飲み会や宴席の際、椅子席以外の小上がりや座敷で僕は、決まって正座をしている。
「随分行儀がいいね。どうしたの?」
「…いや、こうやってしつけられて育ったものですから。」
…と笑いながら嘯いているが、正座をする一番の理由は、実はあぐらをかくことが苦手、というだけの話。
座椅子なしであぐらをかくと、冗談抜きでひっくり返る可能性があるし、腰が痛くなるので、ほとんど組むことはない。もちろん、ずっと正座だと足が痺れるので時々格好を崩すけれど、それでもほとんどあぐらはかかない。
だから、座禅を組むなんてもってのほかだと思っている。きっと、肩が腫れ上がるぐらいバシバシ叩かれることだろう。
なぜあぐらをかくことが苦手なのかというと、身体が硬いからに他ならない。
僕が身体の柔軟性を極端に欠いていることは、ランニング仲間の中では知られた話で、「ダイアモンド☆ユカイ」ならぬ「ダイアモンド☆カタイ」を自称している。
今だから…というか現在進行形の話、前屈、屈伸、開脚、とにかく全てにおける柔軟性を欠いている中、生活において不自由を感じることが無きにしも非ず。
身体が硬いことは何の自慢にもならないし、むしろ恥ずべきことなのですよ。
その恥ずべきことを少しでも緩和するためのストレッチの重要性は、頭では理解しているつもりだ。
…つもりだけれど、実践には結びつけていなかった。せいぜい、たまに気づいた時にちょこっと動かしてみる程度だった。
普段動かしていない部位を不用意に動かすことでどこか別な部位を痛め、日常生活に支障が出るんじゃないかという恐怖感が常に付きまとっていたからだ、という言い訳。
だけど人間も機械と一緒で、使わないところはそれなりに劣化していく。劣化していくということは、動きがどんどん悪くなる。逆にいつも動かしているところだってしっかりとケアしないと、故障を招くということは、これまでも幾度となく経験してきたことであり、文字通り痛い目にも遭ってきた。
一方で、気づかないうちに蓄積していた疲労が突如表面化することがある。
例えば普段の筋肉痛とか、疲労感とか、そういったものでさえも軽視すると、やがて大変な事態を引き起こすことがある。それはまるで、プレートや断層が徐々にずれることによって突如引き起こされる大きな地震と一緒だ。
以前ほど頻繁ではなくなったが、僕が故障を発する箇所は大体決まっている。もしかしたら多くのランナーも似たようなものじゃないだろうか…と勝手に思っている。ただ、普段からそのことを理解してしっかりとケアしていれば、故障を発する頻度も減るだろうし、大きなケガを引き起こすこともないだろう。
しかし、市民ランナーの中で事前事後のストレッチやケアにしっかりと取り組んでいる人は、どの程度いるのだろうか。実のところ、半分にも満たないのではないか。
私事になるが、2月3月に走れなかった鬱憤を晴らそうと、4月から一気にペースを上げて練習を再開。どうやら、これが良くなかったようだ。これまであまりやったことのない練習にも取り組む中、それなりに成果が見え始めていた。よし、更に底上げするぞ、と息巻いていた矢先、酷い風邪に見舞われた。ようやく治りかけたところで、再びペースを上げた練習。この頃から何となく左脚に違和感を覚え始めていたのも事実だったが、まあ、きっと大したことはないだろうと楽観視していた。そしてこの過程でのケアは、完全に怠っていた。
先週の土曜日、練習中に左の足首周りが突如悲鳴を上げた。何事かと慌てて走るのを止めた。練習を途中でやめ、痛みの部位を確認してみると、アキレス腱の辺りから発せられたものだった。嫌な予感がした。というのもちょうど3年前、右アキレス腱に発症した症状と似ていたからだ。そのまま帰宅し、アイシング。しかし、その痛みは左脚のアキレス腱で更に勢力を増し、歩くのにも支障が出るほど重症化した。
