Monthly Archives: 10月 2014

東北OM三沢勉強会のこと

三沢市を訪れたのは、今回で多分6回目ぐらいだと思う。一番最初は40年近く前、父に連れられて生まれて初めて飛行機に搭乗した際(その頃はまだ、東亜国内航空のプロペラ機だった)、青森空港が大雪のため着陸できず、三沢空港に着陸したこと、そして、その三沢空港からタクシーで三沢駅まで向かったところ、東北本線も大雪でダイヤに大幅な乱れが生じていて、やっとのことで弘前市に戻ったこと…。

…このことが、幼い頃の記憶として、そして、三沢市を最初に訪れた記憶として、今も残っている。

…そして、これまた今から10年以上も前になるが、大学時代の友人の結婚式が三沢市内で行われ、その際は宿泊もしたのだが、真昼からの飲み疲れで、宿泊先で早々にダウンしてしまった。なので、夜の三沢の街がどんな雰囲気なのかは、全く知らなかった。(この日、夜の街を堪能した友人によると、米軍関係者と思しき外国人も多く、入る店を間違えるとエラいことになる、みたいなことを言っていたようないなかったような…。)

そんな中、青森県内では弘前市に次いで2年ぶり2度目の開催となる「東北オフサイトミーティング(東北OM)勉強会 in MISAWA」に参加してきた。

東北オフサイトミーティングというのは、「敷居は低く、志は高く。」を合言葉に、まちづくり・組織づくり・人づくりを目指し、自治体や民間企業の職員・学生など様々な立場の人が交流・情報交換する組織。2009年に設立され、これまで東北各県はもとより、それ以外の地域でも活動が行われてきている。

実は三沢市には、先月も仕事で訪れていた。その時は、市役所にほど近い中華料理店「レストランニューみやき」で昼食を摂り、たくさんの外国人が食事しているという、どこか異国にも似た不思議な光景を目の当たりにしていた。

米軍基地を抱えているということもあって、市内には横文字で書かれた看板もたくさん見かける。
どことなく沖縄にも似た雰囲気がある三沢。でも、沖縄と決定的に違う点は、沖縄の場合は米軍関連の施設が複数の市町村に点在しているが、県レベルでそういった施設の移設や規模縮小を求め、それぞれの市町村でも同様の動きが見られるのに対し、三沢市ではそういった動きが一切ないということだろうか。

いずれにせよ、この表現が適切かどうかはわからないが、三沢市は、米軍基地と良好な関係を保ちつつ、上手く共存している、そんな印象を受けた。

そして今回の勉強会、2度目の参加ながら、県内メンバーの一員として、カメラ持参で会場内の撮影を行っていたため、正直、あまり話を集中して聞いていなかった。

三沢市の米田副市長、東北OM発起人の後藤さんの挨拶に引き続き、今回は基調講演と2つの事例発表が行われた。それぞれのテーマには、「異文化交流」が根底にある。ちなみに今回のテーマは「What’s マルチ・カルチャー!?~多文化理解からの地域づくり~」。三沢らしさを前面に打ち出した、でも他の地域でもあり得る、興味深いテーマだと思った。

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・基調講演 『人と人をつなぐ懸け橋としての私の想い』 八甲田冬山ガイド サイモン・ベルナルド氏

