月別アーカイブ: 2016年7月

ねえGarmin、こっち向いて

2011年からかれこれ5年間にわたりお世話になってきた Nike+ SportsWatch GPS。発売当初、そのクールなデザインに一目惚れし、3万円の大金を叩いて購入。このアイテムを身につけて走ることの爽快感というか優越感というか、何ともいえぬ心地よさに心酔しまくっていたのですが、1台目、2台目と相次いで雨にやられ、敢えなく不燃ゴミへと消えました。
中でも一番酷かったのが1台目で、明日大会があるんだよ、という前日に成仏するというとんでもない事態が発生し、翌日の大会を時計なしで走り、結果散々な目に遭った、ということがありました。(ちなみにその時の大会は平川市の「たけのこマラソン(ハーフ)」でした。)
1台目が故障したその日のうちにすぐ2台目を注文(2万5千円を切るところまで値段が下がっていましたが、評価もどんどん下がっていました…)したのですが、その理由は二つ。一つは、使い慣れているから。そしてもう一つは、Nike+でログを取り続けたいから。

しかし、ランニングの女神はまたしても試練を与えます。
懲りずに購入した2台目も、梅雨時期に行った30kmLSDの際に、湿った空気と雨にやられ、あっという間に文字盤の内側が曇りはじめ、ドライヤーで乾かすなどの必死の抵抗をしましたが、程なく成仏。ふざけんじゃねーよ。

こう言えば販売元に怒られるかも知れませんが、時計の裏側を見ると、恐ろしいほど造りが粗雑で、防水機能なんてほとんどなし。レビューにもあるように雨だけじゃなくちょっとの汗であっという間にやられるな、ということを確信したのもこの時でした。

しかし何を思ったのか、よせばいいのにうっかり3台目を購入し、現在に至るわけですが、この3台目については購入から1年以上が経過しても全然大丈夫…。
水や汗に注意しながら、しっかりケアすればいいだけの話なんだよねー…と高笑いしていたのですが、ここ最近、肝心の距離が不正確に計測されるという事態が生じ始めています。
水や汗じゃなくても、冷や汗が出ますって、これ。
距離が不正確なので、1キロ毎のラップも適当。「ええっ!そんなはずないのに!」といった表示をする頻度もどんどん増えてきました。

これまでの間、他社では次から次へと性能の向上したGPS搭載の時計を発表しているのに、Nike+のこの時計だけはまるでモデルチェンジすることもなく、ここ最近では何だか「化石」を身に付けて走っているような気分に苛まれ始めていました。
…嗚呼、初めてこの時計を身に付けた時のあの高揚感は、どこに行ってしまったのでしょう。

大体にして、腕につけると重い、データの取り込みはUSB必須、水に弱い…。よって、2年持った例がない…って、いいところが一つもないみたいじゃないですか!

正直こうなると、何がいいのかよくわからないし、走っていてもテンションが上がらないわけですよ。だって、正しい距離は示されないわラップは適当でウソつくわで、全然練習にならないんですから。

いや、この際だからハッキリ言わせて頂きましょう。
Nike+ SportsWatch GPSは、もはや時代遅れの代物です。…というか、このアイテムにはTomTomが絡んでいるんですが、NikeにはもはやGPS時計に本腰を入れるつもりなんてないんでしょうね、きっと。

それを裏付けるというわけではありませんが、ここ最近は、Nike+Runningじゃなくともランニングのログを記録できる色んなポータルサイトが出現しています。それでもNike+にこだわるとすれば、これまで走り続けた結果、6,126.12キロまで達したブラックレベルの証だけでしょうか…といってもこれ、意図せず反映されなかったデータ、意図して反映させなかったデータがあるため、ホントはもう少し走っているんですけどね。

ただ、このNike+のWebサイトも更新される度に使い勝手がどんどん悪くなっているような気がするのは僕だけでしょうか。というか、スマートフォンのアプリだけ力入れてればいいって感じですかね?その割には、ちゃんと走行データが反映されないしさあ、何なのホントに?

数年前までは何人か見受けられたNike+ SportsWatch GPSユーザーも、僕の周りで所持している方はほとんど見かけなくなり、逆にすこぶる評判の高いGarminユーザーがどんどん増えていきました。まあ、Garminの悪い点を挙げるとするならば、モデルチェンジの頻度が早いことですかねえ。

1年以上前からNike+とGarminとの連携ができるようになり、皆さんそちらからNike+にデータを移行しているのだそうで。いや、それだって僕、知っていたんですよ。
知っていたんですけどね、まだちゃんと動くNike+ SportsWatch GPSがあったから、ほら…。
しかし、さすがにGPSの機能がアホになってしまうと、Nike+ SportsWatch GPSにこだわるのがアホらしくなり、やっと決別する腹を決めました。だって、GPS機能を搭載した時計なのにGPSが機能しないなんて、寿司にシャリがないようなもんじゃないですか。そして。

まかなえ は あたらしいぶきをてにいれた。

昨日やって来た新しい相棒は、「Garmin ForeAthlete 230J」。

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ちょうど1か月後に迫った北海道マラソンを皮切りに、レースでデビューする予定です。あ、その前に練習で使いますけどね。
しかし装着してみると軽いですなあ…。スマートフォンのバッテリーはそれなりに食うことにはなりますが、Bluetoothで連携することができるし、ライフログも取れるし、メールや電話、更にはメッセージの着信まで教えてくれるし、色んな機能があるのですね。

