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読破苦な独白。今日は毒吐く。

久し振りの内心吐露。今日の毒素感想文は、原稿用紙約6枚。国語の先生にポメラニアン、いや誉められますように。

清々しい気持ちで週明けを迎えるはずだったのに、月曜日は何だか気が重かった。いや、重いのは気だけではなく、足取りも頭もだった。

これまでも勉強会に参加した後は、大体こんな気分、心境に苛まれる。勉強会だけじゃなく、仕事ならぬ私事で参加したフォーラムやワークショップのあとも同じ。でも、何でこんな感じになるのか、何となく理由はわかっている、つもり。

11月4日に開催された北秋田市での東北OM勉強会、個人的に印象的な場面が一つあった。
トークセッションの後の質疑応答、大学1年だという男子学生がマイクを握った。大学1年生でありながらこういう場に足を運ぶという意欲に驚きつつ、彼の質問に耳を傾けた。

自ら行動を起こすべくFacebookやLINEなど、ネットで色々繋がりを持とうと周囲を誘っても、周囲の反応が鈍く、何とかしたいと思うがどうにもならず、もがいている。もっと周囲を動かすためにどうすればいいかアドバイスを欲しい、といった趣旨。(リアルな関係構築すら希薄になっているというのに、ネットの関係構築でもこのようでは、ホントこの先どうなるのだろう、とオッサンは少し心配になった。)

この質問に対する回答。
周囲の全員を一人で動かすなんて考えないで仲間を見つけろ。人間の総量(エネルギー)は人生皆平等だと思っている。最大限発揮するのは、20代かも知れないし30代かも知れないし、もっと後かも知れないし。だから今、焦る必要は全くない。

その回答を聞き、そうそう、わかるわかる、と頷きつつ、さて自分はどうだろう?と考える。
実のところ、あれやこれやと一人で悶々と考えても、それを行動に移す勇気がない。

なぜなら、未だに失敗が怖いから。

失敗を考えている時点で、自分なりの結論、着地点はある程度出来上がっているということだろうか。
否、46歳にもなってそもそも自分の思考を次の形にすることができていない、つまり次の形に繋げるような思考回路ができあがっていないだけの話。

奔走する父の背中を見ながら、漠然とまちづくりへの興味を持ち始めた20代。

自分に何ができるのか悶々としたまま、追いかける背中そのものを失った30代。

外との繋がりに救いを求めながら、他人の思考、発想に乗っかり続けている40代。

何をすべきか、具体的な構図を描いてすぐ行動に繋げる人たちへの羨望。

そういう人たちにお目にかかれるだけで、自分の満足感が得られている。

凄いなあ、凄いなあ。口を突いて出てくる言葉はこればかり。

そんな凄い人たちに、単に会いたいだけなのかも知れない。それだけで I Can Get Satisfaction なのですよ。
一体、自分は何をしたいのだろう。この先、何を望んでいるのだろう。何かいいアイディアは生まれないかなと、今日も同じところでスキップしながらずっと円を描いている。

とはいえ絵に描いた餅は所詮食べられないし、味もわからない。
もっとも、僕の考えていることの本質なんて、もの凄く薄っぺらくて、誰もが考えそうな当たり障りのないこと。あの業界のたちが切りまくる空手形みたいなものか。

待てよ、そもそも湯水の如くアイディアが生まれてくるような頭脳は持ち合わせていなかった!

結果ありきで落としどころを最初から探るのは、いかにも打算的な、萎縮した行政の常套手段なのかな。

結果ではなく、取りあえず、何となくやったという過程に対する満足感。

行政主導の事業なんて3年も続けば終わる。仮にそれがいい事業でも、行政から民間へノウハウが受け継がれないまま、幕を下ろす。そうならないようにするためには、どうしたらいいだろう?

