Category Archives: 政治経済

7月10日は、投票に(も)行きましょう。

参議院選挙が公示され、選挙戦が始まりました。18歳への投票年齢の引き下げや、10増10減に伴う複数県に跨がった「合区」の導入など、それなりに話題には事欠かないはずなのですが、今回も各党が掲げる争点が微妙にずれていて、7月10日の投票日においてどのような形でそれが現れるのか、気になるところ。とりわけ、投票年齢引き下げに伴う若年層の投票行動(投票率)がどうなるのか、個人的には注視しています(…が、多分想定以上に投票率は低いのではないかと予想)。

世代別で見ると、世代が高くなるほど投票率が上向きになっているそうです。投票率が高いということは、それだけ選挙(政治)に関心があるということなのでしょうから、当然各党が掲げる政策・公約も、そういった投票率の高い世代に向けられたものになっているようです。事実、社会保障制度のことがかなり取り沙汰されていますが(というかこれは今に始まったことではない)、若年層に対して力強くアピールする公約を見つけることができませんでした。
いや…実際のところ高年齢者はいわゆる「安定票」であって、浮動票のようにあっちこっちと動くこともそんなにないのでは?と思うのですが。

今回、選挙年齢を引き下げてまで若年層を選挙行動に取り込んだのは、なぜでしょう。投票人口が減ってきているから?若年層にも政治に関心を持って欲しい、参加して欲しいから?
…それとも、選挙は結果が全て、という大義名分の下、若年層もろとも心中するつもりだから?

今は色んな情報発信源があって、真贋はともかく色んな情報が簡単に手に入るような時代です。このことは、国民一人ひとりのニーズや思考が多種多様化していることにも繋がっていると思います。ただ、その一人ひとりのニーズや思想の全ての受け皿を政治だけで担うことは、絶対に不可能だと僕は思います。つまり、全てを政治(そして言いにくいですが役所)任せにするな、ということです。

さて、今回は6年前の参議院選挙の改選となりますが、当時の選挙公約って、覚えていますか。内容については、敢えてここで触れません。しかし、何せ情報が簡単に手に入る時代ですから、是非皆さんもご覧になってみた方が良いと思います。6年前の選挙公約は、最初からやるつもりもない、単なる見せかけだけだったのか、やろうと思って頑張ったけれどできなかったのか、やればできるのにやらなかったのか…。

まあ、この6年間で、やれ党の分裂だ統合だと離党だ何だと選挙構図も政治構造もすっかり変わってしまっていますので、単純比較することはできないのでしょうけれど、せめて6年前の公約内容が何だったのか、それに対する達成度はどうだったのかという自己分析や自己反省はしていただきたいものですね。いわゆる政治のPDSAサイクル化ですよ。当時の選挙公約がミステイク、ミスリードによるものだったとしても、それをうやむやにしたまま何事もなかったかのように美辞麗句を並べるのが一番よろしくないと僕は思っています。そしてこれは、4年で改選となる他の選挙も同様です。

選挙年齢が引き下げられたにもかかわらず、未だにインターネット投票が普及していない(実現していない)のも不思議でならないのですが、考えてみると票の売買等(全く投票する気のない人が、自分の持ち票を転売するとか)や本人の意志とはかけ離れた組織票にも繋がりかねないということを考えると、まあ当然なのかも知れませんね…。それとも、今後は選挙にもマイナンバー制度を活用ですかね?あ!これを選挙公約にしている党は…ないか。(笑)

公約を見ていると何となく、国民が「政治離れ」しているのではなく、政治が「国民離れ」していると思うのは、僕だけでしょうか。何か理想郷を求めるあまり、ボタンの掛け違いに気づかぬまま、別次元での話をしているみたい。そしてそれが、国民との感覚のズレ、のようにも思えるのです。

…あ、何だか今日は政治に対して批判めいたネガティヴなことばかり書いてしまった気がしないわけでもありませんが、私はちゃんと投票に行こうと思っています。ただ、単なる思いつきや「〇〇さんに頼まれたから」という他力作用による投票も絶対にしないつもりです。例えそれが、自分の親戚であってもです。

