40歳を迎えて最近、どういうわけか自分が最期を迎える時のことを考えるようになった。念のため言っておくが、別に余命宣告を受けた訳ではないし、近々そういう予定があるわけでもない。
何をバカなことを、と思われる方もいるかもしれないが、本人は結構真面目にこの事を考えていて、そのきっかけとなったのは間違いなく3月11日のあの大地震である。
さらに震災後、実際に被災地を訪れてみて、自分の価値観や死生観に多少なりの変化があったこと、とりわけ津波に襲われた建物や自家用車に無造作にスプレーで吹き付けられていた無数の「×」(今更説明するまでもなく、そこで人が亡くなっていた事を意味する。)、そして支援物資の中に紛れて届けられたBODY BAGという名の遺体袋を目の当たりにして、遅かれ早かれ自分の身にも死というものがやってくることを強烈に意識するようになった。
それと同時に、死というものが実は決して遠いところにあるものではないこと、極端な言い方をするならば、この世に生きている人たちは、誰もがいつ死んでも不思議なことではない、ということを思うようになったのだ。
東日本大震災の死者・行方不明者の数は約2万3千人。ただし、一家全員が行方不明になっていて所在がわからないままになっている人たちも相当数いると見込まれていて、正確な数は永遠にわからないのではないか、とも言われている。また、阪神大震災の時にも同様のことがあったのだが、将来の展望が描けぬまま絶望感に打ちひしがれ、自ら命を絶つ人も少なくないということを聞いた。なので、こういう潜在的な数も含めと、恐らく死者・行方不明者は相当数に上ってしまうのだろう。
特に先日、畏友達と一献設けた時に聞いた、津波に飲み込まれず無事に残った自宅で、自ら最期を迎える人が少なからずいた、という話は非常に衝撃を受けた。
話が少々脇道に逸れることをご勘弁。
個人的には、自死という行為の大半は発作的な行動なのだろうと確信している(それは、遺書が残されていたとしてもだ。)。しかし、形はどうあれ、誰にも看取られることなく、思いがけぬ形でこの世を去ることになった人たちの無念を思うと何ともやりきれなく、この世への未練なくして死を迎える人というのはほんの一握りであって、そこまで達観するに至るには、恐らく相当の喜怒哀楽を経験しなければ無理なのではないか、とも思うようになった。
僕の場合も、父の最期が余りに唐突であったために、暫くその死を受け入れる事が出来ずにいたのだが、最近になってようやくそれを素直に受け止める事が出来るようになったし、こういう気持ちを抱くようになったのも、3月11日以後だったことは間違いない。
最期は自宅で過ごしたい、家の畳で最期を迎えたいと思っても、自宅に近づく事すら許されていない人たちがたくさんいるという現実。誰にも看取られぬ事なく、突然この世から去らなければならなかった人が数万人に及ぶという事実。
そういう中で、自分の最期を呑気に考えるなんていうのは、凄く贅沢であり失礼な事なのかも知れない。
自分が一体どんな最期を迎えるのかは想像もつかないし、理想の最期なんてものを考えるまでにはまだまだ至らないわけだが、できる事であれば、何の思い残しも後腐れもなく、綺麗さっぱりとこの世に別れを告げたいものだ。
願わくば、皆から拍手で見送られるような、そんな最期を迎えたいというのが理想なのだが、僕は人格者でもなければ人並み外れた知識や行動力を持っている訳でもなく、そういう点においては、手前味噌ながら父が(いろんな意味で)どれほど凄い人だったかということを、今更ながらひしひしと感じるようになった。
ただ、父には申し訳ないが、父のような最期は迎えたくない。
僕は自分の披露宴で父の事を「反面教師」と揶揄したが、今思えば、こうあってはならない、という父の反面教師としての最後の教えだったのかな、と考え始めている。