政治経済」カテゴリーアーカイブ

夕張市の財政破綻は対岸の火事?

※前々から書こう書こうとずーっと加筆修正していたのですが、昨晩報道ステーションでも取り上げられていたので、ようやくアップする気になりました。長文駄文失礼。

新聞やテレビなどで報道されているとおり、かつて炭坑の町として賑わった夕張市が財政破綻し、そのツケが市民に押しつけられるということで、騒ぎになっている。

しかしながら、夕張市の騒動は、夕張市だけが抱える問題ではなくなるだろう。なぜならそのツケは、近い将来北海道民、そして国民に回ってくることが予想されるし、同じような財政基盤に不安要素を抱える自治体は、潜在的に沢山あると思われるからだ。

かつて、財政再建団体に転落した福岡県赤池町(現在は合併して福智町に)。
この町も、炭坑の閉鎖に伴う地場産業の喪失から脱却すべく、地域活性化を謳った公共事業を乱発したことが仇となり、借金地獄から逃れられなくなった。
財政再建団体に転落後、公共事業は極力圧縮、委託していた道路管理や草刈り等、全て町職員が自分たちの手で行うようになった。
結果、10年の再建計画を2年短縮し、2000年に再建団体から脱却した。
そこに生まれたのは、町と住民の一体感だという。

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選挙民への愚弄行為

去年の9月。郵政民営化だ刺客だ何だと騒いだあの選挙は、一体何だったんだろうか。
言わずもがな、このことである。

「民営化反対とは一言も言っていない」造反組が会見

自民党は28日午前、郵政民営化に反対し、同党を離党した造反組のうち、堀内光雄・元自民党総務会長ら無所属衆院議員11人の復党を審査する党紀委員会(笹川堯委員長)を12月4日に開くことを決めた。

早ければ、同日の委員会で復党が正式決定する。誓約書を出さなかった平沼赳夫・元経済産業相については、復党願を受理せず、預かることになった。

復党する11人のうち、堀内、古屋圭司、山口俊一、森山裕の4氏は28日午前、国会内で記者会見した。堀内氏は、「首相が温かい気持ちをもって、復党にゴーサインを出してもらい、感謝の気持ちで一杯だ。基本的に郵政民営化に反対ではなく、選挙期間中の会見、公報でも反対とはひと言も言っていない。賛成だ」と強調した。山口氏も「民営化自体は反対ではない。衆院選でも党内手続きがあまりに乱暴だったということを論争した」と語った。

一種開き直りとも取れるこの発言には、呆れる以外なかった。
彼らは郵政民営化に反対したから自民党から離党せざるを得なくなり、刺客を送り込まれながらも、薄氷を踏む思いで議員の座にしがみついたのではなかったのか?

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文部科学省にもの申す

小学校での英語教育を充実させるため、文部科学省が、来年度から、全国の国公私立小学校の約1割にあたる約2400校をカバーする外国人指導助手 (ALT)を配置するなどの取り組みを進める。同時に、指導方法や教材などを盛り込んだ総合サイトを同省が開設し、教員に情報提供する方針だ。
このため、文科省は来年度の概算要求に約38億円を盛り込んだ。


子供もいないクセにこんな事を言える立場ではないことを重々承知の上で敢えて苦言を。
今の小学校ではどういう日本語の教育をしているのでしょうか?
てにをはですます尊敬語。丁寧語に尊敬語も引っくるめて、ちゃんと教育できているの?
そんな日本語教育もおぼつかないうちから、英語教育を叩き込んでどうするの?

英語教育に38億円も盛り込むくらいなら、日本語教育をもっと徹底しろ。

…と個人的には思う。

六ヶ所村長選挙

※今日のお話はひょっとしたら何か政治的思想に繋がると読んでしまう人もいるかも知れませんが、私にその気は全くございませんのであらかじめご了承下さい。また、この場で核燃推進か反対かといった議論を繰り広げることについても、私としては望んでおりませんし議論するつもりも毛頭ございませんのでご容赦を。

青森県上北郡六ヶ所村。青森県内に二つしかない、普通交付税の不交付団体(すなわち、単独財源のみで村を運営することができる)である。ちなみにもう一つの不交付団体は隣村の東通村。こちらは東通原子力発電所を抱える。

六ヶ所村といえば、核燃料サイクル施設をはじめとする核燃料関連施設の建設、立地が進められていることで全国的にも知られている。万が一にも万が一のことが起きてしまうと、日本全国のみならず、全世界にも波及する大事故に繋がりかねないため、「核燃No!」を声高に叫ぶ人も少なくない。

しかしながら、地元六ヶ所村ではこのことをどう考えているのだろうか。
大学院に在籍していた頃、某村長選挙における住民の投票行動に関する研究を協同でまとめた経験上、今日は少々アカデミックかつ知的に迫ってみようと思う(長文駄文失礼)。

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1.17が有耶無耶になった日

阪神淡路大震災から、11年の月日が流れました。
僕はあの日、職場のテレビモニターから流れてくるその映像を、まるで映画を見るような複雑な気持ちに襲われながら、その画面に釘付けになっていました。
都市直下型地震の恐怖や惨状を、色んなメディアを通じて思い知らされました。僕自身も、大きな地震に一度遭っていましたので(日本海中部地震)、身の引き締まる思いでした。
あれから11年。昨日の慰霊祭では、わずか2歳の時に両親と兄を亡くし、震災孤児の身となった湯口礼さんが、犠牲者の名を刻む「慰霊と復興のモニュメント」前で、遺族代表として追悼文を読み上げましたが、「震災で亡くなった人たちもみんなが元気だと、うれしい気持ちになると思う」と心境を語ったそうです。
役目を終えた湯口さんは、NPOの方に「胸につかえたものがスゥッと下がったような気分で、スッキリした。」といったようなことを吐露したそうです。
10年一昔とはいいますが、11年経った今はもちろんこれから先も、被災された方々の心の傷が癒されることはないでしょう。
ところが、自治体主催の追悼行事が縮小傾向にあるとともに、市民による手作りの行事も減っているそうです。
もちろん僕はあの日あの場所にいたわけではありませんので、何を言っても他人事になってしまうのかも知れませんが、ボランティアや住民自治が見直され、NPOが飛躍的に増加したきっかけとしても、1.17を忘れてはならないのではないかと思います。

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