Monthly Archives: 9月 2016

弘前・白神アップルマラソンまであと5日

第14回弘前・白神アップルマラソンの開催までいよいよあと5日となりました。僕が所属する弘前公園RCにとってこの大会は、いわばお祭りのようなもの。家族や友人、仲間などの声援を受けながら自己ベストを目指すメンバー、サポートする側に回るメンバーなど、参加目的や思いもそれぞれ違います。ただ、その日に向かってクラブ全体がかなり「熱」を帯びていることは、紛れもない事実です。

僕は一昨年、昨年とペースランナーを務めました。せっかくなら地元を盛り上げたい、大会を盛り上げたい、最初はそんなきっかけだったのですが、実際やってみると、一緒にゴールを目指すランナーに是非目標を達成してほしい、そんな思いを強く抱きつつ、がむしゃらにゴールを目指して走る皆さんを鼓舞しながらサポートすることや、ペースをコントロールすることの難しさを痛感しました。
ペースランナーはあくまでも裏方。脇役、引き立て役に徹しなければならないことを肝に銘じながら走った2度のフルマラソン。
昨年のアップルマラソンの後で、ペースランナーに対する認知度が一気に高まるとともに、ペースランナーを希望する人が増えたのも事実。しかし実際、自分が走り慣れているペースではないペースでフルマラソンを走るって、結構大変なのですよ、ええ…。

さて、今年の弘前・白神アップルマラソンなのですが、私、ペースランナーを務める予定がないどころか、実はエントリーすらしていません。
怪我のため不参加?走れなくなった?単なる物忘れ?いやいや、9月に入ってからそれなりに調子は上がってきていますよ。

今回、6月の弘前城リレーマラソンで伴走を務めたAさんの伴走を再び務めることになりました。
ですから、計測タグはもちろん、ゼッケンナンバーもありません。代わりに、これを付けて走ります。

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Aさんとは今もだいたい月に1度のペースでしょうか、土曜日の朝に弘前公園内を一緒に走っているのですが、アップルマラソンでの伴走を早々にお願いされまして、私でよろしければ、と二つ返事で了承しました。
これはこれでまた、やりがいのある内容になりそうだな、と。多分、Aさんと30年以上前から親交があったうちの亡父が、この組み合わせに一番驚いているんではなかろうか…。

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当初ご本人は、フルマラソンにするかハーフマラソンにするかで悩んでいた模様で(僕は「どちらでもいい」と返答、ただしフルマラソンの伴走を一人でやるのは辛い、とも伝えていました。)、結局今回はハーフマラソンを走ることを選択しました。Aさん、昭和23年生まれの御年67歳なのですが、マラソンに定年はありません。まだまだ挑戦したいことがたくさんあるということをいつも口にされていて、70歳までのフルマラソン再挑戦も視野に入れている模様。

ちなみに、ご本人に「どれぐらいのタイムを狙いますか?」と聞いたところ、あまり深く考えていなかったようなので、「どうですか、ここは一つ2時間で?」と提案したところ、「よし!それで行こう!」ということになりました。
しかし現実は、弘前城リレーマラソンの時も最速でキロ5分40秒ぐらいだったので、かなり厳しい設定だということを承知しています。
あとはAさんご自身のモチベーションと気力、体力がどれぐらい維持できるかにかかってくると思いますし、当日の気候も影響してくることでしょう。
しかし、やるといった以上は後には引けません。足を引っ張ることなく、しっかりサポートしたいと思います。

このブログをご覧になっている方には、当日大会に出場される方や、応援にいらっしゃる方もたくさんいると思うのですが、幾つかお願いがあります。

・大会当日は、Aさんが黄緑色、僕がピンク色の「No Apple,No Life」Tシャツを着用して出場する予定です。私たちを見かけたら、是非気兼ねなくお声掛けください。そして、Aさんに「完走目指して頑張ってください。」と一言お伝えください。その際、「マカナエ頑張れ。」は一切いりません。(僕も頑張りますが、まずはAさんに頑張ってもらうためにサポートに徹するだけなので。)

・もう一つ。ハーフマラソンに出場されるランナーの皆さんにお願いがあります。ご存じのとおり、スタート直後から岩木茜橋付近まではかなりの混雑が予想されます。急接近や衝突には、こちらも気を付けますが、皆さんもご注意、ご配慮頂ければありがたいです。特に給水所付近での急な立ち止まりは、できればご遠慮願えれば…。そして走っている間、沿道はもちろん、追い抜きの際にAさんへの声援をよろしくお願いします。