Nike+ SportsWatch GPSも、普段使いできるといえばできますけれど、汎用性の高さではGarminの圧勝ですね。

しかし、Garminの時計の設定の時点で躓いているぐらいなので(夜に外に出て、時計を夜空にかざすとは思わなかったっす)、これから先うまく使いこなすことができるのかが思いやられますが、早く使いこなせるように、使う場面をたくさん作りたいと思いまーす。

10回目のフルマラソンに向けて

【今日の投稿は、今年フルマラソンに初めて挑戦することを決意したKさん、そしてフルマラソンを走ってみたいけれど悩んでいる皆さんに捧げます。】

2016年夏。いよいよ北海道マラソンの開催まで33日となりました。今年のフルマラソン初戦です。

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この大会は今回が第30回の記念大会となるそうですが、僕にとってもフルマラソン10レース目という節目の大会になります。だからといって何が何でも必死で頑張る!というわけではなく、脚の具合や体調を見ながら、まずは3時間30分台で完走することを目的としたいと思います。

僕は今から3年前の2013年、42歳の時にフルマラソンに初挑戦しました。それまでは、フルマラソンなんていうのは僕とは無縁の別世界で生きる人達がやるものだ、と思っていました。小学校時代は常に運動会の徒競走でビリ、体育の成績は万年「3」でしたが、本当であれば「2」でも全く不思議ではありませんでした。とにかく運動の類は一切苦手、走るなんてもってのほか。ハッキリ言って大嫌いでした。

30歳になる時に一度、「30歳という節目の記念に」と、小中学校からの友達数名と一緒に10キロマラソンに出場したことがあります。今の「弘前・白神アップルマラソン」の前身で、「NEWあっぷるマラソン」という大会。弘前市運動公園が舞台でした。あの時は47分弱でゴールしましたが、9キロで脚が止まり、ヘロヘロになりながらゴール、直後に両脚が攣って歩けなくなるなど、辛い思いばかりすることとなり、ちっとも楽しいと思えませんでしたし、二度と走るものか!と思っていました。
そんな僕が何でフルマラソンを走るまでに至ったのかという経緯は、今回は省略しますが、こんな運動大嫌いだった僕でも走れるぐらいなのですから、皆さんもちょっと努力すればきっと完走できると思います。(そして多分、小中学生の頃の僕を知っている人であれば、僕がフルマラソンを走るということは、恐らくツチノコが発見されるぐらいの衝撃、受け入れがたい事実として捉えられることでしょう。)

ただし、どれどれ、ちょっと走ってみるか…という軽い気持ちでフルマラソンを制限時間内に完走するのは、よほどの地力や体力の持ち主か、用意周到に準備をしていなければ無理だと思います。そのためには当然綿密な計画が必要になるわけですが、実際のところ何をどうやって準備をすればいいのか、となると、僕自身も答えに窮するところがあります。

ちなみに僕の場合、フルマラソンを初完走するちょうど1年前に、初めてハーフマラソンに挑戦しました。そして、ハーフマラソンに挑戦する以前は、10キロマラソンに4度ほど挑戦していました。フル挑戦までの4年間、時系列に出場レースを並べると、こんな感じです。徐々にレースの距離を伸ばしているのが、一目瞭然かと。

【2010】10キロ、10キロ 【2011】10キロ 【2012】ハーフ 【2013】ハーフ、ハーフ、ハーフ、20km、フル

別にフルマラソンを走るために短い距離から始めたというわけではありません。ただ、30歳の時とは違った思いを抱きながら、ランニングという趣味を受け入れることができるようになった背景があった、といえばいいのでしょうか。2015年以降は、春先からハーフマラソンの大会に幾つか出て、夏場から秋にかけてフルマラソンの大会に出る、といった感じです。マラソンの季節は秋からだと言われていますが、基本的に秋冬は大会に出ないことの方が多いです。冬は雪が多いという場所柄、みっちりと練習を積むのが難しくなってくるから、という言い訳がましい理由からです。

不思議なことに、一度フルマラソンで完走できたことが自信となり、今は仕事の進行管理と懐具合を見ながら、各地の大会にエントリーするようになりました。北は北海道、南は沖縄、出場してみたい大会は幾つかありますが、大体年間で3~4レースといったところでしょうか。
でも、ケガや病気などでレースそのものに出場することができなかったこともあり、更にその回数は年を追う毎に増えているような気がしています。ちょっと悔しいです。

さて、今でこそフルマラソンを完走することは自分にとっては「当たり前」のようになっていますが、最初にフルマラソンに挑戦することを決断するまでには、相当な葛藤がありました。僕が「弘前公園ランニングクラブ」の練習に初めて参加したのは2012年の8月第1週、あの頃はまだ10名も練習に参加しておらず、練習後の撮影も通りすがりの人にお願いするといった状況でした。

201208firstrun

初めて練習に参加したその時に一緒に走った方々から、単独で練習していた時(といってもちょっとその辺をジョギングしていた程度ですが…)には絶対に気づくことのなかった、目から鱗が落ちるようなアドバイスをいろいろ頂き、「大丈夫だよ!ハーフマラソンに出ればいいじゃん!」と背中を押されました。もう10キロはいいかなあ、と思っていたところ、弘前・白神アップルマラソンのエントリー期限が間近に迫っていたこともあり、衝動的にエントリーしてしまった、というのが実のところ。しかし、結果としてこれがフルマラソン挑戦への布石となったのです。
それまでは、毎回出場していた10キロマラソンの大会で30秒~1分ずつタイムを縮めていましたが、ではいきなり2倍以上のハーフマラソンを完走できるのか?といわれると、正直自信はありませんでした。