…いや待てよ、そもそも他のことには口を挟めない。これは縦割り行政の弊害か。いや違うか。
漠然と思い描くビジョン。実は自分が一番打算的になっていないか。

興味のあることや、好きなことをやっていく延長で地域が盛り上がれば、それはそれで最高じゃない。

ということは、一番手っ取り早いのは、自分の興味を少し拡げてみればいいってことなのかな。

大風呂敷を広げたような話だけれど、地域に潤いを還流したい。どうせなら、みんなが笑顔になるような、そんな仕掛け。下世話な言い方をするならば、外貨、すなわち県外客の財布の紐を少しでも緩め、地元にお金を落としてもらえる仕掛けを考えればいいだけなのだろうか。お金だけじゃ得られないものもあるはずだよな。
水面に投じた石は良かれ悪かれ波紋を拡げる。どうせなら一石五鳥ぐらいになればいいのに。問題は、その石をどこで調達するか。コンビニでは売っていない。

しかしそれは本当にやってみて楽しいこと?周囲に伝播する?やってよかったと感じる?
石はどう転がるかわからない。先の見えない動き。だから面白いし、楽しい。でも、面白くなかったら、楽しくなかったらどうしよう。

待てよ。結局僕は石を転がしたいのか、投じたいのか。再び逡巡と躊躇の堂々巡りが始まる。

水やりを間違えなければ、数年前に撒いた種でも、枯れることなく着実に芽を出す。すぐ結果を求めるのはナンセンス。
更に追肥をしてそれを育み、小さな花が咲いたら、最高。
そうだ、いきなり大きな花束を作ろうなんてことを考えるからダメなんだよ。花束になる花を一つ一つ育ててこそ、やりがいってものなんじゃないか。

綺麗で大きな花束も、まずは小さな種から…。

おっと、僕が手にしていたのは石じゃなくて、種だったのか。
どうせ最初から誰も期待していないし、何の信望もないんだから、開き直ればいいのだ。

他人事を自分事に。

まずは原点に立ち返り、自分の周りのことからもう一度考えてみようかな。

結局は、やってみなければわからないってことか。

何事も、No Attack, No Chanceだな。一歩踏み出す重要性、大事ですよ。

ところで、賛同する仲間はいるか?同じ方向にベクトルは向いているか?一番の肝は、ここに集約されるんだろうね 。

そういう意味で例えるならばオラは、黒ビールみたいなマイノリティ。

そのこころは。

主役は張らなくとも、脇役、引き立て役にはとことん徹しますよ。

お盆の過ごし方

暦の上では、今日がお盆の最後、いわば送り盆最終日ということになるみたいですね。昨年から8月11日が「山の日」として祝日になったことを受け、その恩恵を受けることとなった人も多いのではないでしょうか。

ちなみに私、昨年は12日金曜日に年次休暇を挟んだことにより4連休、今年は14日に夏季休暇を入れたことにより同じく4連休となるはずだったのですが、結果的に11日の「山の日」は昼から夜まで仕事となってしまい、危うく14日の夏季休暇も取り消ししなければならないのかとハラハラしていましたが、何とか夏季休暇の消化を無事に終えることができました。

ところで、お盆といえばバーベキュー。ふと思ったのが、なぜお盆になるとなぜバーベキューをやりたがるのか、という素朴な疑問。これは全国的な風習なのでしょうか? 庭先や玄関口にバーベキュー用のコンロを広げ、人目を憚ることもなく、うちわで炭を熾しながら肉魚類を食らう、という光景を今年もあちらこちらで拝見しました。ねぷたの時期も多少目撃しましたが、お盆の時期は圧倒的にその数が増えます。家族や親戚が集まると、何となくコンロを囲みたくなるんでしょうかね?小腹を空かせながらジョギングをしていると、次から次へと鼻先に肉の脂が焦げる香りが漂ってきます。ハッキリ言って、酷以外の何者でもありません。一瞬、ひょっとしてこれは迎え火の代わりなのか?と思いましたが、なんか不思議 です。

