先日、会議に出席するために秋田県横手市を訪れました。翌日は横手市周辺を視察したのですが、その時にとても荘厳なところを訪れたので、今日はその訪問記を。
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横手市は、平成の大合併により、1市4町2村が合併、現在は秋田県内で秋田市に次ぐ第2の人口規模(9万2千人程度)となりました。(僕の記憶の中では、かつては大館市が秋田県内第2の市だと思っていたけど、合併を経て横手が第2の市になっていた模様。)
横手市と合併する前の旧・増田町は、古い時代から日本海側と太平洋側を結ぶ交通の要衝に位置していました。二つの街道が交差する近くに位置していたこと、肥沃な土地や水にも恵まれていたことから、米はもちろん酒造りや葉たばこ、養蚕も盛んに行われ、農業や商業で栄えた町だったようです。実際、北都銀行の前身となる旧・増田銀行がこの地に設立されたほか、水力による電力業を営む者が現れるなど、町の規模からは想像できないほど商業や農業が盛んだったことが窺えます。
この辺りは、積雪が2メートルを超えることがあったほどの豪雪地帯。
ここに、「内蔵(うちぐら)」と呼ばれる、いわゆる「建物内建物」が建てられるようになりました。「内臓(ないぞう)」じゃくて、「内蔵(うちぐら)」です。「内蔵(うちぐら)を内蔵(ないぞう)した建造物」みたいな感じでしょうか。「内蔵内蔵建造物」って、意味がわからないですね。すいません。
通りに面した「主屋」からは見えないところ、商売を営む空間や居住空間、生活空間の更に奥の場所に建てられ、「鞘(さや)」と呼ばれる上屋で覆われたのが、「内蔵」なのだそう。完全にプライベートな空間だったため、地元の人ですら隣の「内蔵」がどんなものなのかは知らなかったようです。
「蔵」といえば普段あまり使うことのない調度品や家財道具などを所蔵するためだけの空間だと思っていたのですが、この「内蔵」に関しては、収蔵を目的とした「文庫蔵」のほか、商売が隆盛を極めるとともに居住空間が減ることとなり、座敷間が置かれた「座敷蔵」としても利用されていたようです。例えば、要人を招き入れる応接間のような形で使われたり、結納が行われたり、亡くなった身内を安置したり。そういう意味では、家族にとって非常に大切な、そして神聖な場として利用されていたようです。
横手市内で会議が行われた翌日、この増田地区を視察する機会を頂きました。
一見すると何の変哲もないというか、どこにでもありそうな街並み。語弊があるかも知れませんが、市町村合併の煽りを受けて衰退の途を辿った、田舎町の小さな商店街、といった感じ。平日の日中だったということもあるとは思うのですが、街は閑散としていました。
ところが街並みをよく見ると、建物が並ぶ中に屋根の高い木造の建築物がちらほら紛れているのです。横手市が開設しているHP上には、この一帯を上空から撮影した写真が掲載されており、この一角だけ建物の大きさが違うのが一目瞭然です。
(路上のマンホールには、この町出身の漫画家・矢口高雄氏の「釣りキチ三平」が描かれていた)
間口はさほど広くないのですが、一歩中に入ってみると建屋がずーっと奥まで続いており、とてつもなく巨大な長屋といった感じ。豪雪から自分の生活を守るための知恵なのでしょうか、家の中に掘られた「井戸」があるのも驚きでした。
増田町が合併する直前の町長で、現在は(一社)増田町観光協会の代表理事会長を務める千田さんのお話に耳を傾けながら、予備知識も何もなくこの地を訪れたことを激しく後悔していました。
なぜかここ最近、生活感溢れる古い建物や鉄道の廃線跡等(線路が残っているのが望ましい)など、昭和やそれ以前の名残を残すような建造物や構造物に対する興味が湧いていて、今回の視察はまさに打って付けの内容でした。
建物の奥にどーんと現れた黒漆喰の蔵。蔵の周囲には、荷物などの出し入れの際に蔵を傷つけないよう、漆が塗られた手の込んだ建具が施されているほか、煌びやかな屏風などが置かれています。
最初は「これ、わざわざ観光用にセットしたのかな」と思ったのですが、実はありのままの姿だったらしく、この地域で商売を営む方々が、普段は質素な生活を送りながらも、いわば秘密基地のような大事な空間を保有していたことを示しています。
