Monthly Archives: 11月 2015

もうすぐ太陽と海とジョガーの祭典「NAHAマラソン」、ですね。

みんな、ジョンガッてるか~い?
こんにちは。12月からマジョンガーZを標榜すべくいろんなところを鍛錬することにしたマカナエです。まだ酒が抜けてないかもです。

昨年の今頃、僕は「NAHAマラソン」でどういった走りをするかで悩んでいました。悩んで悩んで「狙う。」と決めたまではよかったのですが、スタート直前に焦って靴紐をきつく結び過ぎるというチョンボをやらかし、25キロぐらいからは右足裏の痛みも発症して急激に失速、30キロ以降はダメダメになりました。いや、それもこれも全ては自分の脳から発せられる「もう、いい加減休んで沖縄楽しもうぜ!」というウソの信号にやられたんだけどさ!

昨年は青森県内が大荒れの天気で飛行機が飛べずに参加できない人が続出、青森県から参加できた人は5人もいたんですかね?
残念ながら今年はエントリーしていませんが、昨年の経験から感じたこと、思ったことを幾つか挙げたいと思います。今年は参加される仲間が結構いたような気がしたので、参考になれば幸いです。

(1)そもそも前日の受付の行列がハンパない!
前日受付会場に向かうと、長蛇の列に思わず閉口してしまいました。中に入るとそんなに混雑していないのですが、一旦靴を脱がなきゃ受付会場の中に入れないということで、並び始めてから30分ぐらいかかったのかな。流石、東京マラソン開催前まで日本最大級の大会だっただけあります。ここからスケールが違います。外ではエキスポ、というわけではないにせよ、あれやこれや色んなものが販売されていたり、チラシが配られたり、大会ムードをどんどんかき立てられます。

(2)雰囲気
この大会、沖縄県民挙げてのマラソン大会といっていいと思います。それぐらい盛り上がりが凄いですし、参加人数も相当数に及びます。
あちらこちらから会場に向かうランナーを見ているだけでもテンションが上がります。何となくお祭りムードといった感じですね。

昨年までは陸連登録の特権発動で前方からのスタートがありましたが、今年からその特権が確か規定の改正により撤廃されているはず。(事実、陸連公認レースでの優先スタートはなくなってきています。前列のスタートラインに立てるのは招待選手だけ。陸連登録しても登録していないランナーと一緒のスタートとなります。田沢湖然り、さいたま然り。)
なので、場合によってはとんでもない場所からスタートとなり、スタート直後の国道58号から国際通りへ向かう際の右折で、ランナーの大渋滞に巻き込まれる可能性があります。

しかもこの大会、完走率がかなり低いのです(ちなみに昨年は74.4%)。前日の地元FMを聞いていてわかったことなのですが、最初から完走する気のない人の多いこと多いこと。
「今年はひめゆりの塔まで走るのが目標です。」とか「平和祈念公園まで走って家族と待ち合わせます。」とか、大体半分ぐらいの距離でやめちゃう人が多いのです。裏を返すと、ファンラン気分で大会に参加している人が非常に多いということ。NAHAマラソンそのものに「ハーフマラソン」のコースが設定されていないからなのでしょうかね。なので、渋滞から抜け出せなくなると、その後は自分のペースで走れなくなる可能性があります。

(3)コースの特徴
前半は上り基調(細かなアップダウンが続きます)、20キロ過ぎから急に下り基調、30キロから平坦なワンウェイのコース。高低差は約100メートル。簡単に言うとこんな感じ。沿道は、ほぼ途切れることなく声援が続き、私設エイドの数もハンパなく、それを見ているだけでも楽しめます。公式のエイドがどこかわからないぐらいですから。
12月上旬とはいえ、そこは沖縄。きっと暖かいことだろう…と舐めてかかったら、昨年はとても寒かったのです。でも、さすがに昼頃になると結構暑くなってきて、それがまた堪えたという…。今年の天候がどうなるのかはわかりませんが、気温の変化に柔軟に対応できるぐらいの心構えが必要ではないかと思います。
ちなみに、12月の沖縄は北からの風が結構吹いてきます。場合によっては30キロ以降、向かい風との闘い、なんてこともあり得ます。…もっとも僕の場合、完全に撃沈だったんだけど。(というか、練習が足りなすぎました。はい。)

(4)ガチランよりファンランがお勧め
そんなわけで、記録更新のガチランを目指すのには少々きついコースかも知れません。かといって昨年の僕みたいに何とも中途半端な結果に終わるのももったいない。(もっとも、記録更新は狙っていたつもりだったのですが。)
エントリーする予定が今のところないとはいうものの、せっかく沖縄の冬を堪能するのであれば、僕は敢えて後者を選ぶことにすると思うなあ。どうせなら4時間半ぐらいかけて景色を堪能したり(といっても海はほとんど見えません)、見たことのない私設エイド(沖縄そばの振る舞いや、最南端の吉野家の牛丼とか、ドラゴンフルーツに下手をすればオリオンビールまで飲むことができます!)を楽しみたいな、とか思ったり。

