月別アーカイブ: 2012年1月

41歳になりました。

私事ではありますが、本日誕生日を迎え、41歳になりました。
誕生日だからといって特別なことをするわけでもないですし、何か変わったことがあるわけでもありません。普段と変わらない日曜日。
昨日はかなり夜遅くまで飲んでいまして、まあそれはそれは楽しい飲み会だったわけですが…。
タガシ先生と僕の誕生日を祝ってくれたり、うちの妹の結婚を祝ってくれたり、涙あり笑いあり、ホントに面白い飲み会でした。
2012年1月28日、宅飲み会
すましたふりしてこんなことしてみたり。
2012年1月28日、宅飲み会
何かでも、嬉しかったな。
2012年1月28日、宅飲み会
こんな酒も飲んだりして。
2012年1月28日、宅飲み会
結局1時頃まで飲んでいたのかな?
2012年1月28日、宅飲み会
あ、そうそう、この「裏メニューが気になる」とのコメントも寄せられていたんですが…。あ、「裏にメニューあります」じゃないですよ。
2012年1月28日、宅飲み会
「裏」なのでやっぱり秘密(笑)
結局眠りについたのが2時すぎだったので、今朝はかなり遅く起きて、雪かきをして、買い物に出かけて、アイロン掛けをして…。何か普段と何も変わらない日曜日を過ごしました。
でも。
Facebook上に寄せられた数多くのメッセージを目の当たりにして、ビックリしました。多分、今までの誕生日の中で、一番多くの人たちから「おめでとう」の言葉を掛けて頂いたと思います。
誕生日ってやっぱり特別な日なんだな、ということをひしひしと感じています。
なので、今日ぐらいは誕生日の余韻に浸ろうかな、と。
当たり前ですけど、明日からはまた普段通りの生活に戻ります。
特に41歳になったからといって意気込みとか決意表明とか、そういうのは特にないんですけど、これまでと変わらず、無理せず背伸びをせず、これからも自分らしく過ごせたらいいかな、と思っています。
東日本震災が発生し、復興の道を探り合う中で、人と人との絆を改めて再確認することとなった40歳。僕自身もこの一年で色んな方と巡り会い、また、旧交を温めるきっかけが生まれ、その中でまた、色んな絆が生まれました。
このご縁を大切にしながら、また日々精進して行けたらいいな、と思っています。
皆さん、本当にありがとうございました。多謝!!

一日人材力活性化研究会 in 青森

約10年前のことになるが、弘前市内のNPOやボランティア団体と行政との協働を考えるフォーラムに参加したことがある。ちょうどその頃僕は、大学院派遣研修ということで弘大大学院に在籍しており、県職員としての身分は置いたままではあったが、「大学院生」であることが「本業」となっていた。

会場には50人以上はいたのではないだろうか、NPOや住民団体関係者が多数集まっていたのだが、どうやら旧知の仲の方ばかりだったらしく、むしろ僕はその中にあっては明らかに浮いていた。

グループで討論を行うことになり、8人ぐらいのチームが編成され、それぞれ自己紹介。僕も大学院生の身分ではあるが、実は県の職員であること等を自己紹介した後、とある女性の番に回った時だった。

「蒔苗さんでしたっけ?貴方には申し訳ないけど、私、県とか市とか全然信用してないの。行政って、大嫌いなの!」

あまりにも突然すぎるその言葉に、ただただ唖然とするしかなかった。
この人は何を言っているんだ?
僕個人に敵対心を抱いているのではないことだけはわかった。ただ、行政に携わる者の一人としてノコノコとやってきたことが気に入らないのか、それとも、何か伏線があったのか…。とにかく、行政側の人間であるということだけで、露骨に嫌悪感をあらわにしていた。

さて、この後僕が取った行動はどれでしょう。

(1)その女性に対し、行政の何が悪いのか説明しろと詰問した。
(2)黙りを決め込み、その後一切発言しなかった。
(3)怒りの表情のまま、すぐ会場を後にした。
(4)徹底的にその人を無視してグループ討論を続けた。

