランニングの投稿もしたいな、と思ってはいるものの、これといったトピックスや特筆すべき話題があるわけでもなく、かといって変なネタも投稿できないので躊躇しているところ。まあ、全然ネタがないというわけではないんですけどね。すいません。

さて、そんな中で一つ驚いたことが。
何と、このブログへのアクセス数が40万カウントを超えていました!
皆さん、本当にありがとうございます!

40万とはいえ、途中でカウンターのエラーが発生、全くアクセスがカウントされないという空白の時間がありましたし、この中には自分のアクセスが相当数あることは百も承知。でも、こんな大した中身のない、それも一個人の日記みたいなブログなのに、ここまでアクセス数が積み重なるなんて、正直考えてもいませんでした。何だか嬉しくもあり、申し訳なくもあり…。

この後も好きなことや興味のあることしか投稿しないつもりではありますが、もしよろしければ時々で結構ですのでこのサイトを覗いていただければ、本当に嬉しいです。コメントとかは一切いりませんので!…といっても実はこのブログにコメント投稿されることは、年に1度あるかないかなのです。どんだけコメントし辛いんだ、このブログ。(苦笑)

ということで、偏屈でなんかコメントし辛い投稿ばかりではありますが、今後ともどうぞ引き続きよろしくお願いします。

(画像は次の投稿にするかどうするか悩んでいる「ネタ」です。)

そうだ、市ヶ谷台ツアーに行ってみよう。

日本の政府機関が集まっているのは、皆さんご存知の霞が関。この周辺に国を司る省庁がありますが、そこから少し離れた市ヶ谷に、防衛省があります。
この機関について僕がああだこうだと説明できるような立場にありませんし、防衛に関する深い造詣があるわけでもないので今日は割愛しますが、戦後最大の建設規模となったこの市ヶ谷庁舎群のほんの一部を、一般の方も見学することができます。(予約制)

ツアーは毎週月曜から金曜までの平日(まあ、役所ですからね)、午前・午後の各1回、定時に開催されています。
午前と午後で若干コースが異なっており、見学時間は午前が9時30分から11時45分まで、午後が13時30分から15時40分まで。見学開始の10~20分前が受付時間となっています。

国家の機密事項を扱う機関でもありますので、庁舎の中に立ち入って職員が仕事をしている様子を眺める、なんていう地味なツアーではありません。
ただ、誰もが知っているような歴史から、そうではない陰に隠れた歴史までをかいつまんで見聞きすることができる、そんなツアーです。
今回、このツアーの一部に参画する機会を得ましたので、今日はそのレポートをちょっとだけ。

…とはいえまあ、これは本当に興味があるかどうかの世界になってしまうと思うので、興味のない方には本当にごめんなさい、ということでお許しください。

僕なんかは、小中学校の社会でいわゆる日本の近代史を学んだ記憶が全く残っていないですし、正直言って歴史はかなり苦手だったので、特にここで見聞きすることとなった近代史については、あまり知らなかったことも知ることとなりました。また、戦後の日本が置かれていた状況、本当に断片的なものだとは思いますが、改めて再認識することとなりました。

ツアーの中のハイライトは、最初に訪れます。
正門から入り、海外からの要人等を迎える儀仗広場を抜け、向かう先にあるのが「市ヶ谷記念館」。

ちなみに訪れたこの日は未明から都内でも雪が降り、積雪「1センチ」だったそうです。青森からやってきた僕からしてみれば、たかだか1センチでガタガタ抜かしてるんじゃねえよ、と思うところですが、実際、電車は15~20分の遅延が慢性化し、えらい目に遭いました。

そうそう、青森県人って雪が降っても傘を差さない人が多いのですが、あれは気温が氷点下で、雪をさっと払ってもすぐに飛んでいくから。しかしこちらの雪はいわゆる「濡れ雪」だったため、傘が必須だということがよくわかりました。

そんな雪が降る中、儀仗広場を抜け、高さ220メートルの通信塔を見上げながら進むと、「市ヶ谷記念館」が見えてきます。

歴史を遡ると、第4代将軍徳川家綱公の頃からのお話で、1656年に尾張徳川家の第2代光友公がこの地(市ヶ谷台)に上屋敷を築いたところから始まります。1937(昭和12)年、陸軍士官学校として1号館が建設され、その後大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部が市ヶ谷台に置かれます。終戦後の1945(昭和20)年に米軍に接収、1946(昭和21)年には極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使用され、「戦犯」7名に死刑が下されました。米軍から返還されたのち、1960(昭和35年)からは陸自東部方面隊総監部や陸海空自衛隊の幹部学校等として使用されてきましたが、1970(昭和45)年には三島由紀夫の籠城、割腹事件が起きたという、本当に濃い歴史を目撃してきた建物なのです。(以上、防衛省からのリーフレットを参考に一部改編。)

ただし、この「市ヶ谷記念館」は防衛省の移転に伴い、歴史的建造物として建物の一部を移築、復元したもので、当時の姿はそれなりに面影を残してはいますが、場所までもが当時のまま、というものではありません。

でも、こういう建物なんだかそそられます。

玄関でスリッパに履き替えて中に入って目に飛び込んでくるのが、低い天井とさほど広くもない講堂。

(迫る天井。何じゃこりゃ。)

(振り返るとこんな感じ。扉が天井にくっついています!)

ステージの上には「玉座」と書かれた紙が貼られています。あとで聞いたところでは、天皇陛下が臨席された椅子があった場所なんだそう。
そして天井を見上げると、仄暗い5つの明かりが中を照らしています。

(3つしか映っていませんが、全部で5つある照明)

中に進みながら気がついた!床が傾斜している?しかも、寄木で組まれた板張り。

これも全部、復元に当たって一枚一枚丁寧に番号を振り、元の位置に戻したのだそう。ただし、結構な枚数の板が痛んでいたため、一部は復元の際に修復しているとのこと。ちなみに床が傾斜しているのは事実で、ある理由があるのだそう。(これはツアーに行く機会があったらお話を伺ってください。)

撮影禁止の動画を20分ほど観た後で、ステージ上へ。ステージ横には階段が二つあり、一つはいわゆる「天皇専用」階段なんだそうです。天皇陛下がどれだけ崇め奉られていたかを垣間見る一端となりました。

(ステージの上から。ちなみに「玉座」は、もう一段高い位置にあります。)

(玉座の寄木。黒檀で組まれているらしく。)

(「玉座」背後の壁紙は、移設に合わせて再度新たに織り込んだのだそう。)

(高貴な雰囲気が感じ取られます。)

2階へ行くと、旧陸軍大臣室と、旧便殿の間、そして展示室を拝観することができます。三島由紀夫が籠城事件を起こした際に残った刀の傷が扉に生々しく残っているなど、思わず息を吞むようなものも。(敢えて撮影はしませんでした。)

このほか、撮影を許されていない東京裁判の一部記録や、軍服、刀なども展示されています。

(2階からの全景。そんなに広くないのに奥行きがあるように見えます。これも技法のひとつなのだそう。)

約50分、古い建物が好きな方や歴史に興味がある方ならば一度訪れてみてはいかがでしょうか。この中を拝観するだけでもツアーに参加する意義があると思いますよ。

ちなみに厚生棟では、ここでしか買えないお土産も購入することができます。(意外な店舗があってビックリすると思います。)

問い合わせ先
防衛省大臣官房広報課記念館係
03-3268-3111(内線21904, 20303)