今から5年ほど前、「ポスト十四代」と紹介された「豊盃」。日本酒通の間では知られまくっている銘酒である。
この豊盃の酒蔵である「三浦酒造」は、うちから約15分のところにある。
「豊盃」がここまで全国的に名の知れた酒になるなんて、正直言って20年前には想像できないことだった。
ご家族が力を合わせて経営されていること(今は二人の息子さんが杜氏として切り盛り)、決められたところとしか取引しないことや、製品管理を徹底していることも、「ポスト十四代」と呼ばれる所以かも知れない。何よりも、そのコストパフォーマンスには本当に目を見張るものがある。
じゃん子が、銀座線の京橋駅近くにある居酒屋を上司と訪れたところ、日本酒の品揃えが凄いことに感銘を受けたそうだ。ふと見ると、「三浦酒造」と書かれた半被を着た店員さん。後ろを振り返ると、そこには「豊盃」の文字。すっかり感動し、思わず「私、豊盃の酒蔵のある弘前市の出身です!」と女将に猛アピールしたらしい。すると女将はじゃん子も知らない弘前の良さを次から次へと紹介し始め、その後すっかり意気投合、思いがけず東京の真ん中で弘前の話に花を咲かせた、というエピソードがあって、そのことをどうしても三浦酒造の人たちに一言伝えたいということで、何としても訪れなければ、と意気込んでいた。
三浦酒造を訪れたのは、26日(土)午後のことだ。
三浦酒造は、妻の仕事の取引先ということもあって、妻は三浦酒造の皆さんとすっかり顔見知りである。余談ではあるが妻がどれぐらいのお付き合いで三浦酒造の方々にお世話になっているかというと、名字で○○さん、ではなく下の名前で○○ちゃん、と呼ばれていることで、大体お察し頂けるだろうか。
GW以来の訪問となった三浦酒造、我々のお相手をしてくださった若奥さんとも会話が弾む中、特にじゃん子がどうしても伝えておきたかった話には、四代目となる社長自ら登場して耳を貸してくださり、更に盛り上がりを見せる(じゃん子のネタは、妻が事前に前振りをしていたらしい)。
折角なので、じゃん子が世話になっているという上司へのお土産を購入しに行ったつもりが、気づいたらあれやこれやと店頭には並んでいない品を奥から引っ張り出してきた。
三浦酒造には、酒蔵でしか販売していない限定酒がある。奥さんが手にしていたのは、その「生酒」バージョンで、この時期の酒蔵には並んでいないものだった(確か、ある時期には期間限定で並んでいた記憶が蘇ってきた)。
その他、7月に発表されたばかりのパティスリー酒(アイスクリームに垂らすと、ブランデーのような味わいが楽しめるそうだ!)、更に、社長の懇意で、大吟醸の酒粕まで出していただいた!
気分はすっかり「超お得意様」である。
品代を払い、車に積んだら、酒粕の甘い香りがプーンと漂う。
「今検問で止められたら、間違いなく誤解されるね。」
笑いながら帰路につく。
手に入れた「期間限定酒」は、一体どんな味がするのだろうと、期待に胸を躍らせながら帰宅。
早速夕食時に、冷蔵庫で冷やした「緑の生酒」の栓を開けてみた。
お猪口に注ぎ、口を近づけると、一部では「ラムネのよう」と称されるような爽やかな香りが鼻腔の奥まで漂ってくる。
寝かせていた分、まろやかになったのだろうか、喉元をスゥッと、何事もなかったかのように転がっていった後、口の中にフルーティで芳醇な香りがフワッと残る。
う、うまい…。
キンキンに冷やされた酒の温度が徐々に常温に近づくにつれて、まろやかさが薄れ、今度はエッジの効いた酒に変わってくる。
程よい辛みが、お猪口に口を近づける頻度を更に増していく。
まるで魔法の酒だ。決して普段は好んで嗜むことのない日本酒は、あっという間に空瓶になってしまった。
三浦酒造の皆さん、いろいろとお騒がせしました。ありがとうございました。本当に美味しかった!
こういう日は、心地よい酔いに包まれたまま眠りにつくに限る。
どうやらいろんな夢にうなされていたようだが(苦笑)、翌朝の目覚めは実に爽快だった。二日酔いは勿論のこと、前日の酒が残っている感覚は、皆無。
その昔、地元の酒造会社のCMで「いい朝は酒が知っている」というキャッチコピーがあったが、あの言葉は本当に嘘ではないと、最近つくづく思うようになった。
ちなみに、あのCMで流れていた「It’s so nice!」という歌は、ブレイク前の織田哲郎が作詞作曲し、歌っていたそうだ(出典:Wikipedia)。といっても、もう20年以上も前の話だが。
あ、全然関係ない話で終わってしまった…