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2度目の冬走り

土曜日は、今冬2度目の冬走り。
散髪を終えて、そのままの勢いで市内を走ってきた。距離にして約7.4キロ。
走り始めた時、気温はまだプラスで、道路も凍結していなかった。ただ、夕方16時30分過ぎから走り始めたので、既に辺りは暗くなり始めていた。
風はほとんどなかったが、走って汗を流すにはちょっと寒かったかも知れない。

今回は、自宅を出発して弘前大学付属病院前を経由し、弘前公園の周りを走り、そのまま城西地区に抜け、城西大橋経由で茂森~自宅を走破するというコース。
今回もアシックスのスノーターサーとNike+ GPS Watchをお供に、時速約10キロを越えるか越えないかのペースで約45分。

夏場は音楽をお供にして走っていたけれど、今回も音楽はなし。BGMは、自分のザッザッという足音、そして車の音、風の音。

2キロほど走ると、弘前公園の追手門あたりに差し掛かる。ここからは、冬場に走る初めてのコース。
実際走ってみると、雪の影響で歩道の幅がかなり狭くなっていることがわかる。
どれぐらい狭いかというと、大人2人が並列で歩いていると、追い越すことができないぐらいの狭さだ。
なので、背後からザッザッと近づく(それも故意に大きくする)僕の足音で気づき、道を空けてくれる人たちもいれば、こちらから「すいません…」と声を掛けないと気づかない人たちもいる。
追い越した時に「あ、ごめんなさい。」と言われてしまうと、こちらが恐縮してしまう。そんなときは、ちょっと大きめな声で「ありがとうございます。」と一言。

厚手のウィンドブレーカーに帽子、手袋の二枚重ねというスタイルで、まだ雪多く残る弘前公園の周りをゆっくりとしたスピードで走り、住宅街へと歩を進める。歩行者をなるべく驚かせないようにしているつもりではいるのだが、やはり突然背後からザッザッと足音を立てて近づいてくると驚く人も多いようで、「ワイ!ビックリしたじゃ!」と言われたこと2度。そうだよね、この季節に走る人ってあまりいないもんね。ごめんなさい…。

雪のある歩道を走っていると、相変わらずザッザッと大きな足音が聞こえる。背後からは車が走ってくる音も聞こえる。もしも音楽を聴きながら走っていれば、こういう音は聞こえにくく、いや聞こえなくなるし、走行中の車にも迷惑を掛けることになる。

なので、雪が溶けてちゃんと歩道が現れるまでは、音楽なしで走ろう、そんなことを考えながら城西地区へ。
この地区は、正直歩道の除雪が行き届いていないので、ちょっとしたトレランみたいな感じ。突然段差は現れるし、雪に足は取られるし、結構神経を使うのだ。

住宅街を抜けると、最後の難関が待ち受ける。ダラダラと長い坂の続く城西大橋。
アップルマラソンでも、比較的平坦なコースにあって、ゴール1キロ手前、終盤最後のヤマ場である。
今日は別に大会ではないので、無理はせず、ゆっくりと坂を駆け上がる。

坂を登り切った信号を右折すると、ゴールはもうすぐ。あとはクールダウンも兼ねて、家までゆっくりと歩を進める。
ただ、実は家に着く直前、最後にもう一つ上り坂があり、ここがちょっと厄介。何故かというと、歩道がないから。
車の往来にも気を配りながら、坂を上り切って本日のラン終了。

家に着く頃には既に真っ暗。
寒さのせいもあってか、それほど汗は掻いていないが、心地よい疲労感が襲ってくる。

もう少し汗だくになるぐらい走り込んでもいいかな、とも考えたけど、何せ足場の悪い冬場、無理はしません。ええ、厄年ですから…。

初の冬道ラン

一昨日は、弘前市の「かだれ横丁」にて「弘前Fb新年会」が開催された。知っている人ばかりだと思うので補足説明は不要と思うが、Fbとは、巷を賑わせているFacebookの略称で、このFacebookで繋がりを持った方々が集まったというわけだ。主催者発表では、120名以上の方々が集まったとか。しかも東京都新宿区と八戸市でも同じ時間帯に同様の集まりが開催されており、Skypeを通じて同時中継されていた。
もっとも、会場に居合わせた全ての方々を知っているわけではなく、友達の友達の更に友達の…といった具合で、全く知らない方々の方がむしろ多かった。
いや、中にはFacebookを通じて知り合った方も大勢いたのだろうけれど、写真と実物のギャップがあって本人と気づかなかった人がたくさんいたのが事実だろう。