青森県は、投票率が全国最下位という不名誉な記録を更新し続けています。僕は別に選挙管理委員会の回し者でも何でもありませんが、一人でも多く投票所に足を運び、投票することが、これからの青森県や日本の将来を左右することに繋がっていくはずです。何もしないで不平不満ばかり並べるぐらいなら、その不平不満を投票という形で意思表示しましょうよ。
とにもかくにも投票日の7月10日まではまだたっぷり時間がありますし、近いうちに選挙公報も毎戸配布されることでしょう。これから日本が進むべき方向をじっくり吟味して、投票行動に繋げましょうね。

2016senkyo(↑青森県選管の特設サイトにリンクしています。)

世の中には、繰り返さなくてもよい歴史がたくさんある。

僕の中では今年一番の衝撃だった、平川市の選挙違反事件。この事件は青森県に暗い影を落とすこととなったし、「津軽選挙」という悪しき風土が未だに根強く残っていたことを裏付けるとともに、平川市はもちろんその周辺地域に対する心証を地の底まで叩き落とすこととなった。

<平川市長選違反>倫理観欠如に裁判官あきれ(河北新報 12月26日(金))

芋づる式に次々と議員が逮捕されていく様を見て呆れ、未だにこういう人たちがいたということにも呆れ…。対岸の火事と思って見てはいたものの、正直ここまで来ると被告たちに対して、怒りを通り越した情けなさや憐れみを覚えるようになった。恥の上塗り、とはこの人たちのことを言うのだろう。


今から十数年前、社会人の身分ながら、僕が弘前大学大学院に籍を置いていた頃の話。

主に行政法の教授の下でいろいろ学びながら、一方で、社会学のフィードワークの一環として某自治体に聞き取り調査に入ったことがあった。その内容はのちに、「リーダー生成過程としての選挙と地域づくりの展開」というタイトルで弘前大学の人文社会論叢(社会科学篇)に掲載され、更に再構成されたものが「津軽、近代化のダイナミズム―社会学・社会心理学・人類学からの接近」という書籍に掲載された。

この時実は、「津軽選挙」の風土がとことん根付いていた(と考えられていた)N村への潜入調査を試みようとしたのだが、共同作業を行った准教授が既にこの地で先行調査を行っており、村内ではちょっと知られた存在であること、そして何よりも僕の父の出身地ということで僕や父の身に危険が生じても困るということから、この村への潜入調査を諦めた、という経緯がある。

この村では、選挙(特に村長選挙)が始まると、村を二分するような騒ぎとなり、お互い違う候補を応援しなければならないという事情から、家の中ですら険悪な空気に包まれることや、ウソかホントか知らないが、飲ませる食わせるはもちろん、お帰りの際の「お土産」は当たり前、選挙直前になると、双方の陣営がスパイのように暗躍するといった話を聞いたことがある。特に、津軽の水瓶とも言われる大規模な工事を抱え、それもこれも全てはその工事を巡る利権争い、勝てば官軍負ければ賊軍といった有様で、負けた候補者を応援した者には、次の選挙までの4年間、村からの仕事が一切来なくなるといったこともあったようだ。そんな村役場の職員だった伯父も、その渦中で振り回され続けたということを、今だから明かそう。

結局、やむなく他の自治体での潜入調査を行い、その過程において、行政のトップがどういった経緯で選出されていったかを探っていったのだが、これがまた「津軽選挙」の片鱗に触れる実に興味深い内容だった。
例えば、「ちくわやおにぎりの中にお札が入っていた」ことや、「A陣営が5,000円を配ると、直後にB陣営は10,000円を配り、その際、A陣営の5,000円と交換する(つまりA陣営の賄賂を同額でB陣営にすり替える)」ことなどが頻繁にあったらしい。

一番興味深かったのは、高い投票率だった。選挙ともなると、「出稼ぎのため県外にいた連中がみんな戻ってくる」ぐらいの騒ぎ。いわば一種の「お祭り」か「娯楽」の一つと捉えられていたのだろうか。小さな自治体とはいえ毎回95%を超える高い投票率は、「普通ではない何か」がそこで起こっていたことを感ぜずにはいられなかった。


