「死をもって罪を償う」という考え方


奈良県で起きた凄惨かつ酷たらしい事件。
まずもって、被害者の女児に哀悼の意を表するとともに、ご遺族の方には謹んでお悔やみ申し上げます。
さまざまな犯人像が浮かんでは消え、そしてまた浮かんでは…という現状。警察には、早期の犯人検挙に向けて全力で取り組んで欲しいと思います。
犯人に対する憎しみ怒りから、「死刑は免れない」という声も多く聞こえています。いや、被害者の心情を思うと、死刑でも足りないくらいではないでしょうか。今日はそんな死刑制度について、僕なりにコメントしたいと思います。ちょっと長いです。


まず「死刑」という考え方。現在も死刑制度そのものに対する賛否が渦巻いているわけですが、これもいろいろな角度からいろいろな見方ができるわけで、果たして何をもって良否を決めればいいのかは、非常に悩むところです。
例えば、大阪府で起きた小学校乱入児童殺傷事件の被告は、一審で死刑となり、弁護人からの控訴を取り下げ刑が確定、以後早期の刑執行を望んでいたと言われています。結局、被告の「望みが叶う」形で今年9月に死刑執行されました。刑が確定してから1年という「異例の」早さ。「法令上は6ヶ月以内の執行が原則なので、法令を遵守しただけ」という評論家もいます。
確かに刑事訴訟法第475条2項では、死刑の執行は法務大臣の命令による もので、この命令は、判決確定の日から6ヶ月以内にこれをしなければならない、とされています。つまり、死刑が確定してから刑が執行されないのがおかしいわけで、このケースは妥当だ、というのです。そう考えると、むしろこれまで執行されていないケースが違法なのではないか、という気もしますが、冤罪の問題を孕んでいたり、それはそれで非常に難しいところです。
ただ、あの死刑執行に関しては、反省の弁を一言も聞けなかったという被害者の心情を考えた場合、本当に正当かつ適正に行われたのかと言われると、後味の悪さとやりきれない思いだけが残ったのではなかったか、という気もします。
1999年に総理府が行った世論調査。
「死刑制度に関して、このような意見がありますが、あなたはどちらの意見に賛成ですか。」
どんな場合でも死刑は廃止すべきである 8.8%
場合によっては死刑もやむを得ない 79.3%
わからない・一概に言えない 11.9%

大分古い世論調査なので、今は数値が大きく異なることでしょう。ただ、「廃止すべきでない」という項目がない一方で、「場合によっては」などという曖昧な項目を設けているのが、何となく死刑制度を廃止の方向に持って行くための誘導尋問のような感もあるのですが(本来は「場合によっては…」の回答は「一概に言えない」に入れるべきではないか?)、少なくとも79.3%の声の中に、「廃止すべきでない」という声が含まれているはずです。
で、この「場合によっては」について、どういう場合を想定するかというのが実は一番重要なのではないのか、と僕は思うのです。大概は、他人を故意に死に追いやった場合において死刑となるケースがほとんどだと思うのですが、ここで言う「場合においては」というのは、回答者側からすると、その手段や残虐性によって、ということを指すのではないでしょうか。でも、人の命を奪うのに手段も残虐性もありません。奪われた命は二度と戻って来ないのですから。
とは言いながら、僕も個人的には死刑制度に関しては「場合によってはやむなし…」的な意見を持っていますが、制度の是非に対するいろんな声を見聞きすると、「一概に言えない」というのが本音です。
僕が抱いている「場合によっては…」というのは、被告の犯行が明白かつ残忍である場合。「一概に言えない」というのは、冤罪に対する不安、そして被害者の心情を考慮した場合。
「あんなヤツ、殺してしまえ!」という被害者もいるでしょうし、「生き地獄を味わえ!」という被害者もいるでしょう。僕が言いたいのは、そういう被害者心情を無視するような刑の扱いをするのであれば、制度を見直した方がいいですよ、ということです。
他方弁護する側は、どんなに凶悪で残忍な犯罪を冒した者に対しても、刑の軽減あるいは無罪を主張しなければならない立場にあり、その手法の一つとして「心神喪失・耗弱」を盾にするケースが非常に増えています。最近では、大きな事件を起こした犯人は、必ずといっていいほど犯行当時の「心神喪失・耗弱」を訴えるのが常套手段となっていますが、今回の事件も然りで、大体にしてああいう犯罪を起こすこと自体が異常としか言えず、それを「心神喪失・耗弱」の一言で済ませてしまうのは非常に問題があると思います。
「死をもって罪を償う」という今日のタイトルから少し話が逸れました。
最後に、死刑囚が誰に罪を償うかということを考えた場合、まず誰を差し置いても被害者であるわけです。例えば、事件に関係のない我々のような一般市民が「あいつは死刑だ!」といっても、被害者が「いや、あいつは反省するまで生き地獄だ!」と言えば、その声を汲み取るような制度であってもいいのではないでしょうか。要するに、被害者救済を第一に考えた制度議論であればいいのですが、今の死刑制度への是非というのは、死刑囚に対する人権保護云々といった観点からしか捉えていないような気がするのです。
そういう意味からも、安易に「死刑制度の是非」を問うのは怖い。
以上、今日は長々と綴ってしまいました。
正直、この話題の是非を扱うのは非常に難しいです(個人の思想や宗教観、その他いろんな要素があるので)。
ちょっと後悔。