・最後に。ハーフマラソンのスタートは9時50分。フルマラソンのスタートから50分後です。私たちは2時間を目標にゴールを目指しますが、順調に走ることができれば、11時50分頃にゴール地点の追手門広場へと戻ってきます。がしかし、仮に遅れてしまった場合、フルマラソンで3時間切りを目指す皆さん(いや、もしかしたら3時間30分切りを目指す皆さん)とゴール付近でバッティングする可能性があります。フルマラソンで3時間切りを目指す人と、ハーフマラソンで2時間を目指す人とのスピードには、圧倒的な差があります。とはいえこればかりはAさん次第なので、僕にもどうなるかわかりませんが、もしもゴール付近でバッティングしてしまっても、どうか心穏やかに優しく見守ってください。

このほか給水はうまくできるか、走路をしっかり確保できるか等、不安なことばかりがたくさんあるのですが、役目をしっかり果たし、最後は二人で笑ってゴールできるよう心がけたいと思います。

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…でも正直、毎年ゴールでカメラを構えていたあの方が今年はいないと思うと、胸が締め付けられそうな思いに駆られます。願わくば、二人の姿を収めて欲しかった…。

合掌

無欲から出た、欲 -つがる地球村一周マラソン

10月2日は弘前・白神アップルマラソン。陸連非公認ながら、青森県内唯一のフルマラソン大会ということや、マラソンシーズンの到来を告げる最初の大会と位置づけている人たちも多いらしく、県内外から大勢の方々が集まります。僕自身、一昨年前は大会非公認のペースランナー(4時間)を務め、その功績が認められてか、昨年からは大会公認のペースランナー制度が導入され、3時間30分から5時間50分までと、幅広い時間帯にペースランナーが置かれたことも多くの方々に受け入れられたようで(ちなみに昨年は4時間30分のペースランナーを務めました)、今年も3時間から5時間30分まで30分刻みの時間帯で、ペースランナーが導入されています。(僕は今回、ペースランナーのお役目を辞退したのですが、その話はまた改めて…。)

さて、そんなアップルマラソン1週間前の調整レースともいうべき「第12回 つがる地球村一周マラソン」が9月25日につがる市森田で開催され、僕も2年ぶりに10キロの部に参加してきました。この大会、参加人数が少ない割には、エリートランナーも数多く出場しており、結構な高速レースとなります。
前回出場した際の記録は41分47秒と、10キロで初めて41分台を弾き出し、翌週のアップルマラソンに弾みをつけました。…といってもその時は4時間のペースランナーだったわけですが。

今回はあくまで調整の一環、いわばスピード練習としての位置付けての大会出場でした。ちなみにこのコース、そもそも距離が10キロに足りていないということを以前から指摘されており、2年前、そして昨年とコースが少しだけ変更になった(伸びた)とのこと。特徴としては、大会名に付された「一周」のワンウェイではなく、実際は5キロ地点での折り返し。しかも5キロまでは坂を下って折り返してくる、つまり折り返した後はほぼ上り基調という、後半に粘りを求められるコースです。

スタート時刻の午前9時前には日差しが出始め、かなり暑い感じ。そんな中僕は、黒いTシャツとショートパンツを身につけ、さらにはキャップを家に忘れたことを後悔していたのでした。

0925(怪我から復活したAさん撮影。ありがとうございます!)