あの調査から十数年が経った。僕が調査した自治体は、市町村合併によってなくなった。
一方、選挙にエネルギーを注いでいた人たち(つまり、何らかの利権を求めていた人たち)の高齢化が進んだこともあってだろうか、N村では無風選挙が続くようになった。
そしてこの間に、市議を務めていた父が亡くなり、共同執筆した教官の方々も青森県を離れた。

この状況を見て、父は一体どんな思いを馳せていることだろう。一緒に研究に携わった院生の皆さん、そして教官の方々は、この状況をどんな目で見つめていたことだろう。

来年4月には統一地方選挙が待ち構える。
僕は今のところ選挙に出馬する予定はないが、将来のためにも、今回のことを他山の石と捉えたいと思う(爆)。

投票箱

最後に、よほど神奈川県というところが都会過ぎるのか、青森県をとことんコケにしたブログ記事を紹介。
ま、僕みたいに青森県以外のところで生活したことのない人には、何を言っているのかよくわかりませんが。
もっとも、批判するのは勝手だけど、卑下する相手マヂガッチュンデネガ。

http://gudachan.hatenablog.com/entry/2014/07/21/114806

聴講録 「分権時代の首長、議会の役割」(青森中央学院大学 地方自治特別フォーラム)

たまたま職場で回覧されてきたチラシに、目を奪われた。「~青森から政治と行政の質を変える~」というサブタイトルに興味を持った。何の予定も入っていなかったので、迷うことなく行ってみることにした。

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東北オフサイトミーティング三沢勉強会で車を運転してもらったお礼、今日は僕がドライバー。ただしその時と違うのは、同乗者が平川市役所のSさんだけだということ。同業者の繋がり、とりわけ他の行政機関との方々との繋がりというのはなかなか構築できないけれど、そのきっかけを与えてくれたのは紛れもなくこのSさん。職場は違うけど同学年で入庁も同期、新採用研修で一緒だったという、大事な親友であり信頼を置ける「信友」でもあり、心を許せる「心友」だ。

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さて、そのSさんと訪れた青森中央学院大学学術交流会館2階の921講義室は、相当数が受講することができる大きな部屋。そこに集まった恐らく県内外の地方議員であり、行政職員であり、そして一般市民の方が、開演を待っていた。

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今回のフォーラムは三部制。
第一部は早稲田大学マニフェスト研究所所長である北川正恭氏による基調講演。
第二部は先進事例報告として、岩手県久慈市議会議長の八重櫻友夫氏と滝沢市議会議長の黒沢明夫氏による発表。コメンテーターは北川氏。
そして第三部は弘前市の葛西憲之市長、むつ市の宮下宗一郎氏に北川氏をパネリストに迎えてのパネルディスカッション。第二部と第三部のコーディネーターは青森中央学院大学専任講師の佐藤淳氏。

