鍛えるべくは、心と脳 #つくばマラソン

自分を信じろ。ただし、過信はするな。
自分が思っているほどお前に力はない。
練習不足を嘆く前に生活習慣を見直せ。

2018年の最終レースは、初参戦となる「つくばマラソン」。
北海道マラソンでの撃沈の後、本当はこの大会をターゲットに調整をしたかったのだけど、思い通りに行かないのが今の置かれた立場。

マラソン中心の生活にシフトするわけにも行かず、結局、帳尻を合わせたような練習内容に終始することとなり、とてもじゃないが万全の体制で臨むという状態ではなかった。
がしかし、願わくば3時間15分切りを達成したい、そんな思いを胸に秘めて茨城県入りした。

宿泊したホテルは、常磐線の牛久駅から約1.5キロ離れた古びた宿。シティホテルとは謳っているが、お世辞にもシティっぽさはない。(「牛久町」なので、タウンホテルが正しい標記だろうか。)

隣にコンビニがあり、食料には困らない。無駄に歩き回る必要もないだろう。


(画像は駅前のスーパーで購入した干し納豆。これ欲しかったんですよ。)

銀色の灰皿が置かれたその部屋は、昭和の香りというよりも相当ヤニ臭かったが、結局21時頃には就寝したようだ。コンビニにやってきた暴走族まがいの爆音に一度目を覚まし、浅い眠りとなったけれど、都合7時間ぐらい睡眠時間を確保した。

翌朝4時30分に起床、起きがけに胃腸薬を服用。北海道マラソンのこともあり、内臓疲労には十分配慮。アルコール抜きもカフェイン抜きも、その伏線だ。とりわけ胃腸については、絶対にへたることのないよう、3日前から薬の服用を欠かさなかった。

水の出が悪いシャワーに四苦八苦しつつも、5時から朝食開始。この日は切り餅4個、非常食となるカロリーメイトを一箱、など。既に1000kcalは摂取したのではないだろうか。

問題はこの日の服装。下はランパンと決めていたが、上を半袖にするか長袖を着るか悩んだ。気温は15度まで上がるとはいうものの、筑波山からの風が冷たい可能性もある。悩んだ結果、一枚長いのを着た上にTシャツを羽織ることにした。

5時45分から朝食が提供されているとのことだが、結局そちらには足を向けず、6時45分にチェックアウト。ホテルが用意したマイクロバスに乗車。今回このホテルを選んだ決め手は、会場の近くまでバスで送ってくれるということだった。マイクロバス2台とワゴン車1台なので、50名ほどいただろうか、ランナーを乗せた車は7時に宿を出発、つくば市を目指す。

約30分後、会場近くに到着。土地勘は全くないので、他のランナーの流れに沿って会場を目指す。

約10分後、開けたところにたくさんのテントが設営されている。どうやら会場に到着したらしい。

仮設の更衣室で着替え、ロッカーに荷物をぶち込み、既に到着していたクラブの仲間と合流。僕がこの大会に出場することを知らなかった人もいたため、驚きを持って迎えてくれる人もいた。

その後、軽めのアップがてらスタート地点の確認。なるほど噂に聞いていたとおりスタート地点は狭いが、それほどストレスを感じることはないだろう。

2kmほどのアップを終えて戻ってきたら、既に誰もいなくなっていた。時計を見ると8時30分を過ぎていた。

陸連登録の恩恵でAブロックからのスタート。つくばマラソンはウェーブスタートが採用されており、ブロック毎に5分おきのスタートとなるため、スタートの混雑はそれなりに緩和されているらしい。

周囲を見ると、例のNikeのシューズを履いている人が圧倒的に多いことに気付く。

そしていよいよスタート時間が差し迫ってきた。青空の下、胃腸…ではなくイチョウの木々と、潰された銀杏の香りかそれとも周囲の獣臭か定かではないが、何とも言えぬ仄かな香りが鼻腔を突く。

9時、いよいよスタート。脱兎のごとく一斉にランナーが駆け出す。その流れに乗らないよう、ゆっくりと走り出す。スタートラインを踏んだのは、号砲が鳴ってから15秒後のことだった。

とにかく何も考えず、無心で走る。手が少し冷たいが、これから日が昇ればそれも解消されるだろう。ただし、長袖の選択は失敗だったかも知れない。

今回は、ある一点だけに意識を集中して走ることを心がけた。そしてもう一つ、力んで硬直しないようリラックスしながら走っていた。集中していたためだろうか、前半の景色はほとんど記憶がないが、7キロ付近で見た筑波山が、思ったよりも立派な山だったということだけは覚えている。