僕は高校同期だった棟方君と田中君と、この業界に入った時に研修で一緒だった平川市の齋藤さんと、ボヌールの高橋君とばかり話していたけれど、もっと大勢の人と挨拶を交わし、もっと大勢の人と談笑すればよかったと、宴もたけなわになった頃にふと思った。もう一つ思ったことは、カップを手に会場をぐるりと一周しながら、もっと積極的に活動しなければならないな、ということだった。

まあ、こう見えて結構人見知りなので、初対面の方と話すのは正直言ってあまり得意ではない。いや、これも以前は違っていたんだけれど。

平日はデスクワークに没頭し、週末は平和維持活動に専念し、考えてみると外部の方々と接する機会がたくさんあるにもかかわらず、その機会を積極的に利用していないな、と。

ある方から「(僕の仕事がいい仕事なのかどうかは別として)いい仕事に就いて、何もなければそれでいいのか。自分の生き甲斐を考えてみろ。」と言われたことがあって、そのことがどこかにずっと引っかかっているけど、ああ、そういうことなのかな、と。でも、僕と同じく今年厄年を迎えた齋藤さんと「今年は冒険はしないで行こう。」という話をしたばかり。いや、厄払いしたから攻めに転じてもいいのかな。
攻めに転じたつもりが自分を責めることにならないようにしないと。

閑話休題。
新年会の前に、少しなまった身体に活を入れようと、初めて冬のランニングをやってみた。

とはいえ冬の弘前は雪の季節。とりわけ今年は雪が多く、夏場に履いているようなジョギングシューズでは走れるはずがない。
そこで先日、高校同期で現在は五所川原市内にて病院の院長を務める冨田先生から教えて貰ったアシックスの「スノーターサー」というシューズを購入した。

左手にはNike+GPS Watchを装着し、手袋を二枚重ねで着用、下にはタイツ、上にはユニクロのランニング用シャツにフリースの重ね着、更に上下は厚めのウィンドブレーカーを着込み、帽子を被るという重装備で、実走スタート。今日はBGMは聴かないのだ。

GPS Watchは今回初めて使ってみたけれど、セットして約3分でGPSの捕捉を始めた。その間ウォーミングアップをしていたので、捕捉までの時間はあまり気にはならなかった。家を出て、県道の向かい側にある歩道に恐る恐る渡ると、除雪がされた直後だったこともあり、ツルツルした氷が剥き出しになっていた。

一歩踏み出してみる。…うん、大丈夫。
そのままゆっくりとツルツルの歩道を走ってみる。足が前後左右に滑ることはない。そのまま少しずつスピードを上げる。時計に目をやると、ペースが表示されている。

1キロを過ぎた頃に時計に目をやると、6分ちょっと経っていた。普段よりはかなりゆっくり目のスピードだ。でも、慣れない足下を考えると仕方がない。

数か月ぶりの実走だったので、距離は短めにした。
走っていて思ったことは、雪道の上を走っているということもあって、かなりしっかりと踏み込んで走っているな、ということ。そしてもう一つは、平坦ではない雪道を走るのも、結構大変だな、ということだった。何となくトレイルランニングに近い感じなのかな?

しっかりした踏み込み、といえば聞こえはいいが、実際はかなりドタドタと走っている。普段は音楽を聴きながら走っているけれど、耳を遮るものがないので、そのドタドタという足音がハッキリと聞こえてくる。正直、雪の上を走るという恐怖感もあって、軽やかな足取りになれないのだ。

ただ、スノーターサーの性能は、思った以上に優れたものだった。しっかりと雪を噛んでくれるし、たまに氷がある時はさすがにおっとっと…ということもあったけれど、慣れてしまえば多分ほとんど気にならないんじゃないだろうか。