鉄は熱いうちに打て、ということで、以下聴講メモを起こします。

基調講演「分権時代の首長、議会の役割」

・タイトルにもう一つ、「市民の皆さんのあり方」もプラスしたい。
・地方、つまり都道府県や市町村、それに議会は大転換期を経た。
・軍事大国から経済大国へのシフト、吉田茂首相の頃、政治主導で大転換を行った結果、世界最高の長寿国家となり、近代民主国家が確立した。
・しかし、転機となったのが1991年のバブル崩壊。政治がサイクルで続くようになる(与野党逆転のこと)。
・かつては25人に1人で老人を支えていた時代。2000年を過ぎた頃から3人で1人を支える時代に突入。更に30年後は1.2人に1人が老人を支える時代が到来する。
・時代に合った社会の転換、政治の選択が求められるようになった。
・1994年に政治資金規正法と公職選挙法が改正され、中選挙区制が廃止され、小選挙区制へと変わった。
・1995年頃には、政治に対する国民の大不信が渦巻き(官僚が羽振りの良かった時代)、政治改革が進むこととなった。中央集権から地方分権へと移行。中央官僚が反省をし、今度は地方行政へのバッシングが始まった。
・でも、日本中(の行政)は、それ(裏金づくり、官官接待など)が正しいと思っていた。
・こうやって地方行政の執行部も変わったが、結局地方議会だけが変わらず残ることとなった。
・地方議会は一行政区による大選挙区制。これを中選挙区、いや小選挙区に換えるぐらいの改革をしなければならなくなる。
・根本的な変化の理由(1)情報化社会の構築。ネット社会の浸透により、年功序列が逆になった。家庭教育も逆。タブレットやスマートフォンの使い方は、親から子ではなく、子から親、孫から祖父母に教える時代。ネット社会は全てを明らかにする。ウソや隠し事はできない。
・根本的な変化の理由(2)役所の査定が変わった。(景気が?)右肩上がりだった頃は、団体の代表が役所に補助金をもらいに行く時代。民主主義の反対。つまり、「富を民に分配」していた時代。これがバブル崩壊により変わった。今は、政治が負担分配を民にお願いする時代。消費税増税や、年金の引き下げ。
・金が出せる政治行政が強かったのに、変わった。つまり、主権者が政治行政より強くなった。(負の分配から負担の分配への変化)
・政治が時季時季でお願いする時代から、約束する時代に変わった(平川市が悪例、とも)。
・津軽選挙の風土を変えない限り、何も変わらない。(道義的な責任)
・地方が説明責任を果たせなければならない。もはや国に責任転嫁はできない。
・集権から分権へとシフトした今、青森が自立しなければならない。自己決定、責任を負わなければならない。国へ依存からの脱却がされない限り、中央には勝てない。
・国が80%を握っていた機関委任事務から、法定受託事務・自治事務への転換。自己決定、自己自立が求められることとなった。
・昔の総合計画が縦割りだったことの弊害。国(各省庁)からもらった補助金のバラマキ。同じような道路が数百メートルの間隔で並行する無駄。
・こういった縦割り行政を追認する議会。執行権者たる行政の単なる追認機関としての議会。
・一方で、議員立法で条例立案をするケース。議会事務局のフォローもあった。
・首長は民を統括する責任がある。議会はその民を代表し、行政(首長)に意見を述べる合議制機関である。

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先進事例報告「今こそ問われる地方議会のあり方~議会改革度ランキング全国最下位を脱出するために~」

ちなみに青森県は、早大マニフェスト研究所の調査によると、都道府県別議会改革度ランキングが4年連続最下位となっているそうだ。なお、正直申し上げて第二部の内容は、個人的にはあまり参考にならなかった。ただ、ふと思ったことは、きっと県内の議会や市町村が、こぞって住民とのワークショップをやりたがるだろうな、ということだった。

【久慈市議会】(議員数24名)
・議員と市民との話し合いの場(かだって会議)の開催
・議会全体での報告会と、市民とのワークショップ。

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(北川氏コメント)
・女性の参加が多いワークショップ。
・一方で女性議員の進出が少ない。女性の方が多い議会は大磯町議会。葉山町議会が男女同数。
・「久慈市議会じぇじぇじぇ基本条例」の策定。議会全体で事務局、議運と一体的に取り組んだ改革。

【滝沢市議会】(議員数20名)
・日本一人口を抱えていた5万5千人の村が、平成26年1月1日に市制施行。
・通年議会を実施。予算決算委員会も特別委員会から常任委員会へ。広報広聴も常任委員会。
・議長選出は立候補制。所信表明を行う。(久慈市議会も同様)
・議会改革は目的達成の手段。
・市民にわかりやすく、市民が参加したくなる議会を目指す。議会モニター、議会サポーター、議会アドバイザーなど。

(北川氏コメント)
・滝沢村の時代、村長が本気で「日本一の住民自治」を目指した。その成果として、議会も日本一を目指している。
・地方議会は定例で4回と臨時で1回が通例となっているが、議会の回数は自分たちで決めればよい。しかし、議会の招集権は首長。それも議会が認めている。
・最近通年議会が増えている。
・かつては質問も答弁も執行部が作成。議会が学芸会以下といわれたこともあった。
・議会が良くなれば、必ず執行部も良くなる。