サイモンさんは、震災直後には被災地を訪れ支援活動にも積極的に取り組んだ。何より一番驚いたのは、紹介されたスライドに出てきた物資搬入の場所が、震災後の支援で僕も訪れた宮古市の新里トレーニングセンターだったこと。センター内の画像も幾つか紹介されていたが、僕らが支援に訪れたときと比べると、遙かに救援物資の整理が進んでいたのがわかった。
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・事例発表(1) 『子ども期からの国際交流〜地球市民としてのまちづくり』 青森公立大学経営経済学部3年 井上雄輔氏
若いのに非常にしっかりとした信念を持たれているといった印象。臆することなく、堂々とした発表だった。聞いていて、ハッとさせられるお話しもあった。要するに、大人が何でもかんでも子どもたちのことに干渉しちゃならないってことです。…まあ、僕には子どもいないんだけどさ(笑)
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・事例発表(2) 『基地の街を吉(グッドラック)の街に!』 有限会社 ヒーローネット代表 五十嵐耕司 氏
話術に長けていて、聴衆を引き込ませるのが非常にうまいというか、冒頭からガッツリとハートを掴まれた感じ。「基地の街を吉の街に」と、「キチ」と「キチ」を掛け合わせたテーマだが、その上更に「機知」に富んだ面白さがあって、楽しくお話しを伺うことができた。苦労するからこそ得られる感動って、絶対に大きいですよね。
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お三方のお話しを聞いた後は、トークセッションが繰り広げられた。会場にカメラを向け、皆さんのお話しを聞きながら、感じたことを幾つか。

・異文化交流ももちろん大切だし、素敵なことだけど、その前に、ミニマムな地域内交流ができていただろうか。(少なくとも僕の住んでいる町内会は、それすらも怪しいぞ。)
・教育って、大人や教育者が子どもに教えるだけじゃなく、子どもから大人が教えられるというか、学ぶ、気づくということがとても重要だと思った。「教育」が派生して「共育」になるのが理想?子どもの力は侮れない。
・僕が住んでいる弘前市と、今回訪れた三沢市って、歴史も文化も全く異なるんだけど、どこか相通ずるものがあるような気がしましたよ。何でなのかはわからないけど。
・こういう「学び」の機会って、参加することに意義があるんじゃなくて、参加し、学んだことや感じたことを、次に活かすことに意義があるんですよね。さて、何にどうやって活かしたらいいか、ちょっと考えてみますか。
・で、考えるのは「できない理由」じゃなくて「できる方法」ね。

…ということで、勉強会が終了し、集合写真をパシャリ。
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その後、同じ会場での懇親会へ。
正直、メチャクチャ腹が減ってたので、同席した初顔合わせの皆さんとの挨拶もそこそこに、まずはガッツリ食って飲んで。
続く二次会のアメリカンバーでも、飲んで、飲んで、たまに食って。
大分酔っ払ってきたし、胃ももたれて来た(油で揚げたものや肉類が圧倒的に多かった)ので、23時前に一足早く退散。多分あれ以上飲んでたら吐いてたし、翌日使い物にならなかった、と思う。

翌朝、三沢市内をジョギングして酒を抜き、体調と体重を調整。当初は三沢基地の周囲約21キロを走るつもりだったんだけど、まだ酒がかなり残っているし、胃も重い感じだったので、今日のスケジュールを念頭に無理は禁物と、走行距離を12キロにとどめた。
とは言いながら米軍三沢基地の見学において、基地内のレストランで昼食を摂ることになり、やっぱりガッツリ食ってしまったんだけど…。

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ちなみに今回の2日間で一番印象に残ったことは、初日の懇親会、二次会で訪れたアメリカンバーで、なぜか和洋折衷のカラオケ大会が始まってしまい、その中でも、外国人3名が歌ったMONGOL800の「小さな恋のうた」が、やたら上手だったことだった。おいおい(笑)
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二日目のエクスカーションは、普段立ち入ることのできない米軍三沢基地の見学。
その際に、米軍の方が我々のバスに同乗し、ずっと英語で基地内の案内をしてくれた。でも、7割程度しか理解できなかった(ちなみに、通訳もいました)。

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米軍の方は僕のすぐそばで説明くれていて、幾度となくアイコンタクトも取ったんだけど、僕はといえば英語で話す方が全くと言っていいほどダメなので、ちっともコミュニケーションが取れなかった。言葉の壁って思った以上に高い。少し英語覚えないとなあ…と思った次第。

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今回は初めて米軍三沢基地の中を見学する機会に恵まれたし、亡父との思い出の場所である三沢空港にも足を運ぶことができたし、これだけでかなり満足したんだけど、もう少し三沢市内のディープな酒場も歩いてみたいなあ、と思った。

あ、そうそう。そういえば三沢市内って、「唐揚げ」を店の看板に掲げる店がちょこちょこあるみたい。「からあげ人生」っていう有名店もあるようだけど、正直ちょっと気になった。…まぁ、脂っこいものばかり食っていたので、さすがに今回は食指が伸びなかったんだけど。

三沢市、何かいいね!