それにしても今年のお盆は実に涼しくて過ごしやすかった!というか、何か気持ち悪いぐらいの涼しさでした。もう秋なのか?冬の準備、始めた方がいいのか?というぐらい涼しかったという…。例年であればこの時期は残暑が厳しく、夕涼みをしながら迎え火、送り火を焚いてビール(銘柄は故人指定)を飲む、というのが一つの楽しみなのに、今年は火を焚かないとビールの美味しさが半減するぐらい、涼しい、いやむしろ寒いぐらいの?お盆でした。

大体にして、飛んで火に入る夏の虫が飛んでいないのですよ。涼夏なのか、はたまた冷夏なのか…。そういえば昔は焚いた火の横で、こぢんまりと花火をやっていたなあ…なんてことを思い出しつつ、今年も火を眺めながら物思いに耽っておりました。

さて、夏季休暇の最後の消化日となった14日は、ふと思い立って妻と愛犬を車に乗せて北秋田市にある母の実家へ。母の実家へは既に前日から母と妹、甥っ子が訪問していたのですが、妹にだけこれから向かう旨を知らせ、いわばサプライズで訪問。 ところがいざ訪ねてみると、ビックリされたまでは良かったのですが、その直後に思いがけず大人数が集合することとなり、こちらがビックリするハメとなりました。八王子の従姉家族や仙台の従妹母娘、更には先日手術を終えて退院したばかりの伯父にも会うことができました。 僕にしてみると、祖母が亡くなって以来の大集合だったかも知れません。ちなみに昨年はもっと大集合だったようなのですが、その際は僕がいなかったんだそうです。

うちらの滞在時間はわずか2時間足らずでしたが、祖父母と伯母の墓前に花を手向ることができて、何となくホッとした一方、帰る途中で、そういえばみんなで集合写真撮るのを忘れたし、いつものあそこに立ち寄るのも忘れたな、とちょっぴり後悔したり。

ということで母方の実家に偶然のタイミングで従姉妹をはじめとする親戚がドッと集まったというのは、何とも不思議な光景で、見るたびに成長する従姉妹の子どもたちを目の当たりにしながら、自分も年齢を重ねているのだなあ、と感じた次第。いやぁ、集合写真を撮影しなかったこと、この先の後悔になりそうだなあ…。

閑話休題。
お盆の過ごし方は、各家庭、地域によってそれぞれバラバラだと思います。長い休みに入っている人もいると思いますし、お盆も関係なく仕事をされている方だっています。 以前であれば、当時、千葉県市川市に在住していた妹が帰省してくる時期でもあったため、帰省を前に何となく家の中がそわそわした感じがあったのですが、その妹も今では弘前市内に在住しているので、帰省してくる人もいなくなりました。

また、父の本家は世界自然遺産「白神山地」の玄関口、青森県中津軽郡西目屋村の大秋という集落にあり、僕らが小さい頃は、お盆の時期になると父の兄妹やその家族が大集合し、宴会が繰り広げられるということもありました。しかし、親も子もそれぞれ年齢を重ねるとともに、新たな家庭を築いたり遠方に居を構えたりで、一同が集合するということはなくなってしまいました。

もっともうちの場合、別にお盆の時期でなくとも時々お邪魔する機会があるし、むしろ本家の従姉弟が家族を連れて帰省する時期、きっと忙しいだろうということで、敢えて訪問を避けている、ということがあるのも事実。
さて、お盆といえば色んなお供えや飾り付けがあるわけでして、うちの場合は玄関に提灯をぶら下げて、仏壇の上にはモナカの皮(のようなもの?)で作ったカラフルな灯籠をぶら下げています。

でも、キュウリとナスに割り箸を突き立てた牛と馬は作りません。

ちなみに仏前にぶら下げたカラフルな灯籠は、母の実家のお墓に行ったら、お墓の前にぶら下がっていました。他の家のお墓には、何か平べったい餅みたいなものも一緒にぶら下がっていましたが、さすがに他人のお墓ということで、撮影は遠慮しました。しかし、あの餅みたいなのは、何だったんだろう?