パネルディスカッション「最小の費用で最大の効果をあげる自治体組織のあり方~首長のリーダーシップと人材マネジメント~」

(1)イントロダクション
弘前市長
・管理型から経営型の行政へ
・行政と市民の化学反応が始まっている。

北川氏
・ヒトとお金にモノがついて、経営資源となる。

むつ市長
・リーダーシップは「Performance」「Negotiation」「Relationships」。

北川氏
・市政だよりは、行政は「やっている」けど市民は「読んでいない」。
・条例も「作りました」けど「誰も知らない」
・職員が自由自在に動き回れるような役所にして下さい。(風通しの良い役所)

(2)市長に求められるリーダーシップ
むつ市長
・市民の代表であり、市役所の代表であり、下北地域の代表

弘前市長
・時には立ち止まり振り返ることも必要。
・利益の分配だけでなく、不利益の分配もできるだろうか。

北川氏
・分権時代の首長のミッションは、縦割り行政の弊害により方向がバラバラになったのを、全体最適の方向に導くこと。
・これができないと中央集権には勝てない。(限りある中での資源配分、ということのようです。)
・「見える化」により説明責任を果たす。
・各部長は予算を取りたがるが、それが部長の仕事ではない。市長は、不利益の配分を行うことで、効率化を図る。

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(3)市民の力を最大化する
弘前市長
・広報広聴を広聴広報に改めた。まずは聴く。
・市民によるNPOや団体を巻き込みながら化学反応が始まっている。
・目下の悩みは「スクラップ」をどうするか。

むつ市長
・4つの視点。市民目線、市長目線、現場主義、日々における仕事のカイゼン
・弘前市に比べるとまだ取組は初歩的。色んな場所に顔を出し、参加して市民とコミュニケーションを取る。自分の人となりを知ってもらう。

北川氏
・スクラップ・アンド・ビルドをビルド・アンド・スクラップに改めた。
・下北のジオパークは是非ともやって欲しい取組。
・牧之原市は町内会でワークショップ。やがて市、県、国を巻き込んだ。
・若い人が中心となったワークショップ。市長や副市長も同席するが、発言させて貰えない。
・大人の会、子どもの会ができあがった。
・ファシリテーターの役割が凄かった。役所の人間がその力を付ける必要がある。

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(4)最後に
弘前市長
・20年後を見据えて何をするか。
・市民の抱く思いが時代とともに変わる。
・説明することで信用を得る、それが尊敬に変わる。(裏を返すと説明できなければ…ということ)

むつ市長
・財政的に厳しい事情。アセットマネジメント、ファシリティマネジメントやらないとならない。
・リーダーシップに求められるのは決断力。それをいかにやりきるか。

北川氏
・善政競争が行政間で行われればいいと思う。
・おらが街はおらが作る、という住民自治に繋がる。

(17時30分終了)

2020年、東京五輪の招致活動を見聞きして思ったこと

猪瀬都知事ロンドンでアピール 海外記者から好印象
(スポニチアネックス 1月11日(金)7時1分配信)

20年夏季五輪の開催を目指す東京の招致委員会は10日、国際プロモーション解禁後、初の海外メディア向け会見をロンドン市内で開いた。招致委会長を務める東京都の猪瀬直樹知事は「世界中の観客や選手にユニークで忘れられない経験を与えられる」とアピールした。
ロンドン市内の中心部の五つ星ホテルで行われた会見には、日本のメディアを含め63社、105人が出席。猪瀬知事は「世界で最も安全で先進的な大都市の中心で開催されるダイナミックな祭典になる」と東京での開催意義を説明した。海外メディアから東京電力福島第1原発事故の影響を問われると「現在の東京の放射線量はロンドンと変わらない」と強調。領土問題をきっかけとする日中関係については「両国が平和的に解決する方向に向かうと確信している」と答えた。
海外メディアにも好評で、AP通信で国際オリンピック委員会(IOC)を担当するスティーブ・ウィルソン記者は、猪瀬知事の印象を「非常にプロフェッショナルだった。はぐらかすことなく全ての質問に的確に回答した」と評価。英紙などで多くの五輪取材に携わった歴史家のデービッド・ミラー氏も「東京の計画は非常に素晴らしい。計画が良ければ勝つわけではないが、魅力的だ」と話した。