もう一つ、Nike+GPS Watchの性能も思った以上に満足の行くものだった。家に戻ってきてからUSBでPCと接続し(これがLANなどで飛ばせればもっといいのだけれど)、Nike+と同期。その後で内容を見ると、走行したルートがちゃんと表示されていた。これは凄い、と感動。

しかし雪の上を走ってみると、何せ平坦ではないので、足全体を使って走らなければならず、結果的にその反動が上半身にも伝わってくる。よって、体全体でバランスを取りながら走ることになり、走り終えた後、これまでには感じたことのないぐらいの疲労感が襲う。多分、使っていない筋肉が動いたのかも知れない。

時間にして約30分、距離にして5キロ半の試運転。降雪や除雪の状況、気温などにも左右されるが、もう少し慣れれば冬場でも問題なく走れるかも知れない。

ちなみに、この冬道ランのおかげで、新年会でいつも以上に酔いが回っていたことは、今だから明らかにしよう。…あ、バレてましたかね。

祖母を見舞う。

僕の母の出身地は、秋田県にある旧北秋田郡合川町(現:北秋田市)。
正月といえば、小学校1年生の頃から一人で列車に乗って、祖母の家のあるこの地を訪れるのが常だったのが、結婚を機に足を運ぶ頻度が減るようになり、最近は数年に一度訪れる程度になった。
今年も元旦に母と妹が車で向かったのを見届け、僕と妻は家で留守番…のはずだった。
だが、祖母の具合が思わしくないことを事前に聞いていたこともあって、何となく心に引っかかるものがあった。
それを見透かしたのか、妻が一言。
「暫く行ってないんじゃない?行ってくれば?」
「うん…。」
行きたいと思う反面、向かったところで祖母は施設に入居していて不在。祖母に会える保証もなく、ただ酒を飲んで終わるだけじゃなぁ…という申し訳なさも心のどこかで燻っていた。
おそらく既に到着したであろう母に電話をして、探りを入れる。
そこで明らかになったのは、明日祖母の元を訪ねること、遠方に住む従弟妹が、「多分もう会えないだろうから」と帰省していること、祖母の家にいるのは伯父と従姉とうちの母と妹の4人だけだということだった。
これで僕の心は固まった。
「やっぱり行ってくるわ。」
母や妹たちには僕が向かうことを伝えず、時刻表を調べる。16時44分に弘前を出発する秋田行きの特急「つがる8号」に乗車して、鷹ノ巣駅で下車(17時39分)、鷹巣発角館行の秋田内陸縦貫鉄道に乗車(17時42分)すれば、17時59分には合川に到着することを確認。
ミッション開始。
16時20分過ぎに家を出発、妻に送られて弘前駅に到着。乗車券と特急券を購入し、3番線のホームに立つ。
程なく4両編成の特急「つがる8号」が到着。指定席の1号車、2号車が混雑している一方で、3号車、4号車の自由席はガラガラだった。
電車には平日ほぼ毎日乗っているが、特急に乗って秋田方面に向かうのは本当に久しぶりだ。
2012年元旦のミッション
心躍らせながらどうやってみんなを驚かせようかとワクワクしていると、電車は大鰐温泉、碇ヶ関、大館に停車した後、あっという間に鷹ノ巣に到着。
2012年元旦のミッション
ここから、同じホームの反対側にある秋田内陸縦貫鉄道の車両に乗り換える。特急つがるを見送り、わずか1両編成の角館行き普通列車に乗車。
2012年元旦のミッション
乗降口には「後乗り前降り」と書かれている。
出発時間も迫っていたので慌てて乗車すると、乗客もまばら。車掌はおらず、運転手が窓からホームを覗き込み、運転席に座ると、何の前触れもなく発車した。
ふと電車の壁を見ると、落書きがされている。以前TBS系列で放映されたドラマ「IRIS」に出演した韓国人タレントのサインらしい。よく見るとポスターも貼られていたのだが、誰が誰だかさっぱりわからなかった(苦笑)。