それでも、一緒に大会に参加した仲間の声援を受けて無事に完走、その日の夜の懇談会で「来年はフルだな!」とまたしても背中を押されたのです。
10キロからハーフマラソンならまだしも、ハーフを2回も走ることになるフルマラソン?10キロの4倍以上?絶対に無理!と、その時は即答を避けましたが、徐々に包囲網は固められ、翌年のフルマラソン出場へと繋がっていきました。

これまでの大会の記録(Running Results)

そういう布石があってフルマラソンには「満を持して」挑戦することとなりましたが、出場するからには絶対に歩くことなく、ちゃんと走ろうと心に決め、かなり用意周到に下準備をしていたことは、今だから明かしましょう。

42歳の、初経験(第11回弘前・白神アップルマラソン)

初めてのフルマラソンで完走するためのアドバイスは、僕よりマラソンのことを熟知されている方々が既にたくさんされていますので、ここでは僕自身がフルマラソンに臨む際に毎回心掛けている幾つかのことを記しておきたいと思います。

【コースの特徴を熟知する】
大会の公式HPやパンフレットには、どこをスタートして、どういった道を辿り、ゴールするか、そしてその高低差はどうなのか、といったことが記載されています。一番良いのは実際にそのコースを走ってみることですが、遠方だとなかなか叶いません。特に初めて出場する大会の前には事前にそれを熟読し、地図やコースの特徴等を頭に叩き込むようにしています。

【週間天気と天気図をこまめにチェックする】
マラソン大会に出場するに当たり一喜一憂するのが、当日の気象状況です。暑過ぎず寒過ぎず、走りやすい気象状況になるのが一番良いこととはいえ、天気で気持ちが左右されるのは、本意ではありません。晴れなのか曇りなのか、それとも雨なのか、気温はどうだ、いろいろあると思いますが、僕は大会5日前から週間天気をこまめにチェックするとともに、大会3日ぐらい前からは、日本気象協会の天気図をチェックして、当日の気圧配置がどうなのかを把握するようにしています。気圧配置や等圧線の間隔などで、概ねの天気のほか、風向きや強さを把握しておくためです。そして、前述の【コースの特徴】と複合的に判断し、どういった格好で大会に臨めばいいかを思案するようにしています。まあ、外れることの方が圧倒的に多いんですけどね。

【飲む食べるは自己責任で】
とある大会に出場する前日の夜、盛り上がって缶ビール350缶を3本も空けてしまいました。翌日の結果は推して知るべし。ちょっとフルマラソンを完走できるようになったからと、調子に乗った結果だと猛省しました。
走るということは、筋肉だけではなく内臓にも相当負担がかかっていることは周知の通り。県外の大会に出向くと、つい気持ちが大きくなり、地元のグルメや特産品など食指が動きがち。走る前はもちろん、走った後の飲む食べるは、あくまで自己責任で。ちなみにフルマラソン当日の朝における僕のルーティンは、切り餅を7個食べることです。

【経験者の話をたくさん見聞きする】
今はマラソンに関する書籍(特に新書)が多数発刊されているほか、大会に関する記事がブログなどでたくさん紹介されています。全てを読みあさるのは現実的に難しいことですし、それが参考になるかどうかは、個人個人によって違うと思います。
しかし、絶対これは参考になる!というバイブルのような書籍や記事を一つ持っておくことは、きっと励みになるはずだと僕は信じています。

フルマラソンを完走するために参考にしたもの

【レースの結果は必ず分析】
走り終えて完走証を頂いておしまい、ではなく、その日のレース展開がどうだったのか、後日必ず分析するようにしています。
5キロ毎のラップがどうだったのか、後半どのタイミングで、どれぐらいペースが落ちたのか、補給はどうしたのか、給水所で口にしたのは何か、といったことを細かく分析して、次のレースに繋げるようにしています。
もちろん全ての大会において同じ条件で走るわけではありませんので、内容は異なりますが、積み重ねによってウィークポイントも見えてくるものです。
特に今は、毎シーズン新しい補給用の食品やドリンクが出現していますから、レースで試してみるのも一つの方法かも知れません。ちなみに今回の北海道マラソンでは、それをやってみるつもりです。


僕自身、次の大会でフルマラソン出場10回目となる、とはいいながらも、百戦錬磨のランナーからしてみれば、僕は駆け出しのひよっこみたいなものです。

フルマラソンへの挑戦を躊躇している皆さん、僕もそうでしたが、やる前から無理だ、と決めつけるぐらいなら、一度やってみて納得した方がスッキリすると思いませんか?