しかも、またしても体重増加をやらかした上に(田沢湖の62.5キロから64キロまで増加)、朝から腹の具合があまりよろしくなく(実はスタート前まで4度もトイレに走っていた)、万全な体調と言える状態ではありませんでした。
それでもスタート地点、それも敢えて前の方に立った時には、2年前と同じく、前半の下りを抑えて後半の上りに備えるということを考えていたし、実際周囲の人にもそのことを話していたのですが、今回の大会参加の位置づけはあくまでスピード練習の一環、だったら思い切って勢い半分で突っ込んでみよう、と思い立ち、何の前触れもなく突然号砲の響いた9時のスタートと同時に、周囲の皆さんと勢い良く飛び出しました。タイムは考えず、行けるところまでいってみよう、と。それがいいのか悪いのかは、行けばわかるさ。
( )内は、GARMINに記録された1キロ毎のペース。
2キロまでは先頭の方が目視できるぐらいでしたので、かなり速いペースで走っていたようです(3:37-3:50)。下り坂とはいえ、練習ではこんなペースで走ったことはないと感じるペースでした。
もっとも、僕の前を走る皆さんは10キロを余裕で30分台で走る方ばかり。いわばその方々を「追う」ような感じをイメージして走っていたのですが、地力の差が現れ始めたのが2.5キロ付近から。給水を目前にかなり呼吸が荒くなり、相当心拍数も上がっていたのではないかと思います。「何でこんなスピードで走り始めてしまったんだろう」と、まだ4分の1しか走っていないのに、既にネガティヴモード。3キロまででじわりじわりと水をあけられ、かなりペースが落ちたような感覚に。(4:03)
何とか呼吸を整えるも、4キロ付近から現れる下り坂で他のランナーにどんどん追い抜かれ、給水を受け取ると気づいたら折り返し。(3:57-3:50)
時計には一切目をやりませんでした。時計に目をやった途端、集中力が切れることがわかっていたので。そして、折り返した後にだらだらと続く5~7キロの上りで、いよいよ頭が真っ白になりかけ、これから折り返す後続の仲間からの声かけにもまともに反応できぬまま、かなりペースダウン。(4:13-4:24)
ここでも何人かの人に追い越されます。「あー、休みたい。歩きたいなあ。どこかで歩くかなあ…。」そんなことを考えながら走っているうちに、前を走っていた仲間の姿はどんどん遠くなっていきます。
以前D介くんに教えてもらった「綱を引いて走る」感覚、田沢湖では実践できなかったので、この大会でやっていたんですが、「綱を引く」というよりは、「腸を引っ張り出す」ような感覚に変わってきて、具合が悪くなったという…。(実際は、ペースが速すぎて具合が悪くなったんだと思います。)
せめてもの救いは、この時点でゴールまで残り3,000メートルを切ったということ。あとちょっと、もうちょっとだけ粘ろう…。(4:15-3:58)
給水所で本当に足が止まりそうになりましたが、ここで足を止めては元も子もないと、もう一度気持ちを切り替えます。
そして残り約1,000メートルとなり、いよいよ最後の緩い上りへ。しかし、もはや頭も身体も限界に近いようで、足下も覚束ないような状態。途中、声援を送られるも、それに応じる余力すらなく、息も絶え絶えで何とかゴール。(4:17)
距離が足りないと思っていたので、チップを外してもらった後、数十メートルだけ流し、9.9キロでランを終了。

chikyumura(計測タグを外してもらった後、15秒ほど流しました。)
そして、汗が滴り落ちる中で受け取った完走証を見て、思わず笑ってしまいました。
「40分03秒」って、あと3秒、いや4秒何とかならなかったのかなあ、と(苦笑)。

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「たられば」の話をし始めるとキリがないし言い訳がましいのでやめておきます。あれもそれも全部ひっくるめて、これが今の実力ってことです。
まあでも、2年前と比較しても1分半以上はタイムを縮めたことになるはずだし、もう少し粘れれば、10キロ40分切りというのも視野に入れることができるのかな。これでまた一つ目標ができた、ということに。
…というか、こんなペースで走りきった(?)自分に、ちょっと驚いているところもあるのです。ただ、一つだけ反省点を挙げるとするならば、1キロ毎のペースのムラが酷すぎました。もう少し落ち着いて走ればよかった。

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10キロの40代以上の部には、ちょうど100名がエントリーしていまして、実際何名の方が走ったのかはわかりませんが、ゴール後に張り出された部門別順位を見ると、12位(全体では20位)。
しかも、当日のオープン参加で順位の出ない人も何人か僕の前を走っていましたので、実際はもっと下、ということに。皆さんどんだけ速いんですか。ホント恐れ入りました。

で、ゴール直後にまるで滝に打たれたような汗をダラダラと流して座り込んでいると、一人の女性から声を掛けられました。
「あのぉ、昨年のアップルマラソンでペーサーされた方ですよね?」
「え、あ、はい。4時間30分の…。」
「よかった!やっとお会いできました。ずっとお礼したくてお礼したくて。あのとき、凄く楽しかったんです!本当にありがとうございました。」
「あ、いやいや。こちらこそありがとうございます。」
「今年もペーサーやられるんですか?」
「いや、今年はちょっとやらないんですね。でも、また仲間がやりますので。」
「そうなんですね!またよろしくお願いします!」

一気に疲れが吹っ飛びました。いやあ、ただただ嬉しかったです。Yさん、お声がけありがとうございました!

余談ではありますが、抽選会でつがる市の特産品の一つである牛蒡が当たりました。前回は菓子パンの詰め合わせが当たりました。つまり、2回出場して2回とも抽選を引き当てているんです。

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さらに、参加者へのおもてなしも充実しています。参加賞の食パンを受け取り、ポップコーン1袋を頂き、10キロを走り、ゴール後には豚汁を食らい、そして牛蒡を当てる…しかもこの他に、当日限定ながらも、つがる市内にある温泉の無料入浴券まで頂けるという。何気に費用対効果、抜群。
ローカル感の溢れる大会ではありますが、実は家の人が参加を喜ぶ、数少ない大会の一つなのです。

「SL銀河青函DC号」撮影記

正直言うと、動く被写体の撮影が苦手だ。マニュアルモードの設定は、未だによく理解していない。いろんなものを撮影することは好きだが、かといってそんなにカメラにのめり込んでいるわけじゃない。