東京でのオリンピック開催に向けた招致運動がいよいよ始まった。2016年の開催をリオデジャネイロに持って行かれた東京としては、石原前都知事の「遺言」を何としても形にしたい、という思惑があることだろう。

今回立候補を表明しているのはスペインのマドリードとトルコのイスタンブール、そして東京であるが、最終的にはイスタンブールと東京の争いになるのではないか、と目されているようだ。

その一方で、記事にもあるように、海外メディアからからは福島原発の影響を不安視する声もあがっていたが、それに対して猪瀬都知事は「現在の東京の放射線量はロンドンと変わらない」と、まるで福島原発事故が他人事であるかのようにさらりと述べていた。

僕はこの模様をテレビで見ていたのだが、この発言を聞いたときに、何だか違和感というか、不快感というか、嫌悪感すら覚えた。

元々東京という都市は、地方出身者が多いということで知られている。4年前の誘致の際は、そもそも対外的な招致活動ばかりが行われていて、国内向けのプレゼンやPRはあまりなかったように思われる。関係者の中には、東京で開催するのだから支持されて当然、といった奢り高ぶりがあったのかも知れない。そのことが住民感覚とかけ離れていて、今ひとつ支持率の向上に繋がらなかったのではないかと勝手に思っている。

昨年のロンドン五輪での日本勢の活躍を目の当たりにし、前回よりは開催支持率も多少は上向きになったようだが、それでもなお、他の都市よりまだ低いらしく、このことが足かせの一つになっているようだ。

地方出身者の多い東京、とりわけ東北地方の出身者が手放しで五輪開催を支持しているかといわれると、果たしてどうなのだろうか。
東京でのオリンピック開催の支持率が低い理由は、実はここなのかな、とか思ったり。

ここで、1月10日付けの河北新報の社説を紹介したい。

東京五輪招致/被災地と夢を共有できるか
2013年01月10日木曜日 河北新報

2020年夏季五輪・パラリンピックの東京招致を目指し都などが組織する招致委員会が、大会の詳細な計画をまとめた「立候補ファイル」を国際オリンピック委員会(IOC)に提出した。
9月にブエノスアイレスで開かれるIOC総会まで、イスタンブール(トルコ)、マドリードとの開催都市レースが続く。
「震災を経験したわが国は、国民がひとつになれる夢を必要としている」
立候補ファイルの巻頭に記された猪瀬直樹東京都知事の一文だ。復興した日本を示すことが、世界から寄せられた支援、善意への返礼となるとの考えだ。
昨年提出した「申請ファイル」より記述は減ったが、東京開催の意義付けとして「震災復興」が大きな重みを持つことは変わらない。
安倍晋三首相も「復興を示す機会となる」として、政府のバックアップを約束した。20年夏季五輪の東京開催を国民全体の目標とする上で、「復興五輪」という看板は必要だ。
聖火リレーが東北を縦断する。男女サッカーの1次リーグが宮城スタジアム(宮城県利府町)で開催されることも盛り込まれた。開会式に先立って、熱戦の舞台となる日程だ。
被災地にとって、「2020年」という具体的将来に思いをはせる夢がもたらされることは、素直に喜ぶべきことだ。震災の風化に被災地が危機感を募らせつつある時期に、心強いメッセージともいえる。
立候補ファイルのスローガンは「ディスカバー トゥモロー-未来(あした)をつかみ取る」。国際的な先進都市・東京の実力を全て大会につぎ込むとの意気込みだ。
猪瀬知事はきょうロンドンで海外メディアと会見。今後、活動の焦点は海外への働き掛けに移っていくが、夢を国民共通のものとするためには、国内に向けた一層のアピールもまだまだ大切だ。
東京はリオデジャネイロに敗れた16年大会誘致の際に、地元の開催支持率で後れを取った。立候補ファイルは都民の3人に2人が開催を支持していると記述するが、「オールジャパン」と位置付けるには広がりを欠いている。
被災地復興に向け、都は積極的な職員派遣やがれき処理により大きく貢献してきた。一方で、福島原発事故への首都圏住民の不安は風評被害という形でわだかまり、目標を共有する障害として残る。解消は急務だ。
昨年末、仙台での招致イベントに仙台市幹部が出席しなかったことをめぐり、猪瀬知事が声を荒らげる一幕があった。
行き違いは仕方ない。だが仙台市側から参加を申し出るのが当然とも受け取れる発言が本音だとすれば、同じ夢を追うことは難しい。
復興五輪が、被災地を勇気づけることは間違いない。誘致活動が国内の理解と共感を広げるためには、被災地に寄り添い、日本全体と手を携える首都・東京の姿勢が鍵を握っている。

