前にも同じ話をしたが、世界中の人々が様々な人生を歩む中、全ての 人たちにとって平等なこと、それは1年に1歳必ず年を取るということだ。
本日をもって52歳を迎えた。
まずはこの世に生み落としてくれた両親、そして生まれてからこれまで僕を支えてきてくれた家族に最大限の感謝。
そして、これまで自分自身と関わってくれた大勢の人たちに、この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございます。
さて、今日を迎えるにあたり思い浮かんだ顔が二人いる。 ともに52歳でこの世を去った石原裕次郎と美空ひばりだ。
そういう時代だったのかも知れないし、その佇まいや身なりのせいかも知れないが、晩年を迎えていた当時の二人の姿からは強烈な「老い」を感じた。
烏滸がましくも、こうして自分が同じ年齢に並んだ時、やはりあれぐらいの「老け具合」を漂わせているのだろうかとも思うが、まあ、それは年相応ということで諦めるしかないか。
いや、でも「老いる」と「老ける」とは似て非なるものなのではないだろうか。
単なる持論だが、「老いる」は年相応にやってくるもの、「老ける」は自らの気持ちでコントロールできるものなのでは、と。
老いることに抗うことは難しくとも、気持ちから老け込まないようにしたい…なんてことを思ってみたり。
さて最近、長い時間にわたって電車の中で待たされるということが続いたので、この時間を利用して、51年の間に「ヤテマタ」ことを、記憶の残る限りで思い出してみた。いわばライフヒストリーみたいなものです。 Continue reading