「太助」の太巻き

金曜日土曜日と、珍しく二日続けて飲み会があった。

金曜日は職場の飲み会。グループの顔合わせ、ということではあった。ただ、実質メンバー交代があったのはリーダーだけということで、リーダーの歓迎会的要素が強かった。元々無口なメンバーの揃ったうちのグループ、特に酒宴の席では会話が全く弾まないといった有り様だったのだが、今回もその予想は的中。しかも、僕が今のグループに異動してきた3年前は8名が顔を揃えていた飲み会も、今日にあっては5名にまで縮小され、人員削減の影響を受けていることを改めて確認することができる。そういうわけで、以前と比較するとかなりこぢんまりとした飲み会ではあったものの、ジョッキのおかわりが進むうちに饒舌になり、最後は結構いろんな話で盛り上がった。結局、20時には一次会が終わったが、翌日も飲み会があることを考慮し、そのまま帰路に就いた。


帰りの電車の車内で、翌日早朝出発の船釣りが「中止」になったことをメールで知らされる。そして、日中の陸釣りに方向転換したことを知り、急遽参戦を決めた。早朝出発なら早起きする自信がなかったのでパスだったが、日中、それも9時頃の出発であれば何とかなるかな、という風に考えたからだ。
実はこの日、一体どれほどの量を飲んだのかはほとんど把握していない。ただ、帰宅後携帯電話の向こうから参戦を伝える僕の声は相当弾んでいたらしく、翌日釣りに同行したS先生、Z先生から大いに笑われた。
一方の僕はといえば、釣りに向かう車中では完全に二日酔いに襲われていて、果たして今晩の飲み会に参戦できるか大いに不安になっていた。
土曜日に携帯から投稿したとおり、天気はいいのに雲の流れが速く、西からの強風が吹き荒れ、白波が立つといった有り様。ハッキリ言えば、釣りになるような状況ではなかった。あまりに釣れないため、うたた寝までする始末。やっと釣れたのも、20センチほどのアナハゼだった。
昼食も取らずに15時過ぎまで粘ってみたものの、結局3名ともクーラーは空っぽのままだった。でも、久しぶりに太陽の下で楽しんだ釣りに、鼻のてっぺんをちょっぴり赤くしながら弘前に戻ってきた。

この日の飲みは、いつものメンバーのうち、集まれるメンバーだけでということで、久しぶりに参加のO君と、釣行にも一緒に向かったZ先生、そして僕の3名。場所は弘前市鍛冶町の「海凪」。釣れなかった腹いせではないが、ここの店は鰺ヶ沢漁港直送の新鮮な魚が堪能できる。
刺身の盛り合わせに添えられていた「マゾイ」は、我々が普段釣り上げるサイズよりやや大きめだろうか。「ヤリイカ」の刺身はまだ身が透き通っており、新鮮さを認識することができた。そしてここでは数年ぶりに山形の名酒「十四代」を口にすることとなった。
かなりいい気分になった頃、Z先生は既に撃沈にも近い状態。他の飲み会のために参加を見送ったS先生に連絡すると、すぐ近くにある寿司・小料理の店「太助」にいることがわかった。しかも他の飲み会といっても、全員知っている顔ぶれ。こちらから乱入するかも知れない旨を伝えて電話を切った。

「太助」のマスターは、かつて弘前市でも3本の指に入るであろう寿司店「寿司藤」で修行を積んでいたが独立、現在に至っている。ちなみに寿司藤のマスターは、その後急病を患い若くして帰らぬ人となり、事実上寿司藤の流れを汲む寿司店はこの「太助」をおいて他にないはずだ。

何よりも僕は、何かの節目に「寿司藤」に連れていって貰っていたということもあって、およそ20年ぶりとなるマスターとの再会にワクワクし、ちょっぴり浮き足立ちながら嬉々として「太助」に足を運んだ。

カウンターの奥には、相変わらずのあの姿があった。そして、S先生他3名がカウンターを陣取っていたのだが、どうやらこちらのチームも相当酩酊しているらしく、今まさに席を立とうという状況であった。
そこに我々3名がやってきたものだから、一同の表情には驚きが隠せないようだったが、そこでS先生のみが合流し、晴れて2次会(S先生のみ3次会)がスタートした。

20年も前の話だからどうせわからんだろう、と思いながらも、臆することなくマスターにご挨拶すると、何とマスターは僕だけではなく妹のことまでも覚えていてくれた。

「いくつになった?」「35です。」「そうかー。年取るわけだなぁ。ワハハ」

ちょっぴり感銘を受けた僕は、「寿司藤」時代の流れを汲む「太巻き」をオーダーしたいとみんなに告げたところ、異論はなし。
程なく、6巻が皿に載った太巻きがやってきた(ちなみに写真は、既に4巻がみんなの口に運ばれた後のもの)。
tasuke.JPG

おお!見た目も変わってない!味も変わってないぞ!
鉄火にサーモン、タマゴにカッパ、ウニ、トビッコ…一体何種類の具材が入っているのかわからないが、久しぶりに口にしたその太巻きの味に、ふと昔の思い出が蘇った。

父方の祖母が緊急入院し、祖母が余命幾ばくもないと子供ながらに薄々感じながら口にしたのもこの太巻き。
高校に合格したときも、この太巻きを口にしていたハズだ。
最後に口にしたのは確か高校3年の時、大学受験を終えて帰宅した後父に連れられてやって来たときではなかっただろうか。
結局その大学には合格できなかったが、それはそれでよかったんだと今では思っている。

太助では最後に、海老の頭のお吸い物を頂き、店を後にした。まだ0時前であったが、完全に撃沈してしまったZ先生のこともあり、ここでお開き。O君はそのまま雑踏の中へ消えていったが、酒を全く飲まないS先生運転の車で、家路につきました、とさ。
懐かしい味に感銘を覚えた土曜日。
ちなみに日曜日朝。若干の睡眠不足は感じたものの、土曜日朝ほどの二日酔いではありませんでした!
「十四代」がよかったのかな(笑)。

「太助」の太巻き」への2件のフィードバック

  1. じゃん子

    何じゃこりゃ?!!!!!!!!!!
    羨ましすぎる???!そして、太助もマスターも太巻きも、あまりにも懐かしすぎる?(号泣)!
    さらにさらに。
    >「十四代」がよかったのかな(笑)。
    って何これ??!!!!!!!!
    あぁ、うぅ、、めまいしてきた・・・。

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  2. nonvey

    恐らく十四代は一番下のランクのヤツだとは思ったが、妙にフルーティーだったよ。「あれ?十四代ってこんな感じだったっけ?」と突っ込みを入れたくなったけど、あんまり昔の話で味も忘れちゃったよ。
    太巻きは…ムフフ。こちらは見ただけで昔の味を思い出す逸品。百聞は一見にしかずと言いましょうか、4,000円でおつりが来ますから、帰省したら太助に行ってみて下さいよ(笑)。

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