いるはずのものがいなくなるという現実 ~さよならチョコ

11月6日午前11時40分、我が家にとって最後のペットとなった愛犬のチョコ(ミニチュアダックスフント)が息を引き取った。

冬を越すのは厳しいだろうな、とは思っていたが、2週間前の10月17日深夜に卒倒、三途の川の手前から戻ってきたのを境に一気に食が細くなった。昨年の時点で4.8キロだった体重は1年後に4.1キロまで落ち、更に減少の一途を辿った。

だいぶ体重が落ち始めた時期

固形物を嫌がるようになったため、お手製の野菜スープを作ったり、大好きなアイスクリームを溶かして舐めさせたり、色々手を尽くしてみたが、最後は水すら受け付けなくなった。亡くなる2日前の4日には動物病院で点滴を投与するも、獣医からは「いつ逝ってもおかしくない状態」と通告され、さすがに覚悟を決めた。

その日の夜は災害当番だったため青森市内に宿泊するも、覚悟を決めたとはいえ気が気ではなく、家人からメールが届いていないかビクビクしながら夜明けを迎えた。

5日朝。宿泊先を出ようとした時にいよいよ家人からメールが届き、腹をくくって開封すると「帰り、ドーナッツ買ってきて」という文面に、全身の力が抜けそうになった。

帰宅してチョコと対面すると、明らかに前日より衰弱していた。その衰弱ぶりは、まるで階段を転げ落ちるかのごとく、一気に進んだ感じだった。痩せ細った身体が更に細くなっていて、既に力はなく、目もうつろだった。その日の夜、畏友たちと一献設けて帰宅、チョコを挟んで川の字になって眠りについたが、呼吸をしているかどうかが気になって、結局まともに眠りに就くことができなかった(…といいつつ、数分後には大きないびきをかいていたらしいが)。

最後の一枚、かな。

6日朝になると、チョコは完全に昏睡状態に陥っていた。こちらからの呼びかけに全く反応はなく、息だけをしている状態。心臓付近に指を当てると、鼓動をしっかり感じられることと、深い吐息にまだ力があることだけがせめてもの救いだったが、11時過ぎ、それまで微動だにしなかったチョコが突如口を大きく開け、前足を軽くバタつかせた。いよいよ最期の時がきたと確信した。

3人でチョコを囲みながら身体をさするも、呼吸は徐々に弱くなり、口を閉じるのもままならないぐらいに脱力。11時35分頃に口を開け、大きく息を吐いたあと、動かなくなった。開いた口をそっと閉じると、指先に感じていた鼓動も感じなくなった。

お昼前、11時40分頃だった。

ありがとう、お疲れさま。…チョコ、もう一度戻ってきて!

3人で交互に声を掛けるも、反応することはなく、2度あった奇跡に3度目はなかったが、もがき苦しむわけでもなく、静かにその時を迎えた、そんな感じだった。辛うじて生暖かかった身体が徐々に冷たくなり、硬直していった。

午後2時、東の空に出現した虹。虹の橋を渡るのはちょっとまだ早い。

本当に逝ってしまったんだな、と泣いた。

生存期間は18歳と2ヶ月弱。2日前に診察した医師によると、人間の年齢に換算すると100歳程度だろう、とのこと。

思い出は、走馬灯の如し。

15年ほど前、人間の不注意で下半身不随となり、車椅子生活が続いたが、3年前には車椅子での歩行も難しくなり、前足で身体を支えることはできるものの、ほぼ寝たきりに近い状態となったまま、この日を迎えた。

それでも、ミニチュアダックスにしては大往生だったといえるのではないだろうか。

奇しくも、先住犬のハナは6月6日、モモは10月6日に旅立っている。だから6日という日は、何だか胸がざわつくのだ。

うちでは一時期に犬3匹猫2匹が同居、生活する人間よりも数が多いことがあった。

高校に入学する頃には、猫か犬のどちらかが必ず我が家にいるという状況だった。犬か猫がいるのが当たり前、という生活が続いた。

しかし、齢50歳を超えた3人が同居する屋根の下に、いつも当たり前のようにいたそれがいなくなるという現実を受け入れるのは、なかなか辛いこと。考えてみると、チョコとは人生の3分の1ほどを一緒に過ごしたのだ。

いるのが当たり前だと思っていた父が急逝した時も同じような思いを痛感してはいるものの、この現実は、この先じわじわと悲しみとなって我々の心を蝕んでくるのだろう。

ペットロスって、きっとこういうことを言うのだろうな。…あ、父はペットではなかったな。

誰よりも心配なのは、間もなく75歳になる母。亡父と商売を営んでいた頃からチョコとは常に一緒で、車の助手席に乗せて出勤もしていた。出勤途上の姿がGoogleマップのストリートビューに映り込んだこともあり、母の顔にはボカシが入っていたが、チョコの顔はしっかり映り込んでいて、爆笑した記憶がある。

チョコは、店を畳む直前まで、会社のアイドル的な存在でもあった。とりわけ、父が亡くなった後は、完全に母の「相棒」と化していた。もっとも、父も「相棒」として慕っていて、よく車に乗せて一緒に市内を回る、ということもあったらしい。

一番面倒を見ていたのは間違いなく母だったし、最も長く一緒の時間を過ごしていたのも母だったので、「いるのが当たり前」の現実から「いないのが当たり前」の現実になった時、それをしっかり受け入れることができるかが、心配なのだ。

ちなみにチョコは、7日(月)の午前、たまたま仕事が休みだった妻、そして母によって火葬場に搬入され、荼毘に付された。これまでであれば、そのまま合葬して遺骨を共同墓地へ収めてもらっていたが、今回は、遺骨を引き取ることに誰も異論がなかった。

恐らく我が家にとって最後のペットとなるであろうチョコを、手厚く葬りたいという思いが、心のどこかにあったのだろう。

7日夜に帰宅すると、チョコの姿はもちろん、眠っていた布団やタオルが片付けられていた。いるはずのものがいない現実を、まざまざと見せつけられた感じ。夜中もいつも通り3時過ぎに目が覚めてしまったが、もはや対象となる相手はいない。

8日夜には遺骨が戻ってきていた。小さな骨壷に収められたそれは、当たり前ではあるが、更に小さく軽くなっていた。

誰から頼まれたわけではないのに、100円ショップで写真立てを購入し、チョコの画像と、これまで我が家でともにした他の2匹の犬たちを並べた画像を収めた。じわりじわりと悲しみが押し寄せてきた。

歴代の飼い犬とともに。

しばらく時間はかかるだろうが、早くこの現実を受け入れ、そしてこの環境に慣れないとならない。

かなり傷心なので、しばらくそっとしておいてください。

今、慰めの言葉を掛けられると、多分泣きます。