走っている時はひとりぼっちかも知れませんが、きっと周りには同じゴールを目指して頑張る仲間、同志がいるはずです。大丈夫、フルマラソンに挑戦する貴方の背中を、ゴールまで後押してくれる人はたくさんいますから!
思い切って一歩を踏み出してみると、世界観が変わりますよ。

さあて、今年はどんなドラマが待っているのかなあ。
・・・あ、10回目の記念というわけではありませんが、注文してしまいました!(予定通り、ではないですから。)garmin_order

「みちのく津軽ジャーニーラン」は、猛者の集まりだった。

青森県内で開催されるフルマラソンの大会は、「弘前・白神アップルマラソン」のみです。日本陸連の公認を受けていない大会であるため、本県のフルマラソン完走者割合は、全国のそれと比較すると平均をかなり下回っているらしいです。県内でももう一つぐらいフルマラソンの大会があってもいいのにね、そんなことを思っている中、海の日の三連休にとんでもない大会が開催されました。

「第1回みちのく津軽ジャーニーラン200キロ」

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はい。その名の通り、弘前駅前を出発し、同じく弘前市高崎にある「さくら野百貨店弘前店」まで、普通に行けば3キロもないこの間を、何と自分の脚だけで津軽地方の10市町村を通過し、200キロを踏破するというものです。

弘前公園RCでもこの大会をサポートすることとなり、私もその一人として手を挙げ、スタート地点から第1チェックポイントとなる岩木山の百沢スキー場までの約16キロをガイドランナーとして走ってきました。

16日には参加者全員参加必須のミーティングが開催され、注意点などが説明されたとのこと。翌17日早朝4時半、集合場所となっている弘前駅前公園広場に向かうと、全国各地から集まった変人…いや猛者がいるわいるわ。
聞いたところでは200名を越える方々がエントリーしているとのことで、もはやそばに近寄るのも恐ろしいぐらいのオーラが漲った方々で、広場は溢れかえっていました。

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DSC_0739(猛者を取り囲んで出陣式を行っているような光景です。)

我々RCのサポートメンバーには、弘前駅前公園広場から弘前市土手町~弘前公園内を駆け抜け、岩木川に架かる岩木橋までの約5キロをガイドランナーとして走るという役割の他、チェックポイントでの給水、補給食の提供などの役割が与えられており、それぞれの使命を担ってこの大会に臨んでいました。この他にも、私設エイドの設置を自発的に行ったメンバーもいました。もちろん、数名の仲間は実際にエントリーもしていたわけで。
さてさて、RCからはこの日の朝、ガイドランナーとして約10名が集まりました。
選手の皆さんには、前日のミーティングで交通法規は絶対遵守(信号無視は御法度)、1キロ6キロペースで走る、そして、岩木橋までの5キロまでは先頭を走るガイドランナーを抜いた時点で失格、という注意が伝えられていたそうです。
で、誰が先頭を引っ張る(抑える)かということになったのですが、結局アップルマラソンでペースランナーを務めたこともあるキャプテンと僕が先頭を走ることとなりました。

DSC_0741(大会に出場するラン仲間と、サポートメンバーと。双方ともに気合いが漲っています。)

スタート直前(スタート直前の集合写真。すっかり調子に乗っています。)

午前5時、いよいよスタート。

スタート後

すぐにキロ6分のペースを掴みましたが、何せ市街地で信号が多い区間であったため、赤信号のたびにどんどん選手の皆さんはばらけていきました。まあ、よく考えてみるとこれから200キロ走るうちのたった1キロしか進んでいないので、そんなのはお構いなしなんですけどね。
弘前公園内に入る時点では、我々の後ろには既に10名ほどしかいませんでした。
「どちらからいらしたんですか?」「鹿児島から来ました。」「か、鹿児島!!!」
こちらがビックリするような、本当の猛者ばかり集まっていたんですね。
園内の説明をしながら、公園内を駆け抜けます。
この日はスタート直前から弱雨が降り始め、走っている間は結局ずーっと雨でした。
なので、岩木山も見えずじまい。まあでも、結果的に陽射しがない分、選手の皆さんにとって走りやすい環境ではあったようです。
本来であれば岩木橋で我々の任務は終了の予定でしたが、僕は当初から百沢スキー場まで走ると決めていましたので、キロ6分を保ったまま、走り続けました。この間「私のガイドランナーの役割は終わりましたので、先行されても構わないんですよ。」と声を掛けても、結局誰一人として前に出るランナーはいませんでした。結果的にはそのまま、第1チェックポイントまでランナーの皆さんを引っ張っていくこととなりました。

田園風景が徐々に広がり始める岩木地区。スタートから約7キロ、丸一石油商会で最初の私設エイドが登場、ランニング仲間3名が給水を行っていました。実はこの直前でウルッと来るようなやり取りがあったんですが、まあ、それは僕の心に秘めておきます。ここでキャプテンと別れ、この先は僕一人がランナーの先導を行うこととなります。

四季菜館前(先頭集団を牽引中。)

やがてジワリジワリと上りの区間に差し掛かり、それまで会話の弾んでいたランナーの皆さんも口数がどんどん減っていきます。しかし、皆さんの会話を聞いていると、とても僕には真似できるような芸当ではありません。日本国内の大会では飽き足らず、世界各地の100キロ(以上を踏破する)マラソン大会に出場している話だとか、間もなく国内で開催されている100キロ以上のマラソン大会の(50レースではなく)50大会に出場することとなる話だとか、聞いていても完全に別次元。
ふと、ランナーの方から話しかけられました。
「ところでこの辺だとあれですか、秋田内陸とかいわて銀河とか…(いずれも100キロマラソン大会の名称)。」
「そうですね、あとはサロマに行かれる方だとか…。」
「どちらかの大会には行かれるのですか?」
「いやいやいやいや!私はとてもとても…。」
…と、走りながら思わず苦笑い。
聞き耳を立てていると、140キロがどうしたとか200キロの大会は他ではどうだとか、もはや会話の内容が完全に別次元の話。一言で200キロ言いますけどね、弘前市からだと東北道を利用して岩手県の北上市まで行ってもまだ足りないわけですよ。皆さん、その距離を御自身の脚で走られるわけですよ。やっぱり変態だ…。