…そんな中、うちで「法界折」を作るというのがお盆の恒例行事となったのは、いつ頃からだったでしょうか。「法界折」については以前2度このブログで紹介していますが、今でもこの時期になるとアクセス数が一気に増えるという、こちらで生活している人間からすると、何とも不思議な現象が発生します。まあ、津軽地方独特の風習であることは事実らしいのですが、今年の法界折は、こんな感じでした。

今年は多少数が減り、製作個数は大小合わせて8個となりました。私は今回、ほとんど調理を行わず、折詰め専任でしたが…。

なお、非売品につき注文は一切受け付けしておりませんので、念のため。

午前4時からこしらえたこの法界折を持参し、午前8時頃には菩提寺へ。
うちのお寺の境内は現在、区画整理を実施中。無縁仏となったお墓が相当数あったらしく、青いシートの下には、横たわった古い墓石がチラリと見えました。この区画整理の煽りを受け、来年以降、うちのお墓も移転しなければならないらしいです。いやはや何とも。
今年は混雑が分散して良かったね、なんてことを言いながら墓参りを終えて寺を後にしようとしたら、雨後の竹の子よろしく大渋滞が発生していたという…ちなみにその足で、妻の父が眠る近くのお寺にも向かいました。

ところで我が家は、弘前市内に2か所ある寺院街のうち新しい寺院街の通りに面しています。このため、毎年13日は家の前が大渋滞となり、家から出るのもうんざりするぐらいの状況に陥るのですが、今年は13日が日曜日、しかも3連休だったということもあって、お墓参りのタイミングが分散したようで、多少ではありますが渋滞の度合いが改善されていたように思われました。…いや、これって墓参りに来る人たちが減っているのかな?

余談ではありますがうちの菩提寺はこの通り沿いではなく、古い方の寺院街、禅林街と呼ばれる通りにあり、移動するのも結構大変なのです。さらに、午前中だけでお寺を3か所、お墓を4つ回ったのですが、最後に訪れたお墓がこちら。

ここはペット専用のお墓で、昨年相次いで亡くなったハナとモモ、そして妻の実家で飼われていたピッピが眠っています。…心なしかどこのお墓よりも、このお墓が一番賑わっていました。ペットに注がれた愛情、そしてペットを想う気持ちは、人間を想うそれ以上なのかも。オラもここに入れてもらうかな、なんてことを思った次第。

そうそう、一つ心残りを挙げるとするならば、せっかく4日(実質3.5日)も休みがあったにも関わらず、初日(山の日)に出勤するハメになった結果、20キロオーバーのランニングを一度もできなかったこと。お盆休みという気分も半減し、何かもったいないことをしたなあ、と。

この件については最近思うところも大分積もり積もっておりますので、後日改めてこの場でぶちまけようと思います。

密林には時々トラップが仕掛けられている。

安心して下さい、保証ついていますよ。の言葉に騙されました。
時として買い物には失敗がつきまとうものですが、今回は完全に安物買いの銭失い。
…いや、銭は失わずに済んだのか。

怒りに次ぐ怒り、そしてまた怒りで、イカリングが嫌いになりそうです。
頭から湯気が上がりすぎて、のぼせそうです。
顔が紅潮しまくりで、黄色人種から赤色人種へとモデルチェンジしそうです。

Amazonで購入した2つの商品、どちらにも不具合。
発売元のその後の対応にも頭が来て、立て続けに返品しました。

一つは折り畳みの傘、ベストセラー1位なんだって。ふーーーん。
もう一つはBluetoothのスポーツイヤホン。何でカスタマーレビューの評価が高いのか、意味がわからない。

まずは傘!これはちょっと酷かった。
今使っている傘がだいぶヨレヨレになったこともあり、何気なくAmazonを覗いたらタイムセールの商品の中に折り畳みの傘を発見。6,999円が2,000円、更にそこから400円引きという段階でかなり疑ってかかるべきでしたが、評価も高いので結構良いものなのだろうと思ったら、とんでもありませんでした。

