9月27日、突如足に異変が生じた。右足のアキレス腱のあたりに激痛が走り、まともに歩くことすら困難となってしまった。普段通勤で利用している電車から下車し、青森駅から職場へと向かう途中に違和感を覚えた。約10分後、職場に着く頃には完全に異変が生じていた。
これまでも数度発症したことのあるアキレス腱周囲炎だろうと、すぐに察した。以前はステロイド剤を患部に注入し(これがまた例えようのない激痛なのだ)、翌日の大会に難なく出場、という強硬手段に打って出たこともあったが、この年齢になるとそういう無茶もできないし、やはり躊躇してしまう。
とはいえ、出ると決めた以上は練習も積んでおきたい。
基本は週末の空いている時間を練習に充てながら、何とか練習時間を工面していた。
しかし、月間の走行累計距離は100キロ前後。今月は300キロだ400キロだという周囲のランナーの話を耳にしながら、その時間を確保できることに驚きと羨望すら覚えた。いや、その時間を確保しようとする努力が自分には足りなかったのだろう。
…まあいい。人は人、自分は自分だ。
以前であればそういう話を聞いて焦りを感じた自分がいたけれど、そういう感覚がなくなったというか、いちいち人のことを気にしていられなくなったというか。
思い返せば今年は、一度しか21km以上を走っていない。だいたいにしてフルマラソンを走るのは、昨年12月以来だから10か月ぶり。この間、一度だけハーフマラソンの大会(これが今年唯一の「21km以上」)に出場したが、その時も散々な目に遭い、二度とこの大会には出るものか!と思ったぐらいだった。
そして、落とし穴は突然現れた。
30㎞も走っていない中、やはりいきなりフルに挑戦するのはちょっと無謀じゃないか。8月以降、そういった思いがふつふつと湧いてきた。例年であれば余裕だったはずの週末は、なぜか色々予定が入っているという状況。基本的に何もないはずの週末が、父の17回忌だ福山雅治のコンサートだと例外続きとなり、少々焦りを感じ始めていた。
そんな焦りに更に追い打ちをかけたのが、雨。なぜか週末になると降り出す雨。
何もすることができず、悶々と過ごす時間が増えた。
結果、晴れる合間を縫っての練習に勤しむこととなったが、これが余計な負担となってしまったらしい。
敬老の日を含んだ三連休は仙台。秋分の日を挟んだ三連休は雨、そして当番対応。
30㎞の呪縛が頭を過る。走れる時に走っておかないと…。一念発起し、雨の上がった9月22日の午後、まずは15.5㎞。そしてその翌日の午前、いよいよ30㎞、と思ったけれど疲労もあったので22.7㎞。2日合わせて30㎞は軽くオーバーしているからいいか、と思ったけれど、この時の負荷で右脚は地獄へ踏み入れていった。
1日空けて水曜日、疲労抜きのつもりで8㎞。なんか右脚がおかしいかも。…からの、金曜日の出勤途上で突如右アキレス腱付近に痛み。職場に到着する頃には、歩くのもおぼつかない状況になっていた、というのが事の顛末だ。
翌土曜日、人間ドックで指摘を受けた検査日程の調整のため、かかりつけの病院に足を運んだが、整形外科まで足を伸ばすことができなかった。騙し騙し週末を過ごしつつも、翌週の日曜日のことが頭を過る。しかし、もはやそういう期待を持てる余地はないということを悟っていた。その日の夜、ラン仲間との小宴。小宴を楽しむというよりも、この脚の消炎をどうしようかと気もそぞろ。あまりにも不格好な歩き方に、店の方からも心配される始末。嗚呼、情けない。
月曜日になってようやく整形外科に足を運び、鎮痛剤と消炎剤を処方された。1日挟んで水曜日は、日帰りの東京出張で足を引きずりながら1万歩を越える歩行。
木曜日は造影剤を注入してのCT検査。内科、整形外科、専門機関と病院のはしごが続いた。
それでもアルコール抜きと静養が効を奏したのかどうかは知らないが、大会前日の土曜日辺りから急激に痛みと違和感が引いていった。あれ?これって走れるかも?