日曜日、絶好のラン日和だったにもかかわらず、終日休息に充てた。いや、そうせざるを得なかったのだ。
月曜日、いてもたってもいられなくなり、かかりつけの整形外科へと駆け込んだ。
名医によるレントゲンと触診で、事態が思っていた以上に深刻だということを悟った。
アキレス腱の腱鞘炎。
長い付き合いになりそうな、そんな予感がした。
しかし、急にこれを緩和するために慣れないストレッチをするのはまだ時期尚早。ある程度痛みが抜けてから徐々に、凝り固まった筋をほぐしていくべきだろう。
相変わらず学習していないな、と自分に呆れた。
不幸中の幸いといえばいいのか、日曜日がピークだった痛みは、月曜、そして火曜と徐々に抜け始めており、見た目には多少ぎこちなさが残っているかも知れないが、少なくとも歩く上での支障はほとんどなくなりつつある。
これが今日(6月19日)時点での顛末だ。
24日(日)は、平川市碇ヶ関で開催される「たけのこマラソン」にエントリーしている。例年ハーフにエントリーしていたのだが、今年は思うところがあって10㎞にエントリーした。土曜日に痛みを覚えた時、正直「ハーフにしなくて良かった」と安堵した。とはいえ走ること自体を考えるのが無謀かも知れないし、実際走れるのかどうかはわからない。でも、何とか走れるんじゃないか、という根拠のない自信もあって、今は自分の事なのに他人事のように楽観視している。そうやって完治を遅らせていくのに、だ。
閑話休題。
僕の走る姿がロボットに揶揄されるのも、身体の柔軟性の欠如が最大の要因だろう。要するにぎこちなく、ガシガシと音を立てて走っているように見えるということだ。いや、見えるのではなく、ホントにガシガシ音を立てて走っているのだ。そのガシガシは、凝り固まった筋が軋む音。特に股関節、内転筋の柔軟性は全く欠落していると思っている。…あ、ついでにいえば頭の中もですか。
走る上で必要なのものは色々言われるけれど、肉体だけに目を向けると、数々の骨格筋がバランス良く均整が保たれていなければならない。しかも、偏って発達しているところに牽引されるのではなく、むしろ一番弱体化している骨格筋に合わせたパフォーマンスしか発揮できない。
筋骨隆々のボディビルダーの体幹が弱ければ、ポーズを決められないでしょう。
逆に体幹ばかり鍛えられた体操選手の腕力が弱ければ、鉄棒にぶら下がれないでしょう。
Aの部位が100の力を発揮できる中、Bの部位は70しか力を出せないのであれば、どんなに頑張っても全体で出せる力は70までなんだから。
最新鋭のスペックのマシンを手に入れて、旧来からのシステムに繋いでも、そのシステム自体が最新鋭にはなり得ないですからねー。
自分のウィークポイントを探って、そこを強化することはとても重要なことである一方、それをしっかりと連動させるために必要なものの一つが、柔軟性なのかも知れない。
先日、エレファントカシマシのボーカルを務める宮本氏がラジオに出演、なぜかストレッチの重要性を説いていた。
全くできなかった前屈だが、日々ストレッチを重ねていくうちに、3年ほど経った今日ではすっかり地べたに手が着くまでになったそうだ。
バスケットボールの田臥勇太選手は、開脚で60センチも脚が開かない、ということを聞いたことがあるし、正直、ランニングにおける柔軟性がどの程度重要なのかはわからない。(田臥選手の話は、身体の硬い僕にはある意味救いだった。)
なかなか走れないこのタイミングで、軟性を考えながら全体の底上げを探っていくのにはちょうどいい機会だと捉えよう。急に軟体動物みたいに柔軟性が増す、なんてことはないんだから。
でも、少なくともケガのリスクは減るのかな。だからこそ、普段からのストレッチや柔軟性を高めることへの意識付けは、今まで以上に気に留めようと思う。
ということで上下肢問わず、こんなカチコチな僕にでもできそうなストレッチがあったら、教えて下さい。