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40年の重み(2)【Hello! (2023.05.03) / The Street Sliders 日本武道館公演】

彼らの音楽を初めて知ったのは、確か高校に入学して程ない頃だった。
その音楽は、中学時代に知り合った音楽好きな友人の影響を受けたまま高校に進学し、音楽を聴くことにすっかり貪欲となっていた僕の耳を大いに刺激した。

完全に偏見でしかないが、この手の音楽を聴く人は、なんだか近づき難いというか、素行があまりよろしくないというか、何事に対しても反発するというか、ちょっと斜に構えているというか、そんな人が多いという印象を勝手に抱いていた。

じゃあお前はどうなんだと言われたら、まあ、平々凡々ごく普通で真面目な気の弱い少年だった(と思っている)ので、そんな音楽は聴いてはならないというレッテルを大人から貼られるタイプだった、ような気がする。

何と言っても中学時代、友人からダビングしてもらった尾崎豊のカセットテープを机の中に隠しているのを先生に見つかり、「お前がこんなのを聞いたらダメだ!」と叱られたことがあった。今思い返せば、理不尽以外の何者でもないのだけど。

深夜に放映されていた「eZ」というTV番組。
エピック・ソニーのアーティストを紹介していたその番組を通じて、エレファントカシマシや東京スカパラダイスオーケストラ、ボ・ガンボスなど、新進気鋭のミュージシャンやアーティストを数多く知ることとなった。

そんな中登場した4人組に、目が釘付け。当時はあまり目にすることのなかったケバい化粧(忌野清志郎と坂本龍一を思い出す)と濁声とのギャップ。更には、見た目は怖そうなのに、時には優しく時にはキャッチーな、何とも聴き心地の良い楽曲とのギャップのようなものに、すっかり虜になった。…なんてことを思い出しながら、当時から長いこと聴き続けていたThe Street Slidersの話。

フロントマンの二人、村越弘明(HARRY)と土屋公平(蘭丸)によるユニット「JOY-POPS」のライブを青森で目の当たりにしてから、2000年に解散したThe Street Slidersが再結成することは、夢のまた夢なのだろうな、とずーっと考えていた。個人的には、どのバンドよりもこの再結成を願わずにはいられなかった。

他の二人のメンバー(ベースの市川洋平(JAMES)、ドラムの鈴木将雄(ZUZU))と蘭丸が共演したことは耳にしていたが、そこにHARRYの姿はなく、再結成しそうなんだけどしない、そんなもどかしさがずっとあった。

更に2020年、HARRYに肺がんが見つかり、手術での摘出が困難とのことで化学療法による治療が開始された。約半年後には退院したとはいえ、年齢や体調のことを考えると、ご自身のライブ活動すら危ぶまれるのではないかと心配していた中、2023年1月23日にThe Street Slidersのデビュー40周年を記念して特設サイトが立ち上がった。これは何かの布石か?と思ったら、トリビュート盤とオリジナル盤の発売が発表された。

そして1月27日、突如日本武道館で5月3日にライブが開催されることが発表された。この知らせを目の当たりにした時、思わず声を上げて驚いた。これは、絶対に行かなきゃダメでしょ!…とはいえチケット争奪戦は必至。祈るように申し込んだところ、何と当選の報!多くの人がチケットを取れなかったことを知り、これは今年の運を使い果たしたかも知れないと、すっかり舞い上がってしまった。

そしていよいよやってきた5月3日。

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40年の重み(1)【The Songs of Surrender / U2】

音楽は、時として清涼剤となり、良薬ともなる。しかし一方で音楽は、時としてとてつもなく心を傷つけ、そして暴力的、猟奇的な一面を見せることもある。

このような感じ方は全て、聴く側、音を受け入れる側の精神状態や気分、体調によって変わってくる。
…というのはアタクシ自身の単なる持論。気の持ちようの変化によって、音楽に対する受け入れ方や見方も変わってくるものだと思っていたのだが…。

U2の音楽をちゃんと聴くようになったのは、1987年に発表された「The Joshua Tree」から。「War」や「焔」といった代表作は、ちゃんと聴いていない。

U2に対してのイメージといえば、正直何だか面倒臭そうというか、政治思想や社会批判めいたアプローチというか、そういった音楽的な指向に理解が及ばず、聴かずじまいのままだった。とはいえ「The Joshua Tree」にもそういった要素は孕んでおり、逆に言えば、ようやく自分の耳や感性が、そういう音楽を聴くところまで追いついた、ということなのだろう。

U2が1980年にデビューし、結成から40年目を迎えた時には、世界中で新型コロナウイルス感染症がまん延。更には各国が露骨に反目し合うという情勢が如実に露呈し、世界が混迷の一途を辿る中、遂にロシアとウクライナとの衝突に発展。日本を取り巻く状況を取って見ても、北朝鮮や中国などによる諸々もあり、全くもって落ち着く気配がなかった。

