日別アーカイブ: 2016-08-08

昭和初期の地形図

小学校高学年の頃の私、時刻表と地図帳が大好きでして、マンガ本より時刻表や地図帳を眺めている時間が長かったような気がします。

時刻表については、当時はまだ長距離普通列車や寝台列車がたくさん走っていた時代、行けるはずがないとわかりつつも、思いを馳せながら鈍行列車だけで北海道一周を巡る旅行のスケジュールを組んでみたり、いかに効率良く鈍行列車だけで東日本を回ることができるか、なんてことを、夜な夜な考えていたのでした。そう、ちょうど青春18きっぷの発売が始まった頃でしたね、確か。

地図帳に関しては、小学校の地図帳だと縮尺が小さすぎてあまり面白みがなかったのですが、中学校の頃になると試験などで登場する地形図、特に50,000分の1や25,000分の1縮尺の地形図に興味を持つようになりました。山から流れてくる河川によって創り出された扇状地や平野、三日月湖と呼ばれる河川の名残によって出来上がった湖沼、田んぼや果樹園の中に点々と現れる集落、その集落を結ぶ道路や鉄路、更には今ではほとんど見ることのない森林軌道など、地形図に広がった地図記号や等高線を見ながら、色んな妄想をするという…。挙げ句の果ては、弘前市内にある大型書店、ここで地形図が販売されているのですが、さすがに立ち読みまでは行かないものの、書籍を買いがてら、何枚か地形図をチラ見してから帰るという、今思えば何だか妙な少年時代を過ごしていました。

やがて年齢を重ねる毎にそういった興味も薄れていったわけですが、妄想に火を付けるようなネタがあることをつい先日、40代半ばになって知ることとなりました。

スタンフォード大学が公開している日本国内の「50,000分の1」の地形図

日本国内全ての地域が網羅されているというわけではなく、例えば北海道の道南地域や青森県内でも下北半島、津軽半島の一部、その他近畿地方などで抜けている地域があります。なぜ抜けているのかは謎ですが、かなり広範囲にわたって網羅されています。(文献として見つけられなかったのかな?)
何が凄いってこの地形図、現在のものではなくて、80年以上前の昭和初期を中心とした地形図なんですね。手書きのメモが残っているものもあり、実際にどなたかが使われたものを電子アーカイブしたのでしょう。(八甲田山周辺の地形図には、雲谷から八甲田を経由して田代平に抜けるというルートが青書きされています。もしかしたら、自衛隊の訓練などで使ったものなのでしょうかね?一枚毎のページには「COLLECTION Japanese Military Maps」と書いてあります。)
ということで、当然自分の住んでいる町がどんな感じだったのか見たくなるというのが、人間の心情じゃないですか。早速見てみました、弘前の地形図。

弘前

弘前の地形図は昭和14年に修正されたもののようですが、それでもまだ戦前のものですので、市役所や弘前公園を中心とする辺りは地形が大きく変わっていることはないにせよ、建物の位置が微妙に違っていたり(時敏小学校が今の弘前市文化センターの場所にあった時代です)、今はすっかり住宅地として拓けた城西団地や弘前大学医学部そして附属病院の辺りがまだ田んぼだったり(そういえば城西団地になった界隈の田んぼで蛍を見た記憶があります)、周辺に村がたくさん点在していたり、その村役場(確か旧清水村役場)がなぜかうちの町内にあったり、更にはまだ弘南鉄道大鰐線が開通していなかったりと、見ているだけでちょっとワクワクします。…というかこれだけ挙げただけでも、今とはかなり違いますね。
私の興味はこれ一枚でとどまるはずがなく、弘前の隣には黒石とか碇ヶ関とか五所川原とか青森西部の地形図もあるので、そちらも見たくなりますよね。見てみました、ええ。

ちなみに五所川原の地形図を見ると、今の五所川原市が「五所川原町」になっているほか、五能線沿線には廃止になった駅の名前が幾つか出てきます。もちろん国道339号バイパスはまだありません。

五所川原

ダウンロード可能な画像のサイズがバラバラではありますが、私は7MB前後のサイズの画像をスマートフォンのSDカードに保存、すっかり読書気分で閲覧しています。何か地味だけど、昔を紐解いているような気分になれて楽しいのであります!

でもね…実は一番目を見張ったのが、沖縄本島の地形図でした。何かちょっと、複雑な気分になりました。
もうすぐ終戦記念日ですね。