突然僕を襲った風邪は思った以上に強力だったらしく、2日間(恐らく朧気ながら自覚症状のあった前日も含めると3日間)の発熱、蛇口のパッキンが割れたように止めどなく流れ続ける鼻水、就寝後を襲う咳にも見舞われ、体力だけではなく気力も相当奪われることとなりました。ちなみに仕事を休んでいた2日間に過去の投稿を探ってみたら、実は毎年大体同じ時期に体調を崩しているようです。
回復途上の中、ひとまずランニングを再開しようと10日ぶりに室内(トレッドミル)を走ってみたのですが、この日はまずまず走れるのかな、といった好感触を得ました。しかし翌日、天気が良かったので外走りに出かけてみたところ、自分が思っていた以上に体力は落ちていたらしく、愕然としました。だって、1キロを走っただけでゼーゼーハーハー息は上がり、思わず立ち止まって呼吸を整えるぐらい辛かったんですから。
(立ち止まったところに、ポスト。というか、ここで立ち止まると決めていた。)
考えてみると、まともな運動もせずにほぼ静養に務めていたので、心肺機能がかなり低下していたらしく…。雪の残る歩道の上(しかも一部は雨水で磨かれたアイスリンクのような状態)を走るので、まずは転倒しないようバランスを取ることに多少苦慮はしたものの、大してペースを上げているワケでもなければ、別に負荷を掛けているわけでもないのに。
違和感を覚えながらも、結局22日から24日まで3日間続けて走ってみたのですが、どうも走り終えた後にしっくり来ないのです。「迷い」があるというか、走っていても全然「楽しい」と思えないというか。
僕にとってランニングは、楽しく走ることだけが目的ではないと思っているし、時にはキツイ練習にも取り組まなければならないと考えています。だってそれぐらいしないと、次の目標には手が届かないのですよ。しかしながら、今は少なくともそういった練習に取り組む時期ではないと考えています。ですから、復調を探るという意味でもファンランぐらいの気持ちで全く問題なかったはずなのに、走っていること自体が「つまらない」と思えてならなかったのです。
正直走り終えてみて、ショックでした。かなり戸惑いました。こんなはずじゃないのに。例えようのないモヤモヤが、胸を締め付けます。
先日、僕にとって今年の漢字が「惑」だということを投稿しましたが、何だか今年は最後の最後まで「惑い」まくっている気分。あの投稿に気持ちを引っ張られるつもりはなかったのですが…。
結局のところ、今回の風邪で奪われたのは体力よりも気力だったのかも知れません。
処方箋は色々あるとは思うのですが、一番効き目があるのは、「休む」ということに尽きるのでしょう。
まあ、年末に向けてやらなければならないことも色々あるので、年内はこのまま、思い切って脚休めかな、と腹を括っているところです。気持ちが上向きになるまで、思い切って身体も気持ちもリセット、といった感じでしょうか。まあ、忘年会で身体はリセットどころじゃないんですけどね。
外を走る上で重要な要素は、路面の状態、天候、そして自分の心身の調子。
この3つの要素のバランスがうまく保たれているかどうかが、結果の善し悪しはもちろん、ランニングの継続にとっても重要なことではないかと僕は勝手に思っています。(それは、日々の練習然り、長い距離を走る時然り。)
フィジカル面をしっかり維持することも大切ですが、それにも増してメンタルの強化がとても重要だということを、改めて認識した次第。
裏を返せば、そのいずれか一つでもバランスを欠くものがあると、走りに「迷い」が生じるのではないか、と。
(自信を持って臨んだ仙台国際ハーフマラソン。自己ベストを出したのに悔しいと思ったこのレースは、一つの転機になった…ハズ。)
とはいえこの時期の弘前市、路面の状態と天候は全くランに向かない状態です。しかし、こればかりは自分の力でどうにかなるというものでもないので、心身の調子を整えるとともに、振り幅と言いましょうか、ある程度の心の余裕を持っておくことが大事になってくるのかな、と思っています。
そう考えるとやはり、気持ちが滅入っている時のランニングは、それ相応の悪影響を及ぼすということを痛感しました。
実は今、来年に向けての目標を再度練り直しています。今打ち立てている目標は、もう少しで手が届きそうだけどギリギリ届かない、みたいな感じの目標になっています。どうせやるなら、思い切ってもう少し上を目指してやろうじゃないか、と。でも今は冬眠中で、これからが足慣らしや気持ちと頭の切り替えに取り組む、そういう時期なんだと割り切ったら、少しだけ気持ちが楽になりました。
ところで、僕は何のために走っているのだろう?誰のために走っているのだろう?
この答え、全て帰着するところは自分自身なのではないか、と。
だって、健康維持のためだとか色々言っていますが、それは表向きの話。
突き詰めればこれって単に、「格好いいと思われたい」からじゃないかな。違いますか?
勝負をする相手が自分であれば、全幅の信頼を寄せるのも、最後の最後で裏切るのも、自分自身。
ランニングって結局のところ自惚れ、自己満足の世界。ランニングでの喜怒哀楽の対象も全部、自分自身に帰着するのではないか、と。
あ、これはあくまでも僕の意見(持論)であって、異論もたくさんあることでしょう。でも、その異論は僕にはぶつけないでくださいね。だって、人それぞれ走ることに何を見いだそうとしているのか、何を目的としているのかは異なるでしょうし、僕も、自分の意見を皆さんに強要しようなんて気は微塵もありませんから。
昨今は色んな情報が錯綜しています。シューズのこと、フォームのこと、練習方法のこと、等々…。結果としてそういったさまざまな情報に「惑」わされた結果、自分の走りの「迷」いに繋がってしまう、ということ、ありませんか。あ、僕だけですか。
つまり何を言いたいかというと、世の中に溢れている良くも悪くも様々な情報が、時として自分にとっては「迷惑」になることがある、ということ。
今年一年、自分でビックリするぐらい、このブログをご覧になっている、という方にたくさん声を掛けていただきました。いつもこんなくだらない内容でも読んでいただいているなんて、本当にありがたいことだと思っています。その一方で、ここから発信している投稿の内容が皆さんを「惑わせ」、そして「迷い」を生じさせていなければいいな、とも思っています。
恐らく年内のランニングに関する投稿はこれで最後の予定ですが、来年以降も、結果的には自分本位の内容になると思います。皆さんには、どうかあまり真剣に受け止めず、参考程度に留めていただければ幸いです。僕としても、皆さんに「迷惑」だと思われるような内容とならないよう、なるべく「有益」な情報提供を心がけたいと思いまーす。
そして、私事ではありますが、このモヤモヤしている時期を利用して、原点に立ち返ってもう一度自分の走りを見つめ直し、自分に何が足りないのかを改めて考えてみようと思います。いや、自分本位でどうもすいませんね。
2018年は、今年達成した記録を更新することが最低限の目標。そのために必要なのは、脚よりも心の強靱化。
夢は50歳までのサブ3。コツコツと目標を積み重ねることが、夢に近づく最短への道。
それではランニングに勤しむ皆さま、2018年も引き続きよろしくお願いいたします。