日別アーカイブ: 2016-06-13

「第4回弘前城リレーマラソン」参戦記

当初、昨年に引き続いての仕事の都合で、参加を見送っていた今年の弘前城リレーマラソン。
ところが今年はその仕事が直前で立ち消えとなり、参加することが可能になりました!…とはいえ弘前公園ランニングクラブ本隊からは2チームがエントリーしていましたが、僕は既に参加できない旨を伝えていましたので、今回はからかいがてら応援をしに行こうかな、と思っていたのですが…。(いや、ホントに)

母校の弘高応援団が大会を盛り上げるということを知ったのは、Tキャプテンからの一報。応援団OBとして居ても立ってもいられなくなり、大会長のSさんに「オレも手伝いたい」と連絡を入れると、「お願いしたいことがもう一つある」と逆依頼。
それは、全盲ランナーとして弘前市内では知らない人がいないであろう、秋田修さんの伴走をして欲しいというものでした。

秋田さんはうちの父のことを知っており、アップルマラソンの時はフルマラソンの折り返し地点で父に声を掛けられたことなどを話していました(確かに当時、手伝いに駆り出されていたんです)。そして、ご本人から「是非今度一緒に走りましょう」と言われたことがありました。その時は軽い気持ちで「良いですよ!いつか一緒に走りましょう」とは言ったものの、伴走されている方々を見て、ただただ凄いなあ、という感想しか出てこず、自分に務まるはずがない、と思っていたのですが…。
ひとまず伴走についてSさんに「オレができるのであれば…」と了解した直後に、秋田さん本人から直接連絡があり、まずは一度試走してみたいということで、4日に約1時間半ほど弘前公園内を伴走してみました。正直、うまく務まったかどうかは分かりませんが、秋田さん直々に正式な伴走のオファー。元々リレーマラソンには出る予定もなかったので、快諾することとしました。

一方の応援団のお手伝い。表向きは「5人しかいない応援団と一緒に、エールを送って選手を応援したい。」というものでしたが、本心は「大会を盛り上げる一助になりたい。」という、それだけの話。
親子以上の年の差がある現役高校生の中に混じって、45歳のオッサンがエールを送る。以前から地元を盛り上げたいという思いを持っていましたが、その機会を得て舞台に立つということは、非常に名誉なのではないか、しかも、現役高校生と一緒にエールを送ることなんて、そんな簡単にできることではないんじゃないか、と考えるようになりました。
ただしこのことは誰にも口外せずに、当日のサプライズにしようということで、TキャプテンやS大会長らと口裏を合わせることにしました。
大会2日前の金曜日夕方に弘前高校へ出向き、現役の応援団員と初対面。話を聞くと決して安定的な活動ができているわけでもないらしく、昨年はほとんど活動を行わなかった、とのこと。我々の頃(といっても28年前)とは違って、応援練習の内容も変わってしまったらしく、応援歌も全部覚えていないのだそう。実際この日演舞を見たのは、外ではなく科学室の中でした。しかも試験期間中でのお手伝いということで、かなり恐縮してしまいましたが、30分ほどで当日の段取りについて大枠を決めました。
しかも、実行委員会の側でわざわざこの日のために学ランを用意してくれることに。
面白いことになるのかドン引きされるのかは、やってみなきゃわからない、ということで。

大会前日は秋田さんと2度目の試走。リレーマラソンのコースを走ってみようということで試走したところ、「もう1周、もう1周」のおかわり連発。恐らく秋田さんとの試走は12キロ程度だったと思いますが、家に戻ってみたらハーフマラソンを越える距離を2時間30分以上に渡って走っていました。しかし、一緒に走っているときのお話しは本当にハッとさせられることが多いです。なんか新しい気付きの扉をしらみつぶしにノックされているような、そんな感じなのです。考えてみると、父と同世代の人と一緒に走ることなんてないわけですよ。それが、同じ歩調同じスピードで一緒に走っているということ自体が、僕にとっては凄い経験というか、糧になるんです。