(5)でも、私設エイドもさまざまなので…
昨年うっかりやってしまったのが、オバチャンが皿に山盛りにしていた塩をひとつまみして舐めたこと。これ、後半だと胃がやられるので要注意です。沖縄そばがあるのは中間地点付近ですが(昨年は見逃した)、これも胃の負担になる可能性がありますし、牛丼(といっても紙コップにちょっとだけ入っています)も同様。
それから、子どもたちがハイタッチを求めてくるのですが、ものすごい勢いでハイタッチをしてくる子どもがいるので(特に学校前に並んでいる子どもたち)、要注意です。

(6)走り終えた後のお楽しみ
奥武山陸上競技場にゴールした後、隣のエリアでは色んな飲食物が露店形式で販売されています。中には、ゼッケンを見せると無料提供なんてサービスもあったりして。私、清涼飲料水で喉を潤した後、速攻でオリオンビール飲みました(笑)。スタート前、小さなジップロックに数枚のお札を忍ばせることをお勧めします。

(7)でもどうせなら1000番以内を目指してください。
30000人が参加するマンモス大会、1000番に入るのは至難の業かも知れません。がしかし、1000番以内でゴールすると、翌日の地元紙「沖縄タイムス」に氏名と県名とタイムが掲載されます。
ちなみに昨年は、埼玉の公務員ランナー川内優輝選手が1位でした。しかも、沖縄県の方が持っていたそれまでの大会記録を10分も更新しやがった。
実は私、その大会で942位でゴールしたので、新聞に名前が掲載されていることに気づき、翌日那覇空港で新聞を購入しました。で、血眼になって青森県のランナーの名前を探したのですが、ない…ということはですよ、多分、多分なんですけど、昨年のNAHAマラソンでは青森県1位だったということに。青森県の公務員ランナーもそれなりに頑張りました(爆笑)。
というか、47都道府県から参加しているかどうかはわかりませんが、942位でやっと青森県の名前が掲載されるなんて、嗚呼、ホントすいません。

とにかく!このコースは30キロからの平坦が勝負というか、力の出しどころです。30キロまでは色々意識しないで、30キロ以降の12.195キロを走りきると割り切った方がいいです。それぐらい30キロまでは思った以上にタフなコースなので、心してかかってください。
…ということでNAHAマラソンに参加する皆さん、どうぞ楽しんできてください!
僕はしばらく行けそうにないかなあ…。

昨年の走りっぷりを綴った記事はこちら↓
https://nonvey.com/?p=1116

2015年シーズンオフに突入です。

この時期になると、全国各地でマラソン大会が開催されるようになり、いよいよシーズン本番に突入です。

しかし私、2015年は先日のさいたま国際マラソンを最後に脚休め。夏と冬が逆転している日本とオーストラリアの関係よろしく冬の訪れとともにシーズンオフに突入です。

この1年間をざっと振り返ってみると、2015年はいきなり怪我でのシーズンインとなり、昨年ハーフのPBを出した初戦の花巻ハーフMで撃沈。次レースの八戸うみねこMは不幸事があり急遽DNS…と、何か戦意喪失しそうなスタートを切りました。しかし、5月下旬に開催された五所川原走れメロスMでは、距離が足りないと言われながらもハーフのPBを更新。よーしこれで勢いに乗るぞ、と思った弘前城リレーMは仕事と重なり参加できず、しかもこの直後に東京へ出張した際、アキレス腱に違和感を覚え、診察の結果アキレス腱周囲炎の疑い、痛みをごまかすために初めて前日に注射を打って臨んだ6月末の平川たけのこMではコースのPB更新と、波に乗っているのか乗り切れていないのかよくわからないまま夏を迎えました。
7月第1週のAOMORI、今度は私用と重なりDNS、右脚をかばっていたことによりその後左脚にも同様の症状を発症、これまでストレッチを怠ってきたことを心の底から悔いながら、8月上旬に参加賞のメロン2玉をもらいに行く、という理由だけで秋田県男鹿市の日本海メロンMに参加。暑さとの戦いということで北海道Mに向けた練習と位置付け、ペースを上げることなくキロ5分のペースで走りきり、100分台でのゴールと相成りました。

そして今季初のフルマラソンとなった8月末の北海道M、昨年のリベンジとばかりに虎視眈々とサブ3.5を狙うも、向かい風と暑さで敢えなく撃沈…。続く9月中旬の田沢湖Mは、昨年初めてサブ3.5を達成した相性のいいコースということで意気揚々と臨みましたが、結局蒸し暑さにやられこちらも完全に撃沈。いずれも前半のハイペースが仇となっており、オレは毎回何をやっているんだろうと憤り、心の糸が切れかけましたが、その後ラン仲間からの叱咤激励により立ち直り、10月のアップルMでは4時間30分のペースセッターのお役目をしっかりとやり遂げ、よし!次は行けるぞ!と翌週の十和田駒街道Mに行く予定が再び諸般の事情でDNS。