三沢市のこと、もっと知りたいと思ったし、次はプライベートで訪れようっと!
三沢市の皆さん、そして勉強会に参加された県内外の皆さん、本当にお疲れさまでした!

2014.10.19 佐野元春 2014秋ツアー 青森公演

【久しぶりにネタバレなしのライブ評をしようと思います。】

デビュー35周年を来年に控え、佐野元春の秋のツアーでの青森公演が発表されたのは、暑い夏を迎える直前のことだった。4年ぶりとなる青森公演。会場は、前回と同じく青森市のライブハウス「クォーター」。オールスタンディングで200人を越えると、結構ギュウギュウ詰めとなるハコだ。

前回同様、畏友ザワ氏とともに会場を訪れると、既に入り口の前には開演を待つ行列ができていた。
整理番号が振られているので、慌てる必要はない。歩道に伸びた列がB-151番以降。50番毎に区切られている。僕らの番号がB-5とB-6であることを考えると、かなりいいポジションを確保できるのではないかと期待が高まった。

元春

ちょうど17時から入場が始まった。Aから始まる方々は、ファンクラブの方々なのだろうか。Aの50番まで行かないうちに、Bの入場が始まった。
B-5,6ということで、あっという間に会場に入ることができたが、ステージ左側に背の高い方々が並んでいるのを見て、これは好都合とばかり中央からやや右寄りに陣取った。数えてみると前から4列目。手の届きそうなところにステージがある。
所狭しとばかりに機材が詰め込まれたステージ。あっという間に観客が会場を埋め尽くしているのが、賑やかな背後の声を聞いていてもわかる。
ステージ左側に目をやると、袖の辺りにギターがズラリと並べられていて、スタッフの方はチューニングに余念がない。徐々に高まる緊張感…。
ちなみに、今回事前に得ている情報は3つだけ。
一つは、今のバンド(ザ・コヨーテ・バンド)と制作した2枚のアルバムが中心になること、もう一つは、新曲を演奏すること。そしてもう一つは、来年アルバムを発表することをアナウンスすること。
あとは、事前のライブ情報収集などを一切行わず、先入観なくしてライブを楽しもうと決めていた。

17時30分。いよいよ開演時間となったが、まだ始まる気配はない。前回はアンコールを含めて1時間30分という非常に短い時間でも、充分満足することができたのだが、今回は果たして…。

17時35分、客電が消え、ステージがライトで照らされる。一気に観客のボルテージが上がり、いよいよライブの幕が切って下ろされた!そして、バンドのメンバーそして佐野元春が登場!
客層の平均年齢からすると、僕より上の年代が多いような感じだったし、実際薄毛の人や僕みたいな白髪の人もたくさんいた。お世辞にも黄色いとは言えないちょっと濁った黄色い声が、あちこちからステージに向けて発せられる。

1曲目はいきなり意外なナンバーからスタート!元春もメンバーも、かなりノリノリで演奏している。そして、ステージの上のメンバーも観客も、みんなニコニコしている!
何よりも、前回はあまり感じられなかったリラックスした雰囲気が、観客にもきっと伝わっていたことだろう。
2曲目はこれまた驚きの曲が!
観客は既に大合唱!(もちろん私もですが…。)

もう、いきなりアクセル全開フルスロットルの状態に、これはこの先一体どうなるんだ!!と、既に興奮のるつぼに突入!
で、このあとのセットリストも、秘密。

そのあとは、直近2枚のアルバム、つまりザ・コヨーテ・バンドとともに作り上げたアルバムの中からの楽曲が続いた。

あ、そうそう。私事ながら実はこの日、午前10時前から約22キロのランニングを敢行しまして、それも久しぶりに音楽を聴きながらランニングしていたんですけどね、もちろんずっと佐野元春の曲、それも、この2枚のアルバムの曲を中心に聴きながら走っていたわけですよ。

道中、岩木山を眺めながら、稲刈りの終わった田んぼを眺めながら、赤く色づいたりんごを眺めながら、雲の浮かぶ青空を眺めながら、ああ、これもライブで聴きたいなあ、これも聴きたいなあ…と思っていた曲、みんな演奏してくれたんですよ!