ショボいスペックの一眼レフデジタルカメラを手にして既に4年以上が経過、これまで何枚撮影してきたかわからないが、その多くは、自分でマニュアル設定するのではなく、カメラのオート機能に頼ることがほとんどだった。いや、実際オート設定にした方が楽だったし、うまく撮影できたことが多かった。
が、肝心の時はマニュアル設定での撮影を心掛けた。「肝心の時」というのは、「自分で撮影した」感を味わいたい時。まあ、そんな機会が年に何度あるかといわれるとほとんどないんだけれど。

さて今回、青函デスティネーションキャンペーンの一環(中核イベント)で、JR釜石線(花巻~釜石間)を走る「SL銀河」が、「SL銀河青函DC号」として青森~弘前間で9月17日、19日に運行された。
9月上旬から試運転が始まっていて、お昼前後には弘前駅周辺が蒸気機関車の鳴らす汽笛で賑やかになる、という話を聞いていた。
「SL銀河」については、3年前に花巻市を訪れた際、花巻駅で一度見たことがあり、それ以来の「再会」を果たす日が来るんじゃないかとワクワクしていたが、17日は翌日の田沢湖マラソンに向けた準備やら何やらで、そういう余裕はなさそうな感じ。19日も、時間が取れるかどうか…。

9月12日。この日は消化しそびれていた夏季休暇を充てることにしていた。本当は岩木山登山を目論んでいたのだが、色々あって10月に延期することにした。
しかも、16歳となった愛犬モモがかなり衰弱していたため、病院に連れて行くことに。そしてふと思い立ったのが、「SL銀河」との再会だった。運行ダイヤでは、10時13分に青森を出発し、11時46分に弘前に到着するとのこと。色々考えた結果、弘前の隣駅、撫牛子(ないじょうし)駅で待ち伏せしてみることにした。最近乗り物に興味を持ち始めた甥っ子を引き連れ、11時半近くに撫牛子駅に着くと、誰もいなかった。

しめしめ、これは独り占めできる、とほくそ笑んだが、秋田ナンバーの車が既に停まっていて、待合室には大きなレンズを取り付けたカメラを手にする男性が、どうやら「SL銀河」の通過を待っていたようだった。(実は僕はこの時、運行するかどうかの判断となるあることに気づいていなかった。)

11時46分到着なので、恐らく11時40分頃には撫牛子駅を通過するはずだ。カメラを片手に、甥っ子の手を引き、青森方面側のホーム、つまり通過する反対側のホームでその時を待った。イメージしていた構図は、生まれて初めて見るSLを見た甥っ子の反応。手を振るもよし、はしゃぐのもよし、その姿の奥には疾走するSL銀河…というものだった。
11時38分。時計を見ながら静かにその時を待つ。いよいよ退屈の限界が近づいてきた甥っ子を、一緒についてきた妹がなだめている。

僕は、橋脚の向こうから響いてくるであろう汽笛、そして見えてくるはずの煙を凝視する。
42分。…あれ?来ない。連日試運転をしているって聞いたのに、何で?慌てて検索して、あることに気がついた。それは、試運転が行われる日は、安全確保のため踏切やホームに警察や警備員が張り付くということ。あたりを見回しても、警察や警備員はおろか、人ひとりいないし…。
何とこの日試運転は行われず、結果的に空振りを喰ってしまったのだ。帰り際、甥っ子が一言。
「ピンクのSL、格好よかったね!」
いや、それSLじゃなくて、青森から弘前に向かう普通電車なんですけど…。(汗)

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翌日マスコミ向けの試乗会があることを妹に伝えると、思うところがあったのか再び甥っ子と撫牛子駅を訪れ、無事「SL銀河」を見ることができた、との報告があった。

「前日空振りしてくれた兄のおかげです。」
…うるさいわ!(苦笑)

9月14日。大切な後輩の御尊父が他界され、18時30分からのお通夜に参列するため、15時過ぎから2時間お休みを頂くことにしていた。
一昨日の失態を挽回すべく、家を出る際にカメラをカバンに忍ばせ、電車ではなく自家用車で青森へ。
不謹慎ながら、あわよくば帰りに「SL銀河」をファインダーの中に捉えようという作戦。お昼に母から「弘前駅、蒸気機関車の汽笛が凄い。」という情報を得ていたので、この日試運転が行われているのは明らか。
あとは、弘前から青森に向かう時間帯さえ間違えなければ、きっと会えるはず。

そして、「SL銀河」を捉えるべく狙いを定めた駅は、大釈迦駅。理由が幾つかある。
(1)職場から向かう帰路の途中ちょうどいい場所にあり、準備の時間を確保できること。
(2)無人駅であり、かつ駅のすぐそばに無料の駐車場があること。(定期券を持っているので、別に有人駅でも構わないんだけど。)
(3)駅の構内が比較的広く、弘前方面からはほぼ直線で線路が走っていること。(遠くから走ってくる姿を目視できる。)
(4)停車時間が長いこと。(他の駅は停車時間が2分程度であるのに対し、大釈迦駅は14分。)

