青森県内で発行されている東奥日報の創刊125周年を記念して、第44回日展青森展が今年の6月15日から7月7日まで弘前市の青森県武道館で開催されることを今日の朝刊で知った。
青森県ではこれまでも日展の巡回展が何度か開催されているが、初めて県内で日展が開催されたのは今からちょうど10年前、平成15年に開催された「第34回日展弘前展」だった。
この日展の巡回展を初めて本県で開催するに当たり尽力したのは、亡父だった。
そして、この日展を無事に終えることができたのは、紛れもなく亡父の功績によるものだと、僕は今でも確信している。
折しも父の母校であり、僕の母校でもある弘前高等学校の創立120周年記念事業として、父は同窓会が主体となってこの日展を開催したい、とぶちまけたという。それまで日展といえば、今回のように新聞社が主催するか、あるいは日展自らが主催するかが主流であり、同窓会単位で開催したことなどなかったそうだ。
青森県での初開催、しかも会場は美術館や文化施設ではなく武道館、更に主催者が一高校の同窓会という初物づくし、日展サイドでも同窓会サイドでも、少なからぬ異論や反対の声があったらしい。
ところが、そんな不安の声をかき消すかのように、いざ始まってみると平日休日問わず県内各地から大勢の方が訪れ、中には秋田県からわざわざ足を運んで下さった方がいたことを覚えている。
父の片棒を担いだわけではないが、僕もボランティアの一人として会場内の巡回をお手伝いさせて頂きつつ、会場内に並べられたたくさんの作品を何度も何度も堪能させてもらった。
その成功を足がかりとして、日展巡回展は、その後も幾度となく青森県武道館を会場として開催されている。平成18年開催の際も、日展サイドから父に打診があり、この時も父は家業を顧みることなく日展の開催に心血を注いだ。それぐらい父の日展開催に懸けた思いは、半端ではなかった。
だから、今もこうやって青森県で日展巡回展が開催されるたびに、僕は父のことを思い出す。
もちろん今回の巡回展についても、開催された暁には、亡父の思いと一緒に県武道館に足を運ぶつもりだ。