1か月半ぶりのジョグ

マラソンこそが不特定多数の集まるイベントだと捉えられ、感染リスクが問われるようになったのが数か月前。エントリーしていた大会は相次いで中止が発表され、秋以降の大会だってこの状況ではどうなるか見通しが立たない。結果として、主催者側も中止を恐れ、エントリー開始を打ち出させずにいるのだろうか。いや、現状を鑑みると、秋以降に大会が行われるとしても、正直言ってちょっと腰が引けてしまう。

パチンコ屋と同じ、というわけではないが、なんでここまで市民ランナーばかりが槍玉に上げられるんだろう?そんな懐疑心すら生まれるほど、ランニングに対するバッシングは酷かったように見受けられたし、今もランナーに対する風当たりが強いような気がするのは、単なる被害妄想だろうか。

あー…走りたい。

そもそも今回の状況が地震や風水害と大きく異なるのは、それらの場合はある程度地域が限られるため、被災した地域に対して、被災しなかった地域が手を差し伸べ、一緒に頑張りましょう、といった思いやりの精神が生まれ、それが支え合いや助け合いに繋がるのだが、今回の新型コロナウイルス感染症は、国内、いや世界の全域が同じような災禍に見舞われ、しかもそれぞれが得体の知れないお化けと戦っているような状況なので、手を差し伸べ合うどころか、いがみ合いや軋轢がどんどん顕著になっているのがわかる。

国内も同様で、手を取り合うどころの話ではなく、我先にと手を伸ばしてパイを奪い合い、更には隣の芝生を見ては憤り、やり場のない怒りのぶつけどころを探す、そんな状況に陥っているのではないだろうか。

もはや全てのジャンル、全ての業種職種が災禍に見舞われ、全ての人たちが受難の憂き目に遭っているわけで、我々も含めて置かれている状況はみーんな同じはずだと思うのです。混沌とした状況が収束した先に、また平和が訪れることを祈っているのですが、さて…。

閑話休題。

僕自身、全く走らなくなってから1か月半が経った。最後にジョギングしたのが3月21日。…そうだ、畏友ザワの中学生になる次男坊と走ったんだった。

次男坊は県の中体連を目指していたが、それも大会の中止が決まった。目標を奪われたその心中を慮ると、胸が締め付けられそうな気分に苛まれる。

あー…走りたい。

さて、前からここでも取り上げていた通り、4月から僕自身の状況が一変したため、こうなることは薄々わかっていたことではあったが、さすがにここまで走らないでいると、気持ちも滅入ってくるし、身体にも色々変調が現れてくる。

走っていたころはそれなりに代謝もよく、汗をよく掻いていたので、走り終えた直後は老廃物が体の外にドロドロ流れ出す、といった感じといえばいいのだろうか、湯上りのようなサッパリとした感覚があった。イヤなことを走って吐き出すということはしょっちゅうだったし(誰もいないのを見計らって大声を出したこと数知れず)。

ところが、走る時間を作れなく(作らなく)なってからは、老廃物をうまく排出できなくなり、それがストレスとも重なった結果、深夜の暴飲暴食へと繋がり、ブクブクと肥満の途を辿り始めている。それをコントロールできないのも、僕の気の弱さの現れなのだろう。

(弛んだ身体が全てを物語っています。)

昨年夏以降から徐々に走る時間を確保するのが難しくなってはいたが、半年後にまさか社会全体がこういう状況になるとは恐らく誰も想像していなかったわけで。

暫く走れないという覚悟は決めていたとはいうものの、やはり心のどこかでは走りたいな、と思う一方で、もはやカレンダーの曜日がほぼ全て黒色になり、月暦がただの数字の羅列となっている昨今では、日々積み重なる心身の疲労(圧倒的にメンタルの方)を取り除く方が重要で、走ることに時間を割いて更に疲労を重ねる、ということにはなかなか踏み切れずにいるというのも正直なところ。

あー…走りたい。

そんなジレンマを抱えながら1か月半という月日が流れた。

今シーズン履き潰そうと思っていた新しいシューズはまだ1度しか履いていないし、新しいウェアにも袖を通していない。そもそも、チームの新しいウェアですらやっと受け取ったばかりなのだ。

あとは、どうやって時間を捻出するか、ということか。6時間は寝なければ気が済まなかった僕の現在の睡眠時間は、4~5時間。行きと帰りの電車内の惰眠が爆睡になっているとはいえ、正直、これ以上睡眠時間を削りたくないんだよ…。

今日(5月10日)は、仙台国際ハーフマラソンの30回記念大会が行われる予定だった。大会は中止になってしまったけど、ウェアが送られてきた。そのウェアを着て走りたい。思いがどんどん強くなった。

「立場上」不謹慎なのかも知れないが、一念発起、市内をちょっとだけジョギングしてきた。完全防備、とまでは行かなくとも、すれ違う方々にご迷惑のかからないようなスタイルで。わずか8キロ、約45分。今の僕にはこれで十分だった。走っている途中で、ランニングに勤しむ仲間、同志数名から声を掛けられた。それがまた、妙に嬉しくもあり…。

馬鹿な話をしながら笑ってくれる、親身になって話を聞いてくれる、一緒に涙を流してくれる…そんな仲間たち、同志に早く会える日を楽しみに待ちながら…。