もう一つ覚えていることは、太陽に照らされた自分の影が相当不格好で走っていた、ということだった。

抑え気味に走るつもりが、周囲の流れに任せることとなり、1キロ4分15秒~20秒のペースで走っていたらしい。中間地点で初めて時計を見た時、まだ1時間31分しか経過していないことを知り、愕然。このことが自分の中に混乱を与える一つのきっかけとなった。無心で走るのも考え物だ。

ペースを落としたら、今度は後続のランナーが次から次へと僕を追い抜いていく。それでも1キロ4分30秒前後で走っていたはずなので、決して遅いわけではない。ただ、あまりにも多くの人が続々と追い抜いていくため、自分一人だけが遅いような錯覚に陥り、逆に焦燥感が生まれ、更に集中力を損ねたのは事実だ。

そんな焦りからか、呼吸が少し荒くなっている。まずはペースと気持ちを落ち着かせよう。

感覚的にはキロ5分前後までペースが落ちた感じ。まだ20キロ近く残っているのに、だ。どうやら「平坦で高速」なコースという触れ込みに慢心した結果、30kmまで残すはずだった余力を相当消費してしまったらしい。

そして、悲劇は28km過ぎで突如やってきた。

その直前、どうも身体が左側に倒れているような気がして、フォームの微調整を図っていた。腰をまっすぐに立て直し、歪んでいる感覚に陥った大臀筋を伸ばそうとしたまさにその時!

ビッキーン!

左の臀部に、突如激痛が走ったのだ。まるで、ボールでもぶつけられたような痛み。
突然のことに一瞬何が起きたかわからず、思わず足を止めて仰け反る。どうやら臀部の筋肉が攣ったらしい。

「いででで…。」

その場でグルグル回りそうな勢い。他のランナーは一瞥もくれず、僕の横を通り過ぎていく。

痛みが収まるのを待ちながら、徐々に歩き出す。今まで幾度となくふくらはぎの痙攣に襲われたことはあるが、この箇所が痙攣したのは初めてだった。ふくらはぎの痙攣もなかなかだが、尻から太腿にかけての痙攣も相当辛い。

もう一度立ち止まり、ゆっくりと痛みが落ち着くのを待つ。水分が足りなかったのか?塩分補給は充分しているはずだけどなぁ。しかしこうなると、集中力の矛先はケツに向けられることに。

攻めた結果といえば格好いいかも知れないが、当の本人は攻めたつもりもなく、何とも不完全燃焼で勝負あり。

…いやいや、まだ14キロも残ってますから!

しかし、ここからが予想通り地獄となった。ケツをかばっていたら今度はふくらはぎが疼き始め、いつどこで痙攣が起きてもおかしくない状況。恐る恐る走りつつ、途中ペースを緩めたり、歩いたり。(結局ふくらはぎは走り終えて着替えている最中に痙攣。何じゃそりゃ。)

嗚呼…これじゃ北海道の時と何も変わらないじゃないか!

再度自分に喝を入れ直して走り始めるが、気持ちがブッツリ切れてしまった。

まるで糸が切れて地に堕ちた凧のようだった。

せめてキロ5分ペースを維持しようと喘ぐが、後の祭り。切れた糸も堕ちた凧も元に戻すことはできなかった。

そのまま走る、歩くをダラダラ繰り返しながら、気がついたら残り2キロまでやってきた。

時計を見ると、3時間10分を経過したところ。願わくばの3時間15分切りはお預けとなった。

まあでも、練習不足の中よくここまでやったよ…と悔し紛れに慰め。

ひとまず3時間30分は切ろう。ジョグのようなペースで走り出すも、再び脚が止まる。自分のメンタルの弱さが情けない。それでも残り600m、4分30分前後のペースで猛然と走る。こんなに脚を残して、アホだ…と思いつつゴール。時計は3時間25分を回っていた。

月毎の走行距離は、8月の260kmをピークに、9月は何と95km、先月は198km、今月は大会前日までで150km。「走った距離が裏切らない」のであれば、今回はまさにその通りの結果だった、というだけの話。

だから結果には納得だが、全く満足はしていない。

走り終えてみて、一つ課題が明確になった。(自分自身への課題なのでここでは明らかにしない。)

流れに乗ってしまったとはいえ、最初から突っ込み気味に走ったのは無謀だった、ということではないようだ。

そんな中で今回の収穫。

走っている間、アキレス腱の痛みはほとんど感じなかったし、トイレに駆け込むこともなかった。

ひとまず、復活への第一歩としては上出来だったのではないかと思う。

初参戦で見事に跳ね返された「つくばマラソン」だが、こんなので終われるわけねえじゃん、というのが本音。

絶対リベンジしようと心に決め、人影まばらな「つくばエクスプレス(TX)」へと乗車、帰路に就いた。(余談だが、TXはこの直後から満員電車化したらしい。)

ゴール後に頂いた生醤油とチョコレート。これで脚が速くなるらしいです。(ウソ)