10月の岩木山チャレンジヒルクライムMで標高差約800mの岩木山スカイラインを「練習、練習」と独り言い聞かせながらゆっくりと上りきり、迎えた今季最終レースとなるさいたま国際Mでようやく昨年の自分越えを達成…と、ランの内容もメンタルもめまぐるしく変わった2015年でした。

…と、せっかく2015年を総括したので、幾つか気づいた点を。なお、あくまで私個人での今後の修正ですので、皆さんに当てはまるものではないということだけは申し添えておきたいと思います。

(1)大会前の練習量は徐々に落とす。
田沢湖MとさいたまMの際、全く逆の練習を取り入れました。結局のところマラソンの練習は、何度も言うように一朝一夕で何とかなるものではないということ。そして、大会直前の過度な追い込みは、僕の場合全く役に立たないということ。むしろジタバタすることなく当日を迎えられるよう、心穏やかに過ごすのがいいみたいです、僕にとっては。

(2)あわてないあせらないあきらめない。
昨年の後半あたりから出場した色んなフルマラソンで、前半勢いよく飛び出し、そのままのペースで20キロぐらいまで走った後、後半大失速というお約束の展開が続いていました。
「人馬一体」という言葉があります。さいたまを走っているときは、まさにこんな感じでした。つまり、同じ自分の身体でありながら、脳と肉体が別物みたいな感じ。慌てるな、急ぐな、と脳で肉体に言い聞かせ、30キロを越えてもなお、焦るな、焦るなと口走り、スパートをかけた37.5キロ過ぎでは、絶対に諦めないと強く言い聞かせ…。
勢いや体力に任せるのではなく、久しぶりに「頭を使う」マラソンをしっかりやりきった感じ。自分に合ったレース展開を考えるとすれば、これが一番しっくり来るのかな、と走り終えた後に思ったのでした。

(3)過去の失敗レースの分析と検証
今まで過去の大会結果を真剣に分析・検証したことはなかったのですが、さすがに同じ失敗を繰り返しすぎだろう、ということで、これまでのレース結果を分析した結果、こう走るべきなのではないだろうか、という一つの仮説を立てることにしました。そしてそれを実証したのがさいたま国際M。さいたまは、仮説の検証のため自分自身を実験台にして走ってみた、そんな感じです。だから無理に頑張る必要がなかったのです。…うん、これもうまく嵌まったから雄弁に語れるんだけどね。

(4)練習の質をちょっとだけ変える。
夏までは、どうも漫然と走っていた感がありました。距離走も時間走もペースアップ走もみんな一緒。つまり、メリハリが全くといっていいほどなかったのです。インターバルとかスピード走とか、正直言って苦手ですし嫌いです。でも、そこを避けたらきっと成長はないよなあ、と思い、秋口からそういう練習もほんの少しですが取り入れるようにしました。正直、少しでも練習しておいてよかったと今は思っています。多分、ただ漫然と練習していただけならば、きっと今年は本当に不本意な一年のまま終わったことでしょう。
まあ、終わりよければいくらでも語れるワケですよ。

(5)集中力を切らさない。
前半でペースを上げすぎているレースは大概、後半(30キロ前後)で集中力がプツンと切れています。音が聞こえるぐらい、プツンと切れます。あちこちが痛いと脳が信号を発し始めてフォームが崩れた時が要注意。暑さのせい、風のせい、昨晩食べたもののせい、よく眠れなかったせい…色んな言い訳を考え始めたら最後。そして、自分に対する甘やかしの芽が一斉に発芽、生長します。そうならないためには、とにかく集中力を切らさないこと。これはもうホント、雑念を払うしかないんだよね。

(6)でも、自分のルーティンは忘れない。
大会当日の朝からスタート、そしてゴールするまで、僕自身の中で色んなルーティンがあります。それは、初めてフルマラソンを走ったときから今まで一度も変えていない、絶対的なルーティンです。自宅だろうが遠方だろうが絶対に変えずに、これだけはやり続けて行こうと思います。何かは言えませんが。

(7)サブ3.5を当たり前にするために。
初マラソンの3時間34分台から始まり、(二度のペースセッターを除けば)大体3時間30分~40分台でコンスタントにまとめてきたこれまでのレース。次の目標に進むために、まずはサブ3.5をしっかりと自分のものにすること。そうすれば、自ずと次の目標達成も視野に入ってくることでしょう。
こうなったら、40歳の頃に負けず劣らずの45歳を目指したいと思います。

…ということで皆さま、私しばらく冬眠します。起こさないでくださいね。

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あ、そうそう。自撮りの特訓だけは怠らずにしっかりこなしていこうと思います。