さてさて、そんなことを思いながらも最初の難関とも言うべき県道弘前岳鰺ヶ沢線宮地バイパスの上り坂を終え、いよいよ岩木山神社まで約1キロ。僕は先が見えてきましたが、皆さんはまだ全体の10パーセントにも達していないワケでして、そう考えるとやっぱり200キロを走るって尋常ではない…というか、自動車の運転でも200キロなんて面倒くさいですよね。
岩木山神社にたどり着き、参道を上ると、そこから約1キロはトレイルコース。一気に標高差100メートルを駆け上がります。この間もずっと雨が降り続いていましたが、視界が開け、最後きつめの坂を上りきったところで、いよいよチェックポイントとなる百沢スキー場が見えてきます。ヤマザクラがキレイに咲き誇る桜林を抜けて、ようやくチェックポイント到着。信号待ちを除くと、ここまでで1時間40分弱でしたので、キロ6分は少し越えてしまいましたが、概ね想定のペースは守ったことに…。(ただしあとでラップを見たら、ムラが酷かった。すいませんでした。)

DSC_0745(この桜林を上りきると、第一チェックポイントがあります。)

まあ、5キロ過ぎた時点でキロ6分の設定は解除となっているので、速かろうが遅かろうがもはやどうでもいいのでしょうけれど。(ちなみに5キロ通過は30分44秒。ちょっと遅かった。)

僕の後ろを最後まで走ってこられた2人の方とガッチリと握手を交わし、道中の安全を祈りながらお見送り。
そしてその後も続々とやってくる全ての選手(しかも最後の二人はラン仲間のKくんとHさんだった!)を見送り、8時頃に下山開始。結局家に帰宅したのは9時過ぎのことでした。
これで御役御免…のハズだったのですが。

18日、雨は上がり何とか天気は持ちこたえそうな感じ。ふと、昨日見送った選手の皆さんが、今いったいどこを走っているのか思いを馳せます。この日は午前午後と野暮用があったので、中途半端に大会に関わっても仕方がないから応援に行くのはやめよう、と思っていたのですが、どうも気になって仕方がないのです。程なく、出場した仲間の数名が制限時間やその他の事情でリタイアしたこと、一方で現在も数名がどこかを走って(歩いて)いることを知ります。
午後2時頃、この日最後の用事であった墓参りを終えた私、居ても立ってもいられなくなり、ゴール地点であるさくら野百貨店弘前店に行ってみることにしました。いや、行ったところで何ができるワケじゃないのです。でも、何だかわからない妙な焦燥感というか義務感に駆られて、行かなきゃならない、ゴールを見届けなければならない、という思いばかりがどんどん強くなっていきました。
墓参りに行く時点で既にランニングできる服装に着替え、弘前市撫牛子にあるお寺から走って田舎館村豊蒔を経由、県道弘前田舎館黒石線へ。ここはゴールに向かう最後の区間といってもいいのですが、右を見ても左を見ても選手の姿はありませんでした。ここから約1.7キロ西へ向かうとさくら野百貨店弘前店があり、ペースを緩めながら走っていると、何人かの選手と遭遇しました。
でも、「頑張って下さい!」なんてことは絶対に言えません。
だって、これまでどれほど頑張ってきたのか、我々の想像の域を遙かに越えているからです。ですから選手の皆さんには、「お疲れさまです!」とだけ声を掛けて、ゴール地点を目指しました。
ゴール地点に到着すると、スポネット弘前の方やスポーツエイド・ジャパンなど、大会関係者の皆さんが選手のゴールを待ち構えていました。

DSC_0753(ゴール地点では、皆さんが選手の到着を待ち構えています。)

そしてふと横を見ると…そこには、たった今200キロを踏破したばかりの勇者が、文字通り精根尽き果てたような様相でへたり込んでいました。大体にして200キロを踏破し終えた選手の姿なんぞ、これまで見たことがないのですよ。その姿に、僕は思わず息を飲んでしまいました。その後も、かなり間隔を置きますが、少しずつ選手の方がゴールテープを切ります。そう、それは僕がここにたどり着く直前に声を掛けた選手の皆さんでした。
そういえば、ラン仲間の皆さんはどうされたのでしょう…。聞いたところでは、残り7キロの地点を過ぎた方がこちらを目指しているとのこと。
一旦ゴール地点を離れた僕は、さっきと逆の方向に向けてゆっくりと走り出しました。この間も、睡魔と戦っているのか、一歩間違えればゾンビのような姿で歩く方や、疲れも見せずニコニコ談笑しながらやってくるカップルなど、数名の選手とすれ違いました。僕はといえば、皆さんに対して敬意を表して一旦立ち止まり、「お疲れさまでした!残り●●メートルですよ!」と声を掛けます。

すると、ほとんどの皆さんが同じ対応をされるのです。
辛くて苦しいはずなのに、ニコッと微笑んで「ありがとうございます!」と言葉を返してくるのです。中には「ありがとうございました。本当にお世話になりました。」とおっしゃる方も数名いました。
オレ、別に大したことしてないし…。
選手を労っているつもりなのに、こちらが労われている…。そう考えたら、何だかこちらの胸が熱くなりました。