更に、蔵の扉(女戸、男戸)の前には、板で蓋のされた穴があり、そこには「味噌」が隠されているとのことでした。なぜこんなところに味噌が?実は火災が発生した時、閉めた蔵の扉の隙間を味噌で埋め、内部の延焼を防ぐという防御策。もちろん普段は食用として利用していたとのことです。そういった生活の知恵が隠された、いかにも観光地慣れしたというか、垢抜けたところが全く感じられない、普段通り飾り気のない一つ一つ(もちろんそれなりに装飾しているところもあるのですが)が美しく、とにかく興味をそそられるようなものばかり。何が飛び出すかわからない、玉手箱みたいな空間といえばいいのかな。まさに「宝庫」のような空間でした。
増田地区にある「内蔵」は昭和以前に建てられたものが多く、これまで見たこともないその重厚かつ豪華な存在感に圧倒されてしまいました。更に、その蔵に据え付けられた一つ一つの建具に光る匠の技に、すっかり気持ちが吸い込まれることに。それ以外にも、懐かしい看板や装飾品の数々に目を奪われることとなり、TDLとかUSJなんかより数十倍楽しい!と思ってしまいました。いや、楽しいというのとはちょっと違いますね。
最初は「インスタ映えしそう」とかいう、いかにも安易な気持ちでスマートフォンを掲げていたのですが、家を管理される方からお話を聞いているうちに、よく考えてみるとこの行為自体がプライバシーの侵害だし、非常に失礼だな、ということを痛感しました。
実際その姿を目の当たりにすると、一つ一つの建物や装飾品、建具に、歴史や重みを感じるはずです。
「銀杏仕上げ水切り」という技術が施された蔵。「鞘」の中に収まっているため、雨に当たることはないのですが、わざわざこうやって建具や蔵が雨に濡れないような手法を施しているあたりに、当時の左官技術のこだわりが垣間見えます。
その土地の歴史とか、発展していった背景を知ることも大事ですが、特にこの「内蔵」に関しては、できれば現在管理されている方から、その家の歴史や、蔵の造りのことなどを直接伺うことで、きっと見聞が拡がると思います。
「増田の内蔵」は、ここ数年脚光を浴びているようなのですが、認知度からすればまだまだ低いのかも知れません。秋田県内だと、「角館の武家屋敷」が有名ですからね。
増田町内には、「内蔵」「外蔵」を持つ家屋が100軒近くも点在するそうです。そういえば津軽地域にも「蔵の街」があったな、とか、家の近所にも「内蔵」のような造りの建物があったな、とか、いろんなことを思い返していました。
ちなみに現在も、蔵の存在を明かしつつも中の展示には応じていないところがあるのだそう。その理由としては、この蔵そのものがあくまでもプライベートな空間に特化されたものだから、なのだそうです。
横手市に寄贈された建造物もある中、一部は個人所有となっており、普段通りの生活や営みが行われている中で展示が行われていることから、有料での見学や事前予約が必要となるところも複数あります。今回は僅か1時間しか視察の時間がなかったため、見学したのは伝統的建造物群のある「中七日町通り」に所在する約20軒のうち、4軒程度のみでした。
最初は「カメラ持参でまた訪れよう」なんてことを安易に考えていたのですが、よく考えてみると、入館料を支払うとはいえ、各家に赤の他人が足を踏み入れることには変わりありません。
更に、増田のことを調べれば調べるほど、歴史の積み重ねによって今の姿があるのだ、ということを強く感じることとなりました。そういうことからも、家屋(内蔵)を公開している皆さんに感謝しながら拝観する、そんな気持ちで訪問しなければならないな、と思いました。
でも、やっぱりいつかまたゆっくり、じっくり時間を掛けて拝観してみたいなあ、と思った次第です。何だか厳かで、本当に見応えのある、素晴らしい地域でした。
増田地区への交通アクセス
・湯沢横手道路「十文字IC」から約10分
(東北自動車道「北上JCT」→秋田自動車道「横手IC」→横手湯沢道路「十文字IC」)
・JR奥羽線「十文字駅」からバスで約10分
(秋田新幹線「大曲駅」から奥羽線「十文字駅」までは所要時間約30~40分)