佐橋佳幸の仕事 1983‐2015 Time Passes On

久しぶりに音楽ネタを。
80年代から90年代にかけての邦楽は、めまぐるしく変遷を辿った時期だったと思う。
Niagara、アルファ、フォーライフ、Epic、Fitzbeat、Moonなどといった大手レコード会社傘下のレーベルの台頭、アイドルからアーティスト指向への変化、女性ボーカルバンドの出現、自主制作盤(インディーズレーベル)の躍進、外国資本系レコードショップの進出、レコードからCD、CDからMDへと変化し続けた音楽媒体、イカ天、ビーイング、ビジュアル系といった相次ぐムーヴメントにバンドブーム、渋谷系ミュージックや和製ラップブームの到来、洋楽カバーからセルフカバー、70年代以降のアーティストの再評価など、枚挙に暇がない。

とにかくあの頃(ちょうど僕が中学生から大学生にかけての頃だ)は、耳に入る音楽は何でもかんでも聴いてみよう、といった勢いで、ちょっとでも気になる音楽が現れようものならば、すぐに市中心部にあったレコード屋やレンタルショップに走ったものだった。

…やがて、なけなしの小遣いを貯めて、ライブやコンサートにも足を運ぶようになった。

初めて自分のお金で足を運んだコンサート(弘前市民会館で行われた小比類巻かほるのライブ)から30年近く。これまで国内外さまざまなアーティストを観てきたが、国内アーティストのライブ、コンサートを観てきた中で、ダントツの数でバイプレーヤーを務めていたのが佐橋佳幸。そういう意味では、僕がライブ、コンサートで一番多く観てきたミュージシャンこそが佐橋佳幸だと言っても決して誇張した表現ではない。
高校の時に初めて観た渡辺美里を皮切りに、鈴木雅之、佐野元春、山下達郎など、彼がステージ上でギターを奏でる姿を何度見たことか。12年前に開催されたエピック・ソニーの25周年のライブ(LIVE EPIC 25)、今思い返しても凄いメンバーが出演したステージだったけれど、大阪城ホールで観たあの時のバンマスも彼が務めていた。
佐橋佳幸の名前を初めて目にしたのは渡辺美里のアルバム。その後シングル・ヒットとなった「センチメンタル・カンガルー」の作曲を手掛け、それ以降頻繁に彼の名前を目にすることとなった。

彼と初めて遭遇したのは青森で観た渡辺美里のコンサート。確かその時にも彼はバンマスを務めていたが、二人が高校の先輩後輩だという情報は織込み済みで、下世話な言い方をするならば、僕はこの二人はきっと「デキている」のだろうと信じて疑わなかった。
こう言っては失礼だが、決して大きくない背格好でありながら、ステージ上では圧倒的な存在感。何度も息を飲むような演奏を目の当たりにし、その都度「おお…佐橋すげえ!」と心の中で感嘆していたものだった。
そして今回、そんな佐橋佳幸の30年にも及ぶキャリアを総括した作品が発表された。

その名も、佐橋佳幸の仕事(1983-2015) 〜Time Passes On〜
「演奏、作編曲、プロデュース、ボーカルにコーラス…佐橋佳幸のお仕事あれこれ、音楽生活32年ぶんをみっちり詰め込んだ前代未聞のコンピレーション。」と、触れ込みが凄い。

先日さいたまを訪れた際に、たまたま浦和パルコ内にあるタワーレコードでこの作品を見つけたのだが、あまりにも凄すぎる収録曲に驚愕し、さらに3枚組45曲というそのボリュームにも驚愕し、これは絶対に購入しよう!と即決したのだった…ちなみにその場で購入しなかったのは、少しでも帰りの荷物を減らしておきたいという思惑があったから。その割には他の余計なもの…いやいや、優先順位からどうしても必要だったものは何の迷いもなく購入してしまったのだけど。
何せこの作品、店頭ではタワーレコードのみ、通販もタワーレコードとソニーミュージックショップでしか販売されていない代物。しかし、複数のレコード会社、レーベルの垣根を越えた作品てあり、更には山下達郎と大瀧詠一の未発表曲が収録されているという、これだけでも充分マストアイテムなのだ。
50ページ以上にも及ぶライナーノーツ。ここでその内容を明らかにすることはできないが、それぞれの楽曲解説に綴られた「裏話」が、非常に興味深い。これを読むだけでも、日本の音楽業界、とりわけその当時売れに売れまくっていた楽曲にどれだけこのサハシのエッセンスが吹き込まれていたのかがわかる。というか、このライナーノーツだけでもホント凄いんですわ。

さすがに知らない楽曲も幾つかあるけれど、きっと我々同世代にしてみれば、まさに青春の多感な時代に、実はどれだけ佐橋ミュージックのお世話になっていたかを垣間見ることのできる作品集。
一ギタリストと言ってしまえばそれまでだが、収録されているミュージシャンの顔ぶれを見ただけでも、彼がいかにこの業界で必要とされ、そしてそれに応えていたか、ほんの一部であるが彼の音楽ヒストリーを辿ることができる。
さまざまな楽曲の中で奏でられる彼のギターの音を聴きながら、この作品を単なるコンピレーションアルバムという括りで片付けるのはあまりにももったいなさ過ぎる。

