日別アーカイブ: 2018-06-02

「走る」ということと長く付き合うために

2018年も6月に突入した。
季節は移ろい、初夏の気配だというのに、ここに来て風邪である。

実はここ数年、この時期に風邪をひくことが非常に多くなった。しかも、どこからもらった風邪ではなく、風邪をひくそれなりの理由、原因が自分自身にあることを知っている。裏を返せば、風邪をひくかもしれないとわかっていながら、本当に風邪をひいてしまうのだから、学習能力に欠けているというか、バカではなく単なるアホなのだろう。

だって、バカは風邪をひかないって言うじゃないですか。

罹患してすぐに、約21㎞を走ってしまった。先週の走れメロスマラソンだ。初期症状が現れていたのに、それを無視したのだ。
その2日後、大したことはないだろうと油断して12㎞走った。これが悪化の途を招いた。
一瞬の油断が一生の後悔となりかねないことを、改めて肝に銘じようと猛省した。

ようやく喉の腫れは少しだけ引いてきたようだが、今度は咳き込むことが多くなった。すっかり初老の域に達した人のようだ。
夜になると激しく咳き込むこともあるので、自律神経が不安定になっていることも否定しないが、いずれにしてもそういう年頃に差し掛かっているということを自覚しなければならないのだろう。

ちなみにどうでもいいことだが、先月のランニング、総走行距離は約190kmだった。自分としてはもう少し行けるんじゃないかと思っていたけれど、色んな要素が重なってこの結果となった。今の自分には、これぐらいがちょうどいいのかも知れない。とはいえ、常日頃から呪文のように、走った距離より中身、と負け惜しみのように呟いている身としては、先月の中身はかなり充実していたと思っていただけに、下旬の風邪は本当に余計だった。

そんな中にあっても、今朝はブラインドランナーであるAさんの伴走を務めてきた。以前から約束していたことだし、既に半年以上伴走していなかったし、今日を逃すと次回がいつになるか確約できないという状況の中だったので、這ってでも行こうと決めていた。

来年で70歳を迎えるAさん。正直、走るというよりは小走りに近いペースとなる。自宅からAさんを迎えに行き、弘前公園内をくまなく走り、再びAさんを送り届け、自宅に戻る。これで大体21キロちょっと。ほぼハーフマラソンと同じ距離になる。このうちAさんと走るのは10kmちょっとだけだが、トータルで約2時間半掛けてじっくりと走るのだ。

もちろんただ漫然と走るのではなく、右折左折の指示はもちろん、ちょっとした段差があることも伝えなければならないし、足元の状態にも気を遣わなければならない。

ただ、Aさんと走る時は、自分にとって「気づき」が得られることが非常に多い。今日も走りながら会話を繰り広げ、「マカちゃん、悟りを開いた人みたいだな」と笑われた。そんな今朝の会話を少し膨らませて披露しようと思う。

いつものことながら今日も何だか七面倒くさくてクドい話なので、悪しからず。


「趣味は何ですか?」と聞かれ、「走ることです」と胸を張って言えるようになってから数年が経った。「最近、ジョギングを少々」なんて遠慮がちに口にしていた頃が懐かしい。

「走る」ということには、人それぞれ色んな目的があると思う。
ダイエットだったり、健康増進のためだったり、誰かに負けたくないという思いだったり。
そして、遂にその目標が達成された暁には、走るという「苦しみ」から解放される人もいるだろう。

だけど僕の場合、幾つかの目的達成を目指し、そしてそれをクリアしていく中で、走るという「楽しみ」を覚えた、といえるかも知れない。そして、「苦しみ」より「楽しみ」が上回っているうちは、多分「走る」ことをやめることはないと思っている。

ちなみにその「楽しみ」というのは、まだ見たことのない自分に会うことだ。

正直、ここまで「走る」ことが楽しいとは、考えても思ってもいなかったことだった。運動という運動全てを苦手としていた自分(それは今も変わらない)が、この年代となってこんなに「走る」ことに没頭するなんて、25年前の自分には想像もつかないことだった。
でも、何でこんな風になったんだろう、と時々考えることがある。もちろん、偏屈の塊っぽく。

結局のところ僕にとって「走る」ということは、自己顕示をするためのツールであり、自己発見をする方法であり、そして、自己満足を得る手段なのだろう。

以前、走ることの理想形が綺麗な多面体だということを投稿した。その多面体に近づくためには、色んなツール、方法、手段があって当然だと思うし、どうしたら速く走れるか、どうしたら長く走れるか、そしてどうしたら楽しく、いや楽に走れるかを思考する中で、何を極めたいのか、何を追い続けたいのかと考える内容も人それぞれだと思う。

全世界に数百万、数千万といるランナーの中で、自分はほんの小さな存在でしかないということは言うまでもない。でも、小さな存在であるが故に得られるものも計り知れないわけで、そのことが自分の生き方や生活にいい影響を与えるのであれば、それはそれで素晴らしいことなんじゃないか。

端的に言えば、井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さを知る、ということなのですよ。

隣の芝生が青いと嫉妬し、一喜一憂している時間があったら、高い空の向こうにあるものを掴み取りに行きたい。今はそんな気分なのですよ。

だって、主張、顕示、発見、満足。結局のところ、全て帰着するのは自分自身なのだ。

さてこの先、自分はどんな走りを目指そうか。これから先も長く「走る」ことと上手に付き合いながら、まだ見たことのない自分に再び会える日を楽しみにしようと思う。
せいぜい、自己嫌悪に陥らない程度にね。

【お知らせ】弘前・白神アップルマラソンのエントリーが始まりました。7月31日までだそうです。皆さんの快走を祈念しております。