月別アーカイブ: 2021年5月

【2000投稿達成記念】大好きなビールのことを語る(その1)#オリオンビール

かれこれ20年ほど続けているブログへの投稿、この投稿が2000本目の投稿となるとのこと。飽きっぽい性格がよくぞここまで続いたものだと思いつつ、こんなしょうもない投稿を閲覧してくださった皆様に感謝申し上げます。ありがとうございます。今回は、久しぶりにビール試飲記なんぞを。


国内のビール市場といえば、かつては大手4社(キリン、サッポロ、アサヒ、サントリー)がしのぎを削り、独自路線を貫くオリオンビールが加わっていた。

それぞれが特徴ある新商品を発売するたびに、それに追随するかの如く他社も新商品を発売する。そんな時代が続いた。

亡父は三度の飯よりビール、の人で、家の中でも外でも銘柄は「キリンラガー」のみ。とりわけ弘前市内でビールを提供する業界の皆様方に対しては、行く先々で父が本当に多大なるご迷惑をお掛けしたことだろう。今更ながらこの場を借りてお詫び申し上げたいぐらいだ。

僕が幼少だった頃(もう40年以上も前)は、ビール瓶の王冠の裏にコルクが貼られていて、栓を抜いた後にコルクから漂ってくるその奇妙な匂いに、こんなものの何が美味しいんだろう、コーラスの方が美味しいのに…と感じたことが思い出される。亡父との思い出の品を一つ挙げるとすれば、裏にコルクが貼られたビール瓶の王冠、これも候補となるだろう。

時は流れ、ビールも多種多様化を極める時代となった。

発泡酒、第三のビール、そして、地ビール。

酒税法の改正により、ビール醸造のハードルが一気に引き下げられ、地域おこしとも相まって各地で登場したのが地ビール。広がりを見せ始めた頃の各地の地ビール、僕もいくつか試したことがあるが、クセも香りも強く、ビールというよりはワインとビールの中間、といった感じだった。その後、紆余曲折を経て生き残った地ビール、消えた地ビールもある中、新たな形として「クラフトビール」が台頭するようになったのは、皆さんも知ってのとおりだ。

調べてみたところ「クラフトビール」と「地ビール」に違いはあまりないらしく、醸造家の職人技が込められた「クラフトビール」と、お土産の要素が付加された「地ビール」、といったところなのだろうか。一時期は300店を超えた地ビール会社の数も、ブームの衰退により現在は半分ぐらいまで落ち着いた、とか。

そして、地元色をあまり出さない品質重視の「クラフトビール」へ移行し、今に至る、といったところらしい。

まあ、別に飲んでおいしければ、何でもいいんですけどね。

…さてと、どうでもいい講釈はこれぐらいにして。

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畏友たちとの「約束事」 #50歳万歳

僕には、気の置けない畏友が5人いる。
大事な仲間であり、同志であり、ライバルであり、そしてホントに困った時に手を差し伸べてくれる救世主であり、僕にとっては絶対に欠かすことのできない、家族同様に大切な存在、「親友」いやまさに「心友」だ。

6人の共通点は、同じ中学校を一緒に卒業したということだけだが、小学校入学前、つまり幼稚園から一緒だったというメンバーがいる一方で、一度も同じクラスになったことがないメンバーもいる。以前から個々の関係はあったが、この6人で何となく集まり始めたのが、確か大学生になった頃だと記憶しているので、かれこれ30年以上も連んでいることになる。

「いつもの」と称した6人での飲み会はもちろん、カラオケに行ったり、キャンプに出掛けたり、釣りに出掛けたり、それぞれの彼女を連れ立って出かけたことも幾度となくあった。

2017年12月末の「いつもの」忘年会。この時はタガシが参加できず。そういえば6人の忘年会、かれこれ四半世紀は続いている気がする。

この間、それぞれが大小色々やらかしながらも、役人に教員、消防職員、そして検査技師と、かなり「お堅い仕事」に就き、そして、家庭を持った。
思い起こせば30年以上の間に色んな紆余曲折があったが、恐らく数年後には孫を抱く、そんな時期がやってくることだろう。

2019年の年の瀬。サトルが参加できなかった時。

昨年のある日のこと。
新型コロナウイルス感染症への対応に追われる中、合間に開催した「いつもの」メンバーとの小宴。健康のこと、家族のことなどをネタにしながら飲んでいるうちに、50歳の大台に突入した者が数名出てきたことに話が及んだ。