…たぶん、昔であればそんな無茶もしただろう。
しかし50代も半ばに差し掛かり、自らの身を滅ぼすようなことはやってはいけないのだ。
ということできっぱりと出場は諦め、応援に回ることにした。思えば昨年は、エントリーそのものを(確信犯的に)忘れて応援に回ったんだった。
そして大会当日の日曜日、皮肉なことに更に痛みは引いていた。
8時に弘前市役所前での集合写真の撮影に参加した(撮影もさせてもらった)あと、昨年も応援したスタート地点から約2km先の岩木川に架かる橋のたもとを目指す。背中には「参加賞」でもらった米2kg、そして500mlのペットボトル1本と、それに匹敵する重さのカメラを背負っているが、思った以上に負担を感じず、足取りは軽い。
スタートの20分前にはその場所に到着し、撮影その他の準備を進める。
目印に準備したピンク色のTシャツには、今回着用が叶わなかったゼッケンナンバーと、闘病中の仲間を応援するステッカーを張り付けた。2026年には青森県で国民スポーツ大会が行われるということで、そのマスコットキャラクターも添えた。
午前9時、フルマラソンのスタートを知らせる打上花火が上がった。おそらく6~7分後には先頭がこの橋を渡ってくるはずだ。元応援団副団長の血が急に騒ぎ出す。
白バイに先導されたトップランナーを筆頭に、続々と橋を渡って来るランナーを見ながら、なぜか自然と笑みがこぼれる。
「いってらっしゃい!」「うん、いい顔だ!」「笑って笑って!」
「ナイスラン!」「マイペースマイペース!」
時に声が裏返り、喉を枯らしながら声援を送り続けた。その声援に応えてくれるランナーの皆さん。声援を送っているはずが、なんだかこちらが応援を受けているような気分になった。
結局、フルマラソンの15分後にスタートしたハーフマラソン、更に10時スタートの10kmマラソンのランナーが橋を渡るまで、ずーっと声援を送り続けた。
10月にしては日差しが強く、ランナーには相当厳しいコンディションとなったことだろう。
ランナーの皆さん、本当にお疲れさまでした。そして運営スタッフの皆様、今年もありがとうございました。
さて、もはや蛇足でしかないが、今回アキレス腱周囲炎を発症した要因を少し紐解こうと思う。
・無茶な追い込み、走り込み、練習不足に水分不足
前述のとおり。練習前後の水分補給も足りていなかった…というか、もはやランナーとして論外。
・合わないシューズ
これが一番の要因。練習不足をシューズに頼ると、こういうことになるという証明。底がフニャフニャのシューズは、自分には合わないということ。それを履いて20㎞以上も走れば、そりゃ足への負担も大きくなり、積もり積もって怪我に繋がるということ。で、何をしたかというと家にあった某メーカーのシューズを全部廃棄した。
・ストレッチ不足
身体が硬いと自負しているくせに、ラン前後のストレッチを怠っていた。これは医師からも指摘を受け、宝の持ち腐れ状態になっていたローラーがここにきてフル稼働しております、はい。

これを用いたストレッチが意外と効いた。
発症してからはこれまでの諸々が水泡に帰するということで自暴自棄にもなりかけたし、怒り、悲しみ、悔しさ、腹立たしさが全ての感情を上回っていたが、もはやどうにもならないとこの状態を受け入れてからは、そのネガティヴな思考も鎮まっていった。だって、こうなった以上、一刻も早くそれをどう改善していくかは自分次第だから。
自分にとって弘前・白神アップルマラソンとは、自分のためというよりは、地元に何か少しでも役立つことができないか、を考える場なのだ。
今回は応援に回らせてもらったが、来年こそはちゃんと走ろう。そして願わくば、ペースランナーの枠を掴み取ろうと心の中で誓った。