青森の職場を出発し、大釈迦駅に到着したのは15時50分頃。既に駅の構内には、警備員とJRの保安係員の姿が。これから待望の「SL銀河」がやってくることを確信した。

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てっきり1番線ホームに入線するのだろうと思ったら、どうやらそうではないらしく、3番線に入線するようだ。構内の跨線橋を渡り、到着の準備を進める係員に聞いてみた。
「ええ、3番線に入線しますよ。」

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確かに2・3番線ホームには、SLの停車位置を示すマークが貼られていた。当初2・3番線ホームから1番線へのアングルを、と考えていたのに、魂胆がちょっと狂ったが、これはこれで結果として良かった。
再び1番線に戻り、弘前寄りのホームの端に陣取る。…といっても、ホームの上には誰もいない。どうやら今日は作戦成功のようだ。あとは、カメラの設定とピント合わせさえちゃんとやれば…あ!三脚を忘れた!
あろうことか、三脚を家に忘れるという失態。
すぐに弘前行きの電車と青森行きの電車がそれぞれホームに入線し、程なく出発。この弘前行きの電車が、次の浪岡駅で「SL銀河」と交換となるはずだ。
16時05分頃、「浪岡駅出発」の無線の声が耳に聞こえた。いよいよターゲットはこちらに向かっている。
ホームの端にある柵を三脚の代わりにし、200mmのレンズを固定。ふと見ると、跨線橋の上にはSLの到着を待つ人の姿。2・3番線ホームにもまばらながら一般人の姿が見受けられる。
やがて遠くに、一つ目のライトが見え始め、少しずつその姿を大きくしながら、ゆっくりとこちらに近づいてくるのがわかる。黒光りする車体から白い煙や黒い煙を吐き出し、徐々に大釈迦駅へと迫ってくる。

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駅構内南側にある踏切警報器が鳴り、遮断機が下りる。一つ目のライトはどんどん大きくなり、3番線方向へと切り替わったポイントをガタンゴトンと音を立てながら走ってくる。ようやく見ることとなったその姿に興奮を隠しきえれぬまま、肝心の「置きピン」の手前で慌ててシャッターを切ってしまったため、ちょっとだけボケの入った画像となってしまった。

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ヘッドマークを外したC58型蒸気機関車と、「SL銀河」のロゴが施された青い4両編成の客車(正しくは自走することもできる気動車)の全景を捉え、跨線橋を駆け上がる。試運転のはずだが、なぜか乗客の姿が見受けられる。

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僕はといえば、蒸気機関車の正面、真横、背後と、色んな角度から何かに取り憑かれたかのように無心でシャッターを切っている。

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程なく、秋田行の特急「つがる」が通過するので、黄色い線の内側に下がって欲しいと拡声器で保安係員が叫ぶ。これも織り込み済だったので、蒸気機関車と特急のすれ違いを捉えることができた。

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…って、何かここまで来ると私、鉄道マニアみたいなんですけど、ホントそんなことはないんですよ。好きか嫌いかで問われれば「好き」ではありますが、少なくとも「マニア」ではないですから、ええ。「にわかファン」程度で勘弁して下さい。

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しかし、そんなホーム上で繰り広げられた至福の時間もあっという間に終了、もうもうと黒い煙を吐き出しながら、28分頃にボォーッという大きな汽笛、そしてなぜか牽引されているはずの気動車も汽笛を鳴らし、青森方面に向けて大釈迦駅を出発していったのであった。

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12日の失態が生んだ作戦は、まさにケガの功名といった感じで幕を閉じた。
帰宅してから妙に鼻がむずむずするので、ティッシュで鼻をかんだら、ティッシュが煤で真っ黒になった。

不完全燃焼 -第31回田沢湖マラソン

全国198名のnonvlogファンの皆さま、お待たせしました。鉄は熱いうちに打て。昨日の田沢湖マラソンの結果だよ!今回も長いよ!いつもいつも長くて、ホントごめん!