2 thoughts on “「死をもって罪を償う」という考え方

  1. mayte

    もようがえがなされていて
    びっくりこ!!すてきですね!
    わけあって、ひらがなしかうてないわたくしですが
    こめんとをば。
    しけいをさんせいしまくっているわけではないわけですが
    なにがあっても、しけいはだめっていうのは
    まったくどうちょうできません。
    nonveyさんがいうように
    「はんせいするまでいきじごく」というのもありですが
    わたしがおもうのには
    たとえばあの、あさはらしょうこうとか、
    あんなひどいひとなのに
    ぬくぬくと、ごはんのしんぱいせず、
    せいけつな、びょうきになったばあいのちりょうのしんぱいもなく、
    そんなそんな、そんならくさせやがって!っておもっちゃいます。
    たべるの、びょうきをなおすの、せいけつをたもつの、とどこおりなくせいかつするのっていうのは
    ものすっごくたいへんだと
    ひびじっかんしてるからです。
    わたしたちがつめにひをともすようなおもいで
    しはらっているぜいきんで
    あんなひどいひとのさいばんを
    たくさんのおかねをかけてやっている。
    あんなひどいひとのまいにちの
    とどこおりないせいかつをしえんしている。
    わたしはそれがゆるせない。
    なんともへいわてきないけんではないし
    わたしは、かんがえかたがきょくたんで
    しこうがごくあくにんかもしれないけれど
    どうかんがえても、きょうあくはんにんは
    ぜったいにゆるしたくないとおもってしまうのです。

    返信
  2. nonvey

    返事が遅くなりました(ごめんなさい)。
    この件に関しては、非常に取り扱うのが難しいと思いました。死刑制度が法として確立しているのにもかかわらず、執行されるのはほぼ決まって法務大臣が交代する前後。それと、人権の問題だとかいろいろあるとは言いますが、例えば残虐な殺人を冒した鬼畜に、「人間」としての「人格」なんて言葉を易々と使って欲しくないといつも思います。
    それと。問題のすり替えになるかも知れませんが、司法制度の根幹に係わる問題として、麻原被告はまだ死刑が確定していません。それは、訴訟事件が多く、莫大に時間を要するという問題(もっと簡素化できないか)、そして、故意に裁判の引き延ばしを図ろうとする弁護側にも問題があると思います。というか、事件の詳細を明らかにしなければならないのはわかりますが、あんなヤツこそ即死刑→執行でもいいんじゃないかと思います。控訴も上告も即棄却でいいと思います。ただ、遺族にしてみれば「事実を明らかにして欲しい」とか「(これはあり得ないことですが)被害者への謝罪を」という思いを抱いている方もおられるはず。
    この辺の折り合いが難しいのではないかと僕は思っています。

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