月別アーカイブ: 2008年10月

WBCの監督

原監督の就任が決定=コミッショナーの要請を快諾-WBC

来年3月に開催される野球の国・地域別対抗戦、第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表監督に、巨人の原辰徳監督(50)の就任が28日、決まった。プロ野球の加藤良三コミッショナーが川崎市内の読売ジャイアンツ寮に原監督を訪ねて就任を要請。同監督が快諾した。会談後、原監督は「自分の持てる力を出して、強いチームをつくる力になりたい」と語った。

星野JAPANによる北京五輪メダルなしの結果を機に、何か損な役回りといった印象が植え付けられてしまったというか、言わば結果が出る前から責任の押し付け合いみたいになっていたWBC監督問題が、すったもんだの末ようやく決着を迎えた。
野球に限ったことではないが、これまでの国際舞台での監督選出は、実績や経験から、どうしても過去の栄光にすがってしまう傾向があった。
しかし、今回の原監督の選出は、ある意味両者にとって「英断」といっていいだろう。ようやく野球界にも世代交代の波が押し寄せた、といったところだろうか。

ただ、これまでの紆余曲折を考えれば、誰が監督をやってもおかしくない状況だった訳であり、裏を返せば、本音は誰もやりたくなかったのでは。

そういう意味では、結果が全てといった風潮が色濃い世界で、原監督が世間の矢面に立った(いや、立たされた?)、という見方も出来る。

実際、みんなが「この人なら!」という絶対的オーラを持った監督は、今の球界にはいないだろう(かつてなら「長嶋や王なら仕方ないか…」みたいな風潮があった)。

もちろん原監督がWBCの監督を受諾することには賛否両論あるだろうが、これはハッキリ言ってどこのラーメンが一番好きかを全国民に聞くのと同じ様なものだと思う。

星野ラーメンは、味を引き出すだけのトッピング(T淵、Y本)を並べただけで、味気ないラーメンに仕上がったこと、その他の具材や調味料が全然揃わなかったことが戦略的な失敗、と囁かれていた。

だから原ラーメンには、自分の好きなトッピング(コーチ)だけを揃えるのではなく、アクの強い具材(的確な反論と助言をするコーチ)も加えて欲しい。さらに、良質の素材や調味料(選手)を揃えて、万人を唸らせるような味に仕上げて欲しいと思う。

世代交代ということで、コーチ候補には野茂の名前が浮上している他、今後は大リーグ経験者やちょっと名の馳せた、いわゆるカリスマ性のある人(敢えて誰とはいいません)の名前が挙がってくる可能性もある。

日本は前回の第一回大会で優勝しているということもあり、間違いなく各国の研究材料、ターゲットにされてくるだろう。
今の原監督が「世界の王」を名実ともに超えるのは、まずもって無理な話。しかし、監督就任が決まった以上は堂々と戦って欲しいし、連覇を目指して欲しい。
そのためにも、これまで土台を作ってきた「ラーメン通」の皆さんの全面的なバックアップが必要となってくる。
優勝の上はないし、裏を返せば底は果てしない。けれども、しばらくは続くかも知れない逆境に耐え、原監督には是非とも頑張って欲しい。

あ、その前に日本シリーズか(笑)。

だったら、WBCは原監督と渡辺久信ヘッドコーチで、そこを軸にコーチ陣や選手を選んでもいいんじゃないの?とか思ったりして。

四十九日が終わりました


気がついたらもうすぐ10月も終わり。何をしていたのかも思い出せないぐらい忘却の彼方へと過ぎた1ヶ月。と同時に、あっという間だった1ヶ月。紅葉の見頃も終盤を迎え、いよいよ冬の便りも聞こえそうな時期にさしかかってきていることを、札幌・藻岩山で雪が降ったニュースを見て実感した。今年の冬は雪が多いのだろうか…。

先週25日(土)に、父の四十九日法要を執り行った。といってもお寺に向かったのは母と妻と僕の3名のみ。二週間前の忌明けの時と比べると、非常にこぢんまりとしたものだった。
ただしその分、間近で住職の読経を聞くことができた。

僕は父の位牌をまだ作っていないことに焦りを感じ、前日に母を通じて確認をお願いしたのだが、どうやら母は住職にも電話をしていたらしく、結局僕だけ一人が焦っていたらしい。住職からは、的確なアドバイスがあったようだ。

オカルトっぽく捉えて頂きたくはないのだが、読経が響く間、我が家の位牌堂の左側の明かりがついたり消えたり、位牌堂の左側に供えていた霞草だけが、何やら不思議な動きを繰り返したり(笑)。
それをボンヤリと見ながら、「ああ、父がその辺に来てるな…。」と直感で思ったり。

読経が終わると、結局左側の明かりは消えたままになってしまったのだけれど、母がちょこんと触れたら、再び点灯した。単に接触が悪かっただけなのだろう(苦笑)。

まあそれはともかく無事にお勤めを終え、墓前に手を合わせ、とりあえず何度目か忘れてしまった「区切り」を迎えた。

四十九日ということで、その日を挟んで来客も数名あったのだが、どうも父は亡くなった直後に何人かの所を訪ね歩いたらしく、興味深いお話しを聞かせて頂いた。

高校時代の同級生からもメールを頂いた。
津軽地方にある寺院に嫁いだ彼女からのメールは、実に的を射た、かつ包容力のある内容だった。
本当にありがとう。

母は例のごとく読経が響く間ずっと涙していたが、何か吹っ切れるものがあったのだろうか、その後母の実家へと出かけていった(僕の祖母、つまり母の実母にも、父が亡くなったことをようやく伝えたそうだ)。

