アナログ時代への回帰

僕にとって、音楽はなくてはならないもの。音楽を聴くことは、癒やしだったり、カンフル剤だったり、もっと突き詰めれば、服飾のようなものだ。
通勤時間はイヤフォンを欠かすことができないし、家にいる時も、ランニングに勤しむ時も、肌見離さず身につけている、そんな感じ。

朝起きて、朝食を食べて歯磨きして、シャツやネクタイの色を考えながら着替えて、いざ出発。
さて、今日は誰の音楽を聴きながら職場に向かおうかな…。
これが僕の日常だ。とにかく、僕にとっての音楽は、生活の一部ということに尽きる。

なぜか2枚ある12インチレコード。未聴。

この年齢になると何でもかんでも取りあえず聴き漁るということはなく、耳に慣れ親しんだものばかり聴くようになった。
その音楽を提供する媒体はCDであったり、ストリーミング配信であったり、サブスクリプションであったり、ダウンロード購入したデジタル音源であったりさまざまだが、いずれにも共通するのは、場所を問わず聴こうと思えばどこでも音楽を聴くことができる、ということだろうか。

いつどうやって購入したのか思い出せないレコードの一枚。

昨今のアナログ盤ブームは、ちょっと嬉しくもあり複雑な気分でもある。スピーカーをあちこちに配置して四方八方に音を鳴らす、という手法もあるのかも知れないが、レコードを聴くということは、レコードプレーヤーに乗せたレコード盤に針を落とし、じっくりと耳を傾ける、というのが正しい姿勢なのかな、と思っている。ドライブの時にレコードを聴きながら音楽を楽しむ…さすがに難しいことでしょうからねえ。

今までで一番購入するのが恥ずかしかったアルバム

ちなみに何で複雑な気分なのかというと、結構な量のレコード盤を自分の不注意ですべて毀損し、破棄に追い込まれるという大事件があったからだ。
今となれば相当なレア盤もあったはずだし、それなりに価値のある盤もあったはずなんだが…。
まあ、今となってはもう手元にないレコードのことを悔やんでも仕方がない。

ところで、12月18日土曜日の夕方から、弘前れんが倉庫美術館で開催されたトークライブ「レコードジャケットが教えてくれたアートのこと」を観覧してきた。案内人は弘前市土手町で3月にレコードショップ「JOY-POPS」の営業を再開した齋藤浩さん。18時30分から始まったこのライブ、冒頭から度肝を抜くこととなった。「昔からの友達を呼んでいる」との呼びかけに登場したのは、何と、奈良美智氏!

60年代後半から70年代のレコードをメインに、アンディ・ウォホールが手掛けたジャケットの話、アース・ウィンド・アンド・ファイヤーなどのジャケットを手掛けていたのが長岡秀星さん(故人)だったという話や、これまでのお二方の音楽遍歴、更には、あまり外ではお話しできないあれやこれやと話題が尽きぬまま、あっという間の1時間半を過ごすことができた。
個人的に目を引いたのが、1976年に発表されたオリヴィア・ニュートンジョンの「水のなかの妖精」と、1983年に発表された松田聖子の「ユートピア」が並んで置かれていたこと。コンセプトも内容も全く異なる2作(のはず)だが、こうやって見ると、似て非なりのアルバムジャケットは結構あるのかもしれないなあ、と思った次第。

若かりし頃に一目惚れしたジャケット

レコードとは少し話がずれるが、思い起こせば僕も、佐野元春が発表したカセットアルバムの「エレクトリックガーデン」や、ガンズ・アンド・ローゼズの「Use Your Illusion I,II」のジャケットに描かれていたマーク・コスタビの絵に惹かれ、画集を購入したことがありましたっけねえ。

勢いで購入したコスタビの画集

最近、アナログ盤が注目を浴びるようになった一番の理由は、ジャケットが大きく見栄えがすることだろう(LP・12インチサイズはCDジャケットの4倍以上の大きさですからねえ)。

そのジャケットの中に納まっているアナログ盤をレコードプレーヤーの上に置き、静かに針を落とす。正座をしたまま、最初の音が流れるまでじっと待つ。その間にパチパチと拾うノイズ。CDでは絶対に聞くことのできない音だ。CDに収録しきれない音がレコードに収められているということは、知られた事実。しかし、90年代に突入するころから一気にデジタル化が進むと同時に、レコードはCDに、カセットはMDに置き換わった(多分)。
しかしどうですか?レコードに続き、カセットも息を吹き返しつつある昨今、デジタルに飽きた人たちが過去の産物を称賛し、回帰する状況になっていませんか。

時代はアナログを求めていくのかな?

シルエットに惹かれて購入した12インチ。