反省のフリなら猿でもできる ~ペースランナー失態記(後編)~ #弘前白神アップルマラソン

(前編から続く)
今年は例年よりかなり早い地点で先頭とすれ違ったが、仲間のランナーや他のペースランナーとすれ違う度にお互いを鼓舞しながら走るのが、折り返し前後の約5km。自分がペースランナーであることを一瞬忘れそうになる、そんな区間だ。

(画像は11km付近、まだまだ余裕があった頃。)

折り返した直後、風船の動きで向かい風になったことを悟る。空に広がっていた雲が取り払われ、秋の太陽が勢力を強める。暑さを感じるし、空腹感も少し覚えるようになった。ついでに言えば、右足の裏側も痛い。知らず知らずのうちにアキレス腱を痛めていた左脚をかばい、右脚ばかりを使ってしまったのかも知れない。

いやいや、気のせいだ、こんなのは大したことではない。そう思いながら先へと進んでいくが、違和感は拭えなかった。

(25km地点、妹と甥っ子を発見して気力を少し回復!)

復路を引っ張るのはスギさん。きっちりラップを刻みながら、終始安定した走りを続けている。トミーは後方からランナーを吸い上げる役割。僕は中盤をウロウロしているだけだった。この時点で、僕自身がちょっとヤバイかも知れないな、という不安がどんどん増幅されていくこととなった。

それでも30kmまでは辛うじて持ちこたえられたものの、いよいよ31kmを過ぎ、勝手に「ゾンビゾーン」と呼んでいる辺りでペースが急に落ちてきた。平静を装いながらトミーと会話を交わす。「これぐらいのペースで大丈夫かな」「え?平均5分36秒だよ。問題ねえべ。」「う、うん…。」
ふと見ると、スギさんの風船が徐々に小さくなっていくのがわかる。ホントにヤバいな、これ。

(折り返して31km手前、すっかり余裕がなくなり焦燥感が現れ始めている。)

33km過ぎの給水ポイント。立ち止まって水を2杯飲む。再び走り出すも、腰が重く、脚が前に出ていかない。ここでこそ周囲を鼓舞しなければならないのに、無言のまま緩い上り坂へと進んでいく。

(32km過ぎ、再び甥っ子を発見。虚勢の笑顔で元気なフリ。)

なんだよ…これじゃミイラ取りがミイラになるのと一緒で、ゾンビ狩りがゾンビになるようなものじゃねえか。

虚しい気持ちが胸に渦巻き始める。スギさんの風船ははるか前方にあった。これまで4度ペースランナーを務めて、初めてベストを脱ぎたいと思った。

36km過ぎで、青森市のヤギちゃんに声を掛ける。

「私、もう脚攣ってますよ。ははは。」

「実はオレもヤバいんだよ。ははは。」

直後に、前方を走るキクチさんの姿を捉えた。横に並んで声を掛ける。
キクチさんは「これ以上ペースが上がらなくて…」と口にしたが、時計を見るとそのペースは5分20秒。まだ4時間以内を十分に捉えられるペースだ。
「大丈夫です、このまま維持していきましょう。行けますから!」

とは言ったものの、自分が行ける自信がなかった。

程なく、更に先を走るセイジ先生を捉えた。

「ああ、とうとう追いつかれた。もうダメです。」
「いやいやそんなこと言わないで!もう少しですから頑張りましょう!」

二人の様子を見つつ、ちょっとだけペースを上げ、いつも練習で走る温泉の前に差し掛かろうとした37km手前、遂に右足が悲鳴を上げた。

前触れもなくやって来たのは、右太もも裏の痙攣だった。

「うわ!攣った!!」

思わず仰け反ると、今度は左脚のふくらはぎにも電流が走る。遠くなる二人の背中を見ながら、痛みに耐えられずその場にしゃがみこむ。

見かねた救護の方が駆けつけ、「大丈夫ですか?スプレーしましょうか。」と、大腿部にスプレーを噴射。

「大丈夫…じゃなさそうですね。救護車呼びましょうか。」
「いや、いや、それだけは…」

こんなペースランナーの姿を晒すワケにはいかないと、思わずベストを脱ぎ捨てる。

ふと見ると、さっきまで空を泳いでいたはずの風船は割れ、虚しく地面に転がっていた。そして両脚には、乾いた汗が塩となってうっすらと浮き上がっていた。

「ここでペースランナー終わり。お前はもう用なしだから、ハイご苦労さん。」

そう言われているような気がして、無性に悔しさが込み上げてきた。くそっ!

「大丈夫すか?」

声を掛けてきたのは、2週間前に100kmを完走したばかりのカワラダ氏。

「ゴメン、これ先にゴールに持っていってくれる?」

なぜか汗でびしょ濡れのベストをカワラダ氏に託し、再びその場で悶絶。

「わ、わかりました!」とベストを手に走り出すカワラダ氏。何でそんな行動に出たのかは、自分でもわからないし、多分カワラダ氏も何でこんなものを託されたのか、意味がわからなかったことだろう。汚れた物を持たせてしまって大変申し訳ありませんでした。

嗚呼、本当に終わってしまった…。

ちっとも大丈夫じゃないのに、救護の方に「もう大丈夫」と告げ、気持ちを落ち着かせて歩くところから再開。再び走り出そうものならば、またいつ痙攣が再発するかも知れないと、おっかなびっくりだった。
38km地点、何を思ったのか既に役目を終えているはずの3時間30分のペースランナー、カズヤさんたちにメッセージを送信する。

…今思えば、単に言い訳したかっただけなのだろう。
その後も脚が元に戻ることはなく(そりゃそうだ)、ダメージを負ったまま、競歩のような小走りと歩きの繰り返し。時計は既に4時間を経過していた。

ようやく41km地点にやって来た時、不甲斐ない自分への憤りと、役割を果たせなかった申し訳なさ、そして悔しさが込み上げ、涙が溢れてきた。

この先には走り終えた仲間がいる。僕は一体どんな顔をして走ればいいんだろう。みんなに合わせる顔もない。いっそのこと、シューズに装着していたチップを取り外し、このまま家に帰りたいと本気で思った。

こんなに虚しい気分に苛まれるのも久し振りだった。

ゴメン、申し訳ないと沿道の仲間や声援を送ってくれた人たちに詫びを入れながら、ようやくゴール。時間は4時間20分ちょうど。予定より20分も遅れてのゴールで、顔を上げることができなかった。

これが、今年のアップルマラソン4時間ペースランナーの顛末だ。

こんな僕でも、もしかしたら目標物になっていたかも知れないと考えると、弁解の余地もありません。

ただ、結果が全てだし、これ以上反省の弁を書くのは何だか凄く言い訳じみているので、もうやめます。

ランナーの皆さん、そして関係者の皆さんに心から深くお詫び申し上げます。

最後まで役割を果たすことができず、本当に申し訳ありませんでした。