2度目の使用で違和感を感じ、帰宅後に傘を開いてみたら、何と骨に歪みを発見。発売元は購入後60日間の無料交換と1年間の保証を謳っていましたので、何の迷いもなく交換を依頼しようとメール送信したのです。もちろん、歪んだ部分の画像と一緒に。

以下、それ以降のやりとりを簡単に。

画像を添付した最初のメールを送信。
→ おかしな日本語にすぐ気づく。 「傘の骨の不良状況について写真を撮っていただけないでしょうか。写真を見れば、すぐ承知になります。これからも、こちらは業務管理にももっと厳しくなります。」
→ 一度送ったのに見ていないのかな、と訝しがりながらも画像を再送。
→ 「不親切なご利用でそんな状態になる可能性もあります。クーポン番号をご提供いたしますため、お客様は自分で商品ページで再注文をして…」
→ 何だこのメール。こちらに非があるといいたげな内容。ちょっとイラッとするんだけど。
→ 示されたAmazonクーポンを入力し、再注文しようとしたところ、「お客様の入力したクーポン番号は使用できません。」と表示。
→ クーポン番号使えないんだけどどうなってるの?
→ 「すみません、クーポン番号は有効期限が過ぎてします。」「谷様の住所アドレスと電話番号を教えていただけないでしょうか。住所アドレスと電話番号を内緒にしておりますので、是非ご安心くださいね。」
→ やかんの湯が沸騰したような勢いで頭から湯気が上るのを確認。ご安心くださいね、じゃねえよ。だいたい、谷様って誰だよ。この時点でアウトだよ。
→ もういいです。返品します。メールにも返信してこないで下さい。
(「 」内は原文ママ。)

まあ、国外の方が丁寧に対応しているつもりなのだろうとは思いますが、ここまで言っていることが二転三転すると、信用なくなっちゃいますよね。「業務管理にももっと厳しくなります。」なんてよくもまあヌケヌケと言えるものだ。先方は精一杯誠意ある対応をしていると思っているのかも知れませんが、ここまでバカにされると、不誠実極まりないとしか言いようがありません。何だか詐欺にでも遭っているみたいな、イヤな気分に苛まれました。傘はしばらく100円ショップのビニール傘でやり過ごそうと思います。どうせこの先、雪で傘なんて使えなくなるんだから。

もう一つのスポーツイヤホン、実は同じタイミングで購入したもの。
初めての充電を終えて耳に差し込んだ時点で既にノイズが入っているような状態。しかも、電源オフにしてもノイズが入ってくるような状態で、気になって仕方がない。しかもその直後、電源をオフにしてもオフにならない事態が発生。こんなの使い物にならないだろう、とすぐに返品手続き。
あまりに癪なので、発売元にもメール送信。
すると、「新しい商品を送るので使って欲しい。」とのこと。いやいや、こちらは返品手続きしているんですけど?でも、交換して頂けるのであれば、交換して頂けますか?

「では、商品を送ります。到着後、レビューの変更をお願いします。」
…え?

数日後、Amazonから返金の連絡。時同じくして、「代替品」も到着。
…へ?

「商品の返品を確認しました。届いた商品はそのままお使い下さい。使用後のレビューの変更をお願いします。」
…は?

ところが届いた商品、またしても同様にノイズが発生し、今度は充電しても充電できないという事態が発生。
返金&代替品到着という意味のわからない対応の挙げ句、またしても不良発生。ここまで来ると腹が立つのを通り越してただ呆れるばかり、販売元に連絡する気にもなれず、ゴミ箱行き決定。ちなみにこの販売元から届いたメールも、何だかおかしな日本語でした。

それにしても、カスタマーレビューを書き換えろ、つまり代替品を送るので評価を上げろ、というのは、いかがなものかと思ってしまいます。(もちろん二度も不良品を掴まされ、評価が上がるはずもなく。)