「全員が50歳を迎えたら、集合写真でも撮るか。」
誰かが発した冗談めいた発言に、みんなが食いついた。
「それ、面白いね。スタジオに行って写真撮影でもやるか。」

2018年12月の忘年会。この時もタガシが参加できず。

本気半分、冗談半分でのやり取りだったので、その場限りの「ネタ」ぐらいにしか思わなかったかも知れないが、僕の中では、これは絶対にやりたい、という気持ちが芽生え、その思いは日に日にどんどん膨れていった。

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「新しい」大型連休

ふと、昨年の大型連休を振り返ってみる。

…全国に新型コロナウイルス感染症に係る緊急事態宣言が出されていて、街から人影が消えた。
大型連休期間中は連日出勤となり、県内にも休業要請が出されたことを受け、これに関わる協力金への問い合わせ(そのほとんどが対象外となったことへの苦情だったワケだが)への対応に当たることとなった。
肉体的にも精神的にもかなり疲弊した時期でもあり、久し振りに仕事を投げてしまいたい、いっそのこと仕事を辞めてしまおうかということまでも頭によぎったぐらいだったので、かなり病んでいたのだろう。(4月から5月にかけて表情が一変、眼光が怖すぎて、話しかけるのも憚れるぐらいの雰囲気を醸し出していたらしい。これは、大いに反省しなければならない。)

まあ、それはともかくとして、そこから一年を何とか持ち堪えられたのは、幸いにして本県で大きな災害がなかったこと、そして、周囲の人に恵まれたことに尽きる。これで本県を直撃する災害が起きていたら、あるいは人に恵まれていなかったら、恐らく身が持たなかったかも知れない。

昨年の緊急事態宣言が明ける頃から、「新しい生活様式」なるものの推奨がはじまった。
三密の回避、マスク着用、アルコール消毒液の使用、業種別ガイドライン、2mの距離。挙げればキリがないが、僕自身も不織布マスクが街中から消えてなくなったことに焦り、機能性を備えたちょっと値の張るマスクを購入したし、100円ショップで布を購入して妹にマスク製作をお願いしたこともあった。1箱50枚入りの不織布マスクが、アホみたいな値段で取引されていたことが懐かしい。

ハンカチと一緒にアルコール消毒液の入ったスプレーを持参するようになり、職場内の机上にはパーテーションが設置された。
電車に乗るときは極力隣の人との距離を置くように気をつけるようになった他、日用品や食料品の買い物で出かけた時は、入店時も出店時も店頭にあるアルコール消毒液を手に取るようにもなった。
…ということは、恐らく皆さんもやられていることでしょう。その頃は新しかった生活様式も、今となっては当たり前のこととなったのだ。

しかし、この「新しい生活様式」が取り入れられようと何だろうと、昨年より状況が悪くなっているのはご承知のとおり。

このことに関しては、僕自身も言いたいことが色々あるけれど、今はグッとこらえて我慢しようと思う。
もっとも、「我慢」と書かれたコップに溜まった怒りの水は、既に表面張力で持ち堪えているような状態で、いつコップから水が溢れ出てもおかしくない状態になりつつあるのも事実。
さて、この捌け口をどこに求めようか、というのが目下の悩みでもあるんだけれど…。

今年の大型連休も半分が仕事となっていて、結局「連勤」はあったけれど「連休」はなかった。

更に、5月1日の午前には宮城県沖で地震が発生し、本県でも一部で震度5弱を観測するなど緊張が走った。(知ってますか。昨年暮れから東北地方で続く大きな地震、ほとんど土曜日に起きているのですよ。)

僕自身は全くもって気の休まらない日々が続いているけれど、皆さんはどうですか。心身ともに休めていますか。

結局新しい年度に入ると、昨年度同様の繁忙期に再び突入、さくらを愛でることもなく立夏を迎えた。

もはやどこで誰が感染してもおかしくない状況になりつつある今日、職場以外へは極力出歩かない、そして、可能な限り人との接触を避ける。
僕ができることといえば、せいぜいこれぐらいといったところだろうか。
昨年の今頃は皆さんそれを実践していたのですよ。でも、人って嫌なことや都合の悪いことは、忘れちゃうんですよね。
昨年なんて誰も電車に乗っていなかったのに、果たして今年はどうでしたか。

昨年の4月、青森に向かう日曜日朝の電車内は誰も人がいなかった。

緊急事態宣言なんてどこ吹く風、誰もお願いなんて聞かなくなってしまった。もう、いつものことだから勘弁してよって、自由気ままに出歩くようになってしまった。

さて、新しい生活様式が取り入れられて1年、2度目の大型連休が終わる。結局今年も、ゴールデンウィーク=黄金週間どころか、僕にとっては何の変哲もない普通の一週間だった。
僕の「新しい」大型連休は、一体いつになったらやってくるのだろうか。