デビュー45周年、そして間もなく古希を迎える佐野元春が、結成20年目を迎えたTHE COYOTE BANDとともに青森県でのライブを12月1日に行った。
青森県青森市で17年ぶりとなるホール公演の会場は、青森市民ホール(リンクモア平安閣市民ホール)。このブログにも2008年、The Hobo King Bandを従えた同じ会場でのライブの鑑賞記録が残っていた。あの時は前から3列目の真正面という、とんでもない位置からステージを観ていた。
一方、THE COYOTE BANDとのライブはこれまで、青森市内のライブハウスでしか行われていないが、45周年記念となる今回の公演、またたく間にチケットは完売したらしい。
月曜日。仕事を切り上げて18時30分過ぎに会場へ向かうと、それ相応の年代の方々が、吸い込まれるように会場へ入っていく。
キャパは900人近く。2階席もあるこぢんまりとしたホールだ。何よりもここの会場の良いところは、どの席からもステージがよく見えること。
今回は1階の比較的後方の位置だったが、ステージの全景を眺めることが出来るし、演者の指さばきや所作もはっきり見える。期待に胸踊らせながら開演の時間を待つ。
19時過ぎ、ホールの照明が落とされ、いよいよライブがスタート…
青森公演をもって、一連の地方公演が大団円を迎える(ただし、京都と香川の振替公演が年明けに予定されている)のだが、まだツアーが終わっていないということで、ここからはあくまでも個人的な感想。感じ方は人それぞれということで、異論反論はご勘弁を。
端的に言えば、この日の公演を本当に楽しみにしていたはずだったのに、ステージに接している時の自分の中に芽生えた違和感、そして公演が終わった後に感じた消化不良の正体は一体何だったのか。以下、心のぼやき。
- 確かにステージと観客席の距離が近い。しかし。
今回のライブはTHE COYOTE BANDが表現できる現在の音を披露した、といった印象が強かった。途中でインターバルが設けられていたのだが、個人的にあの時間はなくてもよかった。17年前の公演でも15分の休憩時間が設けられており、果たしてどうなるのかと思ったけれど、その後の演者と観客のボルテージそして一体感があった。
それが今回はどうだっただろうか。第2部に入り、ステージ上から何度も拍手を煽られたという状況に鑑みると、観客の全体の熱量は前回よりもかなり低かったような気がしてならない。 - ステージ上の演出に困惑
Spotifyの「事前予習プレイリスト」には本人からのメッセージが寄せられており、その中では、前回のツアーで好評を博した「映像」を用いたステージを展開するという予告があった。
実際、ステージ上のスクリーンは開演直後からほぼフル稼働といっていいぐらいたくさんの「映像」、そしてインターバルでの「あれ」の投影など、かなり大がかりな演出で使われていた。今となっては、他のアーティストのコンサートでも、スクリーンやモニターを用いた演出は当たり前。
がしかし。THE COYOTE BANDを従えるようになってから、僕はライブハウスでしか公演を観ていない。そのステージでは一切登場しなかった「仕掛け」に、個人的に困惑してしまった。演者が繰り広げるステージワーク、プレイに集中したかったのだが、バックのスクリーンにどうしても目が行くこととなった。もう一つは照明。演者にスポットが当たらず、逆に会場が照らされる場面があった。ステージから放たれる強烈な光に目を背けるシーンもあり、ステージに傾注するはずだった僕の注意力は、完全に散漫になってしまった。 - 公演翌日のオフィシャルレポート
翌朝、Facebook上にオフィシャルレポートが掲載されていた。
「今夜の元春と観客とのコミュニケーションは、とても温か」
「ショーは一言でいえば”完璧”」
「ツアーの成果が見事に結実」
演者としてこれ以上ないステージを繰り広げたという達成感が端々から感じられるレポートを読んで、悔悟の念がふつふつ湧いてきた。確かに圧巻のステージだったし、これまで観た数度のライブよりも凄みがあり、素晴らしい内容だったことは間違いない。そもそも一晩で30曲以上も披露されるなんて、僕にとっても初めての経験だった。
終演後に涙するオールドファンの姿があったのも頷ける。がしかし、僕は感傷的な気分にはならなかった。
時代は変わり、社会や周囲の状況も目まぐるしく変わっている。2025年のアルバム「HAYABUSA JET Ⅰ」は、今のバンドによる過去の楽曲(クラシックス)の「再定義」という名目で発表されたもの。12月10日には続編となる「Ⅱ」の発売が控える。
今回のライブは、まさにその「再定義」をステージ上で体現するといった内容だったといってもいいだろう。
個人的には、この「再定義」によってTHE COYOTE BANDが披露している、80年代を彷彿するようなディスコ調の音が大好きだ(92年の”ミスターアウトサイド”を思い出す)。もちろん、昔からのロックンロールも大好きだし、弾むようなポップスもバラードも大好きだ。
しかし、僕の周りの観客の中には、そんな「再定義」に戸惑いを感じていた人も少なからずいたのも事実だ。
今回、ライブの定番曲「悲しきレイディオ」で展開される「アイラブユー、ユーラブミー」のようなコール・アンド・レスポンスがあまりなかったように感じた。
いや、ステージ上からのコールに対して、自分自身がしっかりレスポンスできなかったのではないか。もっと一緒に楽しみたかった、そして、会場全体での一体感を味わいたかったのに。
…そうか。そういうことか。
これまで数回しか観ていないTHE COYOTE BANDの「ライブハウス」での演奏体験が、「佐野元春のライブたるものはこうだ」といった先入観、既成観念に変わってしまっていたのかも知れない。だがこの日は、その先入観が邪魔をし過ぎた。
ステージ上から観客を煽りつつも、現在のバンドの姿、そして今の佐野元春を感じて欲しい、しっかり受け止めて欲しいといった意気込みが感じられたのは気のせいだろうか。
今回のステージは、自身のデビュー45周年とTHE COYOTE BAND結成20年の節目であり、一言でいうならば「祝祭」だった。だが、この記念すべき「エンターテインメント」を思いきり楽しもうという気持ちが、僕自身の中で不足していた。最高の演奏に対し、最高の声援を送る。コール・アンド・レスポンスではなく、ギブ・アンド・テイク。
ライブはステージと観客が一体となって築き上げられるもの。
しかし今回は、せっかくの充実感溢れるステージに、ガッツリのめりこむという姿勢に欠けていたのだろう。これこそが自分自身の中の違和感、そして消化不良となった正体だったのかも知れない。
…と振り返ったところで後の祭り。
冒頭で触れたとおり、間もなく古希をを迎える佐野元春の公演が、もう一度青森で行われる日が来るのを願うしかない。結局のところ、お互いに「次」があるかどうかもわからない中、自分も今を楽しむしかないのだ。