もう、これだけでも十分感動に値するわけで。
しかし、観客のレスポンスもさることながら、ホントにリラックスした雰囲気の中でのライブだったので、MCもとびきり楽しかった!
その中で語られたのが、来年迎えるデビュー35周年の話。そして、アルバム制作の話。さらに、また青森に来たい(そしてできれば青森市以外の街でもやりたい、という話!まぁ、描いているのは弘前のことじゃないんでしょうけど…)、という話。(でも、前回も同じようなことを話して結局4年待たされたので、これだけは期待していませんが。)
その流れで新曲(それも2曲)を演奏してくれた元春&ザ・コヨーテ・バンド。

正直、元春とはジェネレーションギャップがあってもおかしくないというか、かなり若いメンバーでバンドが構成されているんだけど、前回観た時はどこかぎこちないというか、元春という存在自体に萎縮恐縮しているという雰囲気もあったのに、今回はそういうことを微塵も感じなかった。
元春自身が「最高のバンド」というのも頷けるぐらい、すっかり安定したバンドに成長したなあ、と。

まあ、あの感動は、あの場にいた人でしか味わうことのできないものだということで、あまり色々書くのはやめておこう。

で、アンコールを含めて正味2時間弱、楽しかったステージも19時30分には終演を迎えてしまったワケ。
これは勝手な想像だけど、この日のうちに東京に戻らなきゃならん、ということで、きっと最終の飛行機の時間に合わせたのかな、とか思ったり。

でも、それでもいいんです。本人もメンバーも観客も、ホントに幸せそうな顔してた。終わった後もみんな本当にニコニコしてるの。ああ、こういうのを「至福の時」って言うんだろうな、って思ってしまった。

来年再び青森にやってくることは正直あまり期待していませんが、新しいアルバムは、かなり期待しても良さそうですな!
ホントに素晴らしいライブでした!

The Coyote Band
Vo. & G.:佐野元春 Dr.:小松シゲル G.:深沼元昭 G.:藤田顕 B.:高桑圭 Key.:渡辺シュンスケ

弘前・白神アップルマラソンで、ぺーサーに初挑戦!

2014年10月5日日曜日。僕が所属する弘前公園ランニングクラブにとっては、「弘前城リレーマラソン」と並ぶ一大イベント、「第12回弘前・白神アップルマラソン」が行われました。
9月21日に行われた「田沢湖マラソン」、フルマラソン挑戦3度目にしてようやくサブ3.5を達成し、中1週での弘前・白神アップルマラソンでは、いよいよ3時間10分台を目指すぞ!

…と行きたかったのですが、ちょっと脚に疲労が残っていたこともあり、(多分走ろうと思えば走れたとは思うのですが)無理せずに、サブ4を目指すランナーのためのお手伝いに回りました。

陸連公認などの大きな大会では、目標タイムをあらかじめサブ3、サブ3.5、サブ4等に設定した「ぺーサー」というランナーが存在し、ランナーの目印みたいな役割を果たしています。
弘前・白神アップルマラソンは、残念ながらこのようなぺーサーが存在しません。それを今回、弘前公園RCの有志でやろうじゃないか、という話になったわけです。

僕自身これまで3度しかフルマラソンは走ったことがありませんが、4時間を切る自信はあります。というか4時間を切るのは当たり前だと思っています。しかし一方で、その壁に阻まれ、なかなか4時間を切れずにもがき苦しむランナーがいることも知っています。
なので、非公認ではありますが、4時間切りを目指すランナーの後押しをしよう、と。
ただ、ホントにぺーサーが務まるかどうかは、正直自信がありませんでした。