鷹巣を出発した列車は、山間部を越えて行くため、非常にゆっくりしたスピードで進んでいく。途中駅で乗車してくる客はおらず、下車した乗客が2名のみ。国鉄阿仁合線が廃線となり、第三セクターという形で引き継がれ、その後角館と鷹巣を結ぶ全線が開通したが、沿線住民の減少やモータリゼーション社会の到来により、相当の赤字路線となっているらしい。個人的には、観光路線としてでもいいので、何とか鉄路を残して欲しいと思っているが、こればかりはどうなるかわからない。
さて、そんなことを考えているうちにあっという間に合川駅に到着。鷹巣を出発して最初の交換駅である合川駅。ホームの反対側には、黄色に塗られた1両だけの列車が止まっているのが見えた。降りる時に運転席のすぐ横にある料金箱に360円を投入。ドアを開けるボタンを押して下車。
その昔、たくさんの乗降客でごった返していた合川駅も、僕を含めてわずか2名しか下車する客がいなかった。
国鉄時代から変わらぬ駅舎に入ると、駅員はおらず、かつてKIOSKのあった店舗も閉まっていた。ぽつんとストーブが置かれていたが、火は入っておらず、寒々としていた。
2012年元旦のミッション
外に出るとタクシーが2台止まっていたが、客が2人しかいないことを目視すると、1台のタクシーはそそくさと出発してしまった。
駅から歩いて5分ほどのところに、祖母の家はある。こっそり玄関を開けて、「すいません、旅の者ですが、今晩一晩だけ泊めて頂けませんか。」
バレバレの帽子にマスク姿で顔を隠し、某テレビのまねをして参上!
…のはずだったのだが、何と玄関に鍵が掛けられている!ドンドン、と玄関を叩くも誰かが出てくる気配はない。致し方なく明かりのついている部屋の窓をコンコン、と叩く。
「え?何?何か音しない?」
カーテンが開かれる。申し訳なさそうに佇む僕の姿を見て、一同驚嘆の声を上げる。
一応これにてミッション完了。いやー、よかったよかった。
そして今日。
9時過ぎに祖母がいる施設のある旧北秋田郡阿仁町に向かう。
30分後、施設に到着。
正直、祖母に会うのは怖かった。多分それは、僕が知っている祖母ではなくなっていることに対することへの恐怖、といえばいいのだろうか、よくわからない。
祖母のいる個室に入ると、そこにいたのは、やはり残念ながら僕の知っている祖母の姿ではなかった。口から物を飲み込めなくなり、鼻に管が通されている。その姿に、涙は出なかったが、思わず息をのんでしまった。
こちらからの呼びかけに対して祖母は、うっすらと目を開けるが、焦点が合っていない。声を発することもできず、何か言いたいのか口をゆっくりぱくぱくと動かしているが、何を言いたいのかはわからない。
こちらの都合の良い解釈をするならば、「わかる、わかる」といっていたようにも見えたし、「ありがとう、ありがとう」といっていたようにも見えた。
看護士の方の話によると、昨晩発熱したが、今朝幾分落ち着いたこと、痰も絡むようになり、この先いつどうなっても不思議ではないこと、など…。
いずれにせよ、明日で95歳になる祖母は、その波瀾万丈の人生に幕を閉じる時期が近づいていることを悟らざるを得ないことを確信した。車いすが長かったこともあって足はまっすぐに伸びず、腕も曲がっている。小さかった祖母が、更に小さくなっていた。
実は祖母は、昨年暮れが近づいた頃にも一度体調を崩し、「覚悟しなければならない」ことを言われた。その後持ち直し、今日に至っているわけだが、母は祖母に話しかけながら、泣いていた。
ただ、個人的には祖母の姿を見て、いよいよ「その時」が近づいていることを母も確信したのだろうと、ちょっとだけ安堵した。
施設を後にする時にふと壁に目をやると、「お誕生日おめでとう 3日 95歳 清水キノさん」と祖母の名前が掲示されていた。
「明日、こちらで御祝いさせて頂きますから。」
施設の人の言葉に、グッと胸が熱くなった。
帰りの車の中では、皆無言だった。がしかし、多分同じことを考えていたんじゃないかと思う。
「その時」がいつになるかは誰にもわからない。願わくば100歳まで、とのみんなの祈りが通じてくれれば一番いいのだが、早く楽になって欲しい、という思いも交錯して、正直複雑な心境だ。
…あ、正月早々こんな話題で申し訳ないっす。