さて、気づいたらゴール地点から約3キロも逆走してきました。ようやくここで、ラン仲間1号を発見。両膝にはテーピングが施され、かなり辛そうな感じでしたが、単独ではなくお二人で歩いていましたので、それだけで気分転換にはなっていたようです。
道中で起きたお話をいろいろ聞きながら、再びゴールを目指します。いわば、これもガイドランナーみたいなものですね。でも、実はお話をするのも辛そうなぐらい声が細くなっていたので、これ以上疲労を蓄積させてはいけないと、僕は少し距離を離れて先導することにしました。いや、ここまで来たらもはや先導する必要なんてないのでしょうけれど、昨年の田沢湖マラソンでこの方から2度も檄を飛ばされた立場としては、余計なお世話と思いつつも、せめてもの恩返しをしたい、と考えたのです。
結局お二人は、午後5時を少し回ったところでゴールしました。そして、ゴール地点には「居ても立ってもいられず」やって来た僕のことを知ってなのかは定かではありませんが、たくさんのラン仲間が集まって最後の声援を送っていました。

やむにやまれぬ事情があったため、僕は17時30分過ぎにゴール地点をあとにしたのですが、その後も続々と選手の皆さんはゴールされたようです。

無事ゴールされた皆さん、本当におめでとうございます。拍手!
残念ながらゴールすることができなかった皆さん、そのチャレンジ精神に、同じぐらいの拍手!

僕はガイドランナーとしてほんのちょっと並走させて頂いただけですが、皆さん本当に輝いていました。

僕、冒頭で「自分の脚だけで200キロ踏破」と言いましたが、これ、違うんですよね。脚だけではなく、頭のてっぺんからつま先まで、そして脳もフィジカルもメンタルも全て駆使して踏破する、そういうことなんですよね。

今回のこの大会に少しだけ携わっていく中で、一つだけ確信したこと、ハッキリ言えることがあります。
僕はフルマラソン以上の距離は絶対走りません。そう腹を括ることができました。

全国各地からいらした選手の皆さんもスタッフの皆さんも、本当にお疲れさまでした。
僕自身、本当に素晴らしいものを見せて頂くことができ、励みにもなりました。ありがとうございました。

2016 沖縄本島旅行記 #OKINAWA

毎年のことながら、今年の夏もいち早く夏季休暇を取得し、沖縄本島へ旅行をすることとなりました。
今回は7月7日から9日までの2泊3日。例年は3泊4日なのですが、推定年齢16歳のハナ(雑種犬・♀)に万が一のことがあっては、この間に留守を預かるお袋が大変だろう、ということで1日短縮したところ、そのハナは6月上旬になってあれよあれよの間に旅立ってしまい、結果的に短縮した意味は全くなくなってしまいました。

例年より1日短いということで濃厚な2泊3日にしなければ、となるのかも知れませんが、何せノープランで直感的に行動してしまう2人、結果的には今回も行き当たりばったりな旅になりました。

6月下旬に6泊7日の熊本出張を終えてから中5日での沖縄旅。一見するとなかなかのハードスケジュールですが、実際は熊本の疲れを沖縄で癒す、みたいな感じでした。

7月7日は、青森から羽田乗り継ぎで沖縄那覇へ。折しも今年初となった台風1号が沖縄の南を進んでいるタイミング、那覇空港への到着が若干遅れましたが、ジリジリとした暑さはなく、むしろ梅雨のようなジメジメしたような感じでした。

14時前にレンタカーを借りて(意外なほど手続がスムーズだった)、遅めの昼食。
まずは「そば処玉家 豊崎店」にて早速沖縄そばを貪ることに。僕が注文したのはミックスそば。(三枚肉とソーキ(骨付き肉)が載っている。)
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ここの本店は、地元テレビが主催した「第2回沖縄そば王決定戦」で「沖縄そば王」を受賞したらしく、豊崎店に入店した14時過ぎでもまだお客さんがたくさんいました。スープはあっさり系、麺は細めの固麺で、これまで食したことがない感触!(亀浜麺といって、県内でも有名らしいです。)
テーブルの上にはフーチバー(よもぎ)が置かれていましたが、コーレーグース(島とうがらしを泡盛に漬けた調味料)同様、入れる入れないは完全に好みです。(ちなみに私は、ちょっと…でした。)

難癖をつけるとすれば、スープが少し濁っているんですね。これは乗っかっている肉の影響かも知れないけど。ジューシー(炊き込みご飯)は炒飯みたいにパラパラ。しかもうちらの注文がこの日の「ラストジューシー」だったらしく、我々の後に入って来た人には「ごめんなさい」していました。

ちなみに旅行2日目にも、読谷村の国道58号線沿いにある「読谷食堂 ゆいまーる」で沖縄そばを食しました。
店構えがあまりに周囲の風景に馴染んでいるので、思わず通り過ぎてしまいそうになります。
店内は、ザ・大衆食堂!ザ・沖縄食堂!といった雰囲気。この日はお昼時にもかかわらず運良く空いていて、地元の方、観光客が半々ぐらいの入りでした。