クインシー・ジョーンズやジャム&ルイス、ベイビーフェイス(LA &フェイス)など、敏腕プロデューサは海外にたくさんいるし、国内にも古賀政男を筆頭に阿久悠や松本隆といった素晴らしい作詞家作曲家がたくさんいるけれど、僕が知る限りでは、バイプレーヤーでここまで称賛されるのは、村上”ポンタ”秀一かこの佐橋佳幸ぐらいじゃないだろうか、と思った次第。

百聞は一見にしかず、ではなく百見は一聞にしかず。
同年代の邦楽好きの皆さん、これはマストバイですぞ!

sahashi

2015年11月13日発売
品番:MHC7-30038
価格:¥4,630+税

CD3枚組 三方背ボックス入りデジパック仕様 Blu-spec CD2
タワーレコード、Sony Music Shop限定販売

【収録曲:DISC-1】
1. UGUISS / Sweet Revenge (1983)
2. NOBUYUKI, PONTA UNIT / Digi Voo (1985)
3. 藤井康一 / LITTLE BIT LOUDER (1986)
4. EPO / 12月の雨 (1987)
5. 岡村靖幸 / 不良少女 (1988)
6. 大江千里 / ROLLING BOYS IN TOWN (1988)
7. 渡辺美里 / センチメンタル カンガルー (1988)
8. 宮原学 / WITHOUT YOU (1988)
9. Peter Gallway / BOSTON IS BURNING (1989)
10. 鈴木祥子 / ステイション ワゴン (1989)
11. 佐橋佳幸 / 僕にはわからない (1989)
12. 杉真理 / Wonderful Life〜君がいたから〜 (1990)
13. 桐島かれん / TRAVELING GIRL (1990)
14. 矢野顕子 / 湖のふもとでねこと暮らしている (1991)
15. 小田和正 / ラブ・ストーリーは突然に (1991)

【収録曲:DISC-2】
1. 槇原敬之 / もう恋なんてしない (1992)
2. ROTTEN HATS / ALWAYS (1992)
3. 藤井フミヤ / TRUE LOVE (1993)
4. 佐橋佳幸 / Zócalo (1994)
5. 佐橋佳幸 / Time Passes On (1994)
6. 鈴木雅之 / 夢のまた夢 (1994)
7. 氷室京介 / 魂を抱いてくれ (1995)
8. GEISHA GIRLS / 少年 (1995)
9. 福山雅治 / HELLO (1995)
10. 山下久美子 / TOKYO FANTASIA (1996)
11. 佐野元春 and The Hobo King Band / 風の手のひらの上 (1997)
12. 川本真琴 / 1/2 (1997)
13. 坂本龍一 featuring Sister M / The Other Side Of Love (1997)
14. 山下達郎 / 氷のマニキュア (2015REMIX) (1998)
15. SOY / 約束 (1998)
16. 山弦 / SONG FOR JAMES (1998)

【収録曲:DISC-3】
1. 大貫妙子&山弦 / あなたを思うと (2001)
2. 竹内まりや / 毎日がスペシャル (2001)
3. Fayray / I’ll save you (2001)
4. 小坂忠 / 夢を聞かせて (2001)
5. MAMALAID RAG / 目抜き通り (2002)
6. Emi with 森亀橋 / Rembrandt Sky (2005)
7. 松たか子 / 未来になる (2005)
8. スキマスイッチ / ボクノート (2006)
9. GLAY / MILESTONE〜胸いっぱいの憂鬱〜 (2012)
10. 真木よう子 / 幸先坂 (新緑篇) (2013)
11. Darjeeling / 21st. Century Flapper (2014)
12. 渡辺美里 / オーディナリー・ライフ (2015)
13. 佐橋佳幸 / ジヌよさらば メインテーマ (2015)
<ボーナストラック>
14. 大滝詠一 / 陽気に行こうぜ〜恋にしびれて (2015村松2世登場!version) (1997)

第1回さいたま国際マラソンに出場してきました。

ランナーあるある。自分の術中にはまった大会は雄弁に語り、失敗に終わった大会はとっとと忘れようとする。ということで、本日も長文駄文にお付き合いください。

記念すべき第1回さいたま国際マラソン。初心に戻ってランニング勘を取り戻す。皆さんへの感謝の気持ちを忘れずに、最後までしっかりと自分のペースで走りきる。今回立てた、目標の柱2本。今年最後の大会ということで、大会前日に並々ならぬ決意で大宮に乗り込んだ。受付会場のさいたまスーパーアリーナを訪れると、ビックリするぐらい閑散とした雰囲気。たぶん、今までで一番ストレスを感じない受付だった。さいたまスーパーアリーナを訪れるのはこれが3度目。でも、まさかマラソン大会に出場するために来るとは思わなかった。

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そして大会当日。前日から降り続いている雨は、まだ止む気配がなかった。いつものごとく朝から切り餅を食べ続ける。この日は、8個。そしてバナナ1本。OS-1はゼリーで1パック。あとは、アミノバリューを500ml。
8時過ぎに、クラブのメンバーと待ち合わせたアリーナ内へと向かう。中央のアリーナを取り囲むスタンドには、見るからに速そうなランナーの皆さんがずらりと席を陣取っている。
申込みの時の目標タイムを3時間35分としてしまったため、最後方のDブロックからのスタート。
3時間29分としていれば、Cブロックだったらしい。まあでも、一つ学習したのでこれはこれでいい経験になった、とポジティヴに捉える。