確かに最近のカスタマーレビューを見ると、ああ、関係者を巻き込んだ自作自演だな、というレビューが凄く増えている感じ。もちろんちゃんとした商品管理や責任を持って対応しているところがほとんどだと思うのですが、特に家電や日用品でレビューの数がやたらと多い、しかも、高評価が集まっているといった商品はホント要注意ですね。
カスタマーの名前が本名っぽいんだけど、日本では使わない漢字が使われている名前とか、自ら「様」を名乗っているカスタマーとか、文面が明らかにコピペのような内容とか、そもそも日本語がおかしいとか、そんなのがたくさんあるわけですよ。

健康と家族はさすがにラインナップされていないとはいえ、何でもワンクリックで自宅まで届けられる時代となりましたが、さすがは密林、何が転がっているかわかりません。こういうトラップや落とし穴が待ち構えていることに、充分気をつけましょう。
私も氣おつけます…あっ!

「ブラック・フライデー」への違和感

black-friday

突然降って沸いたように日本国内にも現れた「ブラック・フライデー」。
何かこの言葉自体、「ブラック・マンデー」を彷彿させるようでいいイメージがないのですが、Wikipediaによると

「アメリカ合衆国で感謝祭(11月の第4木曜日)の翌日の金曜日のことである。正式の休暇日ではないが休暇になることが多く、伝統的に一年で買い物が最も行われるクリスマス商戦(ホリデーシーズン)の開始の日である。また、ブラックフライデー当日は感謝祭プレゼントの売れ残り一掃セール日でもある。
1961年ごろからフィラデルフィアで始まり、1975年にはかなり広まった比較的新しい言葉で、当日買い物客で道路が混むのでそう呼ばれている。名付けたのはフィラデルフィアの警察で、人が外に溢れて仕事が増えるため「真っ暗な金曜日」と呼んだことがきっかけとされる。当初、小売店などはこの言葉に不快感を示して「ビッグフライデー」という言葉を作ったが、一般には「ブラックフライデー」で広まった。後に、フィラデルフィアの新聞が、小売業者が儲かり黒字になるという解釈を発表してからは「ブラックフライデー」は良い意味で使われるようになった。」

とのこと。

ところが、別に感謝祭も行われていない日本国内で、急にこのブラック・フライデーが取り沙汰されるようになり、今年はイオン、トイザらス、H&Mなどの他、JALまでもが参画しておりまして、ハイ。(ちなみに私のところには、U2 Officialからもご案内のメールが届きました…。)

アホか!ここは日本だぞ!感謝祭じゃなくて、そこは新嘗祭だろ!(あ、何か違いますか?)

…しかしながら来年は間違いなく、この「ブラック・フライデー」を導入するところが増え日本を席巻することになるでしょう。
だって、政府や経団連が導入を模索しているぐらいなんだから。要するに、国策としてこいつをやってやろうじゃないか、というぐらいの勢いなんですね。【訂正。別に導入を模索しているわけではないようです。】

消費者の皆さん、来年からはきっと給料日前後、しかも年末を前にウハウハ間違いなしですよ~♪

私個人としては、「黒い金曜日」より「歳末大売り出し」の方が何となく年の瀬を思わせてしっくりくる感じ。そういえば日本の歳末商戦といえば「お歳暮」が真っ先に浮かぶのですが、最近この「お歳暮」を送る、あるいは送られる、という話をあまり耳にしなくなりました。現に私、お歳暮に関してはほとんど自分で何かをしたことがないのでありますが、歳末商戦といえば年末年始を迎える前の書き入れ時なんじゃないですかね?何も11月のこの時期じゃなくとも、歳末商戦の時ぐらいはちょっとぐらい贅沢しても…という心理も働くような気もするんですけど。

確かに消費者にしてみれば、商品が安くなることに越したことはないわけですから、こういう企画はどんどんやって欲しい、と思うところなのかも知れませんが、年がら年中こういった「バーゲンセール」のようなことをやられると、逆に販売する側(特に卸業者)が疲弊してしまうとともに、消費者が「セール慣れ」してしまうのではないか、と。それに、販売価格を下げるということは、卸値も下げるよう求められる可能性があるわけで、必然的にデフレ状態に陥る可能性がまた高くなるわけですよね。…あ、それとも棚卸よろしく旧型旧モデルの在庫処分に充てますか?
で、ちょっと大げさに言うならば、こういうのが引き金となって、また低賃金化や業績不振に伴う解雇などを生み出してしまうんじゃないか、と思うのであります。

