月別アーカイブ: 2011年8月

野田氏、消去法で民主党代表に。


菅直人首相の後継を決める民主党代表選は29日午後、両院議員総会での党所属国会議員による消去法の結果、野田佳彦財務相(54)が代表に選出された。

5候補の乱立という史上稀にみる代表選は、「誰に投票するか決めかねている。」という多くの議員の声を慮り、代表戦では初めて消去法による選出が行われた。第一回目の選出では、下馬評通り海江田万里経済産業相(62)がトップとなったが、過半数の同意を得られず、「ドジョウのように頑張りたい」と草の根運動を広げたナマズ顔の野田氏が、似た顔を持つ議員の同情票を集め、前原誠司前外相(49)氏を消去に追い込み、決選投票に残った。馬と鹿の戦いは避けたいという思惑から、馬淵澄夫前国土交通相(51)と鹿野道彦農相(49)は早々に消去法の憂き目に遭った。

決選投票では、当選した暁に号泣する海江田氏の姿は見たくないという思惑が各議員に渦巻き、海江田氏を消去しようという動きが大きく作用、結果的に野田氏が生き延びた。
野田氏は30日の衆院本会議で第95代、62人目の首相に指名される見込みだが、消去法の動向によっては野党党首にも目があるかも知れないと、水面下での駆け引きがにわかに始まっている。

一方、衆院解散が早々にあるかも知れないという噂が立ちはじめ、一年生議員を中心にエステや美容整形外科に駆け込む議員が続出。

「政策論争なら勝ち目はないが、消去法ならあのイボ顔に勝てるかも知れない。」と色めき立つ一年生議員ではあるが、仮に衆院解散となっても、選挙は消去法ではなく通常通り候補者を選出する方法で行われる。


野菜と魚の店、「ボヌール」のこと。


今から30年以上も前、弘前市中心部にある土手町といえば、弘前が商業の町であることを誇示するかのように店が建ち並び、土日ともなれば、歩道にはすれ違うのもやっとなぐらい人が押しかけていた。いわば津軽地方随一の繁華街だった。幼かった僕にとって、土手町に出かけるというのはちょっとしたステータスであり、その時で一番いい格好をして出かける、そんな一大イベントだった。

やがて時は流れ、車社会が到来。郊外には金太郎飴を切り分けたようなショッピングモールが乱立、人々の流れは市中心部から遠のいていった。

ある人の話。
土手町を歩いていたところ、県外客から「すいません、弘前の繁華街はどこですか?」と聞かれたそうだ。何とその人は、「すいません、私も県外から来たものですから…。」と言葉を濁し、その場を逃げるように後にしたそうだ。

これが現実なのだろうか。頑張ろうとすればするほどもがき苦しみ、そして津軽固有の希少種であるアシフパリが現れる…。
まさに栄枯盛衰。土手町からも一つ、二つと店舗が消え、やがて車社会を象徴するように、楔を打ち込んだような幅の広い道路が町を分断、電線地中化により雪よけとなっていたアーケードは損なわれ、利便性を追求した代償として、土手町は更に空洞化が進むこととなった。

弘前市土手町にある弘前中央食品市場。
他聞に漏れずここも、かつては各地からやって来た人たちで溢れかえっていた。多くの人たちが行き交い、賑やかな声が飛び交う市場だった。

やがて時代は過ぎ、市場内は空き店舗が目立つようになった。気を吐いているのは入り口横にある「大学いも」の店。

中を進むと、果たしてこの人たちはモノを売る気があるのか?と疑いたくなるほど覇気がなく、言い方は悪いが、ただモノを並べているだけ、と思いたくなる光景が目に広がることもしばしばだった。

そんな中、この弘前中央食品市場の空きスペースを利用した新たな取組が9月からスタートする。

それが、「ボヌール」だ。

仕掛け人の高橋氏。実は、僕の妻の妹のご主人。早い話が義妹の旦那さん、ということになる。

高橋氏は、弘前を良くしたい、もっと活気ある町に戻したいという思いが人一倍強く(少なくとも僕の比ではない)、その思いが結実し、今回この「ボヌール」を立ち上げたというわけだ。