今年掲げた目標は、ハーフマラソンで90分を切ること。そして、フルマラソンで200分を切ること。
最初の目標は、2016年最初の大会となった花巻ハーフマラソンでギリギリながらクリア。ところが、そこから慢心が生まれてしまったこと、さらには例のごとく「怪我のコンビニエンスストア」商売繁盛ということもあって脚やら腰やら内臓やらの不調で大会出場すらできないということもあり、どうも不完全燃焼のまま夏場を迎えた。

スピード練習やインターバルなど、これまで避けてきた練習も少しずつではあるけれど取り入れるようになり、徐々に底上げはされているんじゃないかと思って臨んだ北海道マラソンは、既にこのブログで結果をお知らせしたとおり、見事に鼻をへし折られた。

さて、2016年のフルマラソンはあと2度しか出場機会がない。勝手に相性がいいと思っていた田沢湖マラソンは昨年撃沈してちょっと苦手意識も芽生えているし、ということは、昨年PBを出したのに2回目の開催にしてコース変更が行われるというさいたま国際マラソンで、一発勝負を狙うべきか…。
悶々とした思いを抱えたまま、モチベーションも上がらず、しかも公私ともに色々あって心身ともにかなり疲れた状態で田沢湖マラソンを迎えることとなった。

田沢湖マラソンに出場するときは、北秋田市にある親戚の家に前泊し、駐車場確保のため当日の早朝に田沢湖入り、7時前には受付を済ませ、スタート時刻の10時まで退屈な時間を過ごす、というのがこれまでのパターン。ところが今年は親戚の家に泊まることができなくなったため、さてどうしようかと思っていた時に、キャプテンからの鶴の一声で、田沢湖高原にある温泉旅館に一泊することとなった。

8畳一間に45歳46歳47歳の男が3人。しかし、ランニングという共通の趣味で繋がっている仲間なので、まったく気兼ねすることはない。
そして、僕は大会前日に絶対やらないことにしている禁忌事項(タブー)を二つ破ることに。
一つは、大会前日のビール。一度これをやらかして翌日の大会で散々な思いをした、ということがあり、やはりアルコールは入れるべきじゃないという固い信念を持ち、これまでも頑なに遅くとも前々日から「ノンアル」を貫き通していたのだけれど、北海道Mでそれが何の用も為さなかったということを実証してしまったため、禁断の飲み物に口をつけてしまった。(それも、500ミリリットル瓶を2本。結構飲んでるじゃん。)

kanpai(実はうれしい。)

nabebugyo(鍋奉行役を買って出ました)

もう一つは、温泉。汗をかかずに極力水分を体内に溜める、そして、長湯し過ぎて疲れを残すことがないように、前日に湯船に浸かることを極力避けていたのだが、温泉旅館に来たのに温泉に入らずにどうする、ということで、食事の後でゆっくり温泉に浸かることとなった。
が、結果としてこれらのことが、程よく心身の疲労を取り除いたらしく、21時になると、修学旅行でお約束の枕投げもY談も好きな女の子の名前告白も顔への落書きもなく、皆さん就寝体制に。

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そして僕は、21時30分には誰よりも先に眠りに就いてしまったらしく。

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翌朝5時30分起床。なんと8時間も寝たことに。十分すぎる睡眠時間で、すっかり体の疲れが抜けたような感じ。7時前には朝食を済ませ、その後も8時近くまで布団の上でゴロゴロしながら身体を休め、8時30分前に宿を出発。シャトルバスの出発する大駐車場まで自家用車で移動し、そこから大会会場までバスに揺られ、会場に到着したのが9時過ぎ。ここで、弘前公園RCのメンバーと合流。
しかし、結果としてこれはかなり良かった。心のゆとりができたというか、なんというか。

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そしてこの日、それまで毎回のように行ってきたルーティン二つを変えた。一つは、切り餅を食べ続けるのをやめたこと、もう一つは、シューズを変えたこと。
これまで10回のフルマラソンに出場してみて、タイムに劇的な変化が見られないのは、練習の質はもちろん、大会直前の過ごし方を変えていないからじゃないか、と思った次第。だから、それなりに練習の質は変えたつもりだし、苦手意識が芽生えつつあるとはいいながら、勝手に相性がいいと思っている田沢湖マラソンで、何か一つのきっかけを作れればいいな、と思ったのも事実。それで失敗したら、次のさいたま国際マラソンまでの約2か月で修正すればいいんだし、うまくいったらまたそれをアレンジしていけばいい。ある意味、試行錯誤の結果を田沢湖マラソンにぶつけてみよう、そう思ったわけですよ。
そして、1キロ4分40秒への固執を捨てよう、と決めた。田沢湖マラソンは、スタート直後一気に下るため、かなりハイペースになる。そして、そのハイペースが引き金となってオーバーペースとなり、昨年は30キロ過ぎからガタガタとタイムが落ちたという苦い経験をしている。あれから1年、過去の大会を色々トレースしながら、田沢湖をどう攻めるか考えた結果、サブ3.5は当然のことながら、3時間20分を目標とすること、そのために、1キロ4分40秒というペースをキープすることを考えた。しかし、36キロから現れる激坂を考えると、前半から4分40秒をキープしたところで、残り5キロは失速するのが目に見えていた。だったら、前半のペースをもう少し上げてみよう、と考えた。というか、ずーっと4分40秒に固執し過ぎていたような気がする。
そう、今日のレースはあくまでも試行錯誤。…できるかどうかは、別として。