華やかな五輪招致の陰で、依然として進まない震災復興、そして先の見えない原発事故への対応…。
五輪の招致と震災復興を同じ土俵の上で語るのは、実は根本から間違っているのかも知れない。
多分こう思っているのは僕だけではないはずだ。五輪の前にやらなければならない課題はたくさんあるのではないか。遅々として進んでいない震災復興の道筋を付けるべきなのではないか…。

猪瀬知事「震災を経験したわが国は、国民がひとつになれる夢を必要としている」
安倍首相「復興を示す機会となる」

お飾りだけの美辞麗句。東京至上主義、といえば語弊があるかも知れないが、東京と地方との地域間格差を強く感じずにはいられない五輪招致。

東京でのオリンピック開催による経済効果は計り知れないものがあるだろう。
景気の底上げや活性化にも繋がるかも知れないし、外貨の獲得により経済成長が回復するかも知れない。
しかしそれは、まずは「東京」での話であって、その副次的な効果が地方にどれだけ波及するか、といえば、懐疑的にならざるを得ないと思うのは僕だけだろうか。
五輪の聖火が東北を縦断しようとも、サッカーの一次予選が開会式前の宮城で行われたとしても、その効果が極めて限定的なことは、聖火の火を見るより明らかだ。

それでも9月には、猪瀬都知事が鼻穴をおっ広げ、どや顔で息巻く姿が見られるかも知れない…。

…なんてことを思った1月11日。22か月目の月命日。

合掌

政治とプロレス

政治の話は、それぞれ政治思想が異なることもあって、極力避けようと思っていたのだが、さすがに今回はちょっと我慢できなかった。突如やってきた衆議院の解散劇はただただ呆れるばかりというか、まさに国民不在の茶番だといっても過言ではないだろう。
野田首相が「近いうちに」と発言したことに端を発した今回の選挙。解散風が吹き始めたとマスコミが騒ぎ始めた途端、まさかの党首討論での解散ぶち上げ。マスコミ各社が笑いをかみ殺しながらその模様を伝えていたのが見てわかり、劇場型政治もいよいよここまで来たか、と思う一方で、野田首相と自民党の安倍総裁とのやりとりはどこかギクシャクしていて、お互い初めて対戦する相手と、なかなか組めずにいます、みたいな感じだった。
解散につきものなのが万歳三唱。あの意図するところは諸説あるが、こういうご時世に万歳なんぞしているなんて、何とまぁおめでたいヤツだと思うし、断片的に捉えると、「万歳」ではなく「お手上げ」のようにも見える。まぁいずれにせよ、どれぐらいの人たちがまた本会議場に戻って来るのかはわからないが、今回は大幅な入れ替えがありそうな気がしますぞ、私は。
ところで今回の衆議院解散、争点は一体何なのだろうか。本来であればいち早く着手しなければならないはずの震災復興は、遅々として進んでいない感があるし、TPPへの参加が争点になるのだろうか。それとも、原発を巡る問題?いや、消費税改革か?待てよ、国交問題だって全然解決の糸口が見えていないし、そもそも国会の定数是正の問題だってある(その場しのぎの0増5減なんて、何の意味もなさないぞ)…。
何とか党の暴走老人は「旧体制 vs 第三極」みたいにぶちかまし、それに乗っかって世論を焚きつけようと報道しているバカなマスコミもいるようだが、ハッキリ言ってそんなことはどうでもいい。そういう政治に今まで国民は散々翻弄されてきたし、離散集合を繰り返してもなお呉越同舟を堪え忍ぶそのスタンスが僕には理解できない。結局のところ皆さんは、何をしたいんですか?って話(で、それでも皆さんが一致団結するところは結局のところ、反民主?反自民?それとも…?)。