基本的には野菜と魚を販売する店。これではどこにでもある店だが、客層をある程度絞ったり、ちょっと他の店にはない仕掛けがあるらしい。それはまた、高橋氏の口から徐々に明らかになっていくことだろう。

ブログも立ち上がったようだ。
http://bonheur-uradote.tumblr.com/

個人的には今の郊外型店舗の乱立という流れはいずれ収束し、やがてまた原点回帰していくのではないか、つまり、中心商店街へ再び流れが戻ってくる日が来るのではないかと勝手に思っている。

理由は、高齢化社会の到来により、家の近所で買い物を済ませたいと思う人たちが増えることが予想されるからだ。
取って代わるモノとしてはコンビニエンスストアがあるが、それだって今の時代、(少なくとも弘前では)徐々に淘汰されつつあることを鑑みると、ほぼ頭打ちに近い状態なのだろう。

となれば、昔のような対面販売や小売りが、意外とまた再評価される時期が来るのではないか。

そんな中、土手町再生の起爆剤となるかもしれないボヌールの今後の展開に、陰ながら期待そして応援したいと思う。高橋君、ブログの更新はマメにね(笑)。

皆様、どうぞボヌールをご支援下さるよう、よろしくお願いします。


来年の8月13日は月曜日


去年はうだるような暑さだったと記憶していたが、今年のお盆も暑かった。節電に協力するという本社の意向で一週間休暇となった妻。暦通りの休みとなった僕。

土曜日は朝4時30分に起床、法界折の製作に取りかかる。
法界折そのものは、東北地方、というか青森県を中心とした独特の民俗風習らしい。早い話が先祖様に供える「ごちそう」である。
妻の実家に3個、我が家では6個。都合9個の法界折を作り上げた。既にこの時点でかなりヘトヘトだったのだが、泣き言を言う間もなく墓参りに出かける。何せ我が家は弘前市でも有数の寺院街の一角に位置しており、この時期の交通渋滞は必至。なので、それに巻き込まれる前に用事を済ませなければならないのだ。
軽く朝食を済ませ、8時前に家を出る。既に渋滞が始まりつつあったのだが、我が家の菩提寺は、この界隈ではなく、弘前市のもう一つの寺院街である、禅林街の中にある。
車を走らせると、駐車場には多少ではあるが余裕があった。車を停め、父とご先祖の眠る墓へ直行する。花やお菓子、父の好きだったビール(もちろん銘柄は決まっている)、そして法界折を供え、父の生前の姿をいろいろ思い浮かべながら、手を合わせる。
本堂にある位牌堂に向かう。このお寺の檀家は隣の西目屋村の人が多く、前日のうちにお寺にやって来て、13日当日はそれぞれの地区にあるお墓を訪れる、という人が多いようだ。そういうこともあってか、本堂の中は思った以上に閑散としていた。
僕にとっては本家となる西目屋村・三上家の位牌にも花と水を手向ける。
その後、父の生まれ故郷である西目屋村に母と二人で出かけ、先祖様にご挨拶。
一体何年ぶりなのか忘れたが、従弟とも久しぶりに会った。実は西目屋村には父名義(現在は母名義)の山林がある。伯父が折角なので案内するという。言われてみると確かにこれまで、所有する山林がどこにあるのかは知らなかった。軽トラを引っ張り出してきた伯父、母は助手席に、僕は荷台に座る。ものの2分もしないうちに山道へと進んでいく。

とその時。ぶ~ん…

あ。出ました。アブが1匹。

…と思ったら、まるで降って沸いたようなアブの大群が、どこからともなく一斉に軽トラ目がけて集まり始めたのだ!
荷台に載っている僕は、そのアブを追い払うのに必死。
あまりの数に声も上げることができず、ただ両手両足をばたつかせて、ひたすらアブを追い払う。
ふとその姿に気づいた伯父が、慌てて車をUターンさせて下山。
結局一箇所も刺されなかったのは不幸中の幸いだったが、まさか伯父もこういう事態になるとは思っていなかったようで、ヒッチコックの鳥ならぬ、あっちこっちからのアブに、僕は苦笑いしながらもすっかり疲れ切ってしまった。