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JALの機内で提供された「ちゅらナビ」を提示すると、マンゴージュースがサービスされます。なかなかの量ですが、凄く美味しい!そしてこちらで食したのは「沖縄そば(大)」と「ゴーヤーチャンプルー定食」。沖縄そばには、フーチバーのジューシーが無料でついてきます。(フーチバー…そう、前日も食した「よもぎ」です。ということで、若干癖のある味です。)
スープは控え目な鰹風味、三枚肉は弾力性が残っていてうまい!汁まで完食しそうになりました。

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ゴーヤーチャンプルーも、何で沖縄のゴーヤーってこんなに苦みがないんだろう?というぐらい箸が進みます。これに小皿が二つもついているのですが…。何と言っても驚くのは、価格の安さ。

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この二つで1,100円ですよ!マンゴージュースを無料で提供して頂いたのがホント申し訳ないぐらい。
ちなみにこの他に、カレーやカツ丼など、食堂ならではの定番メニューもあります。

で、運ばれてきた器が素敵だなあ、と思って見ていたら、隣には「読谷村共同販売センター」があり、ここでやちむん(焼き物)や織物、琉球ガラスといった工芸品が多数販売されています。どうやら「ゆいまーる」で使用されていた器も、こちらで販売されていたものだったんですね。まさに地産地消。その器の美しさに心引かれた私たち、食事を終えた後にふらりとセンターに立ち寄って、思わず食器を数点購入してしまいました。

ついでなのでこのまま最終日の昼食も紹介。
豊見城市にある「よね食堂」。糸満方面に向かう国道331号(今は旧道といった方がいいのかな。NAHAマラソンのコースにもなる道路です)沿いにあって、駐車場もバッチリ完備されています。(店正面の駐車場が混雑していたら、信号を挟んだ反対側に駐車できます。)
こちらは県内でも老舗の部類に入る食堂で、地元では「よねそば」と呼ばれているらしいです。
さすがに3日間お昼が毎食そばだと芸がないかな、ということで、みそ汁定食とフーイリチー定食をオーダー。

「みそ汁」と言っても想像するようなみそ汁ではなく、よね食堂のみそ汁には豆腐、卵、モヤシの他、恐らく中身汁の具と思しき豚のモツ、そしてコンニャクが入っていました。そして、上にはまたもやフーチバー。そうそう、例えるならばパクチーみたいな感じですかね。

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個人的には中身汁を食べたいな、と思っていましたが、汁物に汁物ということでフーイリチーにしたところ、思いがけず中身汁風のみそ汁を頂くことができて大満足でした。

フーイリチーは、麩の炒め物です。モヤシや卵などと一緒に炒めた、和風テイストな、まさに「ご飯のおかず」といった感じ。ちなみに、これに島豆腐とスパムが加わると、フーチャンプルーになるらしいです。

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このフーイリチー定食には、そばがついてきました。麺は例えるならば太めの焼きそばのような感じでしたが、スープはこれまでとは一転、かなり濃いめの味でした。どちらかというと、普段我々が青森で食べ慣れているような味に近いのかな?ただ、もしかしたらちょっと化学調味料がきつめに効いているのかな、とか思ったり。

さて、今回宿泊したホテルは、沖縄道の石川ICから車で約10分足らずのところにある、恩納村の「ホテルモントレ沖縄 スパ&リゾート」。
ちょうど開業3周年イベントを行っており、サービスが充実していたことや、口コミなどを見て決定しました。
ホームページを見たところ、「クラブ・モントレ」という無料の会員制度があったので、こちらにも事前に登録。まあ、この登録があとで活かされたワケですが。

DSC_0721(到着した日は、雨交じりの曇天)

タイガービーチの目の前にあるこのホテルは、全室オーシャンビュー。私たちはスタンダードの部屋を予約していたのですが、運良くアップグレードでコーナーの部屋に案内されました。(クラブ・モントレのおかげかどうかは不明です。)
青と水色が混在した東シナ海。眼下に広がるのはホテルのプール、更には、あ…お墓が…(苦笑)。
気になる人は気になる、気づかない人は全く気づかない、お墓がホテルのそばに点在しています。まあでも、これも一つの共存ですわな。

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で、結局滞在中は海水が冷たいわスコールはガンガン降るわで海はもとより外のプールでも泳ぐことができなかったんですが、このホテル、室内プールの他に温泉があるのです。

DSC_0723(こんな感じでスコールがやってきます)

2日目の夕方にプールで一泳ぎした後(時間帯が良かったのか単に選択を間違えたのか、幸いにもほとんど人がいなかった)、温泉に入ってきました。1人1,500円とやや高めとはいえ、この他にトレーニング機器を揃えたジムもあり、こちらも1,500円の中で利用することができるらしいです。更に、翌日お昼まで再入場可能ということで、結局私、2日続けて温泉に入ってきました。プールで遊んで温泉に入ってサウナで汗を流して…そう考えると1,500円も安いものでしょう。
そしてそして!「クラブ・モントレ」の特権発動。何とチェックアウトの時間を3時間延長することができます。(本来はチェックインの時に申告しなければならないようです。)

我々がチェックアウトしたのは土曜日で、この日だけでも結婚披露宴が相当数行われるらしく、ホテルは満室とのこと。次のお客さんのチェックインが14時頃の予定なので、できれば13時頃までチェックアウトして頂ければ助かります、ということを言われましたが、11時のチェックアウトを1時間以上伸ばすことができただけでも、かなりゆっくりホテルでくつろいだ気分になりました。