9時過ぎにアリーナの外に出ると、まだ小雨が降っている。スタート地点はハッキリ言って狭い。9時10分に日本代表チャレンジャーの部がスタートしており、30分後に一般の部(サブ4)のスタートとなる。僕も20分前にはDブロックに整列したが、かなり後方の方だということはすぐに理解できた。と同時に、周りの人達の走力がサブ4ギリギリなのだということを、会話から悟った。この混雑から、早く抜け出さなければならない。一瞬そう思ったが、下手にペースを乱すことはしない方がいいと、気持ちを落ち着かせた。
スピーカーの向こうでは、さいたま市長と埼玉県知事が、県庁所在地でのフルマラソン、それも国際マラソンの開催ということで、嬉々とした声で今日の喜びを伝えている。しかし第1回大会、何が起こるかわからないぞ…。
スタート時間が近づくにつれてブロックが少しずつ前方へと進んでいく。スタート5分前の時点で、雨はほぼ上がっていた。雨除けと寒さしのぎに被っていたビニール袋をおもむろに破り、ボランティアの方に手渡す。気分はすっかり戦闘モードだ。
9時40分、いよいよスタートの号砲が響いた。遥か遠くに見えるスタートのゲート、Aブロックのランナーから順次スタートラインを越えていく。
僕がスタートラインを踏んだのは、号砲が鳴ってから3分30秒後。この「ハンディキャップ」で、逆に気持ちが落ち着いた。迷いはない、あとはひたすら走ってここに戻ってくるだけなのだ。
設定した目標タイムは3時間25分だが、3時間30分前後でゴールできたら御の字かな、と開き直った。あとで聞いたら、CブロックとDブロックのタイムラグは1分半程度だったそうだ。

ここ最近のレース展開を分析した結果、前半で勢いに乗りすぎて、というか周囲に流されて自分のペース配分を誤り、後半に大失速ということが続いていたので、前半はひたすら我慢、というか飛ばさずに自分の楽なペースで走ることを心掛けた。
もう一つは、あと何キロとかは考えず、5キロを過ぎたら次の5キロ、といった感じで、「引き算」ではなく「足し算」のレースをしていこうと意識していた。結果、4分45秒前後でずーっと押していくこととなった。そしてこの日は、脚ではなく頭を使うマラソンに徹しようと決めていた。
ということでここからは、5キロごとの戦況をお伝えします。

【スタート~5キロ】
スタート直後は予想通りの混雑。ぶつかって追い抜いていく人も多い。一瞬イラッとするが、ここでの苛立ちは禁物。
徐々にランナーがばらけ始めた3キロ過ぎで、CブロックからスタートしたO先生に声を掛けられる。
こんなに早く追いつくのは想定外だった。ひょっとしてペースが速すぎるか?と慌てて時計をみる。スタート直後の渋滞から早く抜け出そうと、ちょっとペースが上がっていたらしい。ここでの拙速は後半の失速に繋がる。少しペースを落としながら、周囲の状況を見渡す。焦る必要はない。30キロ以降に備え、序盤はゆっくり自分のペースで走ればいいのだ。
しばらくは細かなアップダウンが続く難コースとのこと、確かに緩い上り下りの連続だ。しかし、さほど気にはならなかった。NAHAマラソンの前半のコースにも似た感じ(でも、あちらは上りがメイン)。上りきった頂点で力を抜くのではなく、下りに差し掛かってちょっとしてから力を抜くことを心掛ける。前日O先生とお話をする中で得たセオリーのようなもの。頂点を見ると苦しくなるので、足下を見過ぎない程度に目線を落とす。

5キロを通過。28分34秒。時間がかかりすぎかな?と思ったけれど、3分半の「ハンディキャップ」を思い出す。走り出しにしてはまずまずだろう。

【5キロ~10キロ】
最初の給水ポイントに差し掛かると、コップの数が圧倒的に足りていない。後半はそれなりに解消されたものの、これは改善の余地があるな、などと勝手に大会を評価。7キロ付近で、このコース最大のアップダウンとなる新浦和橋に差し掛かる。周囲の人はここで呼吸を荒くしているが、僕は自信をもってこのアップダウンに臨んでいる。そりゃそうだ、岩木山スカイラインの標高差800メートルを上ったのは、この日の練習と位置付けていたのだから。10キロ手前で左折、最初の折り返しに向かう。この時点で既に先頭集団が折り返しから戻り、15キロ地点を目指すのが見えた。まあ、今日は自分の走りができればいいので…。

