日別アーカイブ: 2013-09-18

じいちゃんとの思い出


昭和50年9月。僕があと数か月で5歳の誕生日を迎えようとしていた時に、じいちゃんが亡くなった。じいちゃんが65歳になる1週間前のことだった。

妹はまだ生後9か月。じいちゃんとの思い出は、当たり前のことながら記憶にないという。
第一報を受けた母は妹を背負い、僕の手を引いて弘前市から合川町(現在の北秋田市)に向かった。道中の記憶はあまり定かではないが、確か国鉄鷹ノ巣駅から合川町までタクシーを飛ばしたような記憶がある。そして、じいちゃんの待つ実家に駆けつけ、じいちゃんと対面を果たした母は、ただただ泣き叫んでいたことを覚えている。

じいちゃんとの対面。
冷たくなったじいちゃんは眼鏡を外し、布団に横になっていた。黄疸を発症したらしく、顔が黄色みを帯びていた。
そのことが僕にとっては不思議でならず、興味本位で何度もじいちゃんの顔を見に行こうとしたのだけれど、親戚からやんわりと制されたことをうっすらと記憶している。

棺の蓋を閉める時、母は激しく慟哭し、そして抵抗した。
…そんな、じいちゃんを見送ったときの断片的な記憶は、35年以上経った今も、色濃く僕の脳の中に焼き付いている。

理髪店を営んでいたじいちゃんは手先が器用で、絵が書くのが上手だった。煙草の空き箱で傘を作るのが上手だった。なので、僕の中ではじいちゃんはいつも煙草を吸っていたような記憶があったのだが、母にいわせると「じいちゃんは煙草を吸わなかった」そうなので、僕が誰かの姿とじいちゃんの姿をオーバーラップさせていたらしい。

あ、ちなみに煙草の空き箱で作った傘って、知らないって方はこちらをご参考まで。

デイリーポータルZ

僕はじいちゃんが60歳の時に生まれた、じいちゃんにとって初の男孫。
だから、外孫ではあったけれど、物凄く可愛がられたことを覚えている。
髪の薄かったじいちゃんは、出かける時は決まってベレー帽を被っていた。数少ないじいちゃんと一緒の写真には、ベレー帽姿のじいちゃんがいる。

当時はまだ町もそれなりに栄えていて、お店もたくさんあったのだけど、「何か買ってやる」と連れて行かれた、今で言うショッピングモールのようなところで、おもちゃではなく隣の売場で売られていた「青いももひき」を買ってくれたことは、僕の中で決して消えることのない記憶として残っている(そしてそれは、じいちゃんを知らない妹に対しても強烈な印象を残しているらしい)。
もう一つは、僕のうちの近所に今でもある味噌醤油の醸造店で、コーヒー味のガムを購入し、それを一枚だけこっそりくれたこと。
いつも「いただきます」ではなく「いたまーす」といって御飯を食べ始めていたこと。(どうして「いたます」なの?と聞いたら、「いただきます」だと長いから。と、じいちゃんは答えた。)

たった4年間、それも本当にわずかな時間しか一緒にいられなかったけれど、僕に強烈な印象を残してこの世を去ったじいちゃん。

自分が精神的なバランスをちょっと崩して体調不良になったときに、いわゆる「カミさま」みたいな人に僕のことを見てもらったら、「いつも後ろにおじいちゃんがいるね。」と言われ、号泣したことを思い出した。つまり、じいちゃんは僕の「守護霊」ってワケだ。

…そうそう。自分の結婚式で昔の写真をスライドにするというベタな企画があって、古いアルバムを引っ張り出し、まだ首が据わったばかりの妹を抱くじいちゃんと、その横に座る僕の写真を見つけた時、その写真の裏側に、それまで誰一人として気づかなかった「大きく育てよ」というじいちゃんからのメッセージが書かれてあって、みんなで号泣したことも思い出しましたよ。ええ。

じいちゃんが亡くなってから38年。仮に生きていれば104歳だけど、僕の記憶の中ではじいちゃんは今も生き続けている。

9月18日。今日は、そんな優しかったじいちゃんの命日なのであります。

合掌