いずれにせよこの3年半の間で、それぞれの党や議員が公約として掲げてきたことやマニフェストが、どれだけ達成されたか、あるいは目標に近づいたか、候補者は自らの口でしっかりと語るべきだと思う。それこそが、「国民に信を問う」ということではないだろうか。
政治はよく、プロレスと一緒と揶揄される(いや、そんなこと言ったらプロレスに失礼か)。
メジャーと呼ばれる大きな団体からインディーと呼ばれる小さな団体まで、プロレスの組織はバラバラ。
メジャーの団体から独立して新しく小さな団体を立ち上げる選手もいれば、フリーの立場でそういった団体を渡り歩く選手も。かと思えば団体がダメになってまた古巣に戻ってくる選手がいるし、同じ団体の中でも勧善懲悪の人気レスラーが突如悪役(ヒール)に転向することだってしばしば。
こうなるとホント、政治の世界を見ているみたいだが、そのプロレスラーがアントニオ猪木を筆頭にこぞって政界進出するのだから、おかしなものだ。
昭和プロレス全盛の頃、新日本プロレスのアントニオ猪木の好敵手として活躍したアンドレ・ザ・ジャイアント(1946 – 1993)。
どうでもいい小ネタだがそのアンドレ、弘前市中野にある某居酒屋に、弘前への興行の際に来店したらしく、生ビールを大ジョッキで30杯以上平らげた、ということをプロレス好きの店主が店に張り紙していたことがある(ちなみにその居酒屋は今も存在してます)。
新日本プロレスの実況を務めていた古舘伊知郎は「巨大なる人間山脈」「一人民族大移動」などと好き勝手なニックネームを付けていたが、一目で誰とわかる彼が、マスクを被って試合に臨んだことがある。
新日本プロレスをかき回す集団として、将軍KYワカマツ率いる「マシン軍団」というヒール軍団が存在していたのだが、アンドレはその一員として突如登場、「ジャイアント・マシン」という名でリングに上がったのだ。

で、僕が何を言いたいかというと、結局のところマスクを被ろうが何をしようが、中身は一緒だということだ。
解散が決まった途端に与党である民主党からの離党者が続出したというのも笑える話。しかもあろうことか自民党への鞍替えをぶちまけた議員もいた。自らの選挙のためとしか思えぬ行動、慌てふためいてしっぽを巻いて離党していく姿を見て、国民が手を叩いて喜ぶ、とでも思っているのだろうか。そんなに自分の政策と合わないのなら、もっと前から離党しろよ、と思ってしまう。まあ、そんな輩に政策なんてあってないようなものなのだろうけど、要するに、勝ち馬に乗りたいだけなのだろう。
さて、衆議院の任期は4年間である。ここ20年間で任期満了に伴う改選が何度あったかというと…
お見込みの通り、0回。
任期途中で全て解散総選挙を行っているのが実情だ。
聞いたところでは、総選挙一回にかかる費用は600億とも700億ともいわれている。もちろんこれは全て税金で賄われる。
だからどうしたといえばそれまでだが、たった4年の任期を全うできないような議員や、口先だけの公約や信念しか持ち合わせないような輩を選ぶ我々にも、一定の責任があるということは肝に銘じなければならないのかも知れない。
もっとも、議員になりたいという人は選挙に出ればいいんだし、国民はそれに投票という形で応じればいいだけの話なのだ。
でも…顔だけ口だけパフォーマンスだけの政治は、ホントもう勘弁して。