自分の「立ち位置」を見つめ直す。
2018年は、まさにこんな感じでした。
「申酉荒れて戌亥の大凪」という格言とは裏腹に、大荒れ過ぎた戌年。
そろそろ自分の老い等も考えなければならないお年頃、今年は色んな面において全く成長を感じることができませんでした。成長どころか退化、劣化、硬直化が進行してしまった感じ。寄る年波にささやかな抵抗を続けているからこそ、一度自分の「立ち位置」を見つめ直すことが必要だったのかも知れません。
実際今年を振り返ると、ガッツリ立ち止まって自分の足元を見つめ直したり、自分のポジション(立ち位置)を確認したり、という機会が何度もありました。
正直、何にでも与するって本当に疲れるものです。
以前であれば「来るもの拒まず去る者追わず」の姿勢でオープンマインドを貫くつもりでしたが、昨年の暮れ頃から考え方が少しずつ変わりました。
泰然自若。
もう少し大局的な見地というか、物事を俯瞰するような立ち位置で色々考えればいいだけの話なのですが、どうも木を見て森を見ず、な状態に陥っていたようです。
木だけではなく森を眺めるため、木との間に少し距離を置くと、視野が広がります。これこそが「木休め」ならぬ「気休め」というヤツ。押すばかりではなく、時には引くことも必要って、まさにこんな感じでしょうか。
いや、決して「気を引く」ことではないですよ。
ここ数年、自戒のために意識している言葉があります。
「慌てず焦らず諦めない。」
「気負わず気張らず気にしない。」
これに合わせて最近意識していること。
「怒らず威張らず粋がらない。」(※所謂「イイガラない」にも係っている。)
人それぞれ色んな考え方がある以上、そこに見解の相違が生まれるのは当たり前のこと。
物事を進めるうえでの勢いは、とても大切だとは思いますが、勢い余って他人を威嚇するほどの勢いとなっても困るし、逆に形だけの虚勢になってしまうと、ただ疲れるだけだし格好悪いものです。
見解の相違や意見の食い違いにいちいち腹を立てても仕方がないことですが、かといって全く相容れないのは少し違うのではないかな、と思う今日この頃。
だからこそ、一方的に我を貫くのではなく、傾聴の姿勢も大事だよね、ということ。
そういう意味では、常に心の余裕、寛大な心を持っておきたいものだなあ、と思うことが多々あります。
失敗から得られることも多々あるとはいいますが、結局のところ「失敗」は、失うものが大きいというものです。
ちなみに僕の場合、口が災いとなって失敗することが圧倒的に多いため、もっと謙虚にならなければならないと自覚している…つもりです。しかし、もはや若気の至りが通用する年代ではなくなっているとはいえ、持って生まれた性分を簡単に変えることができるはずもなく、我慢ならぬものは我慢ならないんですけどね。もっとも、常々深くしたいと思っているのは「ネッチョ」ではなく、「懐」なのですが、たまには思い切り開き直ることも必要なのかも知れません。
今年の漢字は「災」だそうですが、いよいよ50代が霞んで見えてくる中、この先は「無病息災」で過ごしたいところ。
そして来年は年男。年甲斐もない猪突猛進も、ほどほどにしたいと思います。
しかし、今年はホント色々疲れました。
もはやこのブログは、自分にとって唯一の毒の吐き出し口になるかも知れません。少し喧騒から離れて、静かに年末を迎えたいと思います。
皆さま、穏やかな年末年始をお過ごしください。