ぺーサーの目印として、スーパーマリオの衣装を準備。妹にお願いをして袖と裾を切り落とし、ランナー仕様に改造。更に、上下つなぎのような衣装(背中にファスナーが付いていました)と帽子の一部には、はさみで切り込みを入れ、熱中症にならないよう対策を講じました。

あとは、マリオの大きな特徴でもある、ヒゲ。途中で剥がすのはやむを得ないとして、せめてスタートとゴールでは着用しようと、そのためにちょうどよい大きさに切った両面テープを4つほど、補給食とともにバッグに忍ばせました。(ホントは帽子の「M」の文字の横にフェルトの吹き出しで「ド」と書き込もうと思いましたが、これはやめました。)

ぺーサー4人による事前の打ち合わせでは、3時間45分ぐらいでゴールできるキロ5分20秒をキープしながら、30~35キロ過ぎまで走り続け、そこから残りは各ランナーの脚に委ねる、という作戦。

ところが大会前日の練習では、キロ5分20秒を保つことの難しさを痛感しました。
というのも、全員がサブ3.5で走るランナーであるため、キロ5分を切って走るのは当たり前、そこからキロ単位で30秒ほどペースを落として走ることが、逆に脚への負担となるのです。
しかし、やると言った以上は後には引けません。
当日、ぺーサーを務める4人のランナーが声を掛け合いながら、ペースを保つという方法に出ることにしました。

僕はマリオの姿に化ける一方、Tキャプテンは「ふなっしー」に化けました。しかも、被り物付きで。恐らく僕より暑かったんじゃないかな…。
8時20分には集合写真。昨年も圧巻でしたが、今年も凄い数が集まりました。市役所正面玄関は、我々にとって完全に「ひな壇」となっています。

出発前

8時50分頃、スタート地点に向かうと、好奇の目が注がれているのがわかります。でも、いいんです。ぺーサーだから目印にならないといけないのです。
スタート前

全く見ず知らずの人に写真を撮られ、「あ、ふなっしーだ!マリオだ!」と声を掛けられ、それにも丁寧に応えなければなりません。走る前から、色々大変です(笑)。
一方で、見ず知らずのシリアスランナーがやってきて、「今日のペースを教えて下さい!」と聞いてきます。
「あ、ええと、大体キロ5分20秒で行きたいと思っています。後半に時間と余力の貯金を作るためです。」と、ふざけた格好ながらマジメに答えるふなっしーとマリオ。

ふなっしーが、サブ4を目指すことを考えているであろうランナーに向けて、改めて今日の我々の走り方を簡単に説明。かなりの人数がその声に耳を傾けていたということは、これはエラいことになるのでは?

そしていよいよ9時、スタートの号砲が鳴り響きました。スタートしてすぐの下り坂が現れます。
しかしここで、ふなっしーや他の二人に遅れを取るという不覚。
徐々にペースを上げ、下り坂途中で追いつきます。この間も沿道からの声援がハンパなく、それにずっと手を挙げて応えていました。最初の1キロは、5分24秒。もしかしたら最初のペースが上がってしまうかな?と思いましたが、それほどではありませんでした。ちなみに僕は3キロ毎のラップを刻むように時計を設定し、3キロを16分で走る、という計算をしていました。
次が、実際に当日走ってみたペース表です。

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こうやってみると、当初の設定タイムであったキロ5分20秒から全体的に5秒程度遅れているのがわかります。それでも、サブ4には充分間に合うタイム。今思えば、設定ペースは最初から5分25秒でもよかったのかも知れません。(まあ、結果オーライということでご容赦を。)

スタート直後は団子状態だったランナーが、3キロ当たりから徐々にばらけ始めたのですが、ふと後ろを振り返ってみたら、ふなっしーとマリオ、そして2名のペースランナーにピタリとくっついた集団が!