僕も、自分の中で相変わらず引きずっている「不幸のどん底」というか「悲劇のヒーロー」みたいな意識を早く払拭しなければ。

一区切りとは言っても、これでいいんだ、という整理は一生つかない。悲しみだって一生和らぐことはないだろう。でも、時間が一つ一つ解決してくれるという言葉は、まんざらウソではないようだ。

 

津軽名物「わら焼公害」

ここ最近、仕事を終えて電車に乗り込み、弘前駅に降り立つと、何やら焦げ臭いニオイが漂ってくる。
というか、電車に乗っている間、何となく鼻をつく何かを焼いたようなニオイがしてくるのだが、それが「わら焼」の煙のニオイであることは、青森県民、とりわけ津軽地方の人たちなら誰でも知っていることである。

この時期は、部屋の空気を入れ換えようと窓を開けた瞬間、煙臭い空気が漂ってくるため、換気もままならないのである。

それにしてもこの「わら焼」は本当に迷惑千万な話であり、例えば喘息持ちの人なんかは本当に大変らしいのだが、当の本人(要するに農家)はどこ吹く風らしい。

言わば「焼畑農業」みたいなものをイメージしてもらえばいいのだろうか。いや、もっとわかりにくいか(苦笑)。

稲刈りを終え、田んぼに火を放つことで、早く田んぼを乾燥させることができること、土壌の害虫等を死滅させ、土を活性化させること等、農家側にすればメリットがたくさんあるだろうが、道路の視界が遮られ、時には事故にも繋がること、煙害そのものが大気汚染であること、ひいては地球温暖化を助長することといった世界レベルのデメリットから、外に干した洗濯物にニオイが染みついてしまうこと、そこにいなくとも流れてくる煙によって子供も大人も健康を害する恐れがあることなど、身近なデメリットも多数ある。

稲わらは運搬が大変だし、利活用方法が限られているのでいろんな意味で「煙たい存在」なのだが、その一方で、家畜用の飼料として輸入している稲わらの量もハンパではないらしい。
稲刈り後の稲わらは、根本的には飼料向きではないらしいのだが、これは本当に国県を始めとする自治体や農協がタッグを組んで本腰を入れて取り組んで欲しいといつも思う。しかし、結局は何の解決策も見いだせぬまま農家とのいたちごっこが続いているだけで、全く先が見えてこない。先が見えてこないだけに煙に巻いている、なんていう冗談も通用しないぐらい酷いのだ。

しかも、一時期自己規制もあって収束したと思っていたら、今年は特に酷く感じられる。一軒二軒ではなく、「隣もやっているからうちも…」の調子でどんどんわら焼が広がっていくものだから、本当に堪ったモノではない。

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明けました。

明けまして、といえばおめでたい話ですが、こちらは全くおめでたくない話です。
10月11日(土)、五・七日(三十五日)をもって、父の忌明けを迎えました。

嗚呼。
父を見送る時は万歳三唱と心に決めていたけど、結局叶わなかったなぁ…。
父を見送る時は拍手喝采と心に決めていたけど、結局叶わなかったなぁ…。

長くもあり短かった35日間。仏前に飾られた父の遺影に毎日話しかける僕は、日々の経過とともに現実を受け入れられるようになりましたが、父の兄妹、とりわけ不本意な形で父との最期を迎えることになった実兄は、日を追うことに憎まれ口を叩いていた実弟との別れをひしひしと感じていたらしく、ここに来て憔悴しきった伯父の姿は、本当に痛々しかったです。
忌明けの法要は、お通夜葬儀とはうってかわって、こぢんまりと執り行われれました。

それでも、父に対するディープディーパーディーペストな思いを抱いている方々がそれぞれに父のことを回想して下さったはず。

その席で一つ気になったのは、一部の市議会議員が「故父の遺志を継ぎます」といったことを公言していること。
はて、故父の遺志とは何でしょう?
我々家族も知りませんので、是非直接お話しをお聞かせ頂きたいと思います。イヤ、これに関しては本当に殷勤無礼だと思いますし、実に腹立たしい話です。
我々からすれば、ご自身の政治活動に父の死を利用しているとしか思えませんし、我々の心情にもご配慮いただいた上で、是非慎んで頂きたいと、強く求めます。

忌明けはしましたが、母の哀しみ、我々家族の哀しみはそんな簡単に癒えるはずがありません。法要の際、母は何かを思い出したのか堰を切ったように泣きじゃくっていました。

かく言う僕も、13日に愛犬3匹を連れ立って散歩に出かけたら、何故か父の墓前に立ち尽くしていました。まぁ、亡父は犬達のことをホントに好きでしたから…。

(おとん…。こいつら、連れてきたよ。)

こういった形で父と愛犬が対峙するのは初めて。所詮人間のエゴ全開だと思いながらも、帰路に向かっていたところ、車に乗る畏友Iのお父さんと遭遇。
僕の姿に気づいた途端車を急停車させ、助手席の窓を開けて「どしてら!?頑張ってらガ?元気出さねば、マイネ(ダメだ)よ!」

ハイ。ハイ。ハイ。ありがとうございます。飄々と応えたつもりでしたが、車が立ち去った後、何とも癒えぬ空虚な気持ちといろんな思いが去来し、思わずその場で泣いてしまいました。

というわけで全然復調までほど遠い僕ですけれど、それでも父が残した宿題は少しずつ解決に向かっているような感じです。

あとは、なるようになる。これこそ勝手な解釈ではありますが、適当に頑張ります。