さて、大会当日は何かさっぱりしない天気。8時30分過ぎに会場に到着、まずは秋田さんのチームの皆さんに御挨拶。平均年齢60歳を越えたチーム構成、45歳の僕でも十分若手でした。実はこのチームのメンバーには、秋田さん以外にもうちの父が生前お世話になった方が何人かおられまして、僕が誰なのかを知った途端、そりゃビックリされたといったら、もう…。「小学生の頃、何回か会っているんだよなあ。」と感慨深げに語る皆さん。そして何より、僕の伴走がどんな感じなのか、興味津々の様子でした。というかですね、メンバーがたった6名って、ちょっと少なすぎるんですけど…。

本当は単独で走りたいところもありましたが、今回はあくまで秋田さんの伴走に徹することに。
まずは2走目で2周4キロ、そして最後21周目のアンカーで1周2キロの計6キロを伴走することになりました。秋田さんは僕以外のお二方の伴走により、計5周することになっていました。

しかし、10時のスタート直前には応援団のお手伝いをしなければならず、更に11時のハーフコーススタートでも、同じくエールを送らなければなりません。
かなりハードなスケジュールとなることが予想されましたが、受けた以上はやりきらなければならないという義務感が湧いていました。

それにしても、今まで色んな大会に出場していますが、この日はこれまでで一番緊張したかも知れません。

大会本部側でIさんから借りた短ランに袖を通し、下は自前の礼服、更に足下は雪駄、腰には手ぬぐいという蛮カラスタイル。現役高校生は皆さん袴姿ですので、僕の方が目立ってもやむを得ない格好でした。更衣室となったテント内で演舞の内容の最終確認と振りを合わせ、9時40分過ぎにテントを出ます。おもむろに外を闊歩すると、雪駄の音に好奇の目が向けられるのが分かります。が、当の本人は全く意に介することもなく、まるで現役学生のように準備。

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あ、そうそう。応援団の参加が決まった時に、僕も実行委員の中に名を連ねていましたので、演舞を行う場所をどこに確保しているのか、どういった内容で行えばいいのか、といったことを他のスタッフと打合せ。…しかし、普通の格好をしているスタッフと学生服に雪駄というスタイルの僕が打合せを行っている姿も、なかなか奇妙だったようです。

この間、僕の姿に気づいたランニングクラブや他のチームのメンバー、更にはスタッフまでもが驚きの表情でこちらを見ていますが、程なくそれは、笑顔に変わりました。そう、これでいいんです。こういう形で大会を盛り上げることができるのが、僕にとって本望なのですから。

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さて、演舞はいたってマジメに行いました。9時55分から都合2回。(なぜ2回行ったかというと、予想以上に演舞が早く終わり、間が持たなくなったという主催者側の事情がありました。)
後輩よりも大きな声で、エールを送ることができたんじゃないかと自認していましたが、周囲から沸き起こる拍手が実に気持ち良かったです。

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10時のスタートを見送ったあと、すぐに秋田さんを連れだって更衣室へ。学ランを脱いでTシャツ、ランパンのランニングモードへ切り替え。そして、襷受け渡しゾーンへと急ぎます。

10時20分過ぎ、2周を走り終えた第1走のランナーがやって来ました。いよいよ秋田さんの伴走、スタートです。伴走は3回目となりますが、練習の時とは雰囲気がまるで違います。襷を受け取り、秋田さんへ手渡し。秋田さんが御自身で襷を身につける間、足下の状況や進む方向の指示を出します。この間も、秋田さんに対する声援があちらこちらから聞こえています。意識したのは「危険回避」。しかし、緊張からか何度か的確な状況報告を行うことを忘れてしまったり、何よりも腕を上げて大きく振りすぎてしまったため、それが秋田さんに緊張感として伝わったらしく、「腕!腕下ろして!」と注意される場面もありました。

今回は(も?)コースが変わっており、アップダウンの他にカーブ(というかクランク)がたくさんあったり、砂利を踏む区間が多かったり、結構難儀しました。1周目が5分45秒とかなり早めでしたので、2周目はなるべく落ち着かせるよう走ったつもり。あとは、時々尋ねられる「角まであと何メートル?」との質問に、なるべく誤差が生じないように距離感を掴みながら走りました。