午前10時、全てのコースで一斉スタートの号砲が打ち鳴らされる。ほぼ最前列からのスタート、ロスタイムはほとんどなし。予想通り下り坂に入るとものすごいペースで皆さん突っ込んでいく。その流れに乗りつつも、少し抑え気味にペースをまとめにかかる。前方には、同じクラブのメンバーが4人いるので、その人たちをしばらくペーサーとして利用させていただこう。
この日良かったのは、これで3度目となる田沢湖マラソン、コースの起伏が大体頭に刷り込まれていたので、どこでペースを抑え、どこでペースを上げるべきかというコントロールが働いたこと。
ちなみにこの日の5キロごとのタイムはこんな感じ。

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ネガティヴスプリットどころか右肩下がり、特に30キロ以降ペースが落ち始めてはいるものの、前半は大体4分40秒を切るペースを通していた。そして後半も、キロ6分を上回る、ということはなかった。

もう一つ良かったのは、このコントロールのおかげで暑くなる前に田沢湖畔に歩を進めることができたこと。ちなみに記録証を見ると、天候は曇りでも気温は25度、湿度87%って、かなり蒸し暑いんですけど。
時計を見ると欲が出てしまうので、極力見ないようにしていたものの、やはり辛くなると見てしまう。35キロ通過の時点で2時間40分ちょっとだったので、お!これって3時間15分切れるんじゃない?という欲が出た直後の36キロからの激坂、2年前の大会でマラソンを始めてようやくサブ3.5を達成した時に、この下り坂で両足が攣って走られなくなるというトラウマは簡単に払拭できず、登りも下りも途中歩きを入れながらかなり慎重に走った結果、残り5キロの脚が出なくなるという…。それでも200分切りだけは絶対達成してやると、歩いては走り、歩いては走りの繰り返しだったけれど、ラスト1キロは4分半を切って走っていたようで、ゴール直前で電光掲示板に目が行き、「3:17」の文字が見えたときは、思わず小さくガッツポーズ。
ゴール直前に畏友I先生親子の「のんべ!ラストラスト!」という声が聞こえたときは、ホント泣きそうになった。そしてゴールしたらこの二人が出迎えてくれて、思わず号泣しそうになった。

seitaroandnon(中学生のS君は今年初めて10キロに挑戦、53分でゴールしたんだって。ちなみにオラは涙目です。)

北海道で経験した足攣り対策として、市販されている普通の塩飴、それもレモン味と梅味の二種類を用意して飽きが来ないように交互に舐めながら走ってみたけど、結局35キロ過ぎてから舐め始めた飴は、呼吸の際に邪魔になって仕方なかった。補給は「粉モン」も含めて10キロ以降35キロまで5キロごとに摂取する徹底ぶり。これも、結果としては悪くなかった。

そうそう、一番大事なこと。実は初フルからずっとこれまでフルマラソンの時は「adizero Japan」(ブーストじゃないやつ)を履き続けていたんだけど、直前の32キロ走で履いて走った「takumi ren boost」が結構いい感じだったので、今回初めてこれで走ってみたら、思いのほか足の運びが楽だった。

やっと、やっとのことで200分切り達成ですよ。でも人間って欲な生き物ですよね。実はサブ3.15行けたんじゃないかとか、ずっとそのことばかり考えているわけですよ。だから、ちょっと不完全燃焼気味。もちろん失敗レースではなかったけれど、もう少し行けるよね、そう思った田沢湖マラソンでした。もうちょっと頑張ってみまーす。

8年目の9月7日

9月7日、父が他界してから8度目の命日を迎える。4日の日曜日は、朝早くから妻と母と墓参りに行き、父や先祖の眠る墓前に花を手向けた。

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不思議なもので、父が亡くなった前後のことの記憶は今でもハッキリ覚えているくせに、2年前の七回忌法要のことについては全く自分の記憶から抜け落ちていて、墓前で妻や母と話をしながらその時の記憶を呼び起こそうとしたが、法要に誰が同席して、その後どこで何をしたのか、まるっきり記憶が欠落していることを知り、愕然とした。

父は普段は多くを語らない人間だったが、アルコールの勢いを借りると雄弁になり、時としてそれは他人を不愉快にしたり、傷付けたりすることもあった。
そんな父の姿を目の当たりにするたびに、父のようにはならないぞ、と思っていたけれど、ここ最近の自分を振り返ってみると、かなり父に近い素性をさらけ出している感じがして、正直ちょっと焦っている。

