だいぶ前のことなのですが、ある人からこんなことを聞かれたことがあります。
「何のためにブログを書いているのか?」
…さて、この字面に込められた「ある人」の思い、皆さんに伝わっているでしょうか。
何となく察した方もおられるかも知れませんが、この質問には、かなり消極的(否定的)な意図が込められていました。つまり、こういうことです。
・一個人がブログを書いて何になるのか。
・それを書いたところで、何かいいことがあるのか。
・そんなもの、一体誰が読むのか。
面と向かってこんなことを言うのは、身内しかいません。つまり「ある人」というのは、身内のことです。
しかし残念ながらその時、僕はこの質問に対する答えを持ち合わせていませんでした。
そしてその答えは、今もわからずじまいです。強いて言うならば、「こんな内容でも読んでくれる人がいるから。」でしょうか。
そもそも僕がブログを投稿し始めたのは、13年前の2003年10月から。
それは、携帯電話で撮影した画像を投稿できる機能を備えたブログを設置したことから始まったのですが、内容としては、まさにその日の出来事を短文形式で投稿する、ほとんど中身のない日記のようなものでした。その頃は週末の夜釣りに没頭していた頃で、改めて見直すと「○○が釣れました」のネタばかり。
(ちなみに最初のネタは「朝帰り」というタイトルで、夜釣りを終えて青森市から弘前へ戻る車中、眠い目をこすりながら早朝5時半頃の朝焼けを撮影した画像一枚のみでした。)
ただ、知る人ぞ知る「マカナエのメシ」に繋がるようなレシピめいた内容も当時から投稿していたようです。刺身に鍋に唐揚げ等々…。何せ、釣った魚は自分で捌く、というポリシーだったので。
その他、読んだ本や購入したCD、ライブの感想だったり、事件や出来事に関する評論家ぶった意見だったり、仕事の愚痴だったり、そんな内容を投稿していました。要するに自己主張一辺倒だったわけです。
2008年8月、それは父が亡くなる直前の月なのですが、この月は突然、何かに取り憑かれたかのようにネタを投稿しまくっていました。今思い起こせば、何かを察知した僕は、そこから逃れたいという思い一心に、その捌け口をブログに求めていたのかも知れません。
それが、父が亡くなった後から、急激に読み手を意識して投稿するようになっていきます。多分、他人の目、つまり他人から見られる自分を一番恐れていた時期。投稿内容や表現に変化が現れていったようで、つまらない自己主張を延々と繰り返すだけではなく、読み手を意識しながら、なるべく有益であろう情報の中に自分の意見や感想をちょっと挟み込むような形で、徐々にトーンダウン。悩める心情(亡父への思いやぎくしゃくした人間関係など)を吐露することもありましたが、恐らくなかなか経験できないであろうという出来事(例えば観覧したライブ、自分で参加したイベント、最近ではマラソンとか)については、読み手を意識しつつも主観的な視点から体験談を綴るという内容に変化していきました。
一時期カウントが正常に作動していない時期もありましたが、気がついたらカウンターの数字も30万件を優に超え、今では毎日100人を超える方々にこのブログを閲覧して頂いています。本当にありがとうございます。
これまで幾度となく「もう、ブログ投稿はやめよう」と思った時期がありました。しかし、心折れることなくここまで続けることができたのも、閲覧してくださる皆さんがいたからに他なりません。
とはいえ何せ毎度毎度のことながら駄文拙文のオンパレード、最初で触れたとおり、字面だけで真意を伝えられないところがあるかも知れません。そこは、閲覧してくださる皆さんの、文脈や行間に対する読解力が頼みの綱です!…いや、もっと読みやすい内容を心がけます。すいません…。
今後もまたしょうもない内容を投稿し続けると思いますが、引き続きどうぞよろしくお願いします。
あ、本文はなるべく簡潔に、短くまとめるように努力します!
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ブログ投稿13年目満了の節目を迎えるにあたって、閲覧してくださっている皆さんに多謝。
のんべ 拝