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僕の時計では平均6分を切っていましたので、最初はまずまずだったかな、と思っています。
ここから次の伴走までは相当時間が空くので、11時前の応援団活動を無事に終え、現役応援団にお礼と別れを伝えた後は、駆け抜ける仲間に声援を送り続けていました。
今回は、ランニングクラブの練習に参加している皆さんがいろんな他のチームで出場していたため、間髪入れずに目の前を駆け抜けていき、声援しているのが楽しくて仕方がありませんでした。

そうそう、いくら他のチームのお手伝いをしているとはいえ、「No Apple, No Life」の看板を捨てる気にはなれません。秋田さんが「No Appleの黒を着用する。」と前日に仰っていたので、僕は敢えて白のTシャツを着て参加しました。

最も早いチームでは、2時間30分程度でゴールしたようですが、うちのチーム(チーム名が「風前の灯」って、おい。笑)相変わらずゆっくりと歩を進めていました。本当にゴールできるんだろうか…という一抹の不安が。
結局14時過ぎ、僕の伴走による最終周回がスタート。既に大半のチームはゴールを終え、記念撮影をしていましたので、すっかり終わったような気分なんでしょうね。表彰式を終えた安堵感からか、まだコースを走っているランナーがいるのに自由気ままにコースを横断されるのは、かなりハラハラドキドキでした。
実際、コースを我が物顔で横断する人がたくさんいたため、結構な剣幕で「道を空けてください!」と声を荒げながら走路の確保に懸命でした。だって、ケガをさせたら元も子もないわけですよ。これぞ危険回避、安全確保ですよ。
事実、応援している目の前で接触した事案が2件。双方ともに転倒しかけました。(毎回のことなのでしょうけれど)1周目で既に襷受け渡しゾーンと周回ゾーンが応援と選手とでゴチャゴチャになっていたようなので、この辺もできれば整理をお願いしたいと思いました。

気になったことがもう一点。土手に上る大人子どもが今回やたらと目につきました。信じられないかも知れませんが、親子で土手から滑って転げ、木に衝突した人達を見かけました。一歩間違うと負傷していたと思います。それぐらい凄い勢いで転がってきました。この点も含め、事前周知を徹底した方が良いと思います。ヒマになった子どもたちにとっては土手は格好の遊び場なのでしょうけれど、もしも堀に転げ落ちていたらと思うと、ゾッとします。

話を戻します。秋田さんもさすがに5周目ということで相当辛いらしく、かなり息が上がっていました。ちなみに僕は3周目、しかもかなり間が空いているので肉体的な疲労感はないし、ペースは上がっていないので楽なものです。ただ、緊張から来る汗の量と精神的な疲労感は凄かったですが。
秋田さんを励まし、鼓舞し、ちゃんとゴールさせる。これが僕の本日最後の役割。下が砂利になること、左手に擬木があり、その奥に鎮座する岩木山はうっすらとしか確認できないことなどを伝えます。

多くの声援が送られる中、秋田さんもそれに応えます。いよいよトラックが近づき、更に声援が多くなります。送られているのは秋田さんに対するものですが、伴走しているこちらも嬉しくなります。ゴールゲートが近づくと、チームの皆さんが待ち構えていました。秋田さんはメンバーから手渡された幟を握りしめ、ついにゴール。
秋田さんと握手を交わし、僕の役目は終わりました。
タイムは4時間18分、前回は制限時間の4時間30分以内にゴールすることができなかったということですから、これだけでも凄いと思います。そして、順位は下から3番目。ブービーを狙えたなあ、と口々にしていましたが、確か最後の周回で一人抜いてしまったんですよね…。ああ、僕のせいだ。どうもすいません。

場所を変えて行われた反省会では、何と来年の大会では、伴走のほか、一選手として走って欲しい、との要請が。まあ、前述のとおり父が繋いだご縁なのかも知れないし、弘前公園RCから出なくとも、同じところにいるのは一緒なので、それでもいいのかなあ、と思っている次第です。

「だったら4時間切り、100番以内を目指しましょう!」と、酔った勢いで思わず放言してしまいましたが、さて、どうなることやら…。

最後に、弘前公園ランニングクラブでの集合写真。弘前公園ランニングクラブの2チームは既にゴールし、この写真に至ったのですが、実は僕の最終走はこの直後でした。でも、みんなと一緒で楽しかったです。

集合写真

キャプテン、写真撮影ありがとう!