僕は学者でもないし経済に詳しいわけでもないのでよくわからないんですが、国内の消費構造に顕著な変化が現れたのは、バブル崩壊の後なんでしょうかね。
現在、日本国内の消費は底冷え状態に陥っているのが実情。何とかミクスも一時的には効果を見せたようですが、日銀がテコ入れしようが何をしようが、もはや消費者の心は動きません。だって、一度甘い汁を吸ってしまうと、その汁を吸い続けたくなるのが人間の心理じゃないですか。何とかミクスよりホットケーキミクスですよ。…あ、関係ないか。

価格破壊、デフレ…もはや低価格であることが世間の常識、当たり前になってしまった昨今で、高価なものに手を出すのは、せいぜい日本経済を動かしている、というか国内所得の大方を占めておられる「富裕層」と呼ばれる皆さまぐらいじゃないでしょうか?…経済も地域も、日本はどうしてこんな格差社会になっちゃったんでしょうね?

しかし国もどうなんでしょう。やれベアだ賃上げだと力入れする一方で、消費行動の起爆剤に「ブラック・フライデー」をって、何かちっとも一貫性がないんですけど。

まあ、それはともかくこの「ブラック・フライデー」、米国ではこの期間だけで国内の消費の2割が集中するとかしないとか。中には年間の5割の売り上げを稼ぐところもあるらしく(よく商売成り立っているなあ!笑)、しかも普段は絶対値下げをしないブランド品も、この時期だけは値下げするということで、この時期に照準を合わせて1年間の買い物(もちろん日用品や食料は別として)を集中させるという人もいるんだとか。

日本政府や経団連が見よう見まねでこんなものの導入を推奨したら、日本の消費行動はますますダメになると思いますよ。だって、365日のうちこの時期しかモノが売れない、なんて恐ろしいことになりかねないワケですからね。

その行事やイベントが行われる歴史とか経緯とか背景とかを一切排除して、単に名前だけを借りて真似をするという発想そのものが、何か安易でイヤなんですね。何でもかんでも都合のいいように模倣すればいいってモノじゃないと思います。この「ブラック・フライデー」然り、何とは言いませんが、その他のイベント然り。

それじゃなくても海外から「輸入」したよくわからないイベントがたくさんある中で、また大国の猿真似ですか…これじゃあ隣国のことをああだこうだ言えないじゃないかよ、と。
もっと日本らしい何かというか、メリハリのある商売を仕掛けることができないんでしょうかね。一時的な効果じゃなくて、もっと年間を通して消費行動を底上げするような政策を打たなくてもいいんですかね?…あ、そんな政策があるんだったら、とっくに手を打っているって話か!

…なんてことをふと思って偉そうにほざいてみた私ですが、某Amaz●nのタイムセールにすっかりやられております…ハイ。どうもすいません…。

もはやこれまでか、と…

今日はちょっとマニアックといいましょうか、愚痴めいたお話を。
年を越す前に、このブログを設置しているサーバーから更新のお知らせが届いていました。端的に言えば、データベースが変わりますよ、というお知らせ。この類のお知らせに乗っかってデータベース更新すると、大概うまくいかなくなって、結局それまでの記事がぶっ飛んで消えた…なんてことを幾度となく経験していました。実はかれこれ10年以上ブログ記事を投稿しているのですが、ある一定期間ブログの記事が消えてなくなっています。…あ、ちなみに過去の記事については、このブログから段階的に他のブログへ移動しているんですけどね。

で、記事が消えてなくなるのが嫌で、ブログツールをMovableTypeからWordPressに乗換えしたのに、2016年を迎えたあたりから、またしても何やら不具合が生じ始めました。動作が軽い、更新の手間がないということでWordPressに乗り換えたのに、ですよ。

まず、設置しているプラグインが一部動作しなくなり、FacebookページやGoogle+への反映がされなくなりました。まあ、Facebookの個人のタイムラインには順当に表示されていたので、そんなには気にしていなかったのですが、動作しないとなると、原因を突き詰めたくなるのが人の性というものじゃないですか。

で、ちょこちょこと設定を弄っていたら、何とログインができなくなる(そもそもログイン画面が表示されなくなる)という事態に陥りました。ああ、またかよ!