完全生産限定盤の40曲入りデラックス盤。シールが付いてきた。

そんな中、2023年3月にU2が発表したアルバムは、新しい解釈による過去の楽曲のリテイク。まあ、見方によってはいわゆる「セルフカバー」ということになるが、そこが単なるセルフカバーにとどまらないのがU2。むしろ、この状況においてU2がどういう形で反応を示し、音楽で表現するのか、興味津々だった。

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The Street Slidersのこと #thestreetsliders

高校1~2年の頃、周囲ではバンドブームが到来していた。BOOWY、THE BLUE HEARTS、ユニコーン、THE BOOM、バービーボーイズ、TM NETWORK、BUCK-TICK、ZIGGY、プリンセス・プリンセス、SHOW-YAなと、その他にもたくさんいたが、まさに枚挙に暇がないとはこういうことを言うのだろう。

インターネットがまだ普及していなかった頃の話、音楽にまつわる情報の入手先は、テレビ、ラジオ、レコード店、音楽雑誌、そして、情報通の友人だった。音楽雑誌は様々出版されていて、PATi-PATiやGB、WHAT’s IN?は当時の貴重な情報源だった。

数あるバンドの中でも異彩を放つ中心的な存在だったのがThe Street Slidersだった。毎月購入を怠らなかったPATi-PATiに登場したのは1986年11月前後、高校1年の秋の頃だったと記憶している。表紙はもとより裏表紙には発売予定のアルバム「天使たち」の広告が全面に掲載されていた。

東南アジアを思わせるような衣装に身を纏った4人。つべこべ話しかけるんじゃねえよ、と言わんばかりの鋭い眼光。薄く化粧が施されたそのいで立ちは、どこか中性的な雰囲気も感じさせる。一体この人たちは何者なんだ?バンドを組んでいた友達の間では既に知られた名前だったらしいが、彼らの存在を知らなかったことに、何か後れを取ってしまったような焦燥感に駆られた。そして、深夜に放映されていたテレビで流れた彼らのMVを観て、釘付けになった。

程なくして、アルバム「天使たち」を購入したバンド好きの友人からレコードを借りることに成功。早速家で針を落として一聴し、その内容に度肝を抜かれることとなった。
名プロデューサーとして知られた佐久間正英や、今となっては山下達郎の相棒の一人ともいうべき難波弘之などがサポートで参加していたことを知ったのは、相当時間が経った後のこと。もっとも、今の時代に聴いても、歌詞はともかくそのサウンドに全く色褪せた感じがしないのは、名盤たるゆえんだろう。

これは完全な偏見でしかないし、お前が言うなと言われるかも知れないが、バンド活動に夢中になっていたメンバーは、どこかちょっと斜に構えていて、規則や決まり事といったことに対してもちょっと反発してしまうような、そういった顔ぶれが多かったような気がする。
僕の友達の中にもそういった人たちはそれなりにいたけれど、何せ応援団員として硬派を気取っていた(笑)時分、こっそりと、そして密かに彼らのファンを細々と続けていた。Harryのしゃがれた声、そして何とも不思議な蘭丸のギター、そしてZUZU、Jamesが響かせるリズムとの融合に、すっかり虜になっていたのだ。

とはいえ、彼らのコンサートに足を運ぶことができたのは1度しかなかった。確か大学1年の頃だった記憶があるが、それすらも定かではない。メンバーもメンバーなら、会場に集まっていたファンもなかなかの強面揃い。周囲の観客の勢いに圧倒され、すっかり浮足立ってしまったチキンの僕は、何の曲を演奏したのかもほとんど記憶として残っていないのだ。ただ、怒号にも似た観客の声が会場内を飛び交う中、ステージに現れるなり放ったハリーの「ハロゥ」という一言、あとはひたすら寡黙に演奏を続ける姿に目が釘付けになったこと、そして、アルバム「天使たち」からの楽曲はなぜかほとんど演奏されなかったことだけは覚えている。

その後も彼らの新しいアルバムが発売されるたびに聴いていたものの、時代の趨勢とは恐ろしいもので、バンドブームが終焉を迎えると、過去に心をときめかせていたバンドがどんどん活動休止や解散を表明していくこととなった。御多分に漏れずThe Street Slidersも91年に無期限活動休止。95年に4年ぶりの新しいアルバムを発表するも、その頃には僕自身の環境も大きく変わっていて、アンテナを立てる方向も変わっていた。結局、98年に発売されたベストアルバムを懐かしく聴いたが、2000年の解散まで、再び彼らに対する熱が上がることはなかった。