10キロ通過。52分33秒。なーに、まだまだ序盤。焦る必要はない。

【10キロ~15キロ】
10キロ過ぎの給水でパワーバー梅を投入。このコースは途中12キロ、21キロ、26キロ手前と3度の折り返しがある。12キロと21キロの折り返しでは、先行するNさんと、12キロを過ぎた辺りではSさんと声を掛け合う。ふと気がつくと、12キロの折り返しを過ぎた時点で、周囲はCとBのゼッケンナンバーを背負った人が増えていた。ちなみに、陸連登録をしているランナーだけ背中にもゼッケンをつけているので、自分が大体どの位置を走っているのかという一つの目安になる。
なーに、レースはこれからなのだ。焦らない焦らない。
12キロの折り返しの直後、右脚裏に違和感を覚えるも、程なく痛みの要因が元の位置にストンと入った感じがして、思わず「あ、入った。」と口走る。
13キロ辺りで、小さな女の子が「諦めないで-!」と叫んでいたのを耳にして、ハッと目が覚める。そうだよ、諦めたら終わりなんだ。その後ゴールまで、その女の子の声援がずーっと脳内で繰り返されていた。15キロ通過。1時間16分21秒。

【15キロ~20キロ】
アミノバリュー粉末を投入。15キロを過ぎた直後、背後から突然声を掛けられる。
「弘前からいらしたんですか!」
「はい。今日、弘前から同じクラブのメンバーが3名出ていますよ。」
「うちの親父が弘前出身なんですよ!」と嬉しそうに話しかけてくる男性。
「うちら、弘前市内で練習していますから、もし弘前にお見えになる機会があったら是非遊びにいらしてください。」
「ありがとうございます。」
ちょっとだけ並走したところで再びその方と離れ、有料道路へとコースは進んでいく。途中の料金所も、もちろんスルー。(大会参加費に「通行料金」は含まれているんですかね?)

16キロを過ぎた辺りで、先方から日本代表チャレンジャーの部のトップ選手がやってくるのが見える。周囲のランナーは大声で声援を送っていたが、僕は3人のランナーとすれ違った後に声援を送るのをやめた。ただ単に体力を温存したいと思っただけの話。

細かなアップダウンはなおも続き(とはいうものの、そんなに気にならなかった)、浦和美園駅前を左折。舗装が少し柔らかくなった感じがわかった。この辺りで、だいぶ声援がまばらになり始める。20キロ通過。1時間40分14秒。まずまず、想定の範囲内といっていいだろう。

【20キロ~25キロ】
メダリストエナジージェルを投入。埼玉スタジアムの見える中間地点を、1時間45分で通過。後半の落ち込みを考慮すると、この時点でサブ3.5は厳しいね、ってきっとみんな思っているんだろうな。
不思議なぐらい焦りも気負いもなく、力みも全くと言っていいほどない。呼吸の乱れもほとんどなかったし、何よりも、淡々と自分のペースを刻んでしっかり走り切れていることが実に気持ち良かった。

23キロから、周囲に何もない道路が3キロ近く続く。人影はまばらで声援も少ないが、先方から折り返したランナーがやってくるので、退屈ではない。25キロ通過。2時間04分12秒。

【25キロ~30キロ】
25キロ過ぎでMUSAHI Niを投入。最後の折り返しを過ぎるとほぼ同時に、雲の切れ間から見え始めていた青空が一気に広がり、多少陽射しが出るようになった。が、暑さはあまり感じられず、むしろ心地よい感じ。ここでスッパイマン(乾燥梅)を二つ口に頬張りながら気を紛らわす。今日は、何もかも自分の味方につけるのだ。しかし、この辺りでまたしても足裏の痛みを感じ始めるが、ここで折れたらハイ終わり、と強く言い聞かせ、痛みのことを忘れる。

29キロ過ぎ、左手前方にいちごオ・レの旗が見えてきた。Iさんだ。大きく手を振ると、Iさんも気づいたらしく、カメラを向けてくれる。

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(Iさん撮影。既に泣きそうになっている。)

ありがとうございます!と言って通り過ぎた後に、なぜだかグッと胸にこみ上げるものがあった。

20キロから続いた平坦な区間が終わり、再びアップダウンが現れる。いよいよここからが本番といっても過言ではない。30キロ手前の上り坂、ちょっと辛さを覚えたけれど、多少ペースが落ちるのはやむを得ない。いや、上りがあれば下りもあるコースなのだから、とにかくしっかりと刻んでいこう。30キロ通過。2時間28分13秒。

【30キロ~35キロ】
ふと、この辺りから左脚のふくらはぎがピクピクと疼き始める。痙攣の前兆のようだ。
汗はそれなりに掻いていたが、ここまで水分補給は完璧だし、塩分も不足していないはず。大丈夫大丈夫、と言い聞かせる。この日に限っては、30キロを過ぎても、いわゆる「壁」が現れる気配がなかった。逆算はしたくないがあと12キロしかないんだ。このまま押していこう、と言い聞かせる。

32キロ手前で、先行していたNさんに追いつく。いつもであればこの辺りから失速するというパターンに陥るのがお約束だったが、この日に限っては失速する気がしなかった。むしろ、有料道路を抜ける下り坂で、少し加速した感じ。相変わらず左脚のふくらはぎはピクピクしていたものの、ここまで来たら最後まで押し通せるという根拠のない自信があった。