バックアップも取られていない状況の中、恐る恐るサイトを見てみると、そこには「Error 404 – Not Found」の文字が。

Error 404

え…これって何が起きてるの?…やっちまった!と顔面蒼白になり、サーバーからデータベースに潜り込むと、過去の記事は取りあえずそのまんま残っていました。嗚呼、ひとまずこれまで書き溜めた記事がぶっ飛んだ、という最悪の事態は回避。

しかし、こうなると何か設定を変えなければならないのだな…ひとまずログインできる状態にしないと…と、恐る恐るWordPressを再インストール。

ひとまずログインできる状態まで漕ぎ着けたものの、実際ログインしてみると、そこに過去の記事は何も残っていませんでした。なので、ブログの記事を見ると、何も投稿されていない状態に。つまり、まっさらなブログ状態になってしまったわけです。さて、ここに過去の記事を読み込ませるのにはどうしたらいいんだろう?と試行錯誤。

…まあ、ここからは色々あれしてこれしてを繰り返していたら、何とか復活して現在に至る、というわけです。

以下、備忘録。
・なぜかデータベースに複数の番号が付与されてあるのを確認。どうやら過去に何度かWordPressをインストールした際のデータベースがそのまま残っていたようで。(でも、このお陰で助かった。)
・wp-config.phpの修正。
WordPressデータベーステーブルの接頭辞を1つ前の番号に変えてみる。ああ、マニアックな話ですいません。→でも、動かない…。→ブログを見ると、再びError 404の文字が。Sorryって、オレこんな記事書いた覚えないんだけど…。→しばらく頭を抱えていたらひらめいた。→そうだ、接頭辞を思い切って2つ前の番号に変えてみよう。→変更後、ログイン画面を開くと…お。ちゃんと画面が出ているじゃないですか。→ログインしたら、データベースの更新が始まった!→やった!ログインできた!

・そのままログインした状態で、まずはプラグインの設定を変更。恐らく発端となったプラグインを一度使用停止にした。ちなみに悪戯したのは、SiteGuardというセキュリティ強化のプラグイン。例えていうならば今回のトラブルは、車の中に鍵を置いたままロックしたような感じ。

・続いて、投稿のページを恐る恐る覗いてみると…投稿一覧数が333件に戻っている!→でも待てよ、データベースは新しいものにしておかないと、また何が起こるかわかんないぞ…。→データベーステーブルの接頭辞を最新から1つ前の番号に再び変えてみる。→そして、再度更新してログイン。→ブログページにアクセス…や、やった!元に戻ってる!
・ということは、再インストールしたあと後の記事は?→こちらにSorryの文字が踊っています…。という顛末。

Error 404

いやあ、ホント焦りましたが何とか復活して良かったです。何か、こうやってブログに記事を投稿する作業も一つのライフワークみたいになっていますからね…。

今回の反省。ひとまずバックアップはこまめに取ろう。下手に設定を弄るのはやめよう。
で、ロリポ○プさん、JetPackのプラグインが動かないので、早くXML-RPCを対応させてください(実はそもそものきっかけはここから始まったのです、ハイ)。

皆さん、本当にお騒がせしました。どうもすいませんでした。…でも、密かにこのブログを楽しみにしてくださっている方が結構いるんだということを知ることとなり、今は凄く気分がいいです。ありがとうございます。こんなくだらない投稿ばかりですが、引き続きよろしくお願いします。