「ヤバイな、この人数…。」

その予感が悪い方で的中したのが、4キロ過ぎの給水ポイント。相当大きな集団になっていたみたいで、給水所が大混雑したらしく…。

そこで、この集団から一定の距離を置くことに作戦を変更したランナーも結構いたようです。
我々はといえば極力後ろには目をくれず(振り返るだけで疲れるため)走っている間は、ずーっと時計(ペース)を気にしながら、お互いに給水ポイントが近いことを知らせたり、上り下りでは声を掛け合いながら、そして沿道のまばらな声援にも応えながら、和気藹々と走り続けました。
沿道からの声援は圧倒的に「ふなっしー」に軍配。
5キロ過ぎ

「あ、ふなっしー!ふなっしーガンバレー!……あ。マリオもいた。」

こんな感じでした。見かねたふなっしーが「マリオもいるよ」と言い出す始末(笑)。
まあ、そんなにやさぐれていたワケじゃないんですけどね。

8キロの給水ポイントを過ぎた辺りで、暑さを感じるようになりました。それも、かなり暑く、発汗量も相当です。
このまま走り続けたら熱中症になるかも知れないな、と思い、それまで被っていた一旦帽子を脱ぎました。
せめてもの救いは、時折心地よい風が吹き、復路は日差しが弱まったことでした。

恐らくこの時点でも50人以上のランナーが後ろにいたのでしょうか。まるで何かを牽引するかのように、走り続けます。
12キロの給水ポイントを過ぎると、しばらく上りが続きますので、敢えてペースを落とし、脚を持たせる作戦に出ます。
この頃には、1キロ毎のペースをペーサー4人それぞれが口にしながら、大体平均ペースで走り続けることを心がけ、そのことにも大分慣れてきました。また、走っているうちにペースが上がったか下がったかも、何となくではありますがわかるようになってきました。
ただ、どうも僕の時計だけが速いペースを表示するみたいなので、平均ペースを口にすることにしました。(ちなみに3キロ以降30キロまでは、1キロ平均5分23秒~24秒をずーっとキープ。)

左手に岩木川が流れ、右側には木々が林立しています。
ああ、こうやって走るのも気持ちいいね…。
この時初めて、自分がリラックスして走っていることに気づきました。これって何か、楽しいかも!

15キロを過ぎ、あと6キロほど走るといよいよ折り返しが待っています。
16キロ付近にまさか母がいるとは思わず、沿道から声援を送られたことが唯一の誤算でしたが、思わず笑ってしまいました。(ちなみにうちの母、僕が走る姿を見るのはこれが初めて。それより何より、皆さんの激走っぷりに感激したみたいです。)

程なく、既に折り返しを終えた先頭集団がやってきました。
「よし。ここからは、我々が元気をもらう番。」
そう呟くふなっしー。
やがてやってくる同じクラブのメンバーや、時々一緒に練習をしている面々が続々とやってきます。

「頑張れ!ナイスラン!」と鼓舞しながら、我々も元気をもらいます。(中にはすれ違いざまに「何じゃこりゃ!?」と目を丸くするランナーも。)
時に笑いながら、時に大きな声を出しながら。一人で走る時ではあり得ないこういう一つ一つの動作が、ずっと僕をリラックスさせてくれていたみたいです。

そしてやってきた西目屋村、20キロ過ぎの折り返し。
「オトン、今年もここまで来たよ!」
折り返すと同時に、後ろにどれぐらいの人が付いているか確認。中には遅れ始めた人もいましたが、まだ相当の数のランナーが走っていました。

復路は下り坂に入るため、意識しないとどんどんペースが上がっていきます。やがて、前を走るランナーが少しずつ我々に吸収され始めました。ぼちぼち自分との戦いが始まるところまでやってきたようです。

そういえば、また足裏が少し痛いかも…。
しかし、そこに意識を向けてしまうと、また走りが乱れてしまいます。なるべくそのことを考えないように、気がつくと30キロ付近までやってきました。給水ポイントで初めて立ち止まって給水とバナナを頂きます。
「あ!マリオだ!頑張ってください!」
ありがとうございます。