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山下達郎 PERFORMANCE 2022 盛岡公演(R5.2.16)

新型コロナウイルス感染症の影響でアーティストの公演が相次いで中止、延期、開催見送りとなった2020年から2021年。音楽好き、コンサート好きの自分としては何とも歯がゆい日々が続いた。

2022年に入り、少しずつコンサートツアーやライブが再開されるようになり、意を決して東京スカパラダイスオーケストラの青森公演、そして森山直太朗の弘前公演に足を運んだ。

マスク着用、声援なしのコンサートは一種異様な雰囲気でもあったが、これもまた新しい楽しみ方なのかもしれないと思うようになった。

最近では吉川晃司の仙台公演に足を運んだことをこのブログでも紹介したが、全国ツアーの再開を心待ちにしていたアーティストが一人いた。

山下達郎。2009年のライブに足を運んで以来、何度観に行ったのかわからないが、青森公演はほぼ外すことなく、毎回足を運んでいる。

そんな彼が2022年に入り、全国ツアーを再開すると発表。また青森での公演を楽しみにしていたのだが、よりによって東北6県では唯一青森県だけが公演なし!

青森、また嫌われた!

東北新幹線が新青森まで延伸した際は、多くのアーティストが「青森が近くなった」と公演にやってきたと記憶しているが、最近はどうも「通過点」と化しているようだ。まあ、来ないというなら仕方がない。かといってまだ新型コロナウイルス感染症が完全に収まったわけではないので、近県の公演に狙いを定めることにした。仕事のスケジュールも睨みつつ、岩手、宮城、山形公演の抽選に臨んだ。

しかし、結果としてゲットできたのは岩手のチケットのみ。2022年7月29日(金)、盛岡市にある岩手県民会館での公演を観に行くこととなった。ところが、不運は重なるもので、早々に夏季休暇を充てるつもりで予定を組んでいたところ、何と山下達郎本人が新型コロナウイルス感染症に感染、公演が延期となってしまった。

その後に発表された振替公演の日程は、2023年2月16日(木)。

夏ではなく冬、しかも年度末も迫る微妙な時期。ううむ、行けるだろうかと不安がよぎる。

でも、悩む必要はない。万障繰り合わせ、この日の午後から移動を開始、翌朝青森に戻り、午後から出勤するという計画を組んだ。

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#Morris Day と #Babyface のアルバムに心ときめく

もうすぐ65歳になるモーリス・デイ(Morris Day) と、64歳になったベイビーフェイス(Babyface)。
プリンスファミリーの一員として時代を駆け抜けたモーリスと、百戦錬磨のプロデューサーとしても名を馳せたベイビーフェイス。ともに60歳を超え、円熟味マシマシの二人が、ほぼ時を同じくして久し振りのアルバムを発表した。いずれも多くのゲストミュージシャンを迎えてのアルバム、更に収録時間が40分前後という短さも共通点。モーリスに至っては何と18年ぶり、ベイビーフェイスは7年ぶりというブランクでの発売に、心がときめいた。

左がモーリス、右がベイビーフェイスのアルバム

モーリス・デイの存在を知ったのはもちろんプリンスの映画「パープル・レイン」から。ザ・タイム(The Time) というバンドのボーカルを務めていて、ちょっと滑稽な兄ちゃんみたいな風貌と動きが、個人的には結構ツボだった。

プリンスとはちょっと異なる色気みたいなものを持ち合わせていて、それがまたバンドとしての魅力の一つでもあったが、ザ・タイムの全盛期はプリンスが提供した楽曲ばかりを演奏し、歌っていたため、プリンスの二番煎じのように感じたのも事実。とはいえその事実を知ったのは結構時間が経ってからだったし、その頃はそれほどプリンスに熱を上げていなかったこともあり、ふうん、そうなんだ…程度にしか捉えていなかったのだけど。

ザ・タイム としての活動期間はさほど長くはなく、バンド名義のアルバムも4枚のみ。名称を使う使わないで揉めた挙句、「THE ORIGINAL 7EVEN(ジ・オリジナル・セブン)」という名義でアルバムを1枚発表しているが、その後、バントとしての大々的な活動はほとんど見受けられない。

ジャネット・ジャクソンを筆頭に、様々なアーティストのプロデュースを務めたJam & Lewisもこのバンドに所属しており、ザ・タイム名義での「最後のアルバム」となっている「Pandemonium」は、思い切り彼らの匂いがするし、前述の「THE ORIGINAL 7EVEN」も然り。が、それがまたモーリスの声とマッチしていて、個人的にはどちらも大好きなアルバムだ。
しかし、ソロ活動となるとなかなか苦戦を強いられているのか、どうしてもザ・タイム の影を払拭できぬまま、今日に至っているような気がする。

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