その後標高約300メートルにある父の生まれ故郷を後にし、家に戻る。予想通り道路は大混雑していたが、何とか自宅には車を停めることができた。

夕方になり、妻の実家へと向かう。妻の両親も乗せ、妻の大好きだった祖母と先祖の墓参り。

妻の祖母が亡くなった日のことは、今でもはっきりと記憶している。妻(というか当時は付き合っていた彼女)から急逝の知らせを受けた直後、郵便局員が今の仕事に就くきっかけとなった一次試験合格の通知を持ってきたのだ。
合格することなどあり得ないだろう、と思っていた矢先のことだっただけに、もちろん単なる偶然とは言え、何とも言いようのない嬉しさと悲しさがこみ上げていたところに、それまで晴れ渡っていた空が突如雷雨に変わったというあの光景…。

早いものであれから18年の月日が経った。

17時過ぎに家に戻ると、ちょうど畏友Zがうちに車を置いていたところだった。
「悪い悪い、墓参りに行くから車置かせてよ。」
「ああ、別にいいよ。」
ちょうとチョコも一緒に連れていたので、チョコの姿を見るなりはしゃぐ3人の息子たち。
ふと路上を見ると、中高同期で今も同業のHの姿。
「おい!H!」
こちらの呼びかけにビックリするH。
「おお!Hだ!久しぶり!」
中高一緒だったZがいたことにもっとビックリするH。一瞬だけだったが、3人だけのプチ同期会(笑)。
Zの子どもたちはうちの他の犬も見たい、ということで奥さんの制止も聞かず家の方に向かって走っていった。
「ホントすいません…」と申し訳なさそうに詫びる奥さん。
別に気にしてないから、大丈夫。
Zが、「折角なんで父さんに線香上げるわ」と仏間に足を運んでくれた。
Zの次男坊が不思議そうな顔をして僕に聞く。
「ねえ、誰死んだの?」
「ん?のんべのお父さんだよ。」
「ふーん…。でも、来てるんじゃない?きっと夜とか出てくるんだよ!」
何とも無邪気な発言ではあったが、何かグッと胸に迫るものを感じた。

…結局その晩、父は現れなかったけれど(笑)。

日曜日。この日は母が実家に行く日だ。休みの都合がつけば一緒に行きたかったのだが、結局母一人で行くことになっていた。

僕らはといえばこの日は、大鰐町と弘前市石川に行く予定をしていたのだが、どうしても軽めに走っておきたいという僕のわがままを妻が渋々了解、午前中に軽めに走るつもりが、あまりの暑さで途中でギブアップ、結局5キロちょっとを走り終えて帰宅。

居ぬ間に別件を済ませていた妻が11時前に帰宅、早めに昼食を取り、母が出発。心の中で祖父、そして母の先祖に非礼を詫び、母を見送った。

結局午前どころか昼になって出かける羽目となってしまった。途中で供花や供物を購入し、先月亡くなった父の友人の墓前に手向ける。
すると、どうやら墓守をしているらしい地域のおばあちゃんに声を掛けられる。
「あんだ、父さん(亡くなったAさん)の息子ダガ?」
「ナモ、ワ、父さんの知り合いダノサ。」
「んだのが。喪主やった娘さん、遠くサいるってらものな。娘さん一人だけダンダベガ?」
「もう一人娘さんいるんだよ。こっちサいないけどの。」
「んだのが。父さん、西目屋村サ一人で住んでらんだの。埋葬許可証サ書いてあったものの。」
「んだ。」
「まんず、ゆっくりして行きへ。」

他愛のない会話ではあったが、墓守として「よそ者」のように映った我々のことが気になったようだ。

続いて弘前市石川へ。ここは妻の父の本家にあたるお墓がある。公園の横を抜け、山道へ。お墓は見晴らしの良い高台にあるのだが、そこまで行くには一苦労。しかも午前中走った時に感じた右足の痛みがここに来て再発、急な坂を登るのに、ダラダ