長居するわけにも行かず、程なくリスタート。
「このままだとちょっと速いかも。少しペース落としますか。」

そう言って、10秒ほどペースを落とすことを意識しました。この時点でぺーサーは3人。もう一人は、後方で他のランナーの援護に回っていたそうです。相変わらず背後には10名足らずのランナーがついています。

31キロ手前では、既にランを終えた仲間2人が、わざわざ自転車で応援に来てくれました。

「オッケー!いいペース!いいペース!サブ4大丈夫だ!」
ニコニコ笑いながらハイタッチ。

我々も前を走るランナーにも聞こえるように大声を出します。
「皆さんまだまだ行けますよ!サブ4、大丈夫ですよ!」
辛いのはみんな一緒。だからこそ一緒に頑張ろうよ!
知らぬ間に僕も、後方支援に回ることが板に付いてきたようです。

33キロの給水ポイント。ここでも足を止めて水とトマトを貪ります。ここにいるサポートの方々からも、「マリオ頑張って!」と声を掛けられます。

…おっと!トマトを貪っているうちに、ふなっしーともう一人のぺーサーに大幅に遅れを取ってしまった!
しかし、ここでも焦らず慌てず。ぺーサーはかなり余力を残していましたので、このまま走り続けたら、3時間45分前後でゴールするのが明白。よって、残り5キロで更にペースを落とすこともわかっていました。だから、急ぐ必要はないのです。

緩い上り坂で苦しむランナーの皆さんに声を掛けます。
「ここが踏ん張りどころです。大丈夫、ここを越えたらサブ4行けますよ!」

ひょっとしたらこの辺りを走っていたランナーには、サブ4ではなくもっと早いゴールを目指し、失速した方もいたかも知れません。ですから「サブ4楽勝」というのは、失礼に当たったかも知れません。

とはいえ他のランナーたちには僕たちみたいに「4:00」の文字もなく、一体どれぐらいのタイムを目指しているかはわかりません。なので、4時間は切れるよ!という形で鼓舞するしかありませんでした。

37キロの給水ポイント。ここでも足を止め、しっかりと補給します。
「あら!マリオじゃない!頑張って!」サポートの方々から声を掛けてもらいます。
「はいはい、ありがとうございます!ここで頂けるものは全部頂いていきますよ!」
「わははは!」
そんな和やかな雰囲気を作り出すのもぺーサーの役割だと考えていました。

ここから残り5キロは、後ろを走っていたランナーを先に送り出し、我々は完全にペースを落とします。
あとは、後ろから追い抜いて行くランナーにひたすら声援を送り続けます。追い抜かれても、いいんです。

「大丈夫です、その脚なら絶対にサブ4行けます!」
中には「ぺーサーありがとう!」といった声を掛けて下さるランナーもいて、ちょっと胸が熱くなりました。
岩木茜橋を越え、40キロ。ここで改めてヒゲを装着…したところに想定外の給水ポイントが!!

しまった!ヒゲを装着するタイミングを間違えた!

飲みずらそうに水を口にする姿を見て笑うサポートの方々。
更に、ヒゲが取れて爆笑。でも、これでいいんです。こうやって皆さんに笑顔になって頂くのが、今日の僕の使命ですから。

…とここで、だいぶ膀胱が張っていたことに気づきました。
「あ、すいません。ちょっとトイレ寄ってもいいですか?」
急遽右側にあるコンビニに立ち寄り、1分間の臨時休憩。
トイレを出たところで店員さんと鉢合わせしました。

ビックリした顔で「ま、マリオ!」
あ、ごめんなさい。お手洗いお借りしました。
「あ、どうぞどうぞ。頑張って下さいね。」
笑顔で送り出して下さって店員さん。ありがとうございました。
しかしそれでもまだ時間が余っています。

