令和3年1月29日、50歳になってしまった。

「ようやく」というか「遂に」というか、50歳の誕生日を迎えた。

ここ数年は、「年齢なんて単なる数字」「誕生日はただの日付」と嘯いてきたが、実際に40代から50代へと突入したという現実を目の当たりにすると、何だか居心地の悪さのようなものすら覚えてしまう。

今も気持ちだけは青少年、マジメにふざけた日々を過ごしていることを考えると、自分が50歳になったということ自体が不思議でならないのだ。

50歳。オッサン全盛期というよりも、後期高齢者ならぬ後期オッサンの部類になってしまったような気分。急に老け込むつもりもないのだが、自分が50歳になるなんて、ホントに想像できなかった。

…さて、1年前はまだ新型コロナウイルス感染症が蔓延する前の段階で、「最後の40代を目一杯楽しませてもらいますか」と宣言したが、その直後からの感染拡大はご存知のとおり。
更に、僕自身の職場でのポジションが変わったということもあり、同じ職場にいながらにして、職場環境も生活環境もガラリと変わることとなった。
とはいえ生活環境が変わったのは僕に限ったことではなく、皆さんも色々と苦慮しながら、感染症対策に取り組んでいるという現在進行形。果たしてこの長いトンネルを抜けるのは、いつになることやら、といったところだ。

50歳を迎えると、何が変わるのだろうか。

まず、何ができるのかということを考えた時に真っ先に思い浮かんだのは、JR東日本が提供する「大人の休日倶楽部」に入会できる、ということぐらいだった。まあ、その他にも探せば色々あるのかも知れないが、それはまたこの先の楽しみに取っておこう。(ちなみに現時点で「大人の休日倶楽部」に入会する予定はない。もう少し今の状況が落ち着いたら考えます。)

ちなみに昨年、40代最後の誕生日を迎えた時、こんなことを綴っていた。

「せめて今年は、ささやかな嬉しさを互いに感じられるような、他の人たちが喜ぶ顔を見るための後押しをたくさんしたいと思うし、自分自身にとってもたくさん楽しいことを見つけようと思う。」

2020年を過ごす中、僕はどんな嬉しさを感じ、そして共有することができたのだろう。どんな楽しいことを見つけたのだろう。
その答えを見出すのが難しいぐらい、40代最後の年は、色んな意味で辛く苦しい1年だったと言えるかも知れない。

そして、この年齢にもなると、新たな出会いの機会よりも今生の別れの機会が多くなることを少しずつ悟り始め、また、自分自身がいつかこの世と別れる時が近づき始めていることにも感づいている。だからいっそのこと50歳は、人生のラストスパートを迎えるに当たり、最後の仕上げに取り掛かるための重要なターニングポイントと位置づけようか。

幅広い世代を俯瞰できる、実はそれが50代なのではないかと、ふと思ったりして。…まあ、40代の頃も同じようなことを考えていたということは、結局のところ僕は、ちっとも成長していない、ある一定のところで成長が止まってしまったってことなのでしょうね。ハハハ…。

しかし、混迷の真っ只中にいる2021年、いい加減早く以前の環境に戻る足掛かりを築きたいものだ。でもこればかりは僕一人で何とかなるものではないので、そういう環境を早く取り戻して欲しいと思う今日この頃。
そのためにも、若い世代はもちろん一部の同世代、更にはしたたかなフリをした老獪達に対しても言いたいこと、呈したい苦言は山ほどある。が、ここは少し冷静になって、イッパシの大人になってやろうじゃないか。

これまでは、思いついたことを平気で文字に起こし(あ、それは今も一緒か)、時と場合によっては他の方を不快にすることすらあった。まずはそういったことを引き起こさないように、一歩引いて考える、冷静沈着に判断することを心掛けようと思う。

ということで、もう少し地に足のついた、文字通り「大人のオッサン」になれるよう頑張りますので、これからもご指導ご鞭撻叱咤激励を賜りますようよろしくお願いします。

余談ではあるが、1月29日の午前から青森県内に暴風雪警報が発表され、夕方までには40市町村のうち17市町村へ広がりを見せたため、当番者と対応に当たることになり、結果、警報が解除される翌朝4時46分まで職場にて待機と情報収集と諸々の指示に当たり、帰路に就いたのは30日の10時過ぎ。
色んな意味で、記憶に残る誕生日となってしまった。