ちなみにホテルの近所には居酒屋やステーキハウスなど、飲食店が多数あります。
が、あらかじめ日程と宿泊先が決まっているのであれば、絶対事前に周辺の飲食店をリサーチし、出発前に予約することをお勧めします。当日飛び込みで訪ねてみても、特にこれからの時期は、入店を断られるか相当早いか遅い時間じゃないと案内できない、と言われるのがオチです。

もう一つ、夜の食いっぱぐれを回避する手段として、地元のスーパーやテイクアウト可能な店で食べ物を購入し、ホテルの部屋で食する、という方法があります。
今回この手段は使いませんでしたが、沖縄を訪れた際は、3泊4日のうちいずれかの夜でこの手段を行使することが多いです。自分で食べたいもの、特にこの地域でなければ食べることができないものを購入し、部屋食にする…こうすることで、誰に気兼ねすることなく時間も気にする必要がないので、ゆっくりと食事を楽しむことができます。

ということで今回は2日目の夜、1軒目の居酒屋を後にしてから、飲酒しなかった妻が車を走らせ、ホテル近くにあるドライブインへ。ネオンで飾られた夜の店構え、どこか沖縄っぽさがあって、何とも素敵です。

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恩納村にある「シーサイドドライブイン」は、テイクアウトカウンターの営業が24時間!沖縄最古のドライブインとしても有名で、イートインも可能ですが、ざっと見た感じではテイクアウトカウンターを利用するお客さんがかなり多いとみました。

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ちなみに翌朝8時過ぎにこの辺りをジョギングしたのですが、その時点で既にカウンター前に6人ほどのお客さんが待っていました。

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紙コップに入った200円のスープと、450円のステーキサンドをオーダー。車の中で待っていると、注文時に手渡された発信器がブルブルと鳴り、注文した品が出来上がったことを知らせてくれます。

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ステーキサンドっていうのが、何となく沖縄っぽくていいと思いませんか。スープはシチューとクラムチャウダーの中間といった感じで、結構濃厚な味わいでした。

さてさてそんな2泊3日の旅もあっという間に終わりを迎え、最終日は、沖縄那覇空港周辺ではなく羽田空港周辺の悪天候により、羽田からの航空機の到着が大幅に遅れ、結局出発が30分も遅れるというオチまで待っていました。
これまで嵐を呼ぶ夫婦、と言われ続けて来ましたが、どうやら今季は僕が雨男のようですね。

この他にもあちらこちらに立ち寄ったのですが、その一方で今回立ち寄ることのできなかったところもたくさんありました。ちなみに修学旅行ではないので、例えばオキナワを巡る色んな問題を抱えているあっちの方とか、過去の歴史的背景を考えるようなあっちの方には、今年も足を運びませんでした。
何よりも今回は、ほとんどジョギングすることができなかったのが、ちょっと心残りとなってしまいました。…いや、実のところ蒸し暑かったのよホント。

天候も今ひとつだったし、来年リベンジするしかないかな…。(ニヤリ)

IMG_0236(夜のプール)

IMG_0242(夜の教会)

IMG_0238(夜の読谷村方面)

Sheila E の新曲「Girl Meets Boy」

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初めてこの曲を聴いた時に浮かんだ感想は「参ったな…」でした。
電車の中で聴きながら、流れてくる涙をごまかすために、何度生あくびをしたことか。

ダンスアルバムの制作途中だったシーラE。4月のプリンスの訃報に接し、「これは今作るべきアルバムではない」と作業を中断、すぐにプリンスに捧げる楽曲とアルバムの制作に取りかかり、その先行としてこのシングルを発表したそうです。
二人が出会うこととなった若かりし頃を思い起こさせるこのタイトルだけでも十分ヤバイぐらいですから、制作が進んでいるアルバム(ちなみにアルバムのタイトルは今回のシングルと同じ「Girl Meets Boy」になる予定)も、プリンスに捧げる愛に溢れたアルバムになることでしょう。年内には発表される見込みのようです。

この楽曲では、彼女の代名詞とも言える激しいドラミングやパーカッションを一切封印。曲の中にしばしば出てくる「Rain on me」という表現は、当然プリンスの「Purple Rain」を連想させます。そして、美しいピアノと切ない彼女の歌声が琴線に触れると同時に、何か胸を掻きむしられるような熱い思いに駆られます。

一時期は婚約まで漕ぎ着けたという話を聞きますが、実際にシーラとプリンスの関係がどれほどだったのかは、正直よくわからないし、今となっては別に知りたいとも思いません。邪な人であれば「プリンスが亡くなった後のシーラの一連の行動は、プリンスの名を借りた何とかだ…」とか意地悪なことを言いそうですが、そんなのはもう次元が低すぎ。というか、多分ファンの人なら絶対そんなこと思わないはずだけど。
で、この曲を聴いて思ったことは、シーラとプリンスの間には、我々が想像しているよりも遥かに強固で、絶対的な信頼関係が構築されていたんだろうな、と。

良き相棒であり恩師であり友人でもあるプリンスを失ったシーラの悲しみは、僕らのそれとは比較することができないぐらい深いものだったとは思いますが、ファンとともに同じ悲しみを共有しつつも、それを浄化してくれるような切なくも優しい素敵な楽曲に、まさに心が洗われるような気持ちになりました。

New Single Girl Meets Boy | Sheila E Songs