最近ランニングのネタばかりですいません。
釣りにも行きたいんですが、週末は専ら走ることに没頭しているので、もうしばらくご辛抱ください。
—
僕にとって初めてのフルマラソン挑戦、10月6日のアップルマラソンまで約3週間。
既にご存じの方もおられるが、どうも先日の32キロが災いしたらしく、背中というか腰に抱えていた爆弾が小さく爆発を起こした。
水曜日は歩くのも辛いぐらいだったのが、木曜日には大分緩和され(慢性的なものなので、温湿布を貼ったのが幸いしたらしい)、金曜日にはほぼ直立歩行ができる状態(爆)まで回復したので、現在は7割方の回復、といったところだろうか。
明後日15日には秋田県田沢湖での20キロマラソンにエントリーしており、フルマラソンの前にレース感覚を磨く最後の大会と位置づけているので、天候がパッとしないようだけれど、何とか出られないものかと考えている(というか、もう出るって腹は決まっているんですが)。
さて、アップルマラソンにエントリーするのはこれが5度目。これまで10キロを3度、ハーフを1度走って、今回がフル初挑戦。
実は、前回ハーフを走り終えた後に一つ思い出したことがあって、いつかフルにも挑戦してみたいという気持ちを、その時から朧気ながら抱くようになった。
その思いを抱かせたのは、昨年、ハーフマラソンを走り終えた後、5年前に亡くなった父のことを思い出してからだった。
…
父は以前、弘前市の体育協会の評議員を務めていたこともあり、毎年アップルマラソンの手伝いにも借り出されていた。
僕がまだ走ることに興味を持っていなかった頃の話だ。
アップルマラソン当日の朝。支給された衣服に着替える父。
「今日はどっち方面?」
「ん?…今日、目屋だジャ。折り返しの辺りで、監視ダド。終わった後、アブさん〈当時西目屋村、ちょうど折り返し地点のすぐ近くに在住していた父の友人)のところサ寄ってくるジャ…。」
フルマラソンの折り返しとなる西目屋村は、父の生まれ故郷。小学校4年か5年の頃、ボーイスカウトの夜間歩行訓練で、弘前市某所から西目屋村にある目屋ダムまでの約25キロを、夜な夜な7時間ほど掛けて歩いたことがあるが、そんな機会が二度も訪れるわけがなく、後にも先にも西目屋村まで自分の足で訪れたことはその1回だけだった。
その夜、役目を終えた父は、アブさんのところでたらふく飲んだのか、すっかり酔っ払って帰宅。
そんな父が、ポツリと呟いた。
「ヨグアッタラダドゴマデ、ハッケデクルヤナ。(訳:よくあんなところまで走ってこれるよな。)」
「んだな…。」
気のない返事をしたことぐらいしか記憶がないのだが、その父がこの世を去って以来、もう一度この足で再び西目屋村を訪れてみたい、そんなことを思うようになった。
そして今回、意を決してというか満を持してというか、いよいよその西目屋村を目指すことになる。
既に練習で一度だけ西目屋村まで走っているけれど、本番で走ると、その思いとはきっと全然違うんだろうな、と思う。
当たり前のことだけれど、折り返し地点に父の姿を見かけることはもうない。そして2年前に亡くなったアブさんの姿も、もうない。でも、西目屋村まで自分の足でハッケデやって来たバカ息子の姿を、父はアブさんと二人でビールを飲みながら、どこかからニヤニヤしながら見てくれているはずだ。
そしてきっと、目があった瞬間、どこか照れくさそうに「おう。」と声を掛けてくれるはずだ。
父はセリヌンティウス僕はメロス。
だから僕は走らなければならないし、意地でも走ってやろうという気が日に日に高まりつつある。
今回、僕がフルマラソンにエントリーするに当たって、たくさんの仲間が背中を押してくれた。でも、昨年ハーフマラソンを完走し、父のことをふと思い出した時点で、実はもう僕の意思は固まっていたのかも知れない。父への弔い。そして、アブさんへの弔い。二人に対する思い。
だから僕は、アップルマラソンの大会エントリーが始まったその日の朝、何の迷いもなくフルマラソンへのエントリーを終えた。
—
未だ見ぬ35キロの壁。そしてその向こうに何があるのか。42.195キロの先に、何が待ち構えているのか。
いよいよ3週間後にその答が明らかになることを思うと、今から武者震いが止まらない。
…いや、正直ビビって震えているだけですが。