…と、後方を走っていたぺーサーHさんが、同じTシャツを着たOさんの援護に回り、コンビニ前を通過していきました。あとで聞いた話では、他の方からも「付いていったらサブ4行けますか?」と聞かれ、「行けます!」と答えたそう。もちろんその方もサブ4を達成したようです。

あとは僕たちの思い出づくりとばかりに、ランナーを鼓舞する一方で、最後の坂を上りきるまで、沿道の観客を喜ばせるような走りを続けます。

1005ラスト坂
(最後の坂を上るヒゲダンストレイン。皆さんすいません。)

遂に残り500メートル付近で、前方に「弘前公園RC」の幟が見えてきました。もちろん、我々の姿を見つけたようで、大声援が送られます。

ふざけた300m
…が、しかし、ここでちょっとおふざけが過ぎました。
「やべっ!間に合わないかも!」

ここから300メートルを、とてもフルマラソンを走ってきた人とは思えない勢いで猛ダッシュ!
事前にスタートの4時間後、13時ちょうどにゴール地点に戻ることを宣言していたため、ホントに13時に戻って来た我々を見て驚嘆の声を上げた方々も多かったようです。声援に応えながらも、実は必死でした。

そして、遂にゴール!

タイムは…4時間00分03秒!何と3秒遅れてゴールしてしまった!
当初は3時間59分55秒~59秒でのゴールを目指していただけに、最後のこの差は誤算でした。
完走証

…すいませんでした。わずか3秒とはいえ、4時間以内でゴールできなかったということは、ぺーサー失格ですね。
ゴール後は、自分の走力でフルマラソンを走りきるのとはまた違う疲労感が、ドッと襲ってきました。と同時に、我々のぺーサーが本当に役立ったのかな?という不安も。
でも、やりきった達成感もハンパなく押し寄せてきて、何か清々しい気分になっていました。

ということで、無事にサブ4ランナーとしてのお役目を終え、あとは新聞社の取材を受け、非日常みたいな一日をともにしたマリオの衣装を脱いだのでした。

終了後
(衣装を脱ぐ直前。目が死んでます。あ、ちなみにこの顎髭も綺麗に剃りました。)

しかし、ぺーサーって難しい!本当に難しい!…というのが正直な感想。
ランナーといっても人それぞれ走り方のタイプが違うわけで、マラソンコースだって平坦ではありません。一人一人の声に耳を傾けていてはぺーサーとしての役割は務まらないし、機械じゃないので一定ペースを保つのだって無理。そもそも自分のペースじゃないんだから。
…と考えるとぺーサーなんて、一人では絶対にできないと思いました。今回は、言わば4人の協働作業の賜物。

公約通り1キロを5分20秒ちょっとで走り続け、28キロまでほぼそのペースを保ち、そして28キロ以降5分30秒までペースを落とし、最後は余裕を持ってゴールして頂くという、当初のプラン通りのレース展開。
ただ、残り5キロの37キロ地点で、4時間切りまで40分も貯金ができてしまったのは、ちょっと計算外でしたが。
我々がゴールし終えたあとも、「目標達成できました!ありがとうございました!」と複数の方から声を掛けて頂いたのは、本当に嬉しかったです。

我々としては一人でも多くの方々にサブ4を達成して頂きたかったのですが、一方では、残念ながら今回、サブ4を達成できなかった方々がいたのも事実です。

我々の取組みが来年どのような形で実を結ぶか、あるいはどういう形で他のランナーの支援をできるかはまだわかりませんが、これからも、たくさんのランナーの方々と喜びを分かち合いたいと思いました。

沿道から声援を送って下さった皆さん、スタッフの皆さん、私たちを信じてついてきて下さったランナーの皆さん、本当にありがとうございました。
また、弘前公園RCをはじめ、仲間のランナーの皆さんにも、心から感謝申し上げます。

終わりになりますが、もう一度言わせてください。

「凄く楽しい42.42キロでした!お遊びが過ぎて、200メートル以上余計に走ってしまいました!4時間から余った3秒は、これで勘弁してください!」