「打算」ではなく「逆算」 ~2019年のランを振り返る

2019年は年男。昨年度の不本意を払拭すべく、今年こそ張り切ってランニングに取り組むぞ。…という思いは見事に空回りし、結局この一年も何だか不本意な年となってしまった。他人事のように今年を振り返ってみようと思う。

まず1月に出場した「勝田全国マラソン」は、練習の延長と位置付けて出場したとはいえ、伯父一家がわざわざ応援に来てくれたにもかかわらず、2年前の前回より20分も遅くゴールし、サブ3.5すらできないという惨めな結果に。(3:33:22)

この頃はちょっと心身のバランスに変調を来していたらしく、更に冬ということで練習が疎かになる中、仕事とランニングの両立がなかなかうまく行かず、レースに向けた調整もできないまま春を迎えた。ちなみに冬期間の月間走行距離を見ると、1月は勝田でのフルマラソンがあったにもかかわらず172.1km(練習のみだと150km以下)、2月になるとわずか54.4km、3月も93.5kmと、100kmにすら届かず。

練習不足は結果として如実に現れ、2019年最初のレースとなった4月下旬の「イーハトーブ花巻ハーフマラソン」では、とうとう90分切りをできずにゴール。(1:30:07)
この時も伯父夫婦と叔母が応援に駆けつけてくれたのに、結果を出すことができなかった。

更に、大型連休の期間中には、弛みきった体つきを指摘される始末。
心身の変調は顔にも身体にも露骨に出るようで…どうもすいませんね、ハイ。

一部コースが変更となった5月の「仙台国際ハーフマラソン」では、辛うじて90分を切ることができたものの、本調子には遠く及ばない状態。(1:29:06)

そりゃそうです。この頃は、昨年より体重が3キロ増えていたんだから。

6月、毎年楽しみにしている平川市の「たけのこマラソン」。
それまで出場していたハーフではなく敢えて10kmに種目変更するも、順調に距離を重ねることができたのは7kmまで。残り3kmでグダグダっぷりを発揮し、入賞を取りこぼしてしまった。
…あれ?もしかして自分、10kmの走り方すらわからなくなっている感じかも?(44:01)

しかしこの年齢になると、一度狂った歯車を元に戻すのはなかなか至難の業だということも痛感させられた。少しでも早く調子を取り戻さなければならないという焦りも重なった結果、たけのこマラソンの直後に昨年とほぼ同じ部位(アキレス腱)を痛めるという悪循環に陥ってしまった。

7月に入ると月間で90kmも走れないという状況となり、練習の質も大幅に低下。この状況で北海道マラソンを目指してもいいのだろうか?という疑問が湧いてきた。

8月に入ってそれなりに練習量は増えたというものの、30kmも満足に走れず、北海道マラソンは最初から期待できないと半ば諦めていた。
ちなみにその北海道マラソンにおいては、これまで蓄積している借りを一気に返し、忘れ物を取り戻したいところではあったが、中間地点までで勝負あり。結局、更に忘れ物を増やすという不本意な結果に終わってしまった。いや、不本意なんかではない。当然の結果だったのだ。(3:39:05)

9月は一切大会を入れず、10月の弘前・白神アップルマラソンに備えた。
今年も4時間のペースランナーを務めることが早々に決まっていた。しかし、度重なるレースの失敗やケガの影響で完全に自信を喪失し、これまでにない不安を抱えたまま大会に参加した結果、当日は37km地点で脚の痙攣に見舞われるという体たらく、結局ペースランナーの役割を全うすることができなかった。(4:20:00)

さて、どうしたらこの状況から脱することができるのだろう。何も考えず走ればいいだけ、というヒトもいるだろうが、それは平時から走り慣れているから言えることであって、それすらも満足にできていない状況で、復調の兆しを掴めないまま、泣きっ面に蜂とも言える事態が発生した。

各地を襲った台風第19号への災害対応。
青森県は幸いにして被害は少なかったものの、同じブロック内にある福島、宮城、岩手、新潟の各県で甚大な被害が発生。ブロック内の幹事県として、本県から他県への応援という形で災害対応に当たることとなった。僕も宮城県で調整業務を行ったのだが、それが10月下旬の9日間だった。10月27日は、今年初開催となった「いわて盛岡シティマラソン」。しかし、土日休日関係なく調整業務を行っていた関係で、出場が叶わなかった。
結局10月は僅か79.5kmという月間走行距離。走った距離は裏切らないし、走っていなければ結果は明白。
今季最後の大会出場となった11月24日の「第39回つくばマラソン」。雨に見舞われる中、仲間の多くが自己記録を更新したが、僕は今までのフルマラソンでのワースト(ペースランナーを除く)を叩き出した。(3:48:50)

しかし、更なる追い打ちはこの大会直後に発生した。
傷心のまま最寄り駅までのバスに乗車していたら、家から電話がかかってきた。何と、母が転倒して左手首を骨折したという。
その日以降、車の運転すらできなくなった母の介護等に当たることとなり、とてもじゃないが走るどころの話ではなくなってしまった。

ここまで来ると、悔しさというよりも、諦めに似た境地。
結局2019年の後半は、完全な開き直りに徹するしかなかった。

その中で、色んな大会に出場しながら改めて確信したこと。
走っている途中に「逆算」を始めると、いい結果は一つも出ない。
今年は、そんな「逆算」ばかりのレースだった。要するに、走ることに集中できていなかったのだ。一度もサブ3.5をクリアできず、その他の大会でも、過去に出場した結果をいずれも下回った。これを齢のせいにするには、ちょっとまだ早過ぎるだろう。

2013年から走り始めたフルマラソンも、気がついたら出場レースが20回を越えた。
この間で自分自身が納得できる、満足のいく走りができたのは数回しかない。
一方、フルマラソンを走るという体験をこのブログで幾度となく文字に起こしてきているものの、自分自身への還元、すなわち知識としての蓄積がほとんどない。ということで、難しく考えるか安易に考えるかはともかく、「考えて走る」ということに取り組むべく、40代最後の年となる2020年を迎えようと思う。言うなれば、これまでの体験を知識に変換する作業の開始だ。

などと講釈を語る前に、何よりもまずは、我慢することを忘れ挑戦する気持ちが萎えてしまった今、気持ちの立て直しから着手です。