父は5人兄妹のちょうど真ん中だったが、幼い頃に養子縁組で今の家にやって来た。村の人から市の人になり、M家の人からM家の人になった。父は、生い立ちから母との馴れ初めまで、ほとんど自分で語ることはなかったけれど、伯父叔母や母からいろいろ聞かせてもらった。僕が物心ついた頃には、父は家を空ける機会が多かったし、晩年も家にいないことは日常茶飯事だった。それが七回忌が終わった途端、いよいよ父が「うちの人」としてちゃんと居るべき場所に戻ったような感じがしている。

しかしながら父の没後8年経ってもなお、未だに父に関して知らないこと、わからないことがたくさんある。
別に父の全てを知り尽くそうというつもりはないが、父がこの世に存在したという足跡を辿ることが、愚息としての一つの使命なんじゃないか、ちょっと大げさに言うならば、生きとし生ける者として故人の思い(想い)を紡いでいくことが、最大の弔いなんじゃないか、と勝手に思い込んでいる。だから、市内はもちろん全国各地に足を運ばなければならないところが、まだまだたくさんあるのだ。

_20160904_124637(晩年、父が足繁く通っていた弘前市郊外の飲食店の名物「冷たいラーメン」。ここを訪れるようになったのは、父が居なくなってからだった。)

今年の6月頃から、盲人ランナーであるAさんの伴走で、時々一緒に練習しているが、Aさんと父はかつて、同じ時期に青年会議所活動に従事していた。Aさんは、僕がまだ知らない父のことを知っていたし、「これはあなたのお父さんが繋いでくれたご縁だ。」と言って喜んで下さった。些細なことであっても、伴走している途中で父の話題になるのは、嬉しいものだ。

父の死のことについては以前このブログに投稿したとおりだが、今もなお連日のように、とあるキーワードで検索した結果、このブログに辿り着いている人がたくさんいることを知っている。
例えば、こんな感じのキーワードだ。

「自死遺族 辛い」「自死遺族 結婚」「自死 父」「自死 生活できない」

裏を返せば、それだけこの世の中には自死遺族がたくさんいるということだし、そしてそのことに対する後ろめたさというか負い目というか罪悪感というか、そういう「何か」を抱えたり築いたりしながら生活している人がたくさんいるということなのだろうと思う。

僕はせいぜいこのブログで勝手に自分が思ったことを発信しているだけのことで、別にそのことを隠し立てしようとは考えたことがない。当時は地元のテレビも新聞もこぞって父のことを取り上げ、もはや隠しようがなかったということもあって、ある意味「開き直り」でもあるんだけれど。

僕と同じような境遇に遭った人達はきっと、心のどこかで慰めて欲しいと思う一方で、周囲の人達には触れて欲しくない、普段通りのまま接して欲しいという複雑な気持ちを抱えているんじゃないだろうか。
その一方で、周囲の人からすれば、一体どう接すればいいんだろうかと困惑しながら、きっと腫れ物に触るような思いで、どこかによそよそしさを隠しながら接している人も多いことだろう。
人の噂も七十五日とはよく言ったもので、自死遺族の皆さんが思っているほど周囲の人はそのことを覚えていないというのも事実。さっきも触れたとおり、「こちら側」の人はこちら側で、勝手に自分の中に壁を作ってしまっている人が結構多いような気がする。
他方、「外の人」から見ると、憎悪と悲哀に満ちあふれたその「壁」にどう触れたらいいのかわからず、困惑している、ということなのだろう。

できればタイムマシンに乗って、晩年の父と膝をつき合わせていろいろ(もちろん説得も含めた)話をしたいと思うことがある。それに、もしかしたらこういう事態を招く要因を作ってしまったのは、実は僕なのかも知れないという罪悪感に苛まれることだって未だにある。でも、亡くなってしまった者はもう二度と戻ってこないし、過去を取り戻すこともできない。一番苦しかったのは本人であり、その苦しみから自らを解き放った結果としてのことなのだから、その苦しみまでを僕たちが継承する必要は、ないはずなのだ。
…いや、実際本人が苦しみから解放されたのかどうかは知る由もないし、遺された僕たちが抱えなければならないものが少なからずあるのも事実なのだけれど。
僕自身、こういう投稿を続けることによって自分の気持ちを浄化しつつも、同じ境遇にある人達の「壁」を少しでも低くして差し上げたい、願わくば同じ境遇の人達にはいつまでも塞ぎ込むことなく、少しでも楽になって前を向いて生きていって欲しい、いや、生きていきましょう、そう願っているのは事実だ。

…などという投稿を未だにしている時点で、僕自身の心の中に築かれた「鉄壁」は、取り払われるどころか高さを変えることもなく、今も立ちはだかっているのだろうか。
あれから8年経った今も、父に対する思いが簡単に色褪せることがあるはずもなく。

合掌