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(先行していたNさんがなぜか撮影。)

35キロ通過は2時間51分50秒。

【35キロ~40キロ】
Meitan黒を投入。これで補給食はすべて使い切った。35キロを過ぎた時点でさっと逆算をして、このまま持ち堪えられれば、サブ3.5は達成できるはずだと確信に近いものを得る。しかし油断は禁物。ここからが勝負どころだ。

ちなみに自分の時計に視線を送ったのは12キロ過ぎぐらいまでで、その後はほとんど目にしなかった。5キロ毎の通過ポイントに電光掲示板が設置されているが、そこで逆算をすると欲が出てペースが乱れるので、パッと視線を送っておしまい。あとは何も考えない。走れば何とかなる、とにかく最後まで走りきろう。そればかり考えていた。

多少ペースが上がったことで、呼吸が少し乱れているのがわかる。腕の振りが弱くなっていないか、腰が下がっていないか、まずはフォームを整える。その上で、深呼吸をして呼吸を整える。
37キロを過ぎて右折、旧中山道へと進む。いつになくしっかりとした足取りで、淡々と進んでいく。
ちなみに37キロを過ぎてから41キロ過ぎまで、景色の記憶が全くといっていいほどない。
最後方のブロックからのスタート、ここまで一体何人を抜いたことだろう。そして今もなお、AやBのゼッケンを背負った人を抜き続けている。逆に30キロ以降で僕を抜いていったのは、5人ぐらいしかいなかったんじゃないだろうか。
まさに、Dからの逆襲ですよ。下克上ですよ。超気持ちいい!ですよ。

【40キロ~ゴール】
40キロを通過。タイムは確認していない。ようやくここで距離のカウントダウンをスタート。と同時に、ペースを更に上げる。残り2,000メートルぐらい、1,600メートルぐらい…。しかしなお、時計には全く視線を送っていない。というかここまで来たら、最後まで押し切るしかないでしょうが!あとでチェックしたら、40キロから41キロまでを4分33秒で駆け抜けていたらしい。結局この区間が最速のペースとなった。
41キロを過ぎて、最後の上り下りとなるJRのガードをくぐる。さあ、残り1,000メートルだ。余力を出し切ろう。
500メートル以上の長い直線が続き、信号を左折したところで、ようやくフィニッシュのゲートが見えた。最後の力を出し切らんばかりにスピードを更に上げたつもりだったが、実際はほぼ限界に近い状態だったようだ。
電光掲示板が見えてきた。3時間25分台を指している。思わず、よしっ!と小さく声を発する。
そしてついにフィニッシュ!タイムは3時間25分57秒。ようやく昨年の自己ベストを更新。記録上はたった3分の短縮だけれど、スタートラインを踏んだ時間を考えると、多分5分は縮めることができたんじゃないだろうか。

【ゴール後】
コースに向けて深々と頭を下げた途端、達成感に包まれ、ボロボロと涙がこぼれてきた。何となく不本意だった今年、最後の最後でやっと昨年の自分を越えられた、という思いが胸に去来した。
疲れていないといえばウソになるが、とてつもなく頑張った、という感じでもなかった。むしろ最後まで力まず、心折れることなくしっかり走り切れたことが本当に嬉しかった。もっとも、今日に限っては心が折れる気がしなかった。こうやって走ればいいんだよ、というお手本を自らに示したような気分だった。難コースだというのであれば、そこでPBを更新できたというのも非常に大きい。裏を返せば、これってまだ伸びる余地があるってことですよね?

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(走りきった感たっぷりです。)

久しぶりのネガティヴスプリットも気持ち良かった。目標タイムには1分足りなかったけれど、そんなことはどうでも良かった。何より、自分で想定したとおりの展開、綺麗にラップを刻んで最後まで走ることができたことに、とてつもない充実感が溢れていた。多分、これまでの中で一番納得のいく走りができたような気がする。そう、この快感を得たかったのだ。だからマラソンはやめられない。

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(後半の方がラップが速くなっています。)

最後に、今回の大会の中で幾つか気になった点を備忘録的に。
・スタート時の混雑は致し方ないとは言え、ブロックは目標タイムではなく、持ち時間で振り分けすべきでは。
・完走率の向上。これは参加する側の意識もあるのだろうけれど。
・でも、制限時間と参加人数は、できれば変えて欲しくない。こういうシビアなレースがあってもいいと思う。
・給水の改善を。結構コップが足りていない給水所があった。
・旧中山道の歩行者横断、もう少し手前からお知らせしてくれませんか。
・スタート前、ゴール後の対応は素晴らしかったと思う。

結論からすると、自分で納得のいく、満足のいく走りができた大会は、「いい大会」と位置付けられる。だからこの大会、とてもいい大会です。これ、ランナーあるあるですから。舞い上がっちゃって、どうもすいません。

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(普段の練習でもこんなに綺麗に走ることないですわ。)